第三話:前半 鏡の中の逆さの影
お城の数倍の高さ、見上げると首が折れそうになる“ビル”に入った。あきれたことに、そしてこの高さなら必然なことに、私と先輩は四角いゴンドラにより上に運ばれる。
多くの人が騒がしく行きかっていた一階と違い、そこは最上階は静かな雰囲気だった。それこそ、この街の領主でもいるのかという上品な空間。
先輩が言うには、セントラルガーデンのコンベンションセンターのような場所で、いろいろな展示が行われるらしい。
「だいたい季節ごとに展示が入れ替わるんだ。先月までは外国の油絵だったかな。まあ、俺の記憶ではだけど」
「では、今は何を?」
「それは見てからのお楽しみだ」
先輩が入り口でチケットを購入した。入場料は先ほどのランチと同じくらい。「学術的なイベントだから国から補助か何かあるんだろう」という先輩の言葉に首を傾げた。
明りを落とされ赤い絨毯が引かれた通路を進む。思わず壁を触った。錬金術で作ったんじゃないかと思うくらいすべすべだ。
壁に貼られた光沢のある紙には、不思議な模様が描かれている。絵だろうか。透明感のある鮮やかな色合い。でも、人でも景色でもない。
〇を二つ重ねたような形。「8」という数字に似ているけど、中心軸に対してひねっている。私は思わず立ち止まった。この形がもしも立体として……。
通路から部屋に入った。やはり人影は少ない。外国の絵や彫刻などを展示時はずいぶん賑わうらしい。つまり、これは人気のない催しということになる。確かにさっきのような絵が、普通の人の興味を引くとは思えない。こちらの普通がわからないけど。
最初の展示室、中には多くの透明なケースがあった。びっくりするほど整った透明なケース。その中にはキラキラ輝く液体が流れている。不思議な光景だ。
「先輩の作りたい水槽に似て……」
そういって、中を覗き込んだところで私は固まった。中に入っているのは魚ではなく、流れているのも水ではない。先ほどの張り紙に掛かれていた模様が、立体的として飾られているのだ。
「こ、これは……」
思わず言葉が上ずった。さっきまで頭を占めていたこれが夢だとしたらという疑問すら吹き飛んだ。
あまりに美しい幻想の美。私の頭の中にだけあって、私にはこっち方が真実であるかのように時々錯覚するもの。それが、目に見える形で存在している。それこそ夢のなかの光景といっていい。
思わず手を伸ばした。だが、私の手が触れようとすると、その幻想は崩れる。あわてて手を引くと、幻想は速やかに再生した。形がない……。
「これはホログラムっていうんだ。ええっとだな、確か説明では……」
してやったりという顔だった先輩。傍らの材質がわからないパネルを見る。私には読めないのがすごくもどかしい。
「えっとだな、この立体を作り出しているのは、下にひいてある平面にある模様でだな……。その模様に光を当てることで映し出されたのが、この立体というわけだ」
私は床を見た。私たちの影がある。立体である私たちの影が、平面である。それと逆の現象。
次の展示では影を作り出す角度を自分で操作できるようになっていた。平面の模様に光を当てる角度を変えるごとに、模様が変化していく。それは影の形が光の方向に従って変わっていくのと同じ。
「まるで三次元の影……」
「さすがミーアだな。多分その考えであってる」
私が思わず漏らした言葉に、先輩が感心したようにうなずいた。
次元を通じた投射の概念、頭の中で一瞬で理解が完成する。すごい。すごい。すごい。でも、おかしい。影の場合、私たちの立体の情報が一次元失われて……。
というか、こんな技術何に使うの?
疑問を抱きながら、次の展示に進む。それは人物画だった。ただ、上の左右に「10000」という数字が掛かれている。さっき先輩が財布から出した支払い証券に似ている。そして、左下に先ほどと同じ不思議な光る模様。
「日常的っていうと、ちょっと違うけど。こういう風に紙幣の偽造対策に使われたりするんだ」
「……平面の中に大きな情報を印刷することで、偽造を困難にするのは分かりますけど……」
いくら何でも大げさだと思ったけど、先ほどの光沢紙と同じものが壁にあるのを見て考え直した。このレベルの印刷技術があるなら、必要だ。あきれるけど……。
私は先輩に尋ねた。先輩は私に押されるように説明を読む。眉間の皺が深まる。
次の展示はもっと不思議だった。弧を描くような面と、そこから映し出される球。
「地球儀、こっちの世界の地図なんだけど。えっとだな、この展示の意味は……」
先輩は眉間にしわを寄せながら、解説を見る。
「……俺には難しすぎて理解できないからぼんやりとしたイメージだぞ。この宇宙、えっと世界だな。世界自体の最大の情報密度っていうのは平面って理論があるんだ。世界の本当の姿は……」
「はい!」
「つまり、この球が俺たちが世界と認識してる三次元空間だとするだろ。でも、この三次元空間の情報は全部背後の局面、つまり二次元上に存在しててだな。俺たちが世界だと認識してる三次元はこのホログラムみたいな見せかけって考え方があるんだ」
先輩が手を伸ばすと、球の一部がぼやけた。様子に背後にある、本当の情報の一部が遮断されたことで、立体が損なわれたのだ。
「わかります」
つまり、数式こそが事実で、この世界はそれを投影したものにすぎない。それって、私がおかしいと思いながら、どうしても否定できない考え方そのもの。
興奮する私に先輩は「分かるんだ」って若干引き気味になっている。
「……まあ、この平面に別の方向から光を、たとえば背中側からだな、当てたと仮定したら。同じ情報が全く違う世界を作り出すわけで」
「あっ、それって……」
私には先輩の言わんとしたことが分かった。つまり、先輩が世界を超えたのは……。
「頭がくらくらします」
大量に取り込みすぎた情報に、加熱した頭を振った。いつの間にか、これが夢かどうかなんて吹き飛んでいた。
「集中しすぎだ。まあ、ここが最後の展示室みたいだから。って、ミーア」
私の目が一つの展示に惹きつけられた。それはひときわ小さいケースだった。まるで指輪のような、それでいて複雑な複数の円が立体的に絡み合ったようなパターンだった。
「ああ、数式を形にしたものだな。えっと、この数式は……」
「この数式は?」
私は説明を見る先輩を前に、ゴクリと唾をのんだ。
「多様体トーラスによる量子情報モデルによる摂動……。すまん。完全に俺の能力を超える。さっきのホログラムと世界の説明と繋がってるみたいなんだけど」
「……………………………………」
私は恨みがましく先輩を見る。
「……えっと。俺の分かる限りで、要素だけを説明するとだな……」
先輩は胸のポケットからメモ用の紙を取り出す。先輩の必須の道具だ。
「……可能な限り数術に直したらこんな感じだ」
私はじっとそれを見た。そして、目の前の幻想、ううん真実の形と比べる。ここは円周率だよね。この項とこの項を入れ替えて。あっ、無限大と無限大の打ち消し……。じゃあ、こちらとこちらを変換したら……。
「……と、こうしたらもうちょっとわかりやすい形になります」
私は先輩にメモを返した。先輩が数式だけを覚えていて、私がその意味を教えたことはある。夢の中でもするとは思わなかったけど……。
「何とかぎりぎり理解できた。なるほど循環するパターンで循環するパターンを作り出すって感じかな……」
先輩は頭痛が痛いという表情をしながらも、私の書いたものを見る。苦労しながら、私の考えを理解しようとしてくれる姿。最初に先輩と会った時のことを思い出した。
一瞬、数式のことを忘れて先輩のことを見てしまう。私にとっては世界で一人だけの理解者。もちろん、今はノエルもメイティールもいるんだけど、それでも特別な人。
今二人で並んで理想の数の世界に囲まれている。それはまるで夢のように……。
2019年3月27日:
後半の投稿は31(日)の予定です。
ぎりぎりになってのお知らせで恐縮ですが、『予言の経済学』2巻に店舗、電子書籍特典が付くことになりました。
詳細については本日活動報告に書いています、興味を持っていただけると嬉しいです。




