第三話:後半 鏡の中の逆さの影
「ここは?」
「ああ、この催しの物販コーナー。えっと土産品を売ってるんだ」
展示場を出たそこは、一転して明るい部屋だった。きれいな棚に並ぶ様々な物品。加工精度と種類の多さに感心する。
ただ、さっきまでの衝撃でお腹いっぱいの私にとっては、少し物足りない。
あの美しさを平面にそのまま映し出しても魅力は半減以下になる。私はさっき感動した模様の数々をぺちゃんこにした絵を見て思った。
もちろん商人としてなら意味は分かる。部屋の奥では、上品な服装の夫婦とみられる男女がお土産を選んでいる。今日の記念、思い出を形にというわけだ。
……ちょっと興味がでてきた。今日の先輩の選択は、私の夢だからかもしれないけど、本当に理想的だから。なら、その先輩は私に……。
「さて、何か面白そうなものは……。おっ、あそこで3Dプリンターの実演をやってるな」
先輩は部屋の中央を指さした。黒い枠の付いた透明な円形のケースがある。中には、漏斗のような道具が上からつるされている。道具が動くと、それに従って複雑な形が作られていく。やってることは錬金術に似てるけど、見ている限り原理は違いそうだ。
というか、この制御を可能にする計算って……。
「さっきの展示のデザインを作ってくれるのか。といってもプラスチックだし。ちょっと安っぽいかな」
先輩はそういうけど、私は装置の横に並ぶ立体に惹きつけられた。動いたりしないから不完全だが、さっきまでのイメージと十分近い。
「……」
「ええっと、これ欲しいのか」
「……はい」
夢だからと、私は甘えることにした。欲しい形は決まっている。最後の展示室にあったあの円形だ。
「34番の展示の……」
先輩が店員の女性と話している。どうやらこの道具を使う人らしい。だけど、女性は首を振った。先輩は困った顔で私を見る。
「ええっとだな。あの形は機械的に難しいらしい。別のなら……」
どうやら複雑すぎて、途中で形が切れてしまうらしい。私は思わず頬を膨らませてしまった。あの形が手に入らないなら、周りに並んでいる小物でも一緒かな。そう思ったとき、さっき先輩とした話を思い出した。
「ちょっと通訳してください」
数式の変換を話す。私たちの話を首をかしげて聞いていた店員さんだが、先輩が数式を見せると仕方なさそうに装置を動かしてくれた。
装置は滑らかに動いていく。出来上がった形に、女性は驚きの顔になった。操作はできるけど、あんまり数術には詳しくないみたいだ。
「……後は大きさなんだけど、どうする……」
今のは試作だったらしい。私はちらっとさっきの夫婦を見た。仲睦まじそうな二人。女性の指には指輪がある。
「それでは、この指に合わせてください」
左手の薬指を右手で指した。先輩は慌てる。だが、女性はにこりと笑って、私のオーダーに応じてくれる。
「ふふ、ふふふふっ」
小さな輝きが私の指に宿っていた。宝石はもとより、ガラスに比べても屈折率が足りない鈍い光だけど、調和の取れた美は本当にきれいだ。まるで数式を指に巻いてるみたい。
しかも、これは先輩からのプレゼントだ。メイティールに対して優越感に似た感情が胸の奥で目覚める。彼女と逆だけど、もらう方がいいと思う。
「プラスチックの安物をそんなに喜んでもらうのはいいとして。左手の薬指はまずいんだが」
「何でですか?」
やっぱり深い意味があるらしい。先輩が困ってるのが面白いからこのままにしていよう。どうせ夢の中の出来事だ。そう思って指を撫でた。
……でも、本当に夢なの?
指に触れる滑らかな感触が、疑問を蘇らせた。
この世界、私が知らないことが多すぎる。どちらかといえば先輩の夢、そう考えた方が自然だ。なら、私が先輩の夢の中の登場人物ということになるのだけど……。
いや、私は私だ。さっき私は先輩の知らないことを先輩に説明した。でも、先輩もそれは同じだ。なら……二人とも本当だとしたら……。
いや、でもこれは夢。仮に世界を行き来する現象があったとしても、矛盾沢山ある。この服、そしてこの靴。どうやって私はこれに着替えたの。
でも、まってさっきのホログラムの説明なら……。
頭の中に数字がぐるぐる回転するなか、私は土産物コーナーの出口に近づいていた。
幾何学的感覚が、最初に入った入り口とは受付を挟んで反対側と告げる。ならば外には、最初と同じ光景が……見えない。
思わず足を止めた。怪訝そうな顔で私を見る先輩の服をつまんだ。この夢のような体験が、この空間を出てしまったら終わる。そんな予感がした。
「どうしたミーア。興奮しすぎて疲れたのか?」
「……もしも、出たくないっていったら。どうしますか? その、この夢の中にずっといたいってそう言ったら」
私は思わず口走っていた。
「それは困るかな。えっと帰れなくなるだろ」
先輩が困った顔になる。誰のことを考えているか、そう思ったときに口が勝手に続きを告げる。
「もしも、私が戻りたくない。私だけでもこの世界に残るっていったら……どうしますか?」
メイティールに攫われたとき、私一人だけ帝国に行かせられない、そういったリカルドのことを思い出してしまう。
「向こうには俺たちが置いてきた沢山のものがあるだろ。仕事だってあるし。ミーアも……」
そこまで言って先輩は首を振った。そして、私をまっすぐ見た。
「ミーアのこと置いて行くわけにはいかないからな。だから、頼むしかない。一緒に来てくれって」
そう言って私に手を伸ばすリカルド。それはあの時よりも、もっと昔の思い出。村の納屋で一人干し草を運びながら、頭の中に閉じこもっていた私。彼がそんな孤児を外の世界に連れだした時の……。
「アルフィーナとアレックスのところに戻りたいだけでは?」
ズルいなと思いながら、私は先輩の手を取った。確かに、この世界は面白くて知りたいこともたくさんある。でも、向こうには私が先輩と一緒に、みんなと一緒に作り上げたものがある。
「冗談です。私だって向こうにはいろいろありますから。リルカたちだっていますしね」
「助かるよ」
あからさまにほっとする先輩と一緒に、出口に向かって足を踏み出した。
この体験が終わることが分かった。私は思わず左手の指をぎゅっと握り込んだ。
「アノ オキャクサマ キョウジュガ ゼヒオハナシヲ……」
背後からさっきの女性の声が聞こえた気がした。そして、次の瞬間……。
夢の中で、足を踏み外したような感覚。そして私の心は虚空に放り出された。
こちらに来た時と同じように、意識が揺れながら、その輪郭を失っていく。
私は厚ぼったい布を頭で持ち上げた。まぶしい目をこする。どうやら眠ってしまったみたい。毛布は、アルフィーナが掛けてくれたのだろうか。
えっと何してたんだっけ。確か先輩と一緒に…………首を振ったとき、さっきまで見ていた夢を思い出した。
握っている左手を見る。こわばる指を、一本、一本、開いていく……。
「だよね」
もちろん、そこには何もない。未練がましく左手の薬指をさすった。そこには跡すら残っていない。
起きた今も、はっきり夢の内容を覚えている。私が夢のような記憶を頭の中に思い浮かべようとした時、
「リカルド。人を呼びつけておいてあなたが寝てるってどういうこと」
隣の部屋からノエルの声が聞こえた。先輩が困ったように言い訳をしているのが聞こえた。
「……っと。せっかく残ってた……ほどんど……じゃない」
「いや、そんなこと言われても。俺には……」
いつ戻ってきたのかメイティールもいて、あの水晶の欠片のことで、先輩に文句を言っている。どうやら紫魔力の残った水晶の欠片を、アルフィーナの近くに忘れたことを思い出して、あわてて戻ってきたらしい。
二人を宥めるアルフィーナの声も聞こえる。
仕事に戻らないといけないみたい。私は最後に左手の指を撫でると、毛布をたたんで立ち上がった。
2019年3月31日:
最終話の投稿は4月5日(金)の予定です。




