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3話:後編 現場の味

 翌日、ダルガンは案内に付けられたシーラと一緒に牧場を回る。まずは牧草地に出て草を食む牛を遠目に鎌を振るう。午前の日差しで汗だくになりながら、刈り取った草を抱えて牛舎に戻る。


 牛舎に入ると、特別な餌を食べる牛を見る。明らかに外にいたものよりも一回り大きい。


「手触りから違うな……」


 尻尾を振る牛の背中を手で押してダルガンは言った。


「ケンウェルとベルミニから手に入れた麦と豆のカスを草と一緒にやってるから」

「無理な注文して悪かったな」

「……大した手間じゃない」

「次は解体か」


 昨日と違い、大人しくなったシーラに戸惑いながら、ダルガンは言った。


「血を見てひっくり返るんじゃないよ」

「流石にそこまで鈍ってねえさ。それより、この時期に牛を潰すなんてそんなにないだろ」


 基本的に牛を潰すのは冬の前だ。牧草が育たない冬の間は干し草で牛で養うのだ。ダルガンがさっきしていた作業だ。つまり、保存の手間や場所が必要だし、そもそもその草も夏の間に刈り取ったものだ。


 さらに、十分な餌をやれない牛は冬の間に痩せることになる。だから、草の育つ夏から秋にかけてぎりぎりまで肥えさせた後、冬に肉に変える。肉にも旬があるわけだ。


「三年前は戦の為に時期じゃないのに何頭も牛を潰させただろ。鳥や豚と違って育つのに時間が掛るし、一度に生まれる数も少ないからな。頭数を戻すには苦労しただろう」

「十分な代金をもらってるから。新しい馬車も優先的に回してもらったし……。それに今回は新しい王様に献上する肉だ。とんでもなく出世した取引先のおかげで、父さんも私も何の文句もないよ」


 シーラは言った。何の文句もないといいながらその表情は沈んだままだ。


「運悪く足を折ったのがいてね、それでだよ」

「そりゃ災難だったな」


 ダルガンはシーラの後について、屠殺場に向かった。中には、大きな斧や鋭く研がれたナイフ。骨を砕くための金槌などがおかれている。血のこびりついた盥を持ったシーラが足を引きずった牛を指差した。


 …………


 ……


「ふう、なんやかんやでやっぱり鈍ってたかもしれないな」


 屠殺場を出てダルガンは額の汗を拭いた。鼻の奥まで血のにおいが染み込んでいる。


「見れたもんじゃなかったね」

「うるせえ。鳥ならまだしも牛はそうそう機会がないんだよ」


 少し強気さを取り戻したシーラにダルガンは言った。


「まあ、あんたはもうそんなのに関わってる立場じゃないんだろうけど。昨日のレイゾウコと新しい市場の話。父さんも言ってたよ。見てる世界が違うって。二カ国にまたがる大商人ってわけだ」

「まあ、あそこにいるとどうしてもな。何しろ、毎日新しい情報が入ってくるわ。あの冷蔵庫みたいに、商売の常識がひっくり返るようなものが突然生まれたりだ」

「そうなんだろうね」

「ま、だからこそ……」


 こうやって確認しなければいけないこともある。この半日足らずで、彼はその思いを強くしていた。前を向いて走る間に、おいてきたものを思い知ったのだ。


「……王女様の結婚式にも出たんだって」

「あ、ああ、あれは疲れた」


 突然三年前の話を振られて、ダルガンは戸惑いながら言った。あの時ばかりは自業自得の後輩にも同情したものだ。もっとも、隣に並ぶ白いドレスの美女を見れば、当然それくらい我慢するべきだと誰もが思うだろう。


 ダルガンにしてみれば妻に迎えるならもう少し地に足の着いた相手じゃなければゴメンだが。


「あれは新郎が学院の後輩で商売上の仲間だからでだな。俺だけじゃなくてプルラのやつやリルカ達も参加してるんだ」


 また嫌味が飛んで来るかとダルガンは慌てて付け加えた。シーラの横顔がまた曇った。


「そのお姫様と後輩様があんたをあんな危険な場所に引っ張っていったんだよね。新しい街だって、ちょっと前まで魔獣が飛び回る土地だったんだろ。いまだって、何かあったら真っ先に襲われる場所だって」


 シーラが唇を噛んだ。


「まあそうだな。だけど、そうならないように色々考えてるんだよ。よく解らねえが、魔力の流れとかを川の流れを読むみたいにか、ちゃんと見ててな。その手のことに関しちゃ、すごい連中が居るんだ。まあ、危ない事なんてそうそうないさ」


 ダルガンは言った。実際には三年前、本営近くまで侵入してきた虫の大群相手に、魔力触媒をぶっかけて抵抗したことがある。ほとんど効果なくここまでかというところで、メイティールに助けられたのだ。正直あの時は死んだかと思った。


「言ってることの意味が半分もわからない」

「……一度、遊びに来るか」

「えっ」


 沈んだ声になったシーラに、ダルガンは思わずそう言っていた。


「俺らの街にだ。一度見てみたら分ると思うぞ。今言った二人だって一度話してみたらわかると思うぞ」


 言っているうちに彼は悪い考えじゃないと思い始めた。リカルドも肉の流通のことで牧場の意見を聞きたがるはずだ。それに、目の前の娘に今自分が一緒にやっている仲間や街を見せたくなった。


「……仕事を離れるわけにはいかないだろ。今から一番牛が肥える時期じゃないか」

「まあ、そうだよな」

「それに私みたいな田舎娘が王女様の前になんか出れないよ」


 シーラはスカートの藁屑を払って言った。


「いや、お前だってちゃんと着飾れば……。おっと、なんでもない」


 柄じゃないことを言おうとしていることに気が付き、ダルガンは言葉を止めた。


「それよりも、何か思いついたのかい。そのためにこんな辺鄙な所まで来たんだろう」

「あ、ああ、なんかここまで出てるようなきがするんだがな」


 ダルガンは喉に手を当てていった。本当は久しぶりの牧場の作業と目の前の娘の様子が気になって殆ど忘れていたのだ。


 ただ、何かが胸の中でもやもやしている気がする。ダルガンがそのもやもやの正体を考えようとした時、外から騒がしい声が聞こえてきた。同時に、煙と焼けた油の匂いが鼻に届いた。


 屠殺場の裏に回ると、焚き火の前に牧場の従業員たちが集まっていた。煙に混じった香ばしい匂いがどんどん強くなる。


「お嬢、旦那。ちょうどいいところへ。今から始めるところですわ」


 ダルガンも知っている古株の男が焚き火の前を指差した。細長かったり、ゴツゴツしていたり、様々な形の肉が串に刺さって、焚き火に向けられていた。


「ああ、そうか片付けか」


 ダルガンは言った。


 商品にならない内臓の処理だ。豚の小腸のように腸詰めの材料として用いられたり、レバーなどはペーストとして市場がある。臓物は肉と違って保存が難しく、血や内容物の処理の手間もかかる。商品にすると採算が取れない部分が多いのだ。そう言った部位は、こうやって生産現場の人間で消費されることになる。


「これが楽しみで仕事してるようなものですからね」


 別の一人がおどけたように木のカップを掲げた。中には泡立つ黄色い酒が入っている。


「旦那もどうそ」


 差し出された串には白身がかった複雑な襞をもつ肉が刺さっていた。シーラが「こいつはもう……」と言いかけるのを手で制する。


「おう、いただくぜ」


 ダルガンは串を受け取ると大きな口を開けて、かぶりついた。


 精肉とは違う弾力と複雑な味が広がる。かんたんなタレで焼いただけのそれは、上品とは程遠い味だがその分力強い。


「胃のところだな」

「腸もありますよ。俺らなんかはこっちのほうが旨いと思うくらいですわ」


 ダルガンは麦酒エールとともにそれを飲み干す。


「確かに麦酒には最高のつまみだ。牧場の醍醐味…………」


 そこまで言ってダルガンは串を口から離した。彼の目が、焚き火の奥の板に積んである血まみれの臓物の塊に注がれる。


「夜は煮込みが楽しみだ。旦那、モツを扱わせたらお嬢の腕は牧場の誰もかなわねえ。いやはや誰のために磨いてるんだか……」

「このお方は、もうこんなもの食う身分じゃないんだよ」


 シーラが両手を振って否定した。ダルガンの頭の中でさっきのもやもやの中に一筋の道が見えたのはその時だった。保存の難しい現地ならではの食材。身分じゃない。だが…………。


「なあシーラ、モツを回してもらうことはできるか? 帰るときに持って帰りたい」

「何言ってるんだい本格的に鈍ったのかい。こんなもんはすぐに駄目に……。ああ、あの魔法の箱があればいいのか」


 そこまで言ってシーラは驚いた顔でダルガンを見た。


「まさか、これを……。相手は王様なんだろ」


 シーラが絶句した。ダルガンはもう一本の串を受け取るとかぶりついた。


「王様だろうと人間だ。この旨さをわからないわけがねえ。特にあの方なら面白がるかもしれねえ。ただし……」


 ダルガンは正面からシーラを見た。


「俺が失敗して首をはねられないように。俺の店まできて手伝ってくれないか」


 ダルガンは言った。


「わ、私の料理なんて……」

「流石にお前の料理をそのまま出したりしねえよ。だけど、凝った料理にするにもモノの扱い方が解ってなきゃ台無しだ。頼む、お前が必要なんだ」

「え、えっと」


 シーラの頬に朱が刺した。周りで何が始まるのかと見ていた従業員たちが静まり返った。


「まあ、そのなんだ。これ自体が商売の幅を広げるっていうか。だから、できればずっと手伝ってほしいんだが、だめか」


 ダルガンは畳み掛けるように言った。こういうのは勢いである。


 シーラはうつむいた。


「父さんもその、妾でもなんでもいいから片付けてもらえって言ってるし。……あのアイスクリームってのを毎日食わせてくれるなら、ついていってやる」


 そのまま、顔を背けるといった。耳まで赤くなっている。


「馬鹿野郎。商売人が女房にそんな贅沢許しちゃ店が傾くぜ。……まあ、いいとこ週に一度だな」


 ダルガンはそう言って笑った。シーラがうつむいたままコクンと頷いた。


 静まり返っていた場が、わっと湧いた。二人を囃し立てながら従業員たちが、乾杯を始めた。次々に串が焚き火に向かって炙られる。


「まてまて、俺が持って帰る分がなくなるだろ。ああもう、構わねえから普通の肉をもってこい。俺のおごりだ」


 ダルガンの言葉に、さっき「こっちのほうが好きなくらいだと」言った男が「そりゃ豪勢だ」と調子のいいことを言う。麦酒の入った樽のふたがたたき割られる。


 二人を囲んで収拾の付かない騒ぎが始まった。


◇◇


 次の日、北に向かう馬車の中に二人はいた。


「まったく、これじゃ先が思いやられるよ」


 揺れる馬車の中でシーラは呆れたように言った。


「仕方ねえだろ。あの後、マルトの義父おやじにもしこたま飲まされたんだ」


 すっかり強気を取り戻したシーラに背中をなでられながら、ダルガンは青い顔でうめいた。

おかげさまで100万字到達しました。

ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。

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