7話:前編 即位式
2018/01/02:
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ずっしりとした重さに反して頭部を守る機能はない冠を椅子の横の台に置き、剣を受ければへし折れそうな王笏をその横に並べる。腰に履いた剣には金銀の装飾と、柄の宝石。使いにくそうだ。
まあ、今後は俺がこれを抜くようなら、その時点で負けなのだ。
何度も部下として訪れた父の執務室。その椅子に腰掛けて俺はわずかな休息を取っていた。肩のこる即位の義がやっと終わったのだ。儀式自体はなんということもない。いかに大げさでも決まり通りに進めればいい。予想外のことは起らないのだからな。
「問題は次か……」
「陛下?」
俺のつぶやきを捉えたのか、前に控えていた男が怪訝そうな顔を向けた。イェルベルク公爵。王国外務卿。姉の夫だから義兄でもある。部屋には彼だけだ。宰相グリニシアス公も、騎士団総長テンベルク侯も居ない。
親戚の中で中立に近いのが彼くらいだからだ。
「控室の様子はどうだった」
「概ね予想通りと言ったところでしょうか……。ドレスディア殿下がアルフィーナ殿下の装いの慎ましやかさを揶揄されて、それがあたかも災厄卿の責任のように皮肉られていましたが」
「可愛いものだな」
「ですな。妻もことさら対応は取りませんでした」
ドレスディアはアルフィーナに対する対抗心が強い。アレの中では義妹夫妻は災厄の前線である辺境に張り付けられているという感じか。一方自分は将来の大公婦人。もう一人の妹はどちらかと言えばドレスディアに同調するだろうが、基本的には自分からは動かない。
「義弟二人は?」
「災厄卿の権限を今後どうするかについて牽制とも取れる言葉を幾つか……。なかなか複雑な立場ですからな」
官位としては災厄卿であるリカルドが一番高い。だが身分は平民。しかして、妻は王女。めちゃくちゃだ。
本来なら新都市を中心とした川向うの領地全てを与えて新しい大公家を立てても足りぬのだが。
「この三年間、リカルドはほとんどこちらには顔を出さなかったからな。新都市の発展に反して、おとなしすぎて却って不気味であろうな」
リカルドは全くと行っていいほど自分の面目を重んじない。商人としての立場にこだわる。もしあれが本当に自分を商人とするなら、王位について商人の定義を変えるしかないというのに。
「義弟二人、グリニシアス伯とテンベルク子爵には旧第二……クルトハイト派の残存がほぼ半々で擦り寄り、また新都市により商売に影響を受ける商人たちが近づいております。この機会に傘下の者たちに対抗する姿勢を見せておかねばならない、そんなところでしょう」
「そういう役割だからある程度はしかたない。俺とリカルドの間隙を作ろうという噂が盛り上がっているようだな」
「はい、災厄卿謀反の噂で陛下と卿のそれぞれに猜疑心をといったところでしょうか」
「あそこを公国として独立させる程度のことで済むなら、むしろ問題としては楽だというのに」
「陛下」
「分かっている。他には?」
「一つ問題発言が」
イェルベルクが小声になった。
「アレックスを王都に置くべきだと、そんなことを言ったのか!!」
俺は思わず腰を上げた。リカルドはどれだけ身分やその他で馬鹿にされようと気にすまい。だが……。
「災厄卿が遠地に割拠する以上、子息を王都にと言うのは常識的な判断ではありますが」
「その意見は出るたびに却下したのだ。リカルドは身内に手を出したものは絶対に許さんぞ」
以前、兄がリカルドの妹分を帝国が攫うために便宜を図った。あの立場にある者にとっては平民一人、自分の利益のために犠牲にするなど普通にやることだ。そんなことで、反撃が来ることを想定しない。
兄が警戒したのは帝国との内通がバレることだけだったはず。だが、その結果は……。
「あくまで、教育のために王都に程度の話でしたが……」
「何らかの形で否定しておかねばならんな」
ただでさえ大変なのに。余計な仕事を増やしおって。
ドアが開いて侍従長から時間だと促される。即位の儀などとは比較にもならん、今日の本番が始まる。報告を受けている魔道具をどう使うか、ある意味楽しみでもあるのだが。
後は、それに彼らがどう対応したのかもだ。俺は調べさせていた数人分の資料を机にしまうと立ち上がった。
「陛下、王冠をお忘れですぞ」
イェルベルクが言った。
◇◇
俺が会場に姿を現すと起立して待っていた列席者達が一斉にひざまずいた。大仰なことだが、国家としての求心力を束ねるのが王の第一の役割である以上、疎かにはできん。
同時に、今後は何にしても速度を上げねばならん。相反する二つをどうバランスするか、悩ましいところだ。
会場である広間の席は大きく2つに分かれている。前に並んでいるのが貴族たち。本番である晩餐会前の昼食会ということで、列席者を若手に限っている。
後ろのテーブルに並ぶのが商人達、といっても各ギルドの代表者だから名誉男爵か。ふむ、あれが新しい馬車ギルドで、あちらが酒造ギルドの代表か。
俺を中心にして左右の一番にグリニシアスとテンベルクの息子。そして妹たち。セントラルガーデンのメンバーたちは壁際に控えている。全員顔は知っている。言葉をかわしたこともある。
リカルドとアルフィーナもそこにいる。この会のいわばホストだからな。商人と並んで立つ閣僚。問題は立場云々ではなく、それによる情報伝達の速さだ。
やはり思い切って儀礼の簡素化を急ぐべきか……。まあ、今回のことが判断材料になるな。
「陛下の臨席を賜りまして昼食会を開始させていただきます。かような栄誉を与えられ光栄の極みでございます」
司会役はルィーツアか。適任だ。あちらでは一番話が通じる。
「楽しみにしていたぞ。皆の者も、これは儀式の合間の腹ごしらえだ。気楽に楽しむといい」
俺の言葉に義弟二人とその妻がホッとした顔になる。この昼食会の格が、半公式に過ぎないということだ。自分たちが力を注ぐ晩餐会こそが本番だと思っただろう。
リカルドがお前たちと同じようにホッとしてるのが見えないのか。
「まずは食前酒をお楽しみください。セントラルガーデンのヴィンダー商会からの献上品となります」
順番は聞いていたが、いきなりリカルドの出番だ。さて、何が出てくるか。
テーブルに細長いグラスが配られる。グラスには白い水滴がついている。グラス自体が冷やされているな。当然、酒も冷えているということだ。この人数となるとこれだけで大した費えだ。出席者達が早くもざわついている。
そこにリカルドが瓶に指を掛けた。奇妙な形のコルクだな。リカルドは「音が出ますのでご注意を」というと、天井に向けてコルクを抜いた。
ポンッ! という音と白い湯気のようなものが立ち上がり。ついで、泡立ちの弾ける音が聞こえた。リカルドの手に持った瓶から溢れる中身をグラスに受ける。
さて、会場は嘲るような表情を浮かべるものと困惑するものの半々だ。酒造ギルド長は……表情を消している。
そうであろう、エールではないのだからな。普通に考えたら、発酵に失敗したワインだ。
リカルドが自分の杯を一気に傾ける。一種の毒味だ。それが終わると、その瓶が給仕に渡される。そして、俺の前のグラスに泡立つワインが注がれた。会場の視線が俺に集中する。この得体の知れないワインにどんな態度を取るか、それ自体が政治だ。
俺はグラスを手に取る。そして、一気に半分まで空けた。
…………
ある程度予想していたのに、最初からこれか。人目がなかったら大声で笑うか。頭を抱えるところだ。
口の中に冷えた液体と泡のはじける刺激が広がる。スッキリとした酸味がエールのような泡とともに弾ける。ワインの酸味と、柑橘の刺激を合わせたような、そんな得も言われぬ味が舌に広がる。
そして、泡のように余韻がすっと消える。冷やされていることとも相まって、夏に飲むものとしてこれ以上はないだろうな。
晩餐会の酒はどうするのだ? 確か、グリニシアスの息子の推薦で、酒造ギルドの代表が秘蔵の瓶を提供したらしいが……。
皆が俺に続く。口をつけて恐る恐る一口飲むや。むせ返るものすら居る。だが、次の一口を止められないようだ。ああ、酒造ギルドの代表が青い顔をしている。
「実に美味であるな。災厄卿。しかし、これはいささか説明がいるのではないか」
俺はリカルドに言った。説明してもらわねば収まらない、俺も会場の全員もだ。
「そこまで、普通のものと変わっておりません。基本的な原理としてはエールと同じです」
リカルドがまるで喧嘩を売るような言葉で説明を始めた。若いワインに砂糖水を加えて二度目の発酵をさせるのか。その際に生じたエールのような泡を敢て瓶の中に閉じ込めたわけだ。
二度目の発酵後、瓶をひっくり返し澱だけを首の部分に集めて凍らせる。そして、瓶を開けるとその澱だけを除くことができる。こうして、今飲んだ透明感のある刺激を備えた白ワインが出来るらしい。
半分もわからんな。
酒造ギルド長は目を白黒させているな。聞いたことが無い製法ということだ。ただ冷やすだけではなく、製法自体が例の魔道具の存在を前提としているのだ。
貴族側の参加者は今聞いた製法の費用を計算して愕然としている。砂糖に凍結させるほどの氷。普通に考えたら、冷やしたワインどころではない贅沢だ。
リカルドに反感を持つ者も少なくないのに、誰もが圧倒されている。
ある意味俺の目論見どおりではある。だが、まだ食事も始まっていないのにこれではどうなるか……。




