エピローグ:前半 セントラルガーデン
初夏の陽光が照らす石のベランダ。俺はその端までゆっくり歩く。仕事部屋のある三階からドアを開けてすぐのここは、パーティーを開く事も出来るくらい広い。その手の催し物は未だに苦手だが、目の前に広がる光景は悪くない。
「もう三年か、ずいぶん形になったもんだ」
血の山脈からの魔虫の襲撃がまばらなものになって久しい。今では滅びた都市まで前線が押し上げられていて、この街に魔虫が近寄ることすらほとんどない。
一年目に最大限叩いたのが大きかったらしい。さらに、レーダーによる観測の記録と経験が積み重なった結果、中規模あるいは小規模の群れの襲撃は確率で予測できる。
もちろん油断は出来ない。俺は同じ高さにある城壁を見た。そこを巡回する一団が見える。先頭の騎士はファビウスだろう。いや、セントラルガーデン駐留軍司令官ファビウス伯爵閣下とお呼びするべきかな。背筋は伸び、老人とは思えない元気な足取りだ。
反対側からファビウスに近づいてきたのはレオナルドか。市政の責任者、公爵家から独立してグリニシアス子爵だ。アルデハイド子爵家の当主となり、帝国との折衝に活躍するルィーツアも含め、この三人が王家直轄のこの街を管理するという形式だ。
ぶっちゃけるとファビウスは騎士団、レオナルドは宰相府、ルィーツアはベルトルドからのお目付役と言ったところだ。まあ、お目付役にしては融通が利くので助かる。この街の主役は商業活動に移行しているのだから。
城壁に作られた三つの門の内、河港に繋がる南門には大河から運び込まれた穀物などの荷が運び込まれている。反対側の北門には、帝国からの馬竜車が重量のある鉱物などを運び込んでいる。
その両方が交わるのが、この街最大の面積を誇る倉庫群だ。倉庫群に続く大通りにはケンウェル、ダルガン、トリット、ベルミニなどセントラルガーデン支店が並ぶ。もはや押しも押されもせぬ大商会の跡取りが揃って支店長に就任してここにいる。ちなみにプルラはその更に隣、街の中心広場を抱えるように建てられたコンベンションホールの向かいに店を構えている。
本人達はいずれここを本店にすると言っている。彼ら以上にここの価値と役割を理解してくれている人間はいないのだが、王都との摩擦が恐い。王都のヴィンダー商会本店にいる親父に期待だ。
ここがつぶれたら多くの人間に大損という付加価値を付けることが大事だ。その為に存在するのが都市の中でも二番目と三番目に大きな施設だ。
一つはプルラの前にあるコンベンションホール。情報が売り物のこの都市の中心である。商談や、王都でやった馬車の商品展示会の様なイベントを開き、情報をいち早く広めるセンターになる。
もう一つは研究教育機関である”大学”だ。敷地の中心に地面に向けた巨大なアンテナを設置している。学長はフルシーで、王都とここを半年ごとに行き来している。帝国からも王国の王立学院からも交代で学生を受け入れている。将来の、魔力学の中心地だ。ちなみに、魔力学というのは魔術とも魔導とも言うわけにはいかないからだ。
ちなみにフルシーは今は、魔力測定に関する本を書いている。本人が自分に合った地味な仕事だと言っていた。将来、この本が魔力学の進歩の全ての基盤と称され、魔力の単位がフルシーになる気がする。
ノエルも大学の非常勤教授の一人なので、しばしばこちらに来る。本人は、ここの常勤教授で非常勤宮廷魔術師だと主張している。大分顔も広くなったみたいなので、次は学会みたいなのを主催して欲しいと思っている。
そして、やっと動き始めようとしているのが俺が今いる建物。先物市場だ。
後ろ髪引かれる思いで目の前の光景に別れを告げる。仕事場の方から、姦しい二人の女性の声が聞こえているからだ。どうやら二人が鉢合わせになったらしい。
この街で四番目に大きな建物の最上階、先物市場の準備委員会の会長室に入ると、俺の机を挟むように二人の女性が対峙している。一人は黒髪を肩まで伸ばしたヴィンダー商会の後継者であるミーア。ヴィンダーは蜂蜜と砂糖という人間を魅了してやまぬ商品を握る。ナタリーやプルラを通じて、特に女性に対する効果が大きく、そういう意味でも影響力は巨大だ。
この街の隠れた目玉である美食のフィクサーでもあるのだ。
しかも、彼女はそのメンバーの合計でこの街の商業活動の三割以上を占めるセントラルガーデン(株)の会計長で、都市の運営にもアドバイザーとして参画している。もちろん、この先物市場の設計にも欠かせない。陰では街の最高権力者じゃないかと言われている。
……少なくとも俺より偉い。というか、俺が一番頭が上がらない。
もう一人は明るい紫の髪の皇女殿下だ。大学の客員教授であり、セントラルガーデン帝国領事でもある。王国と帝国の中継地点であるこの街にとって決しておろそかに出来ない相手だ。
どう考えても俺より偉い。国際関係と魔力学の両方で絶対に外せない人材だ。
「悪いけれど、私用のミーアには遠慮してもらわないと。リカルドは今日は私と会食するのだから」
「メイティール殿下は昨日先輩と会食だったはずです。一日にまとめてください」
「あら、昨日は帝国領事として。今日は大学の教授としてよ。お仕事だから仕方ないわ。そういうあなたも、もうリカルドの秘書として引っ付いていられる立場じゃないでしょ」
「私はヴィンダーの役員としての先輩に聞くことがあるんです。ちなみに、平役員に過ぎない先輩はいわば私の部下です」
その二人が争っているのは毎度の事ながら頭が痛い。特にこの一週間は酷いのだ。ドアの前で固まっている俺に、二人の視線が突き刺さる。
「リカルド。私の方が優先よね。何しろ世界の魔力の根源、この世界のコアの話しなんだから」
メイティールが俺に詰め寄ってきた。大学で行なわれている地面に向けての測定の事だろう。魔力が地面から発生する以上、その大本は惑星の中心だと考えられる。
この惑星のコアと地表との間には魔力を通しにくいマントルに当たる層があり、その対流か構造により地上に到達する魔力の質と量が左右される。これに山脈の地形が合わさって魔脈活動が決まる。地面に向けて設置された大学のアンテナによる測定結果からこの仮説は妥当とされる。
問題は古龍眼だ。これはまだ検証も出来ていないが、地上で紫の魔力を補充できる魔力波長が観察されていない以上、古龍眼は惑星コアから直接魔素を受け取っている可能性がある。いわば魔素のテレポートだ。
そして、古龍眼の中でも特別なのが予言の水晶だ。
災厄が起こる場所は魔脈の変動による。この星のコアは魔力源なのだから、何らかの形で魔力の変動を引き起こしたり、地表の魔力の変動に反応することは考えられる。つまり、将来の災厄の場所を示すことはまだ理解しやすい。
問題は予言のイメージである。具体的な被害の映像が示されるなど普通に考えたら未来予知だ。だが、これまで魔力について知った事実を考えても、流石にそれは難しいと言うのが俺の考えだ。
となると、あの像は人間が作り出していると考えるしかない。水晶の魔力が情報のハイパーリンクを作り出しているのではないかというのが俺の想像だ。
つまり、災厄が起こる地点にいる人間と、予言の水晶の使い手の間に水晶を媒介して魔力でリンクが生じる。そのリンクにより、例えば巫女が持つ災厄が起こるという問題意識と現地の人々が見ている光景が合成される。結果として、災厄の像が浮かび上がるのではということだ。
つまり、予言のイメージとはアルフィーナの頭の中で作られている。未来像ではなく想像だが、魔脈の変動が起こる位置の人間が災厄に遭う光景が作られる。予言が人間がいる場所しか映さないこと、場所が王国に限られていた事とも一致する。だが、全ての予言に適応できる説明ではない。
まあ、予言の水晶が壊れた以上、真実は失われた。光速を超える未知の魔力粒子が関わる、エントロピーの増加という時間の矢が逆転している、などガチの未来予測の可能性もある。
まあ、研究は続ける。せめて、次に魔脈が大きな変動を示す場所だけでも解るようにしたいのだ。
「メイティールの話しは館長やノエルもいる場所の方が効率が良いですね。勿論私も同席しますよ。さて、先輩。今日来たのはヴィンダーの後継者についてです」
「後継者はミーアだろ。俺なんて平役員だし、窓際だから……」
「窓際? 私の次の話です。普通に考えれば私の子供と言うことになりますが、そうなると色々と難しいと思いませんか?」
言いたいことは解る、ヴィンダー商会はセントラルガーデンの中心である。もし、ミーアの結婚を通じて下手な相手に影響力を持たしたら生まれたばかりの街の浮沈に関わる。
勿論、下手な相手にミーアを渡せるわけがない。特にヴィンダーの財力や立場目当てなんて論外だ。
「ちょっと待って。それこそ私的なことじゃない。それよりもリカルド、世界その物の仕組みについて聞きたいの。前に言ってたゆで卵理論の――」
「メイティールの研究にもここの発展は大切でしょう。その為にも先輩、ヴィンダーの将来について私と……」
二人が揃って俺に詰め寄る。今日は本当に押しが強い。
「いや、二人共もうちょっと静かにしないと――」
……うゎゎあ、うゎゎあ。
俺が二人を止めようとしたとき、隣の部屋から甲高い泣き声が聞こえてきた。ほら見ろ、言わんこっちゃない。
2017/10/07:
明日の投稿で『予言の経済学』は完結です。もう少しだけお付き合いください。
今後の予定について活動報告を書きました。




