第四話 土産
あの夢の日から一週間後、私は再び先物市場の手伝いに来ていた。目の前には高い書類の壁。この前あれだけ処理したのが元に戻っている。
アルフィーナが言うには、先輩はこの一週間、大学に足しげく通っていたらしい。水槽のことでノエルかメイティール相手に忙しいのだろう。
そして、今日は来客の予定が詰まっていて、先輩は隣の部屋だ。
さっき上機嫌のプルラ先輩と廊下ですれ違った。カカウルスを限界まで焦がすことを試すなんて、もったいないことを言っていた。プルラ商会の会計さんも大変だろうな。
プルラ先輩のお菓子といえば、あれはおいしかったな……。夢の中のティラミスの味を思い出そうとした。記憶がぼやけていることに気が付く。少し悲しくなる。
次のお客さんが来たみたい。この足音はノエルかな。
「……っとに苦労したんだからね。……の数術の認識があいまいで。しかも、こんな複雑な形。何回作り直して、どれだけの魔結晶を使ったか……」
隣の部屋、取引所の支配人室からノエルの不満の声が聞こえる。水槽の型の話かと思ったら違うようだ。新しい無理難題に付き合わされているみたい。
……数術のことなら私にも相談してくれたいいのに。先輩は厳密さに欠けるところがあるから……。ほら、ここ数値の抜けがある。
私は頭を振って立ち上がった。隣の部屋へのドアを開けた。応接机にこぶしをたたきつけんばかりのノエルが振り返った。
「まあ、理由が理由だから今回は負けといてあげるわ。これから大変だろうし」
ノエルは不吉なことを言うと、私と入れ替わるように部屋を出た。先輩は挙動不審だ。応接机の上には細長い木の箱がある。これから大変……次の仕事かな。
私は書類を手に、あるべき数字が欠けていることを告げた。修正はすぐに終わった。
「えっと、ミーアちょっといいか」
腰を上げようとしたら、先輩に止められた。その手は机の上の木箱に伸びている。
「どうしたんですか先輩。改まって」
私はなるべく冷静に聞いた。先輩の表情から察するに、かなりの難題が予想される。正直言えば、もうちょっと早めに相談してほしかった。
「いや、ほら。……この前のこと。仕事手伝ったご褒美が欲しいって言ってただろ」
一瞬何のことかと思った私だけど、すぐに思い出した。あの夢を見る前にそんな話をしていた。
「覚えていたのは感心です。でも、私希望を言ってませんけど?」
「それがだな、なんというかミーアが喜びそうなものを思い付いたというか。見たっていうか……」
先輩は要領を得ないことを言い出した。
「先輩がですか?」
自主的に考えてくれたのはうれしい。けど、先輩に私の欲しい物なんてわかるだろうか。なにしろ目の前にいるのは、私の夢の中の先輩じゃないし。それに、私が先輩から欲しいものは、あの夢の中でしか……。
思わず自分の左手の指をさすった。
「とりあえず見てくれ、これなんだけど……」
先輩が木箱を私の前に置いた。細長い箱を開けた。中には赤い布が敷いてあり、その上に銀色の鎖が寝ている。伸びた鎖の先は折り返した布に隠れている。
ネックレスだろうか。アクセサリーなんて先輩にしては気が利いている。……ううん、まだ油断は禁物だ。何かの道具の可能性もある。
私はゆっくりと布をめくった。銀の鎖の下に現れたのは、金色に輝く造形だった……。光を反射するその調和のとれた形、私の手は止まった。
「……っ!」
思わず片手で口元を抑えた。ネックレスにはあの形が、私が世界で、ううん宇宙で一番きれいだと思ったあのリングが、金色の輝きを放っている。
「えっと、なんて言えばいいのかな。ミーアが好きそうな形を思い出したというか、夢で見てだな。といっても、覚えていたのは夢の中でミーアが説明してくれた数式の……」
そして、続く先輩の言葉に視界が揺れた。まるであのホログラムのように、光の帯が瞳の中を流れる。
「お、おい、ミーアどうした」
気が付くと涙がこぼれていた。
私が夢の中から持ってこれなかったあの指輪。それを先輩が数式として持って帰ってくれた。そして、それはなによりも、私たちのあの記憶が共有されていることを意味していた。
「リカルド。ミーアに何を…………。あなた、魔導金の指輪の意味わかっていますか」
執務机の方にいたアルフィーナが私たちの様子に慌てて近づいてきた。彼女は木箱の中を見ると、先輩を見た。
「あ、ああ、えっとこれはあくまで首飾りで……意味?」
「そうです。魔導金の指輪は普通の方法では決して壊れません。ですから……。特に左手の人差し指は、心臓につながって……」
アルフィーナが説明を続ける。要するに貴族の家の習慣で……そいうこと。
「リカルドがそういうのなら、私は受け入れますけど。ミーアとは以前の約束もありますし……。でも、私だってもらっていないのに……」
遂に、アルフィーナは頬を膨らませてしまった。
「いや、指輪じゃなくて、これはあくまで首飾りというか、もちろんこのリングが本体なんだけど。これには……」
先輩がすっかり慌てている。確かに、厳密に言えばあれとは違う。あくまでネックレスの一部という建前がなかなか保身的だ。私は目をこすって涙をぬぐった。
ただ、アルフィーナは一つ勘違いをしている。
「大丈夫ですよ。アルフィーナ。これは左手の“薬指”用なんです。そうですよね。先輩」
私は鎖の下にあるリングを指に当ててみた。鎖が邪魔で嵌めることはできない。でも、その円周は向こうの世界で私が希望したままだとわかる。
「何でそれ知って。っていうか、それ大丈夫じゃないやつ!!」
「むう。何か二人の間に秘密があるんですね」
アルフィーナはさっきよりも頬を膨らませて私を見た。
「それは秘密です。でも、そうですね。ようするに、この鎖を外していいとリカルドに言わせればいいわけです」
私は先輩を横目に言った。一気に畳みかけてもいいけど、先輩も夢だと思ってたみたいだし、このプレゼンとは本当に上出来だから、ここは一歩だけ引いてあげる。
でも……。
私は向こうの世界から持って帰った知識を思い出す。この世界が立体の影であるという、あの理論。このリングを見たとたん、あの時の理解がすっかり蘇った。
世界のすべてはある平面の上にあって、それを映し出したものが私たちの現実。ホログラムは光を当てる角度によってその形を変える。
こっちの世界と、あっちの世界。同じ一つの平面上の情報に、裏と表から光を当てて映し出したもの。そう考えることもできるという、あのお話。
そして、水晶の欠片に残った魔力。
先輩の仮説では、水晶の魔力はあり得ないほどの効率で情報を伝える。つまり、本来越えられない二つの世界の間をアクセスすることだって……。
多分私たちは、二つのホログラムを超えて情報をやり取りした。それがどんな形かわからないけど、それが夢だけど夢じゃないあの共有された記憶なんだと思う。
この指輪の形。それを作っている数式。それを解釈すれば……。私を放ってアルフィーナに釈明をしているリカルドを見た。そして小さく呟く。
「あんまり待たせるなら、向こうの世界に攫っちゃいますからね。先輩」
2019年4月5日:
後日談Ⅲ完結です。読んでいただきありがとうございました。
実はこの後日談、結構苦戦しました。主役がミーアなのは決まっていたのですが、考えても考えてもしっくりくるエンドが見えない。おかげで、これまでとはちょっと趣の違う話になりました。
さて、読者の皆さんにとってはいかがだったでしょうか。
いよいよ本日『予言の経済学 2巫女姫と転生商人の異世界ギルド代表選対策』の発売日となりました。
詳細については本日の活動報告に上げております。興味を持っていただけると嬉しいです。
2019年4月23日:
SNS投稿による限定SSキャンペーンは終了しました。多くの方のご参加本当にありがとうございます。
2019年8月19日:
活動報告に8月25日開始予定の新作の紹介を書いています。
興味を持っていただけると嬉しいです。




