5話:前編 最高の黒を求めて
王国と帝国の中間にある街、セントラルガーデン。出来たばかりのこの街には伝統も歴史もない。だが、ここでしか食べられない珍しくも美味な食べ物がいくつも存在する。その評判は王都や帝都まで届いている。
プルラ商会セントラルガーデン支店はその中でも特に名を轟かしている。
中央広場とコンベンションセンターの間という最高の立地。商談に訪れた商人たちが必ずと行ってよいほど立ち寄る。王都本店でもまだ売られていない新商品はそれ自体情報としての価値を持つ。災厄が収まったことが知られてきた最近では、王都から避暑に来た貴族の姿まで見られるようになっている。
目玉は帝国から輸入されたカカウルスという木の実を用いた黒い菓子、チョコレートだ。日持ちするため土産としても評判である。今や、貴族にとっては交渉の秘密兵器とまで言われている。
当然、商会にはそういう特別な客用の個室がある。普段は貴族客くらいしか利用しないそこに、仕事帰りの商家の人間といった感じの男女が座っていた。
男の方は腕組みをしてふんぞり返るように腰掛け、対象的に隣の女は不安そうに豪華な調度を見ている。
「落ち着きが無いじゃないか。ここに来る前は、毎日アイスクリームを食わせろとか言ったくせに」
「……値段を知らなかったからだよ。あんなもの、毎日食ってたら店が傾くだろ」
からかうようなダルガンの言葉に、シーラが言い返した。将来の店主夫人として帳簿などの見方も覚え始め、自分のいる店の利益の大きさも知っているが、牧場の娘という感覚は抜けない。今日も内臓の扱いについて店員たちと一緒に血まみれになっていた。
即位式のメニューというあまりに大きな仕事と、新しく覚える数々のこと。あまりの忙しさに新しい街を堪能する余裕すらなかったのだ。というより、この一週間ほとんどと言っていいほど外にもでていない。
だからこそ、ダルガンがプルラ商会に連れて行く聞いた時は彼女としても胸がときめくものがあった。二人で出かけるなど初めてなのだ。その初めてが王都にまで名前が轟く名店である。
だが、この店の奥にある特別な個室に通されたとき、場違いな自分達に緊張している。
「またせたね」
ドアが開き、執事風の格好をした細身の眼鏡の男が入ってきた。
「客に対して「またせた」はないんじゃないのか」
「厳密に言えば、客じゃないからね。ここを使うのは、お連れのご婦人に対する敬意だよ。ついでに言えば、今営業時間が終わったし、これはまだ正式な商品じゃない」
彼の手には2つのガラス器があり、そこには黒いアイスクリームが乗っていた。
「なんだ、いつもみたいに洒落た果物がないじゃないか」
土産のアイスクリームに果物を添えろという忠告を無視したくせに、ダルガンはいった。だが、プルラは首を振った。
「君相手ならともかく、ご婦人に対して手を抜くはずがないだろう。これにはそういうものは必要ないんだ」
プルラは2つの皿をテーブルに置いた。専用のスプーンでくり抜かれた波模様のアイスクリームが花びらのように配されている。色は濃い黒茶色だ。
シーラはその色に少し戸惑った。だが、すでにアイスクリームの味を教えられている彼女は我慢できずにスプーンを取った。
「…………」
恐る恐る口に入れ、舌の上でそれが解けるとシーラはスプーンを震わせた。
「如何でしょうか」
プルラは礼儀正しく、友人の婚約者に話しかけた。だが、シーラはコクコクと頷くだけだ。
「冗談抜きで、今まで食べたものの中で一番、うま、美味しいです」
やっと口を開いて出たのはそんな感想だった。
「まあ、なかなかじゃねえか」
ダルガンが言った。隣の恋人に貫禄を見せようというのもあるが、彼はどんどん洗練されていくチョコレートを知っている。感心していることを口には出さないが。
「三年打ち込んだからね。それでも、まだ味の底が見えないのがカカウルスという果実だ。それを練り込んだアイスクリーム。チョコレートアイスは現時点でのうちの最高の品と言えるだろうね」
「なるほどな。そっちの即位式のメニューってわけか」
ダルガンが言った。シーラがビクリと肩を震わせた。自分がそれを食べているという驚きと、これならさもありなんという納得が混じり合っている。帝国から黒い菓子が入ってきているという話は聞いたことがある。
牧場に土産として持ってきてもらった栗を練り込んだアイスよりも、甘みが強い。だが、それをカカウルスの苦味とでも言うべきものが対抗している。この苦味があるからこそ、ここまで甘くできるのだろう。
猛烈なコクと甘み。とろける舌触り。これまで経験したことがない種類の味。はっきり言って異常な旨さだ。それこそ、王宮でしか出ない菓子と言われても納得するだろう。
即位式のメニューを考えるという意味では彼女も同じ立場なのだが、それとこれとは別である。
「確かに、これに文句が出ることはないだろうな。だけど、主催は王太子殿下で、参加する客も男のほうが多いんだろ」
ダルガンは探るように友人を見た。プルラは皮肉げに頬を歪めた。
「……そうだね。男性に出すものとしては甘すぎる。力強いとはいえ味はやはり女性向けだ。デザートは最後の印象を決めてしまうからね。悩みどころだよ」
「俺の好みから言えば、ただのチョコレート、それも砂糖をあまり入れない方がうまいな。あっちなら濃い酒なんかと合わなくもない」
「……まあ、そうだね。それに、今回はただ珍しかったり、美味だったりするものを出せばいいわけじゃない」
シーラは恋人とその友人のやり取りに目を丸くしている。最高、いやそれすら突き抜けているこの菓子に文句をつける二人の感覚がわからないのだ。
「だろう。こっちもそれで苦労してるんだ。まあ、こいつのお陰でだいぶ目処が立ってきたがな」
「ほうほう。これはまた、こちらがごちそうさまと言うべきかな」
◇◇
話が終わり二人は家路についていた。チョコレートアイスの余韻が残るシーラは、まだ夢見心地だ。
セントラルガーデンの商会は近くに固まっているので、家路と言ってもすぐだ。看板の前で、彼女たちの前を通りがかった女性が立ち止まった。
「あっ、ダルガン先輩こんば…………。えっ、隣の人、だ、だれ!?」
シェリーは驚いたように立ち止まった。その目はダルガンにより掛かるように腕を絡めたシーラに釘付けになっている。




