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4話:前編 野菜の場所

 恐れていた事態が、ついに起こってしまったのはその日の午後だった。


 野菜の質をチェックしたり、顧客にアピールするための料理を作ったりするため、私の店にも厨房がある。場所は店の奥で裏庭に通じる裏口が付いている。


 本来ならリラックスできる店の奥で、私は直立不動で立っていた。


 視線の先には明るい紫の髪の女性がいて、長方形の棚の背後を開いて作業している。鼻歌混じりで作業を進めているその姿はとても楽しそうだ。


 本人はなるべく目立たない格好を選んだつもりらしい。でも、使われている布地だけでやんごとなき立場だと解るんだよね。


 彼女、メイティール殿下が今行っている作業は、厨房に試作品のレイゾウコを設置することだ。


 設置場所の温度や湿気に色々左右されるので動かす前に調整が必要らしい。魔力触媒の選定に苦労したヴィナルディアから話を聞いていた私は、昨日厨房をひっくり返すようにして最も条件の良い場所を空けたのだ。ちなみに、来るのはノエルだとばかり思っていた。


 リルカのところはそうだったのだ。まあ、それでも本来なら宮廷魔術師閣下なんだけど……。


 ヴィンダー、そしてノエル。なんでこんな仕打ちを……。


 あの悪夢が、ヴィンダーのところで一度見たのと同じ光景が、つまり皇女殿下おひめさまがうちの店で作業に勤しむという状況が生じてしまうなんて。それも、よりにもよって私が責任者であるこの店で!!


 私が自分が失った何かに思いを馳せていると、メイティール様が立ち上がった。


「よし、とりあえず動き始めたわ」


 ふう、と額の汗をハンカチでぬぐうメイティール様。ほら、ほら、擬態が解けてる。その金糸の刺繍のハンカチって普通の職人の月収超えるんじゃないのかな。注文の棚を持ってきた家具職人って感じは台無しじゃないかな。


「……どうしたのかしら」

「いえ、そのえっと、てっきりノエルが来ると思っていて……」

「ああ、ノエルはこのプロジェクトのリーダーだもの。部下の私が動くのが普通でしょ」


 メイティールは自分の立場を楽しむように笑った。今度会ったら文句を言おうと決めていたノエルに私はココロの中で詫た。


 ごめんねノエル、疑って。貴女は同士だった。私を陥れたのはヴィンダーだけだったんだ。


「じゃあ、使い方だけど……」

「はい、ご教授よろしくお願いします!!」


 私は直立不動のままそう言った。


「そんなに硬くならなくても、ほら私はお忍びなんだし」


 ハンカチをひらひら振りながらメイティール様がいった。はい、気さくな方だって事は知ってます。もう付き合いも長いし、普通にしてる分には大丈夫なんです。ただ、うちのために”働いている”っていうのが、私はその立場を楽しむほどアレな精神力がないんです。


 だいたい私達本人同士が大丈夫でも、外から突かれたとき国際問題とかになっちゃうのが……。


 …………


「……というわけでこの棚の配置には苦労したのよ。空気の循環が箱の中の温度を一定に保つために大事だから。それで、この歯車の上下で温度の微調整ができるの。ただ、まだ不安定な所あるから。もし何かあったら呼んで。ほら、一度切れちゃったら貴方達は起動できないから」

「は、はい、気をつけます」


 どれだけ気をつけて扱っても気をつけすぎることはない、私は心に刻みこんだ。もし、何かあったら私は帝国の領事館に行って、領事殿下に再訪を頼むことになるのだ。


◇◇


「お、終わった。色々と……」


 裏口から馬車に乗り込むメイティール様をお見送りした後、厨房に戻った私は思わず床に両手をついた。


「姉ちゃん、今のすごい美人誰だよ」


 カイトが私に声をかけた。隠れていろといったのに……。


 支店の様子を見るという名目で三日前に父がよこした弟を見上げる。しばらく見ない間に色気づいちゃって。もう十五歳だもんね。私よりちょっとだけ年下。


「なあ姉ちゃん、ってどうしてへたり込んでるんだ」

「カイト」

「な、なんだよ今度は急に立ち上がって。目が据わってるぞ」

「今から大事なことを言うから、よーく聞きなさい。まず、さっきの光景は記憶から消しなさい。あれは何かの間違いだと思うのよ」


 しっかりと教育しないといけない。メイティール様は、この世で何番目かに強い力を持った女性。場合によっては帝国の玉座に登る可能性すらある方なのだ。


 常識は大事だ。ただでさえ昨日先物市場の見学に連れて行ったら、案内してくれたのがアルフィーナだったのだ。お姫様というのがあの二人みたいな存在だと勘違いしたら将来命にかかわる。


「あと、大事なことを忘れてた、今の方は姉ちゃんの命の恩人だから、感謝するように」

「忘れろって言わなかったか?」


 カイトが首を傾げた。難しいんだよお姉ちゃんの人間関係は、本当に……。


◇◇


「これはあんまりね。こっちはいい感じ。これは……、使わないほうがいいくらいか。うーん」


 レイゾウコで数日保管した野菜を並べて、私は一つ一つ状態をチェックしてメモに書き込んでいく。豆はよし、蕪とか根菜も概ねいいけど、中にはむしろ痛みが早くなるものもあるみたいね。問題は肝心の……。


「ああ、せっかくのエメラルドの輝きが……」


 私はしなびて黄色く色が変わったレタスの葉を掌に乗せた。


「姉ちゃん……」

「種類だけじゃなくて、場所によっても微妙に違うのよね」

 例えば、葉野菜は上の方の棚においた物のほうがよりしなびてしまっている。

「微妙に温度とか、湿っぽさが違うのかな」


 普通に野菜を保管するときの注意点を思い浮かべながら、悪魔の箱の中で起こっていることを想像する。結果と考察を縦横に線を引いた表に書き込んでいく。


「姉ちゃんってば」

「……あ、ああ、カイトどうしたの」

「いや、表の方で新しい野菜が……」


 私がやっと弟の声に反応すると、弟は私の手元を覗き込んだ。


「なんか、学者様みたいなことしてるんだな……」


 弟が目を丸くした。何を言ってるのだろう、この程度普通だ。物事には目に見えなくても確固としたルールが有る。こうやって条件ごとに比較すれば、その目に見えないルールを明らかにすることができるのだ。


「ちゃんと勉強してるんでしょうね」


 少し不安になった私はいった。弟も王立学院に入学したのだ。


「してるよ。姉ちゃん達の活躍の絵が描いてある学院でな」

「それは言わないで」


 弟は普通の学院生活を送れないことがちょっと不満のようだ。そんな学院生活私にもなかったよ。


「ちょっとどいて、上の箱も見ないといけないから……」


 私は立ち上がるとレイゾウコの上の段を開けた。ヒヤッとする冷気が心地良い。夏なのにこの中だけ真冬なのはまだなれないけど。トレイに乗せた野菜を確認する。


「茹でたものはかなり持つわね。…………ちょっとカイト!」

「な、なんだよ」

「アイスクリーム食べたわね」


 私は中身が減った陶器の箱を見ていった。プルラ先輩からの差し入れだ。陣中見舞いと試作品の味見依頼らしい。王都より北にあるとはいえもう夏。アイスクリームが美味しい季節だ。


 冷たく甘く濃厚。文句のつけようのない味だ。特に最近は舌触りが更に滑らかになった。これを食べているときだけは、この難事を引き受けて本当に良かったと思える瞬間だ。


 プルラ先輩の方はレイゾウコの活用がうまく行ってるんだとわかって、ちょっと焦るけど。


「……仕方ないだろ、姉ちゃんと違ってここに居るときしか食えないんだから」

「私だってそんな簡単に食べれないわよ。これ非売品で、下手したら即位式で出される品になるから。下手に口外しちゃだめだからね」


 そう言えば、取引先の牧場に顔を出すって川を渡ったダルガン先輩は、出発前にわざわざアイスクリームを買っていったらしい。そんなに甘いもの好きだったっけ?


「この店、秘密が多すぎる……。さっき来た新しい野菜もなんか見たことのないのだし」


 カイトが呆れたように言った。


「…………菓子が食べたいならヨウカンを食べなさい。野菜屋の息子でしょ」


 私は話題を変えた。リルカ相手ならそうだねと相槌を打つんだけどね。


「そっちもたいがい高級品だけどな。でも、アイスクリームのほうが旨いよ。特にこの季節は」


 野菜屋の息子らしからぬことを言う。セントラルガーデンの名物となっているヨウカン。ナタリーが帝国産の豆の使い方も熟知して更にレパートリーが増えている。流石にアイスクリームに対しては分が悪いのは仕方ないけど。


 まあ、アンコは他にない味だからじわじわと愛好家を増やしていて、まだ需要の限界は見えない。アイスクリームや、他の氷菓との組み合わせもいける。


 この前ヴィンダーのアイデアで作られたっていう、氷に粒あんを混ぜて、牛乳と砂糖を混ぜて煮込んだシロップを掛けて食べたあれなんて、最高だった。


 当然、それ用の高級な豆の供給をしているうちと、その納入先は潤う。高級品である菓子に食い込んだ旨みだ。


 王都の本店では豆と緑茶の取引がかなりの割合を占めるようになっている。カイトが持ってきた父さんからの手紙だと、予想以上の利益の伸びだ。


 まあ、その分色々とあるだろうけど……。

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