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予言の経済学 ~巫女姫と転生商人の異世界災害対策~  作者: のらふくろう
サイドストーリー

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274/280

SS 大人の香り

2018/11/05:

『予言の経済学』書籍版の発売日記念として七和 禮さんによるカバーイラストにインスピレーションを受けて書いたSSを投稿します。

時系列的には、リカルドが大公邸に居候するようになったちょっと後くらいでしょうか。


「本日は、このお召し物でいかがでしょう」


 私はクローゼットの中から、一枚のワンピースを取りだした。白を基調に、スカート部分を裾から淡い青で染めたものだ。


 窓の外の日差しを考えると夏らしい装いが栄えるに違いない。


「ありがとうシア」


 姫様のお着替えをお手伝いする。服で覆うのがもったいないくらい白くきめ細かな肌。同性の目から見てもほれぼれするくらい。もちろん、異性の目などにさらすことはあり得ないし、許されない。


 白が映えるように暗色の鹿皮コルセットで細い腰を覆い、緑色の広紐で斜め十字に締める。元々、こういったものが必要ないくらい細い腰。力を入れると折れてしまいそうなくらい。そして、同じく緑のリボンを襟元にあしらう。


「さあ、鏡をご覧ください」


 姿見を姫様に向ける。鏡を前に、ひな鳥のように両手を少し逸らせる姫様。私は後ろから見守る。うん、今日も本当に可憐でお美しい。きらめく青い髪と澄んだ蒼い瞳に、緑がアクセントとして良くお似合いだわ。


「…………」

「姫様?」


 鏡の中のお顔が微かに曇った。母からよく言われていた。普段から決してわがままなどおっしゃらない姫様だから。乳母姉妹である私が察して差し上げないと。


「お気に召しませんか?」

「いえ、違うのです。シアの見立てに不満などありません。ただ…………」


 姫様は少し口ごもられた後、私に振り返る。


「その、少し子供っぽく見えないでしょうか」

「そ、そんなことは……」


 さっき雛鳥のように可憐だと思ってしまった手前、否定が遅れた。白と淡いブルーのワンピースが、あどけなさを強調するのは否定できない。でも、これが姫様の魅力だ。多少子供っぽくても、誰がそれを笑ったりしよう。


(問題は、どうしてそのようなことをお考えになるかだわ)


 姫様が誰の目に映るご自分を意識されたのか。それを思うと胸に暗雲が漂う。そもそも姫様がお召し物のことを悩まれること自体が殆どないことなのだ。


 何を着られてもお似合いである上に。聖堂に仕える身だというご遠慮から、華美なことをお望みでなかった。ようやく化粧料を王より授かったのに。侍女としては物足りなさすら覚えるくらい。


「色の濃いお召し物もございますが。季節を考えますと……」


 姫様はもう一度鏡をご覧になり、次にコルセットに手を掛けられた。


「キツかったでしょうか?」

「いえ、そのもう少し絞っても……」

「必要ないと思いますが……」


 コルセットと言うよりも腰回りのアクセントとしての意味の方が大きいくらいなのだけど。


「却ってお体の線が」

「シアがそう言うのなら、間違いありませんね」


 素直に私の言葉を受け入れてくださった。その信頼に心が浮き立つ。


 姫様は机の上の宝石箱から、中に一つだけ入っている翠玉のブローチを取り出される。一番大切になさっていて、普通はお使いにならない。王宮などの公式の場では決して身につけない。お母上の形見だ。


 この一点で、これから会う相手が姫様にとってどれほど大事か表している。


(あんな男など、庭先からでも報告させれば十分なのに)


◇◇


「リカルドくん」


 姫様のお声が、側の私にはっきり解るほど弾んだ。庭の影から、まるで下男のように現れた男。その姿を見た途端、私の胸に激しい怒りがわき上がった。


 緩んだネクタイ、まくり上げられた袖。インクのシミが付いた腰のポーチからは紙の端がはみ出ている。飾り一つないベストの肩の部分に埃が付いている。そして、足下はつま先が汚れたブーツ。


 さっきまで倉庫で作業していましたという、それを雄弁に語る姿だ。実際、向こうには男の商会に貸し出された倉庫がある。とにかく、王女はおろか、おおよそ女性の前に出る格好ではない。


 まあ、顔つきには多少の涼やかさがないわけではないけど。背の高さもまあまあ及第。でも逆に言えば、普通。何よりも全体として気品、覇気、頼もしさというものが感じられない。間違っても姫様にふさわしいなんて認められない。


 この席に招かれたいと思う男が王国にどれだけいると思っているのか。いまこの男に向けられている笑顔が、どれほど特別で価値のあるものだと思っているのか。


 その特権を当たり前のように受け取って…………いえ、姫様を見て僅かに目を見開いているかしら。当たり前だ。


 男の視線に姫様が緊張に身を固められる。以前のように努力して他者の視線に耐えていたのではなく、もっと違う理由での緊張。私まで思わず拳に力が入る。いくらこの無粋な男でも賞賛が口から出るはずだ。


 お世辞を言う必要など欠片もないほど、陽光の下の姫様は輝いておられるのだから。ただそのまま口に出せば良い、それくらいは出来るだろう。


「その…………、そうです。時間もないことですし、蜂蜜の収穫について説明を」

「はい」


 蹴りつけてやろうかと思った。男は時候の挨拶も無しに仕事の話を始めた。この男は商人だというが、務まっているのか心から疑問だ。出入りの商人で如才ない者なら、私相手にすら容姿を褒めるくらいだ。


 あまりの仕打ちに私は姫様のお顔を恐る恐る確認する。だが、姫様はこの男の一言一言を聞き入っている。


「問題は、レンゲが咲く前の春の花の手当で、それが出来ればさらに……」


 お茶の席にそぐわない金の話が続く。姫様がやっと与えられた化粧料である村の話だ。西部出身で、あそこら辺の村の様子を知っていた私は最初憤ったものだ。あれほどの功績を挙げた姫様に田舎村一つをあてがうなどと。


 だが、この男が今説明している数字は、控えめに言っても大きい。姫様が私的な衣装をお選びになられるほど、ほんの数着だけど、のもこの為だ。


 ちなみに、私のお給金も増やしていただいた。もちろん、それは姫様のご厚意で有り、目の前の男には何の関係もないことだ。


 そもそも、この男は商人なのだからせめて金くらい稼げなければ話にならない。姫様のご威光によってその商売が守られているのだから。


「というわけで、ご質問はありますか」

「えっと、ここの……」


 姫様は男から帳簿を受け取っていくつかの数値を指さされた。そのようなことを覚えられる必要はないと思うのだけど。まるで商家に嫁ぐ準備のようで心がざわめく。


 私の胸の内も知らず、男は「なるほど」と頷きながら質問に答えている。


「というわけです」

「ありがとうございます。よく解りました」

「では……」


 説明が終わると男は早くも立ち上がろうとしている。とっとと倉庫に戻れば良い。そう思う私だが、姫様のお顔を見て……。


「いかがでしょう。丁度このような時間ですし、軽食など用意させますが」


 唇の端を噛み切りそうな気持ちで、いやいや口を挟んだ。


「そ、そうですね。どうでしょうかリカルドくん」

「では、お言葉に甘えます」


 フレンチトーストが運ばれ、姫様があどけないお顔でそれを口にされる。何とこの男が考えたものだという。料理人の真似事と言いたいが、これはとても美味しく、特に蜂蜜をたっぷり掛けて食べると……。


「やはりフレンチトーストは美味しいですね」


 姫様は僅かに唇の端に蜂蜜を付けて明るい声でいった。そして、慌ててハンカチで口元を覆われた。白磁の頬を赤く染められる。


「はずかしいです。……蜂蜜も使いすぎてしまいました」

「いえ、そんなことは…………」


 男は困ったように目を泳がせる。むしろ可愛いから大丈夫と言いたいが、私は沈黙を守るしかない。


「そうだ、蜂蜜と言えば一つお試しいただきたいものがあったのを思い出しました」


 男はそう言うと、倉庫の方に向かった。戻ってきたその手には琥珀色に少し赤みがかった小瓶があった。蜂蜜のようだけど、微かに色が違う。姫様の期待のこもった視線の中、男は瓶を開ける。微かな香気がテーブルに漂う……。


 男はフレンチトーストの小切れを皿に取ると、その赤みがかった液体を掛ける。そして、姫様の前に出した。私は反射的に男の手を遮った。


「私がまず毒見いたします」

「シア。リカルドくんは」

「いえ、これは配慮が足りませんでした」


 男はフレンチトーストを二つに切ると、一つを自分の皿に移した。私たちは同じものを同時に口にした。相手は仮にも姫様の客だ。先に試させるわけには行かない。


 じっとこちらを見る姫様の視線を感じながら、恐る恐る口を動かした。次の瞬間、えもいわれぬ香気と微かな渋みに彩られた甘味が口腔に広がった。私は思わず口を手で覆った。


「こ、これは?」


 口の中に様々な香気と微かな酒精の香りが満ちる。砂糖を入れた最上級の紅茶のように、僅かな渋みが甘さを引き立ているみたい。


「ウィスキー……、麦の蒸留酒を熟成させる樽ですが。廃棄寸前の古いものを入手しまして。そこに蜂蜜を入れ、一年間熟成させたものです」


 男が説明した。なるほど、この香りと味は蒸留酒の残り香が濃縮されたもの。こんな方法聞いたことがないわ……。


「シアばかり……」


 姫様が普段は決してお使いにならないお言葉を使われた。私は慌ててフレンチトーストを皿に取り、男がそれに赤い蜜を掛けた。


 白くて細い両手が皿の上を動く。角度は完璧です。でも、動作が少し速いです。銀のフォークが赤みがかった蜜の上から黄金の生地を捉え、そのまま持ち上がる。


 ゆっくりと、ただしいつもよりも少しだけ早く、桜色の唇にそれが含まれる。私たちは思わず二人揃ってそのかんばせに見とれていた。


「少し変った甘さ……。ええっと、とても複雑な香りで……」


 姫様のお好みからすると、微かな渋みが舌に触ったのでしょう。少し困った顔になっておられる。私は仕方なく口を開いた。


「リカルド様はきっと、こういった大人びた味は姫様には相応しいと思われたのですね」


 私は男を睨みながら言った。姫様は慌てて二口目をお口に運ばれる。ゆっくりと、その香りを楽しむように口が動き。小さく頷いた。


「とても素敵な香りです。新しい商品として売り出されるのでしょうか」

「ありがとうございます。一応その予定ですが。まだまだ試作段階なのです。私が数ヶ月ごとに味見をしていただけなので、他の人に出したのは初めてですね」

「そうなのですね。では私が初めて……」


 誇らしげに緩んだ姫様のお顔が、私を見て僅かに曇った。


「シアが初めてですね」


 そう言って私に微笑まれる。ご幼少の頃からお仕えする私だから解る、ほんの僅かな頬の膨らみ。本当に滅多にないから少し恐いです姫様。


 私はお湯を換える為にテーブルから離れた。姫様の為に特別な品を用意したと言えなくもないから、少しだけ姫様と二人にしてあげるのだ。だから、私が戻ってくるまでに姫様のご機嫌をとること。


 新しいポットを手にした私は、遠目にテーブルを見た。あり得ないはずの男女が、一瞬とてもお似合いに見えた。きっと目の錯覚。さっきの酒香のせいに違いないわ。

特別な蜂蜜を使った、リカルドとアルフィーナのお茶会でした。

いかがだったでしょうか。


本日、無事発売日を迎えることが出来たのは、ここまで読んでくださった皆さんのおかげです。


活動報告に、カバーイラストの文字無し版と書籍版発売のご挨拶を書いています。

よろしければご覧ください。

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