5話 その瞳に映る世界
流石にオトシンクルスさんはみつけられなかったのです……。
眼前に置かれた小さな空間。私が両手で余裕を持って抱えることが出来る。衣装箱なら服の一枚も収まらない。
その小さな光景に、私の目は吸い込まれている。
水色に染まった立方体の中、流れにそよぐ緑の葉。その緑の間を赤と青を纏った銀鱗の魚がゆっくりと遊泳する。同じ大きさの絵画に描けば矮小、彫刻に刻めば陳腐だろう。動いているが故の美しさが存在している。
「生きた箱庭ね。庭師まで付いているなんて面白い」
私の視線が新しく加わった生物を捉えた。魚と同じくらいの大きさの足の生えた生き物。リカルドが「生体兵器」なんて言うからどんなとんでもないものかと思ったら、池の水草の中にいる小さなエビだ。
地味な茶色の鎧に覆われ、長い触角を振り回しながら水の中を細い足で歩く。水中を優雅に泳ぐ小魚とは違うせわしない動き。
彼らは底に敷かれた焼き固めた丸い土、ガラスの表面、そして水草の葉や茎の上。ありとあらゆる場所で働いている。針子のように、小さな二つの鋏を絶え間なく働かせている。水に沈んだ庭の中、雑草を剪定しているのだ。もっとも、彼らにとっては食事なのだけど。
このエビたちがあの腐った光景を今ある綺麗な姿に戻したのだ。
あの後リカルドがしたのは、このエビを5匹ほど水槽に加え、全体を布で被ったことだった。遮光したことで光を必要とするコケが枯れる。水草はコケよりも大きく成長もゆっくりだから、蓄えた養分で耐えることが出来るらしい。
その結果、茶色くなったコケをエビたちがかたづけてしまったのだ。今後は、コケが人の目に見えないくらい小さい段階でエビが食べてしまう。
実際、ガラス面は磨き上げたように綺麗だ。人が布で掃除するよりも綺麗で、しかも見ていて面白いなんて。子供、特に男の子なんか張り付いて見そう。
……もしかしてこの商品、アレックスの為でもあるのかしら。むむっ、その為にこれだけ苦労させられたんだとしたらちょっと思うところはあるかも知れないわね。
「緑のもやに覆われたときはどうしようかと思いましたが、商品としてますます素晴らしいものになりますね。魚と水草に加えてエビも、……これでいくらくらいになるでしょうか」
「そうですね。あくまで贅沢品ですし、輸送の手間等を考えると……これくらいでどうですか?」
「まあ」
最初変哲もない魚と言っていたリーザベルトがリカルドと一緒に算盤をはじき始める。文字通り現金な話の開始だ。
「綺麗な光景を前に無粋なことね」
「…………」「…………」
二人は意外なもの見る顔を私に向けた。
「なに。私だって綺麗なものを愛でる心くらいはあるのよ。絵心は魔獣のスケッチとかにも必要だし」
「前半と後半が矛盾してるぞ」
「殿下らしいですね」
二人が笑った。
「ふん。まあいいわ。貴方たちはご領主様と商人様なんだから。でも……」
私は考える。商売に関しては素人の私が見ても、これは売れると思う。リカルドはセントラルガーデンを訪れる人間の中心、コンベンションセンターや先物取引所に水槽を並べると言っていたし、新しい流行として広まる。リーザベルトも領地からの輸出品が増えることは歓迎だろう。帝国としても、王国との貿易格差を少しでも抑えることは経済的にも政治的にも重要だ。
それでもだ。私の隣で交される金額を聞きいても、やはり解せない。
「リカルドほどの大商人がわざわざ出向いて、二月近い時間をかけてやることにしては小さいわね」
「最初からそんな大きな話じゃないって言ってるよな」
「こちらにしては十分期待が持てる事ですけどね。まあ、確かにリカルド殿のやることにしては小さいですけど」
リーザベルトが言ってリカルドが苦笑した。
「このスクリューをそっちの王宮に秘密でテストをする為の偽装とか? 実際、速度の調節とか色々研究進んだし」
「恐いこと言うなよ。違うぞ。まあ、そこら辺に繋がることは分かってるけどさ」
私が考えていたことを口にした。リカルドが首を振った。分からない、そっちの方がずっと大事でしょう。私がそう主張しようとした時、ドアがノックされた。
「リーザベルト殿下。宿場のことで陳情が」
「どうしました?」
「その、この場では……」
リーザベルトの侍女が主に告げる。部屋の隅に移動して話している。例の話だろう。人口が増えたことで、色々問題、例えば人間の排泄物の増加や薪炭の不足等が起こっているのだ。そういう意味では今回の商品がこの程度というのは僥倖なのかしら……。
「申し訳ありませんが私は少し外させていただきます」
リーザベルトが部屋から出て行く。
「大変そうだな」
リカルドはリーザベルトの背中を見送って、少し暗い声で言った。やっぱりあんな感じで従順な女らしい方が好みなのかしら。アルフィーナがそうだし、ミーアも……ミーアはちょっと違うわね。
「こっちのことよりもメイティールこそどうなんだ? もともと帝都に用事があったんじゃないのか」
「肝心の次期皇帝陛下が旧都から戻ってこないのよ。どうも、向こうで新しい情報が見つかったみたい。絶望の山脈の西側の詳細な地図だとかって話」
「そうなのか。そう言えば西方との交易が途絶えたのって……」
◇◇
リカルド曰くの小さな商品の完成から三日後。私は”任地”への出発の準備を終えていた。結局ダゴバードはセントラルガーデンに向かうことになったのだ。見つかった地図によほど重大な何か、それも魔力観測がらみの情報があったのね。
まったく、なんのためにここまで来たんだか。私は自分のいつもより着飾った服装を見て肩をすくめた。所定の成果を上げられなかったのは私もね。
まあ、それなにり面白かったからいいけど。
水槽に別れを告げる。商品の見本としてここに置いて帰るのだ。なんやかんやで最初から見守った生きた美術品には愛着がないと言ったら嘘になる。
窓からの光を受けて、水草は小さな気泡を付けて、葉を伸ばしている。あの後リカルドが河原から拾ってきた小さな流木がまた、雰囲気を出しているのだ。
「あっ、こらそれは餌じゃない。って、……魚にとっては餌よね」
その流木の上で、魚が小さな、それこそ砂粒くらいのエビの幼体を食べた。小さな動物が大きな動物に食われるのは当たり前のことなんだけどね。
「私らしくもない。こんなの私たちが鳥や牛を食べるのと同じ…………」
…………あれ?
光を浴びて草が伸びて、それを鳥や牛が食べて、その肉を私たちが食べる。ごく当たり前のこと。じゃあ目の前のは? 光によって育った水草やコケをエビが食べ、それを魚が食べる。同じだ。
いえ、もっとよ……。
私は魚の尻ビレから出てくる褐色のそれを見ながら考える。
魚の糞や、エビの抜け殻、そして死骸も、土の中のミューカスによって土に戻される。それが肥料になって植物を育て…………。回っていく?
「…………あれ?」
思わず口にでた。思わず目を瞬かせた。眼前の小さな商品が、今何か違うものに見えた。こんな小さな空間が私の目を捉えて離さない理由を垣間見た。
「ねえ、リカルド……」
私は恐る恐る口を開く。思いついた可能性を、頭の中にとどめることが出来ない。
「…………この魚って、もしかして…………私たち」
私がそう聞くとリカルドは驚いたような顔になった。こんな突拍子もない言葉で通じる。そうね、じゃあやっぱり最初っから……。
だけど私はそれどころじゃない。目の前の生きた芸術、美しい箱庭が何か気がついたのだ。
「となると、となるとよリカルド。この水槽…………この世界そのものを閉じ込めたものよね」
「……まあ、光とか空気とか、餌は外からだけどな。…………良く気がついたな」
リカルドの答えは当然のように肯定。なんというか、困ったような褒めてるような微妙な表情で私を見る。
「この水槽がもしこの十倍以上の大きさで、魚の数が同じくらいだったら?」
「理想的な状況が生じれば餌は必要なくなるかもしれない。そうだな、今の条件でも魚じゃなくてエビだけなら光だけでも維持できるかもしれない」
(な、何が小さな商売よ)
困ったような表情で私を見る男を、思いっきりにらみ返した。気圧されそうになる自分に逆らうように。
隣にいる男の知識にぞっとさせられたことは何度もある。でも、これまではより大きな興味とか好奇心とか、そういう感情が強かった。
だけど、これは何か違う。小さなガラス箱の中に世界の仕組を詰め込んだ。世界自体を実験の俎上に載せる試み。それはまるで神の視点……。
「あ、貴方ねいったいどれだけの企みを…………」
私の口を動かすのは恐怖、いや畏怖だった。でも、言葉は途中で止まった。まだ何か違和感がある。思わず距離をとろうとした足を踏ん張る。そして、もう一度目の前の水槽を見た。
それは閉じた空間の中で循環する世界。そう、まるでこの小さな盆地に似ている。
突然、リーザベルトの言葉が思い出される。それに対するリカルドの反応。あの目は前に見たと気がついた。街を出た少し後、発展していくセントラルガーデンを振り返ったこいつの顔。まだ十分発展の余裕があるように見えるあの都市を見る眼に、憂いがあった。
ほんのちょっとだけ、一瞬だけこいつの瞳の奥が見えた気がする……。
もし、こいつにとってそう見えてないとしたら? 次の瞬間、ミーアの128枚の金貨の話が蘇った。先日リーザベルトに賢しげに教えた話だ。
男が金貨を一枚だけ借りる。金利は月に倍。借金の額が128枚になったら処刑されてしまう。あり得ない高利だし、流石に処刑は厳しい。でも、話の本質はそこじゃない。
一月目、借金の額は金貨2枚になる。二月目金貨4枚。そして8枚、16枚と増えていく。七ヶ月後、借金は上限の128枚に達し、男は終わり。でも、じゃあその前の月は? 借金の額は64枚。破滅までの距離のやっと半分でしかない様に見える。まるで、まだ半年あるように錯覚させられる。
そう、男は6ヶ月かけて処刑台までの道を半分進み。そして、次の一ヶ月で残りの全てを突破するのだ。
最初変化が少なくて直線上に見えるが、そうではない。ちなみに、倍というあり得ない仮定でなくとも、金利としては安い1割でも、時間の尺度が変るだけである日突然、あくまで人間の感覚ではだけど、大きな変化は生じうる。
リーザベルトを悩ます問題。そして、水槽の最初からリカルドが気にしていた濾過。限られたこの箱の中で、小魚が今後増えれば増えるほど顕在化する。狭い世界の中で、この魚たちはどれだけの繁栄を維持できるだろうか。
いいえ、待って。それでもおかしい。あの街の周りには大河の側はともかく、十分に広い平野が広がっている。仮にあの街が今の十倍、ううん二十倍になっても多分問題は……。
「もしかして、この世界ってそんなに大きくないの?」
「いや大きいぞ。でも、何というかだな。俺が向こうの世界の概念を持ち込んで、こっちの進歩のスピードをちょっと乱してるからさ。それも、偏った知識でだ。となるとだ、本来なら自然に調整される各分野のバランスっていうのか。そういうのが今後どうなるか不安になるんだよ」
リカルドは魔脈期の対処の方が先なんだけどと頭をかきながら言った。でも、瞳の憂いの色は変っていない。
「それって人口の増加とか?」
人口、つまり人間の増え方は明らかに金貨のパターンに準ずる。一組の男女が四人の子供を産むとする。理想的には1世代で人口は倍になる。1世代20年として私たちは何百年もかけて何の心配もせず、どんどん繁栄していく。そして、次の世代が世界を破滅させると気がつかないまま……。
でも、いくら何でも……。私はあり得ない想像を振り払おうとする、だけどリカルドは頷いた。
「まあそんな感じだ。後は魔力資源、魔結晶の必要量とかな。ほら、あの冬の箱でも結構使うだろ。それにこのスクリュー。魔力の用途はいくらでも広がるんだ。で、それがまた人口を増やす」
リカルドは水槽の中で回る小さな筒を見ながら言った。部屋の横には冬の箱、もうそれなしの生活が考えられなくなっている魔道具があって、今も魔力を消費している。
「今はまだ全然関係ない話だよ。だからこれはあくまで小さな商売だ。ただ、百年後、二百年後、いや実際にはもっと後。そんな未来は俺には見通せない。だから、せめてこれを残しておくって感じだ」
そう言っておどけるように笑う男。説明が理解できるにつれてさっきの恐怖は静まっていく。本来ならいつも通りあきれるべきだった。「何が小さな商売よ」それこそそう言えば良かったのだ。だけど、私は全く違う感情に襲われていた。
「そんなのリカルドが一人で背負う話じゃないでしょ」
そして正反対の言葉を告げた。
まだ私が帝国で魔導研究に打ち込んでいたとき、一人だけの部屋でほんの時たま心に浮かび上がった感情。ずいぶん長い間忘れていたそれが心の中に蘇った。誰も到達していない高みから見る視界。誇らしさと裏腹の孤独だったのだろう。
リカルドと出会ってから彼の元でノエルやフルシー達と研究する内に、そんな感情を忘れていた。ここに来てから夜、一人でスクリューを調整しているときも感じなかった。
じゃあリカルドは? 寂しくないの。孤独じゃないの。こいつは自分の知識自体は誇っても、自分の力とは見なさない。なら残るのは……孤独だけじゃない。一人高峰に佇み、広い世界を自分が死んだ後のずっと未来の世界を見て。
(そんなわけないよね)
そうよ、さっき私が意図に気がついたとき、リカルドが見せた表情。少しだけほっとしたような、安心したような顔。それって…………。ほんの少しでも、同じものを見る人間が……。
なら、もしそうなら私は出来ることがあるんじゃない? そう思ったとき、心の中の何かが完全にかちっと音を立ててはまった。今まで、微妙にかみ合わなかった二つの回路が、一つになる。
「いや、だから俺もほらあくまで利益の為にだな。ほら、基本未来の人間に丸投げっていうか。深刻な話じゃなくて、未来の人たちが技術で解決してくれるって……」
ああ、もう完全に囲われちゃったわね。まるでこの水槽の魚みたいに。
私はフリルの付いたドレスのような服の裾をめくり上げて、水槽を指差した。
「リカルドは保身には失敗したの。だから黙りなさい。もう決めたんだから」
そしてリカルドの前に一歩踏み出した。ああもう、長いスカートなんて邪魔なだけね。
「こっちのパートナーは私がなってあげる」
「い、いやメイティールだからだな……」
「何かしら」
私は水槽の中で回転する円筒形の金属を指差した。そしてにやりと笑ってやる。少なくともこちらの分野では、私が彼の隣に立ってあげる。この分野ならアルフィーナよりも絶対向いてるもの。
「私のこと必要なはずでしょ。リカルドは未来の誰かじゃなくて、まずは今ここにいる私に期待すれば良いのよ」
むしろミーアが強敵だわ。いえ、これに関してはミーアと要相談だわ。むしろ共闘すべきね。よし、少なくとも着飾って見せるよりも確実な勝利の絵が見えたわ。
ふふ、覚えておきなさい。私みたいに貴重で綺麗で優秀な魚を囲うんだから、ちゃんと餌は貰うからね。それこそ、しっかり……が出来るくらいは。
2018/11/04
後日談Ⅱ『水色の商品開発』完結しました。
読んでいただきありがとうございます。
メイティールが主役という形でしたが、どうでしたでしょうか。
アクアリウムというネタ自体は前から暖めていたものですが、書籍化が投稿の良い切っ掛けになりました。
明日、月曜日は発売記念と言うことで、SSを投稿します。
書籍についてはそのときにと改めてと思っていますが、一つだけご注意を。
電子版は11月5日配信ですが、紙の本の場合は地域によって入荷まで時間が掛かる場合があるようです。
レーベル公式で発売日が11月7日なのはそういう事情らしいです。
レジェンドノベルスの取り扱いがある書店でも、明日はまだ入荷していない可能性がありますのでご注意ください。
それでは、また明日の投稿で。




