4話:中編 野菜の場所
「はあ、姉ちゃんはどこまで突っ走るつもりだよ」
「……えっ?」
私は首をかしげた。弟が何を言っているのか解らない。
「えっと、レイゾウコのこと?」
それなら私じゃなくてヴィンダーに言ってもらわないと。私がそう言おうとしたら、弟が首を振った。
「豆にあのハーブティーだろ。特に緑のハーブティーは高価でごく一部の土地で薬みたいに飲まれてただけなのに、アイスクリームとヨウカンのおかげで王都で売れ行きが拡大してるんだ。その上、ここじゃ帝国への輸出まで始めてるんだろ」
「まあ、量的にはそんなに多くないけどね」
帝国への輸出は始まったばかりだ。メイティール様がリョクチャを練り込んだ蕎麦を好むと評判になって、興味を持たれているだけだ。粉末で保存が利くのも大きい。
「多くないって……、国を跨いだ取引をウチが独占してるんだぞ」
「いや、まあ今はね」
「あのさ、姉ちゃんは自分がどれだけすごいことをしてるのか解ってないんだよ」
「いや、儲かってるのはわかってるけど……」
「そんな程度の話じゃないだろ。輸出云々を抜いてもさ。豆もあのハーブも王国じゃあ麦とかが育ちにくい土地で作るものだろ。後、うちとは直接関係ないけど蕎麦も」
「そりゃ、いい場所は麦が植えられるからね。野菜は残念だけど脇役扱いだもの……」
弟の言葉に私は頷いた。肥沃で水が豊富な土地はまず小麦畑になる。
「画期的な新商品で、その脇役の販路を高級市場に広げたんだ。東の方じゃ、姉ちゃんのこと女神みたいに思ってる村だってある。特にクルトハイトとその周辺は帝国との戦争で色々あっただろ。冗談抜きでこの商売で生き延びたなんてこともあるんだぞ」
父さんが取引で村に行ったとき、村長から両手を取って感謝されたとか、そういう話を聞かされる。誰の話だろうか。
「えっと、ほら、お菓子の評判はプルラ先輩とかナタリーが頑張ってるからだし……」
大体私はヴィンダーの言うとおりに…………。
「……私の力なんて本当に小さいんだから」
私自身は野菜屋の娘にすぎない。
例え王女様とか皇女様とお付き合いが有っても、同級生が二ヶ国の閣僚でも。私達がこの街の方向性を多少なりとも左右する影響力を持っていても。これから、すべての食料の商売を変えるかもしれない革命的な魔道具の秘密をいち早く知っていても。
分不相応な立場は辛い。特に、あいつと違って真っ当な保身感覚を持っている私には。この前のリルカの家での会合を思い出す。
「当然、褒められてるだけじゃないよね」
私の言葉に弟は今度は首を縦に振った。
「まあ、王都のごちゃごちゃを考えたら、ここで踏ん張らないとまずいのは間違いないけどさ……」
やっぱり、あっちはだいぶ難しいことになってるんだよね。王国の上層の再編成に合わせて、この街の発展に乗れなかったのとか、それどころかここの発展で割を食っているのとかが、色々やろうとするのは解る。
私達が即位式という大舞台で失敗することを願っている勢力は確実にいるのだ。まあ、これだけ儲けてこれだけ市場をかき回したら当然だけど。
「王都の方では何か有った?」
「……今のところ反感と嫌味くらいだよ。ベルトルド大公家の御用達の、食料ギルド長傘下のウチに手を出すなんて出来ないからな。ただ、向こうだって……」
「どうすればいいか考えるよね」
弟が頷く。私たちにいい感情を抱かない商会が結束を強めている。食料ギルドはケンウェルが抑えているけど、それだって限界はある。もともと、ケンウェルの方針は放任主義だし。
「やっぱり、これは大事だね」
私はレイゾウコを見た。セントラルガーデンが新王と王国に貢献する姿勢を示すための、そして私達の存在が多くの他の商人に対しても利益であることを示すための切り札だ。
即位式を、私達を邪魔したいと思う人間に対する最大の抑止力にする。私たちの存在が全体にとって結局利益だと示す。誰だって、得だと思えば我慢もするし感情も抑えるのだ。
それに、もし失敗して私たちの誰かが不当な目に遭ったら…………。無茶をしそうなやつもいるし。
「……まったく、何に巻き込まれてるんだか」
私はため息を付いた。やらなければいけないことはわかっている。それと、自分のおかれている立場にたいする呆れとは別問題なのだ。
「そんなに大変なら、それこそ婿を取って任せたらどうだ。今ならまだよりどりみどりだろ」
「えっ!? そんなの無理だよ」
私は反射的に否定していた。今私がやってることを他人に任せる……? そんなこと出来る訳がない、私が置かれている環境はあまりに特殊で……。
「ほ、ほら、リルカ達を見捨ててなんてできるわけ無いでしょ」
私は引きつった笑顔でそう答えた。後、”今なら”とか”まだ”とか縁起でもないことを言わないで欲しい。
「と、とにかく、今はこれに集中する。カイトも手を貸してよ」
私は弟にいった。レイゾウコで野菜を保存する、ただそれだけのことでもいくつも問題があるのだ。
◇◇
「見えてきたかな……」
夜、机の前に座ってメモを睨む。それぞれの野菜の下に○、△、✕が付いている。多種多様な野菜のばらばらの結果。私は芋の一種に着目した。
「同じ種類に見えるのに、王国産の方だけグズグズになって、帝国のはちゃんとしてるのよね」
私は芋の表面を慎重に突く。片方はしっかりとした硬さなのに、片方は指に嫌な感触が返ってくる。
「まあ、明日の食事に使っちゃうとして……、どうしてだろ」
私は悩んだ。似てるだけでじつは違う種類? でも、味も変わらないし。うーん……。
「姉ちゃん。あんま無理するなよ」
肩にストールが掛けられた。
「カイトにしては気が利いてるわね。でも、もうちょっと薄手のが良かったな」
私は言った。この生地の厚さだと少し暑苦しい。
「そうか? 夜はけっこう冷えるけどな」
「若いくせ……、男のくせに情けない」
「慣れただけだろ」
カイトが不満げな顔になる。慣れたか……、元々温かい土地で育った私だけど、もう三年もここに居るもんね。確かに、一年目の冬はつらかった……。
「まってよ、そうかもしかして……」
私はメモに戻った。もしかして、生産地の温度と関係が…………。
◇◇
予想は当たった。温度を少し上げると、これまで冷蔵庫に入れることでむしろ品質が悪くなっていた野菜が、見違えるほど保存状態が良くなったのだ。
考えてみれば当たり前だ。肉やチーズと違って野菜は生きている。保存していたものを土に刺したら芽を出すこともあるのだ。
「よ、よし。も、もう少し温度を上げてみようかな」
私はメモを見ながら、レイゾウコの背後にある歯車をゆっくり動かす。カチ、カチと言う小さな音がとても心臓に悪い。
「じれったいな、もっとぱっぱと動かせばいいのに」
「できるわけ無いでしょ。壊れたらどうするのよ」
想像しただけで身が震える。
「…………これで上手くいってよね」
私はレイゾウコに祈ると店の表に戻った。本業も疎かにできない。こうしている間にも、帝国から新しい野菜が届くのだ。忙しすぎる。
ほんと、頼りになる旦那さんがほしいよ。そんなの探す時間そのものがないけどね。まあ、私だけじゃなくてセントラルガーデンの皆もだからしかたないけど。




