6話:前半 複雑なコース
私の目の前には、飾り気のない金属の箱がある。塗装は熱と錆を防ぐ為の明るい灰色一色だけ。装飾等は何もない。
私の店にあるのを大きくしたもの、そのままで怖い。
本来なら金箔を貼ったり、そこに透かし彫りを入れたり。ドアのノブに宝石をあしらったり。そういうことが必要なのではないだろうか。
ヴィンダーは「献上された後置かれるのは厨房で、使うのは料理人だろ。変な装飾したらかえって迷惑じゃないか」と言っていた。そういう問題ではない。贈答品の包装をいい加減にする人間は居ない。
贈る相手は国で一番偉い人へ、しかも即位式という一世一代の場でお披露目されるのだ。私達の街の献上品として。
いや、レイゾウコそのものの凄さはよく知っている。と言うか、ここ二ヶ月あまり毎日のように思い知っている。実を言うと、すでにこれがない生活が想像できにくくなっているのが怖い。
ただ、それとこれとは違うのだ。特に私の立場的に。
「大丈夫でしょうか……」
執務机を離れてこちらに来たルィーツア様に聞いた。私が今日ここにいるのはメニューのまとめ役として、王都との渉外担当であるルィーツア様との打ち合せのためだ。
「クレイグ様は気になさらないわよ。周りの人間は知らないけれど」
ルィーツア様はニコリと笑って、全く気休めにならないことを仰った。クレイグ殿下が気さくな方なのは知っている。先日も、王都まで出かけていらしたルィーツア様が事前に献上品の詳細を説明しようとしたら
「先に内容を知っては面白くないではないか」と止められたらしい。
「新しいことがお好きなのもあるけれど、それだけじゃないのも解るでしょう」
「はい、国家の一大行事における献上品。それが、詳細を伏せたまま御前に出される。王太子殿下、いえ新王陛下がセントラルガーデンを信頼している、そう言うことですよね」
「そうよ。それに……」
ルィーツア様は冷蔵庫を開け、私が持ってきたメニューの試作品を見て面白そうに笑う。
「これが地味であればあるだけ、貴方達の料理が映えるでしょう」
「……はい」
私はぎこちなく笑顔を返す。みんなで用意したものに自信はある。というか、みんな少し頑張り過ぎではないだろうか。だが、メニューのまとめ役ということは、そのみんなの努力に対しても責任があるということ。私の注意が足りなくて、なんてことに成らないようにしなければならない。
それなのに、私は今もう一つの悩みを抱えている。私自身の担当に関する深刻な遅れだ。もちろん、私のせいじゃない。
「リルカの担当は前菜だったわよね」
ルィーツア様は私が用意した皿を見ていった。皿の上にはシンプルな三種類の前菜が、ソースの模様に囲まれている。
私が皿を取り出し、窓際のテーブルに運ぶ。優雅で隙のない動きでフォークとナイフが皿の上を舞う。この街にいると身分というものを忘れかけるが、私達には真似出来ない美しい所作だ。
「チーズ、生ハム、それに卵を茹でたものを更に燻製にしてるのね。一つ一つは特に珍しいとも思えないけど、口に入れると全く別物ね。他のメニューもとんでもないものが揃っているし。これなら何の心配もいらないわね」
自信はあってもルィーツア様のお墨付きにほっとする。ただ……。
「そうなんですけど、一つ遅れているものがあって」
それが私の悩みの種だ。
「ああ、肝心の災厄卿の担当ね。アルフィーナ様からも苦戦してると聞いているわ」
「はい、前菜は食前酒の酒肴でもあります。ですから……」
「白ワインだったかしら。冷やして飲むと本当に美味しくなるわよね。特に、この季節はたまらないわ」
「飲まれたのですね」
「え、ええ。アルフィーナ様へのご機嫌伺いに行ったときにね。アルフィーナ様にはアレックスの養育に集中してほしいけれど。王都とのやり取りはどうしてもね。それはともかく、これと合わせても何の問題もなさそうだったわね」
少し取り繕うようにそう言われる。私も一応頷く。
「ヴィンダーも辛口の白だから、チーズとかハムには問題なく合うだろうって言うんですけど……。ナタリーが言うには砂糖を入れてるらしくて、わけが分からないんですよ」
思わず愚痴ってしまった。
「まあ、あの卿のことだから、普通のことはしないでしょうね」
「だから頭がいたいんです。今回のこともアイデアだけだして後は自分の担当に集中して」
いつものパターンではある。もちろん、私たちにも十分なメリットが有る。レイゾウコをその使い方も含めて最初に知ることはとんでもない情報であり、加えて言えば使い終わったレイゾウコはそのまま私達の店に置かれる。
商人としても個人としても、絶対他の人間に譲れない立場だ。
「まあまあ。どうせ今日わかることよ。それに、今回のことはこの街の価値を示すという意味がある、災厄卿の働きが突出していないほうがいいわ」
ルィーツア様の目が光った。
「街としての総合的な力を見せなくちゃいけない、ですよね」
「そういうこと。仮に、卿一人除いてもどうしようもない。この街それ自体がすでに止められない変化を生み出す存在だと知らしめる。その利益と一緒にね。それがこの街の立場を守る。新しい体制の中で」
ルィーツア様の顔が厳しいものになる。
「元々災厄と戦争で王国の上層部はめちゃくちゃになったでしょ。はっきり言えば叔母上、ベルトルド大公閣下があまりに突出した力を持たれている。だから、第二王女と、第三王女がグリニシアス公爵家とテンベルク侯爵家に嫁がれ、テンベルク侯爵の息子が将来新しいクルトハイト大公になる」
「バランスですね」
「そう、上層部の大規模な再編成。そこまでやってもベルトルド大公家が強いの。何しろ、ただでさえ食料生産が大きかったのに。今はもう、馬車の一大産地ですもの。この街も含めて新しい馬車はいくらあっても足りない。新しく即位するクレイグ様の権威が万全だからこの程度で済むの。普通の王様だったら……」
ルィーツア様がそこで言葉を止めた。凡庸な王なら、大公閣下を除こうとするはず。そういうことだろう。
「そして私達の街のことが絡む。大公閣下はあまり表に出さないけれど、私達が大公閣下の派閥であることは当然視されてる」
「王宮ではどんな噂が……」
「災厄卿は帝国と通じている。この街の王国からの独立を企んでいる。まあ、普通の噂と言えば噂。宮廷政治なんてそんなものと言ってしまえば終わりなんだけど……」
本当に好き勝手言われてるな。私は思わず両手をギュッと握った。
「もちろん、アレックスを次期王位につけようと画策している。というのもね」
その時、一瞬だけルィーツア様がゾットするような表情を浮かべられた。三年前のあの災厄との決戦の前、アルフィーナ様に子供ができないかもしれないことを知った時、この方がどれほど責任を感じられたか私は知っている。そして、アレックスが生まれた時、どれほど安心されたかも。
皆が無事な出産を喜ぶ中、隣の部屋で嗚咽を漏らす後ろ姿を偶然見てしまったのだ。
「そちらの方で集まる噂は?」




