3話:前編 意地
セントラルガーデンの大通りに面した大きな商店は今日も賑わっていた。
入り口を入ると、左右には各種の燻製肉が吊るされ、奥には塩漬けの樽が並んでいる。店員の一人が、吊るされた黄褐色の肉の塊の表面を削り、桃色のスライスを切り取る。
王国から商談で訪れた客は差し出されたそれを口にすると目を丸くした。
店の裏側では外の陽気を吹き飛ばすほどの、熱気が吹き出ていた。窓際のかまどの横に設置された鉄の箱の中には、赤熱に染まる炭が並び。その上で、串に刺さった分厚い赤肉がひっくり返された。透明な油が落ち、ジュウジュウという音をさせる。
炭火から引き上げられた肉が、調理人の手で短冊状に切られた。中心に僅かに赤味を残した厚い肉が木皿におかれ、湯気を立てたまま店の責任者に差し出された。
ダルガンは手に取った二股のフォークをそれに突き刺し、口に頬張った。豪快に口を動かし、咀嚼して飲み込む。
調理をしていた中年男と、皿を持ってきた若い男も席に着くと試食を始めた。
「はは、こりゃ、ソースは要らないな」
「ええ、肉自体の味が凄いです。それに、柔らかくて肉汁が溢れる」
二人の部下がステーキを絶賛した。
「確かに、悪くはねえ」
ダルガンは言った。何日も熟成された生肉を、十分な厚さのまま焼き上げたステーキ。口の中で噛めば噛むほど旨みがでる。
肉は腐りかけが旨い。食肉に直接携わるものなら誰でも知っていることだ。同時に、それを提供することの難しさもだ。
正直言えば、彼にとっても文句の付けようのない味だった。
「悪くねえって。若……じゃなかった支店長。こりゃ絶品ですよ」
焼き串を片付けながら中年男が言った。
「解ってる。だがな、要するにそれはあれの手柄だろうが……」
ダルガンは厨房の奥に設置された縦長の箱を見た。彼の後輩が持ち込んだ開発されたばかりの、いや開発中の魔道具だ。
上下に分かれた棚で、それぞれ中の温度が違う。夏でも王国の平地の冬と同じ温度を保つのが下の段。上の段は、中に入れた物を凍りつかせる程冷たい。
「本当にとんでもないものですよね。この中で熟成させれば、最高の状態の肉を保てる。それどころか凍らせれば真冬と同じ期間保存できる。こんな物を真っ先に手に入れるなんて流石支店長です」
若い部下が尊敬のまなざしでダルガンを見た。
「しかも、災厄卿閣下がわざわざ自分で足を運んできて、頭を下げて頼まれてですからね」
年配の方の部下も誇らしげに言った。王国と帝国の重臣の職にある彼の後輩は「先輩がたよりですから」と殊勝に頭を下げたのだ。これまでの付き合いから演技じゃないことは彼にもわかっている。
肉を扱う商会にとって万金の価値を持つ新しい魔道具だ。それが存在するという情報だけでも価値は計り知れない。しかも、実際にこうやって店で試す為に貸し出されている。その価値を理解できなければ商人ではない。
そういうことで部下達がダルガンを評価するのは解るのだ。だが……。
「だからこそ、半端なものは出せねえんだろうが。あいつは甘いが商品に関して判断基準は甘くねえんだぞ」
そう、彼には意地があるのだ。それこそ先輩としての意地だ。
ダルガンはリカルドにこの肉を出したときのことを想像する。今、自分が心の中で与えただけの評価を得られるか……。
「結構旨いな」という顔をする後輩が思い浮かんだ。ここに来て頭を下げた殊勝な姿の欠片もない。
しかも、彼が商会の責任者として考えなければいけない大事はもう一つある。この冷蔵庫の保存能力。これを見せられては、肉の将来の値段を決める市場の実現ももはや遠い将来とは言えないかもしれない。
(と言うよりも、絶対にそれも考えてうちに貸し出してるんだろうよ)
これだけで食肉業界全体の将来に関わる案件なのだ。だからといって、目の前の課題もまた手抜きなど考えることも出来ない。本来なら一世一代の大仕事なのだ。
「お前ら。これをどこで誰に出すか忘れてるんじゃないだろうな」
ダルガンの言葉に部下たちは緊張を露わにした。
「そ、そりゃ、解ってますけどね。王様だってこの味には満足するでしょう」
その言葉は比喩ではないので、ダルガンも含め誰も笑わなかった。
「どんな肉屋もこれに勝る肉は出せないですよ」
「わかってるがな……」
ダルガンは腕組みをして考え込む。
「腿じゃなく、別の部位を試しますか。あるいは牛じゃなくて豚を使いますか? ほら、生ハムは災厄卿閣下にも評価されてたでしょ」
「…………味そのものだけならそれもありだな。だが、豚は帝国に勝てねえ。即位式だぞ。昼食とはいえメインの皿が、帝国産というのはまずい」
店では帝国から仕入れた豚を使って生ハムを作っている。森が豊かな帝国で木の実を食べた豚は草原が主の王国のものよりもずっと脂が乗って、肉質も柔らかいのだ。
お陰で王都に運べば絶賛である。
リカルドも帝国と王国のつなぎ目の街で生まれた新しい商品だと絶賛していた。そして、この街を代表する商会の一員としてはそういうスケールの考え方が必要なのだ。
更に言えば、意地を張るのは後輩に対してだけではない。仮に他の肉屋が相手なら、それこそ冷蔵庫だけで蹴散らせる。だが……。
「……プルラのやつのところにも、同じものがあるんだぞ」
ダルガンは同年のライバルを思い浮かべる。冷蔵庫はある意味プルラのためにあるようなものだ。アイスクリームの甘ったるさは好みではないが、栗の渋さを活かした新しい味は悪くなかった。
プルラがあれを出しただけで、今のステーキはかすみかねない。しかも……。
(あいつがそれで満足するわけがねえしな……)
「やっぱり、これじゃだめだな」
ダルガンの太い指がいらだたしげに机を叩いた。気まずい沈黙が厨房を覆った。
ダルガンの邪魔をしないように、部下達は机を離れて片付けを始めた。一人が焼き串を洗い、もう一人が包丁を手入れする。
それを見ていたダルガンはふと机をむなしく打つだけの自分の手を見た。丁寧に道具を手入れする二人の姿に、彼ははっとなった。そして、何も持っていない両手を目の前で広げた。
(ちっ、部下の差し出すものを評価しているだけに慣れちまってたか。そりゃ、考えも浮かばねえわけだ)
彼は苦笑しながら立ち上がった。部下達が慌てて振り返った。
「久しぶりに牧場までいってくる。二人とも、悪いが留守は任せた」
ダルガンはそう言うと、自分の腕をバンと叩いた。
申し訳ありませんが11/02から感想返信を基本取りやめさせていただいています。




