4話 試行錯誤Ⅱ
「題名を付けるとしたら『水に沈んだ森』かしら」
緑が加わった水槽を見てメイティールが言った。ちなみに今日の彼女は胸元が円形に空き、袖の折り返しにレースが使われたワンピースのような服だ。
「泳ぐ魚が草の間を舞う蝶の様です。水の中というのがまた幻想的ですね」
リーザベルトが頷く。
水槽には池から取ってきた植物が追加されている。明るい緑のヨモギのような葉を持つもの、深緑の帯を螺旋状にひねった葉を水面に向かって伸ばすものの。2種類の水草だ。植えてから一週間たっている。
「文字通り水景と言うわけです」
俺は二人の言葉に満足した。狙い通りだ。砂利から伸びた茎と、緑の葉の間を小魚が泳いでいる。水の中に浮かび上がる光景は確かに絵的で幻想的だ。欲を言えば赤い葉を持つ水草も欲しいが、こちらの世界では不吉のイメージがあるからな。マーケティングの課題だ。
「でも、なんだか葉の先端が汚くなってきたけど?」
メイティールは水面ぎりぎりまで伸びた葉を指差した。茶色くなって所々穴が空いている。酷いのは半分溶けたようにちぎれている。螺旋状の葉を持つ方はイチゴのように匍匐枝で増える種類のようだが、砂利の間から顔を出した苗が倒れている。
水に慣れて、新しい葉や株を出し始めたと思ったら、成長をスキップして枯れ始めているのだ。
「多分、底床の問題だな」
俺は水槽の底を見た。よく見ると小石の間に見える根の先端が腐りかけている。
「小川と違って、あの池は下は泥だったわよね」
「流石に目聡いな」
水草と地上植物の違いはその栄養吸収スタイルだ。地上植物はリン、カリ、窒素は基本的に根で地中から吸収する。そこにしかないからだ。この水槽のように砂利の中に植えれば一発で枯れるだろう。
だが、水草はそれらの肥料成分、窒素やリンは魚の餌がバクテリアによって分解されたものだ、が溶けた水が植物体全体を被っている。
水草の中には、メダカ水槽の定番である金魚藻のように、根が殆ど見えないものもある。切り取って水槽に放り込めば、浮んだままどんどん増える。土どころか砂利すらいらない。
だが、しっかり根を張らないと上手く育たない水草も多い。特に水景を彩るにふさわしい植物らしく見える種ほどそうだ。それに土と石では比重が違う、根の様子を見ると砂利で傷ついたり、重さに圧迫されている可能性もある。
「池の泥を取ってきて底に敷くんじゃ駄目なの……。ってダメね」
「ああ、恐らくそれで水草は育つだろうな。でも幾つか問題がある。一つは、濾過だ」
泥だと目が詰まる。つまりバクテリアの生育面積が稼げない。メイティール製のスクリューにも負担が掛かる。
「次が美観とメンテナンスの手間」
泥は簡単に舞い上がる。いくら水替えや掃除が最低限とはいえ、負担が大きい。これが商品である以上、無視できない要素だ。そういう意味では、砂利というのはかなり理想的な床材だ。
「そうね。私のスクリューが泥をかき混ぜる姿は見たくないわ。じゃあ、どうするの?」
「石より軽く栄養分を保持でき、泥よりも扱いやすい。砂利と泥の中間みたいな底材を作るんだ。リーザベルト殿下、陶器を作る職人はいますよね…………あれっ?」
俺の声が虚しく壁に響いた。さっきまでそこにいたはずのリーザベルトがいない。
「さっき執事に呼ばれて仕事に戻ったわよ」
「そうなのか。そう言えば、ここに来たときよりも忙しそうだな」
「私が良いこと教えてあげたからよ。青くなって仕事をしているわ」
「良いことを教えて青くなる?」
「そう、ミーアから聞いた128枚の金貨の話」
「あれか……」
「そう、この狭い土地にはぴったりの教訓でしょ」
「…………そうだな」
得意そうなメイティールから、俺は水槽に視線を移した。ガラスには渋い顔をした自分が映っていた。首を振ってから、リーザベルトの執務室に向かう。
「焼き物の職人ですか。はい、もちろん領内にもいますが。その、十分な人数となると……」
「いえ、一人で十分です。窯の端で良いんで、1つ焼いてほしいものがありまして」
俺は木製のトレーに乗せた茶色の粒を見せた。粘土を小さな粒上に整形したものだ。もちろん、大きさは不揃いで、形も球にはほど遠い。前の世界で園芸で使う、赤玉土をイメージして作ってある。
◇◇
「これができあがりですが、そのいいのでしょうか。御領主様」
泥に汚れた手が自信なさげに差し出したのは、一回り小さくなった焼成された赤玉土もどき。まあ、土だよな。土を焼かされた彼の困惑は察してあまりある。
俺はそれを一粒取って、指に力を込めた。びくともしない。地面の石の上にのせて、小石を拾って叩く、当たり前だが砕けた。職人が青くなるのが解る。
「十分な硬度ですね。ありがとうございます」
俺が報酬として差し出した銀貨、帝国の、を見て職人は目を白黒させる。ちなみに、ダメだったら失敗作の陶器を貰って砕いて使おうと考えていた。
◇◇
下層が砂利、上層が茶色の焼いた土の二層になった底床には、前回と同じ2種類の水草が根を張っていた。
「面白いわ。根から別の場所に芽がでるのが横から見える」
メイティールが言った。丁度水槽の壁に沿って焼成した赤玉土の間を走る匍匐枝が見えていて、そこから新しい株が水中に向かっている。
「根というか、実際には地下茎に近いものだな」
新しい床材がよほど気に入ったのか、水草はどんどんランナーを増やしている。母体に近い方から、だんだん高く生えていくその旺盛な栄養繁殖の様子だと、すぐに水槽を埋め尽くしそうだ。
この勢いなら、硝酸もそれなりに吸収してるだろう。後は適宜この水草を引っこ抜けば、水中から硝酸を除いたのと同じ効果が出る。最も、今度は餌に含まれないカリが不足するが。
「前に見たときよりもずっと綺麗に見えるのが不思議ね」
楽園を泳ぐ小魚の群れを見てメイティールが言った。リーザベルトも頷く。
「はい、見慣れた魚も水景? ですかの主役としてここまで栄えるとは」
二人の女性が目を輝かしている。そう言えば、前の世界では熱帯魚は家に女の子を連れ込むためのアイテムとして優秀だったらしいな。
「これなら商品になるって言うのは解るわ。私も欲しいもの」
「メイティールは実験動物としてじゃないか」
「失礼な」
「部屋の中にこれほど綺麗で不思議な光景が見られるとは。私も欲しいです」
「もちろん商品サンプルとして置いていきますよ。ただ、これはまだ未完成です。このままだと、美しさはもう少しの命ですから」
俺は水槽の隅や水草の表面を見て言った。そこには将来の破綻を約束する僅かな曇りが生じている。元気な植物は水草だけではないのだ。
◇◇
そして更に五日が経った。
「うわっ。見る影もないわね。……魚は元気みたいだけど」
緑褐色のもやに沈んだ水槽を見て、メイティールが引きつった顔で言った。
「まあ、予想通りではある」
手を入れるとぬめった藻がまとわりつき、水面からは青臭い匂いが漂う。その中をちらちらと魚の鱗が光るのが見える。
そう、アクアリウムの天敵であるコケだ。まあ、実際にはコケではなく藻と言うべきだろう。餌を絞っているとは言え、水中に継続的に栄養を供給し、しかも底床は栄養豊かなソイルもどき。そして、光は蛍光灯なんかよりもずっと強い太陽の光。
コケが爆発的に増える条件は完璧だ。むしろコケの為にあるといっても良い環境だ。
「どうするの、これ。まさか手で除けないわよね」
絶望的な表情でメイティールが言った。
「人間の手じゃ無理だな。まずはこの水槽に覆いを掛けて太陽光を遮断する。後は……」
俺は網を手に取った。もう一度池まで行かないといけない。
「生体兵器の投入だ」
2018/10/28:
後日談Ⅱは次で完結です。
最終話の投稿は来週の日曜日の予定です。
最後までお付き合いください。
書籍化については書くことは大体書いちゃったので、今回は活動報告とかは無しで。




