3話:中編 土産
「遠路はるばるお越しいただき恐縮でございます。ダルガン様」
「……マルトの親父。そのダルガン様はやめてくれや」
馬車から降りたダルガンは、出迎えた牧場主の挨拶に、頭をごしごしとかいた。この牧場は、農産物が豊かな王国でも珍しいほぼ専業で牧畜を営んでいる。
地形的に雨が少ない荒地だが、大消費地である王都に近いことに目をつけた彼の先祖がマルト家と共に大きくしてきたのだ。
一面に広がる牧草地も、点在する池も、王国にしては広い林も半分以上が人の努力である。
そういったつながりがあるため、商人と生産者の関係としては比較的近い両家だった。
「何をおっしゃるやら。王都におけるダルガン商会の勢いも大変な物ですぞ。今や堂々たる金商会ですからな。それだけではない。本店に行く度に、会長からはフォルムのことを何度も聞かされますぞ。うちから英雄が出たと」
マルトはにやりと笑うとダルガンを持ち上げる。
「だからやめてくれ。俺らは陣地の後ろで手伝ってただけだ。親父のやつも、あの時は肉屋が兵隊の真似事をなんて言ってたんだけどな」
王都のフォルムにある浮き彫りを思い出しただけで、ダルガンの背筋が痒くなる。
「まったくだよ。わざわざ魔獣の群れの中に突っ込むなんぞ、商売人として正気じゃない」
マルトの隣にいた若い娘が尖った声で言った。
「シーラ。挨拶も前に失礼なことを……。ってなんだ、そんな草だらけの格好で。着替えろと言っただろうが」
栗色の髪を三つ編みにしたダルガンより頭一つ低い、そばかす顔の娘。作業着に藁屑を付けた姿は、今まで厩舎にいたようだ。
確かもうすぐ二十歳のはずだ。現場を知るためという父の方針で何度もここに放り込まれたダルガン。年下なのにやたらと偉そうに自分を”指導”したシーラの事を思い出す。
学院に入学後は、ほとんど顔を合わせる機会はなかった。
「ああ、なんだシーラは相変わらずだな」
ずいぶんと大人びた姿にダルガンは少し慌てながら、そう返した。
「貴族様ともお付き合いがあるお偉い英雄様と違って、こっちは牛たちに草を食わすのが仕事だからね」
シーラは両手を腰にやってダルガンを睨むように見た。その姿に昔を思い出して、顔がほころびそうになった。
だが、マルトは愛娘の言葉に慌てる。
「すいません、その娘は心配していて……。いいか、ダルガン様は貴族どころか王太子殿下にまで、わざわざここにお運びになってお褒めの言葉をいただいたほどの……。シーラもあの時は我がことのように喜んでいたじゃないか」
「あ、あのときは世話になったな」
ダルガンは慌てて話題を変えた。昔、この牧場に寄ったクレイグは表向きは竜退治に協力したダルガンへのねぎらいという名目だったが、実際には花粉の毒の実験のために訪れたのだ。
家畜と手に入るだけの野山の動物を集めたあの実験。正直気分が良いものではなかったが、帝国の馬竜部隊を打ち破るための切り札になったと後から聞いている。
奇しくも彼は二種類の竜を英雄王子が打ち破る手助けをしたことになったわけだ。
そんな経緯で、王都に彫られたレリーフではダルガンは真正面にリカルドと並んで描かれている。
普通の体型のリカルドに比べて逞しいダルガンが、見ようによっては一番目立つのだ。
「それよりもだ。その殿下絡みで大仕事を抱えていてな。今日来たのはそのためなんだ」
ダルガンは用件を口にした。
「でしたな、王太子殿下の即位式に出される肉を献上するお役目とはまた光栄な。もちろん、最高のものをお納めできるように準備を整えておりますが……」
牧場主の顔が不安になった。当然だ、新王の即位式に出される肉を納めたとなると名実ともに王家の御用達。その中でも特別とみなされるだろう。その分、責任は極めて大きい。
「いや、物に文句はねえんだ。まあ、話は中でするよ。悪いが、あれを下ろすの手伝ってくれ」
ダルガンは自分が乗ってきた馬車を指差した。四角い長方形の箱が厳重に縄で荷台にくくりつけられている。
◇◇
「ほう、これが二週間前の肉ですか。とても信じられませんな」
家の中に落ち着いた後、ダルガンは運び込んだ冷蔵庫の下の段から、持ってきた肉を出した。マルトは切り取られた生肉をそのまま口にした。同じようにしたシーラも目を見張っている。
「ああ、これ自体とんでもないものだろ。肉の流通をまるまるひっくり返しちまう。だが、この話は後だ」
「……解りました。まずはこれをどうぞ」
赤い肉を乗せた皿がダルガンの前に置かれた。火の通ってない生肉をダルガンは二人に習ってそのまま口にした。
「柔らかさが増してるな」
「ご指示の通り餌に穀物を混ぜました。前にお納めした物よりも、長く食わせております」
牧場主の説明を聞きながら、ダルガンは口を動かす。熟成されていない新鮮な肉の味だ。少し若い牛だろうか……。
「お上品な金商会の若旦那が生で肉を食っちゃ格式に関わるんじゃないの」
「おいシーラ」
父親がたしなめるが、シーラはふんと横を向いた。遠慮ない口調と態度が、彼の脳裏に昔の懐かしさを思い出させる。
「ああ、いや、いいんだ。無理な注文をしてるのは……。そうだ、二人にちょっとした土産があってな」
ダルガンは冷蔵庫の上の段を開いて、中に入っていた陶器製の容器を取り出した。
紐でくくられた蓋を開けると、白と茶褐色が交互に混じり合った表面が見える。ダルガンは慎重にスプーンで掻き出して皿に盛り、二人の前に出した。
「これは?」
「牛の乳と砂糖と、あと栗のペーストだったか。それを混ぜ合わせて固めた菓子だ。アイスクリームって名前でな。すぐ解けるから、食ってくれ」
「しゃれてないって、砂糖を使った菓子だろ。この暑い時期に冷たいなんて…………」
嫌みを言いかけたシーラだが、表面がわずかに溶けたアイスクリームに、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「ほほっ、これはなんというか。王侯貴族の味ですな。プルラの菓子は王都でも大変な評判ですからな」
マルトがスプーンを口に入れたまま感嘆の声を上げた。そう言えば、甘い物が嫌いじゃなかったなとダルガンは思い出した。だが、彼が出発前にわざわざプルラによってたのは、主にもう一人のためだ。
用途を言うと、プルラは盛り付けの仕方から、添える果物まで色々と教えようとした。盛り付け方だけは一応聞いたが、果物云々は無視をした。ここはそういう柄ではないのだ。
「……こんなもんをいつも食ってるのかい」
一匙を口に含むや呆然となり、慌てたようにすべてを食べきったシーラ。余韻に夢見心地の表情を浮かべた。だが、ダルガンの視線に気がつくと急に唇を噛み締めた。
「いつもじゃねえよ。だいたいこんな甘いもんしょっちゅう食えるか。まあ、シーラなら喜ぶと思ってな」
「ほう、するとこれは娘のためにわざわざ」
「あっ、いや仕事とも関係あるんだ。その即位式の料理で俺の肉の皿の後のデザートがプルラなんだ。最低でもこれを下回ることは無いはずだ」
「なるほど、それはなかなか……」
マルトが表情を引き締めた。
「まあ、久しぶりに牧場の中を見せてくれ」
ダルガンは言った。現場を離れていたことに、本能的に危機感を感じた故の行動だ。確固たる考えがあってここに来たわけじゃないのだ。
「シーラもっとくっても良いんだぞ。明日から世話を掛ける代わりみたいなものだ」
ダルガンは何故かうつむいているシーラに言った。
「……やっぱり、もう全然……が……」
だが、シーラはその言葉に反応せず、空の皿とスプーンを見つめたままだった。




