30話:前編 開戦の時
大河に突き出た丘の上にある堅牢だが小さな陣地を出て、俺は川に向かって降りていく。
南から到着した船が同じ大きさの箱を次々と荷揚げしているのが見える。艀に積み上がる箱にはおなじみのセントラルガーデンの商会のマークも見える。大量の規格化された物資の行き先は建てられたばかりの大きな倉庫群だ。艀から倉庫まで、整備された道を馬車が荷を運ぶ列が続く。
大部分は小麦などの穀物だが、肉や卵、そして僅かだが蜂蜜もある。
ちょっと前まで無人だった丘の麓は両国合わせて5万人を支える巨大な兵站基地になっている。5万人と言っても、戦闘員は3割程度、新型魔導杖の使い手はその中の5割、残りは非戦闘員だ。
この基地自体が突貫工事の産物だし、輸送や他の為に大量の人間が使われている。俺が到着するちょっと前まで、クレイグ自らツルハシを振るっていたと言う話だ。要するに、騎士まで総出で無理矢理間に合わせたと言うことだ。
「お疲れ様です。ジャン先輩、ダルガン先輩」
俺はここの先輩である、二人に挨拶する。
「改めてみて驚きました。ここまで出来てるとは」
将来のセントラルガーデン市(予定)を見て改めてそう言った。周を囲む塀こそ土を盛り上げただけの低いものだが、今目の前に並ぶ倉庫と、北の帝国に続くことになる道はしっかりと機能している。特に道は、滅んだ旧国家の遺産の流用とは言え、立派だ。勿論、帝国側の入り口であるマルドラスまで整備が行き届いているはずもなく、北にある帝国軍陣地までの補給路だけだけど。
将来の両国の交易をになう都市としてはこの二つが主要な設備となる。ちなみに、王国国内の流通経路もなし崩し的にここに向かって集約される。
「本当の本当にギリギリだったけどね。何度野積のまま腐るコムギの悪夢を見たか。いや、本当に良い勉強になるよ」
ジャンがケンウェルのマークが付いた箱を見て言った。
「そうだな。これだけの量と種類の物資だ。輸送の規格が揃ってないとやってられないわけだ」
ダルガンも腕組みのまま頷く。腕まくりした肌がしっかり焼けている。
「普通ならこの規模なんて数代に一度あるかないか、覚えても役に立たないことなんだけど。……君の作る街だからね……」
「それに、将来俺達の街になると思えば苦労のしがいもあるってもんだ」
いささか問題のあることを言う二人。国王直々に下賜された土地を持っているのだから間違ってはいないか。
ここに来る途中、倉庫と道路の中間にある一等地の側に、ケンウェルとダルガンの屋号を付けた縄張りがあった。一等地そのものではないのは、そのあたりに先物市場とコンベンションセンターを建てる事になっているからだ。
「プルラ先輩とナタリーは?」
「厨房だ。肉、酒、それに甘味。一週間に一度だけとはいえ大盤振る舞いだな。まあ、食事は士気に関わるからな」
「一番余裕があるのがお金なんですよ。他は全部足りない」
「紙を金に換えた甲斐があったってもんだ」
ダルガンは豪快に笑った。そして、すぐに表情を引き締めた。その視線が遠く北西の血の山脈に向かう。
「戦争じゃなくて商売の為の場所にとっととしちまおうぜ。……アルフィーナ様のためにもな」
「そうそう、麗しき姫君が危険を冒して戦場に来ている、男の僕らが商人だからって隠れてるわけにはいかないさ。僕達にとっては恐れ多くも後輩であらせられるわけだしね」
二人はそう言うと倉庫の方に戻っていった。最後の不意打ち、泣きそうになるだろ。
二人と別れた俺は倉庫の横を通って丘に向かう。倉庫に隣接して設置された修理工房では、ベルトルドから派遣されたドルフが車輪を外した馬車の前で弟子達にハッパを掛けている。
新型馬車の総元締めみたいな立場になっているのに、木槌を振り回している姿は最初にあったときと変わらない。「俺がいなけりゃ誰が馬車の面倒を見る」だそうだ。
ボーガンは王都に出てきて魔力レーザーの筒の金型の扱いにアドバイスした後、大型のベアリングを作っている。帝国の馬竜車にも軸受けを提供しているのだ。魔獣の素材を使った他の部品はともかく、ベアリングだけはこちらが圧倒的に上だ。
ちなみに帝国は馬竜の多くを戦闘ではなく馬竜車による物流に振り分けている。おかげで魔結晶を初めとした軍の輸送は極めて効率的だ。今言ってもしかたがないが、物流の改善はこの街の将来にも大きく影響する。
丁度、その馬竜車が通り過ぎた。行き先は後方基地本営のすぐ下。石ころの様に魔結晶が積み上げられた工房だ。帝国から運び込まれる赤と黒の魔結晶が積み上げられている。金型で作り耐久性がある筒はともかく、中のカートリッジは使い捨てだ。ヴィナルディアとシェリーが詰めている。
俺は丘を登る。初めてここに来たときに建てた王国旗がはためいている。本営の中心にはドームの付いた石造りの建物がある。紫の魔力発生器の設置場所だ。俺は勝手に天文台と呼んでいる。本作戦の中心だ。俺も基本ここに詰める事になっている。
天文台に向かう前に丘の端に足を向けた。壮大な光景が広がる。北東に血の山脈の禍々しい威容。眼下に飛竜の領域の平原が広がる。平原の北と東には二つの軍隊が陣取っている。北方にはダゴバードの帝国軍。東方はクレイグの王国軍。他にも両国内には遊撃部隊が残されている。
思わずブルッと震えた。文字通り、この丘を中心に両軍が配置されているのだ。俺は同様に丘の上で眼下を見下ろしている豪華な鎧の人物に近づいた。
「都市建設債の大量購入ありがとうございますテンベルク閣下」
俺は敢て商人として挨拶をした。
「損はさせるなよ」
「この戦いに勝利した後はご期待ください」
俺が言うと、テンベルクは鼻を鳴らした。近々テンベルク侯爵家の長男と、第二王女の結婚が発表されるそうだ。間接的に俺達は”遠い”親戚になるわけだ、遠い親戚にな。大体、政治的バランスを考えれば俺達は距離を取るのが当然だ。
「団長閣下」
「うむ、ご苦労。ファビウス副団長」
丘を上がってきた老人にテンベルクが鷹揚に頷いた。眼下のこの体制を作り上げた最大の功労者だ。今も、土地勘を活かして両軍とこの後方基地の間を飛び回っている。
ちなみに、男爵で騎士団副団長は建国期に一度例があるだけらしい。本人は死に損なったと笑っていたが。
「血の山脈の魔力の動きがこれまでに無く大きくなっております」
ファビウスが俺にも聞こえるように報告をする。血の山脈に一番近い簡易観測所からのものだ。俺は遙か遠く、巨大な山脈を見る。どうやら動き出すらしい。
持ち場に戻る前に、もう一度戦場予定地を見下ろす。草原の草は初夏の太陽に青々と輝いている。敵は律儀に時期を守ってくれた。おかげで歓迎の準備が間に合ったが、満足してもらえるかどうかはこれからだ。
俺は天文台に向かった。周囲は厳重に警備されており四方に向いたアンテナもある。近くには俺が頼んで作ってもらった日時計が中天を受けて短い影を作っている。
天文台に入る。部屋の中心は一段高くなった大きな台があり、そこに紫魔力の発生器が置かれている。その側にアルフィーナ。そこから少し離れて、レーダーを見ているフルシー。隣にミーアがいて計算をしている。
一番奥には白い布がかぶせられた長い筒がある。ノエルが張り付いて作業をしている。人見知りの俺にとってはちょっとほっとする光景だ。ただ、それに浸っている状況ではない。
「血の山脈の魔力の一部が沸騰しておる」
フルシーが言った。
「いよいよ動きますか」
俺の見ている前で、深紅の魔力の一部が動き始めた。
鐘の音が鳴った。窓の外で騎士達が血の山脈を指差している。倉庫の周辺にいた人夫達が一斉に避難を始める声が聞こえる。
黒い芥子粒のような点が血の山脈から空へと噴き上がっている。それは、禍々しい赤い雲となってこちらに近づいてくる。
恐怖の象徴である血の山脈から魔獣の群れが湧く光景は悪夢だ。俺は窓から離れて、部屋の中心に立つ恋人の前に向かった。
青銀の髪の女の子はまっすぐ俺を見る。俺はその視線を受け止めて、頷いた。
「アルフィーナ、頼む」
「はい、リカルドくん」
アルフィーナは澱みの無い足の運びで発生器の前に立つ。俺達、そして仲間達、ついでに人間社会を守るための戦いを始めよう。
紫の魔力が発生する。ドームの天井を突き抜けて紫の光柱が広がっていく。それを合図に北と東の両陣地からも、紫の柱が立つのが見えた。
俺は入り口に向かう。
「ようし落ち着け。魔獣どもの動きは我らの予想通りだ」
外では、テンベルクが部下達にハッパを掛けている。その遙か向こうに、血の色の雲が形を変えながら大きさを増していく。怖気を誘う光景を前に、俺は日時計の目盛を確認して数字を記録した。




