5話:後編 チョコレートは甘くない
「流石に気づいたね。そうなんだ」
チョコレートとチーズのケーキを冷静に分析したナタリーに、プルラはニヤリと笑った。
「ということは、これは即位式のレシピじゃないですよね」
「ああ、二層の味のバランスはもちろん。食感も色のバランスも何もかも洗練が足りない。とても間に合わない」
「相変わらず拘りますよね。じゃあ、やっぱりチョコレートアイスですか」
「甘さももちろんだけど、あれが最高のカカウルスの菓子かといわれると……」
「なるほど、カカウルスの特徴はコクだけじゃなくて、香りですからね」
「そうなんだよ。アイスクリームは素晴らしいが、カカウルスの味はどうしてもぼける。ただ、今回はそれとは別にレイゾウコのこともある。悩みどころだよ」
プルラが厨房の特等席においてある長方形の箱を見た。
「そう言えば、彼は何をしているのかな」
「シェリーが来たときのこと聞きませんでしたか?」
「……その時はそれどころじゃなくてね。少しだけだよ。レイゾウコの改良案を持って乗り込んだら、メイティール様やミーアと一緒に昼間からお酒を飲んでるのを見たって話だね」
ダルガンのことを愚痴った後、思い出して落ち込んでいたシェリーのことをプルラは思い出す。
「まあ、自分が苦労しているとき、冷やした白ワインで昼間から酒盛りじゃ無理がないかな」
「アルフィーナ様のお話では、失敗作をもったいないから飲んでたらしいですけど。砂糖を使って何をやるつもりでしょう。確証がないから教えてくれませんでした」
「まあ、ヴィンダーだからね。ただ冷やしただけのワインを出すはずもない。おかげで、前菜を担当するリルカが気を揉んでる」
「食前酒との組み合わせがありますからね」
彼の後輩が普通のことをするわけがないことは常識である。彼ら全員に共有された。
「今日は色々参考になったよ。まあ、もう少し試してみるよ」
プルラが調理器具を手に立ち上がった。日常の業務だけでも忙しいので、新メニューの開発はどうしても夜になるのだ。昨日はクリームのチーズを使ったイレギュラーな新メニューに付き合わされた職人たちは今日は早めに帰している。
「よかったらお手伝いさせてもらえませんか」
ガランとした厨房を見てナタリーが言った。
「しかし……」
暗くなった窓の外を見てプルラは躊躇した。
「私は今回担当がありませんし。今回の発端を考えると、少しはお手伝いしないと」
ナタリーはそう言ってニコリと笑った。
「それに、レイゾウコの使い方に興味ありますから。ほら、ゼラチンを固めるときには温度は重要ですし」
本来ならナタリーの所に回るはずだったレイゾウコが、シェリーの改良案で遅れていることを彼は知っていた。
「じゃあ、お願いしようかな」
プルラは頷いた。
「いっそチョコレートの量を思い切って増やしますか」
厨房のテーブルを挟んで向かい合った二人。まずは基本的な方針を話し合う。
「それだと、黒が濃くなって色も美しいんだけどね。口当たりに問題が出るんだ」
「なるほど。硬くなりすぎるんですね。お菓子は舌触りも重要ですからね」
二人は考え込む。
「カカウルスの割合を増やしても、アイスクリームの柔らかさを維持するだけなら、方法はある。ほら、それと同じだよ」
「リルカの持ってきたチーズですね」
「ああ。もともとクリームはチョコレートに使ってる。ただ、入れすぎると固まらなくなるのが注意だ。そこら辺のバランスは微妙でね」
リカルドのアイデアとも言えない言葉「カカウルスを固めた菓子が欲しい」を参考に、三年の試行錯誤を思い出してプルラは言った。
「なるほど。でも、それはチョコレートだからですよね」
「そうだね。アイスクリームなら凍らせてしまうか。よし、クリームを増量してみよう」
…………
「ダメだな。やはり食感が犠牲になる」
ねっとりとした食感に、プルラが首を振った。
「いくらコクがあってもアイスクリームは氷菓ですからね。口溶けは重要ですよね。もっとさらっと解けてくれないと」
「クリームの分、すでに牛乳は減らしてますから、難しいですね……」
…………
「だめですね」
「だめだね。硬すぎる。柔らかくするために更にクリームを……」
「もう減らせるものがありませんよ」
「…………」
試作品のボールが並ぶテーブルで、二人は顔を突き合わせた。店の経理担当が見たら卒倒しそうな惨状だが、成果は上がっていない。それどころか……。
「なんというか、これもうアイスクリームじゃないですよね」
「……確かにね」
黒くて小さな欠片を口に入れてナタリーも頷く。手早く凍らせるために小さくしているというものあるが、まるでアメのように口の中で溶かさなければならない。
そう、途中から意地になって追求した結果だ。もし彼の職人がいたら、どうしてこんなになるまで気が付か無かったのかと苦言を呈しただろう。
「カカウルスの香りの方は合格ですね」
ナタリーがごまかすように言った。それはそうだろう、これはもうほとんどチョコレートだ。だが、プルラはハッとした。
「アイスクリームじゃない!?」
プルラはじっと最新の試作品を見る。そして、同じ割合で材料を混ぜ合わせると、細長い方に入れ、厨房の奥に向かう。
「どうするんですか」
「チョコレートを作っていたとき、クリームの量を制限した理由は、ちゃんと固めるためだ。あの時も、夏だったからね」
プルラはレイゾウコの下の扉を開けた。
「これがあれば、あの時諦めた口溶けを達成できるかもしれない」
「…………なるほど」
ナタリーはテーブルの端に追いやられた白いクリームチーズを見た。
「それなら甘くなくてもいいかもしれませんね。ならいっその事、もっと大人の味にしませんか」
ナタリーはシェリーの土産と、調理用の蒸留酒を指さした。
「ふふ、君が居てくれてよかったよ。部下なら止めてるところだ」
「主に原価的な意味でですよね」
二人は顔を合わせて不気味に笑った。そこに、菓子作りに必須なはずの厳密な思考は残っていない。
チュンチュン
小鳥の鳴き声が外から聞こえる。窓から朝日が差し込む部屋の中には、アルコール混じりの甘い空気が満ち、一夜をともにした男女が体を横たえていた。
試作品の並ぶテーブルの上で、互い違いに。
「結局さ……」
「……はい」
「色々いらないものが多かったんだよね」
「ですね。卵もいらなかったんです」
「砂糖も少なくてよかった」
「そこはまだ議論の余地がありますけど。まあ、カカウルスの香りが最大限生きてる点は評価します」
「最後の試作が、そろそろ固まったかな」
ノロノロと上半身を起こしたプルラがレイゾウコから浅い長方形の型を取り出した。半分は黒、半分は緑がかった黒い長方形。彼は黒い方に慎重に包丁を入れ、ダイス型に切り分けた。小さな立方体を一つつまみ上げるとナタリーに差し出した。ナタリーはそれを口で受け止めた。
ナタリーの頬が緩み、幸せそうな吐息がもれた。
「プルラさんも……」
ナタリーも同じように緑の方を切ると、プルラに向かって指を伸ばした。
「支店長、おはようございま…………。失礼しました!!」
その時、厨房のドアが開いた。律儀に朝一番にやってきた職人。彼は、ナタリーの指で口にチョコレートを押し込まれる上司の姿に、慌ててドアを締めた。
ナタリーが帰った後である。額に手を置いて「あの時は徹夜明けで……」と独り言のような上司の釈明を聞き流しながら、職人は新作のチョコレートを味見する。
「チョコレートの”方は”そこまで甘くなかった」
それが彼の感想だったという。




