28話:後編 二つの世界
2017/09/19改稿。内容に変更はありません。
大公邸に戻った俺達は、そのままアルフィーナの部屋に向かった。エウフィリアとミーアはまだ戻っていない。部屋に入った俺はベッドと窓の間のテーブルでアルフィーナと向かい合った。
「わがままというのは?」
俺はアルフィーナに聞いた。心理的にはアルフィーナの決断に納得していない。これを聞いたら、あきらめることを認めるようだ。だけど、まずは彼女の望みを聞こう。
「はい…………」
アルフィーナは少しだけ口ごもった後、意を決したように続ける。
「今夜だけ、先ほどまでの事を忘れて欲しいのです」
「先ほどというと帝国からの……」
意味が分からない。今からその話をしなくちゃいけないのに。
「いえ、その前からです。リカルドくんが私のことを……」
そこまで言ってアルフィーナは顔を伏せた。俺のプロポーズということか。……うぬぼれじゃなかったら、さっきは応えてくれようとしたはずだ。
「アルフィーナ。俺は――」
「明日の朝になったら私は巫女の役割に戻ります。ですからその前に、今夜だけ一人の娘として扱って頂けませんか」
アルフィーナは顔を上げ俺を見た。幾ら俺でも何を言われているのかは分かる。でも、そんなのお願いでも何でもない。ちゃんと話せば良いだけだ。
「アルフィーナ。クレーヌが来る前の話のつづきをしたい。俺はアルフィーナを――」
「リカルドくん。それは言っては駄目です」
「なんで、俺が頼りないから?」
「そうではありません。リカルドくんは優しいですから。そう言ってくれるかもと思っていました。でも駄目です、私にはもう資格が有りませんから」
アルフィーナは辛そうに、でもきっぱり首を振った。俺が同情で言っていると思っているのだろうか。そんなわけない。大体、ずっと前に決めていたのだから。
エウフィリアにした宣言を思い出す。あの時は半ば勢いで言ったが、今思い返したら「よく言った」だ。証人もいるしアリバイ的に万全だ。
「聞いてほしい。アルフィーナと結婚したいって俺の気持ちが変わるわけがないんだ」
「リカルドくん?」
突然の俺の言葉に困惑するアルフィーナに、エウフィリアに言った言葉を教える。古龍眼の使い手が絶えていることをメイティールから聞いた後、大災厄の予言が出た日だった。俺の懸念が当たっていたらアルフィーナを娶るというあの宣言だ。
その懸念とは今回の事。つまり、アルフィーナが気にしていることは最初から問題ではない。
「…………そんな」
アルフィーナが固まった。
「だからアルフィーナが俺をいやじゃないのなら……」
俺はここぞとばかりにアルフィーナを口説き落とそうとする。
「いやなわけが……。駄目、駄目です。私はただでさえリカルドくんにふさわしくないのに」
「何を言ってるんだ。むしろ、俺なんかにはもったいないから。アルフィーナこそ、今回の俺に失望してなければ……」
「失望……、何を言ってるのか解りません。前から思っていました。リカルドくんは自分のすごさが解っていません。リカルドくんなら誰だって……メイティール殿下やミーアや、私よりもずっとふさわしい人を選べます」
アルフィーナは顔を伏せたままかたくなに首を振った。
「私はリカルドくんに少しでも追いつきたくて頑張ってきましたけど、でも全然……。あの二人にくらべて……。それに二人はちゃんとリカルドくんとの……」
アルフィーナの口から出た言葉に、俺は衝撃を受ける。アルフィーナをここまで追い詰めた原因は俺ということか。いや、俺の幻想だ。
考えてみれば解る。これまでの俺の”活躍”。隔絶した知識を魔法のように取り出し、誰も知らない魔力と魔獣の秘密を解き明かし。そして、殆ど犠牲なく未知の災厄に対処する方策を編み出す。勿論、ラボやセントラルガーデンの仲間達がいての話だ。
でも、外から見たらどうだ。どう考えても史上最大の策士だ。
だけどそれは全てズルだ。俺はそれを誰にも言わずに来た。そしてその結果、アルフィーナを追い詰めている。それを自覚したことで、背中に氷柱を入れられたような気分になる。
それを告げたら、アルフィーナの中の”すごい俺”はどうなるのだろうか。実はずっと恐かった。だけど、もう黙っているわけにはいかない。
俺は椅子を離れ、アルフィーナの側に行った。
「アルフィーナ。良く聞いて欲しいんだ本当は俺は何もすごくないんだ。俺には、秘密があるんだ――」
俺はアルフィーナに前の世界の事を告げる。この世界よりも遙かに進んだ学問と技術のある世界。多くの賢者達の膨大な努力の歴史が生み出した、叡智の数々が広く共有されている世界。それは、魔力のあるこちらの世界でも通用する、世界を説明する概念体系だ。
俺がこれまでやってきたのは、その借り物の知識の応用に過ぎないのだ。
「生まれる前の記憶。別の世界の記憶…………ですか?」
アルフィーナは目をぱちくりさせた。最悪の恐怖、狂人を見る目ではないことだけが救いだ。なんとか俺の言ったことを理解しようとしている。
だが、これで俺がズルで英雄面していたと解ってしまっただろう。はは、プロポーズどころの話じゃないな。
「だから、アルフィーナがすごいと思った俺は全部インチキなんだ」
それでも、俺は必死な顔をしていると思う。この期に及んでアルフィーナに軽蔑されるのが恐い。アルフィーナはもう一度目を瞬かせた後、クスリと笑った。
「リカルドくんこそ勘違いをしています。今の話を聞いても私はリカルドくんのどこがすごくないのか解りません」
「いえ、だからですね。俺の前世は科学が――」
あまりに隔絶した違いが理解できないのかと思って説明を繰り返そうとした。だが、アルフィーナは首を振った。
「そうじゃないです。リカルドくん、リカルドくんと二回目にあった時のこと。学院の中庭の東屋のことを覚えていますか。リカルドくんが私にこの栞を送ってくれた時の事です」
アルフィーナは胸元からレンゲの栞を取り出した。角が丸まっている。アルフィーナが肌身離さず持っていた印だ。
「あの時、予言の事で私は孤立していました。「やっぱり反逆者の血筋だ。国を呪っているのか」そんな影口が聞こえてきました。学院で知り合った人たちも私を避けるようになりました。覚悟はしていましたし、孤立は慣れているつもりでした。でも、叔母上様にわがままを言って学院に通って、少しは近しい人も出来たと思っていた私は……やはりショックでした」
覚えている。あの時俺はさんざん迷ったんだ。今思うとなんであんな保身を投げ捨てるようなまねをしたのか…………。多分すでに惚れていたんだろうな。
「私の母様も反逆者の血筋として疎まれていました。でも、父様はそんな母様を娶ったんです。私にとって二人の関係はあこがれでした。わかりますか。あのときのリカルドくんが私にどう見えたか」
アルフィーナは微笑んだ。
「私がリカルドくんを好きになったのは、私が孤立していたあの時に手をさしのべてくれたからです。それだけではありません、私と一緒に予言を背負ってくれました」
あの時のアルフィーナの気持ちが告げられる。だが、俺は素直に頷けない。
「そうだとしても、それだって結果的には俺に知識があったから……」
「もう一つあります。父様が亡くなった後、母様は無力な自分を悔いていました。父様の力になれなかったと。私はリカルドくんに力のないと叱られましたね」
アルフィーナは大切な思い出のように、俺が書庫で世間知らずのお姫様の安易な考えを批判したことを語る。
「でも、リカルドくんは同時に私に教えてくれました。現実を見て情報を集めること、考えて方針を決めること。そして、間違っているかも知れなくても勇気を出して行動すること。私にも出来る方法で」
アルフィーナはテーブルの横の棚から、何枚もの紙を取り出した。そこには俺が餡子のプロジェクトの時に教えた紙とペンによる思考の流れの作り方が実践されていた。
天才とはほど遠い、愚かな俺のためのメソッドだ。もちろんこれも借り物。だが、俺が披露した多くの知識の中では一番自身に染みこんでいると言えるもの。
「だからリカルドくんがインチキとか、そんなことは関係ないんです。少なくとも私にとっては」
アルフィーナは少し誇らしそうに微笑んだ。その微笑みに目を奪われる。アルフィーナの俺に対する評価はまだ過大だと思う。それでも、彼女の言葉に救われる。
「ですから、リカルドくんが負い目で私を選んでくれる必要はないんです。もう十分すぎるくらい私はリカルドくんに素晴らしい物をもらいましたから。ただ、あと一つだけ……」
アルフィーナは勝手に結論を出すと、最初の話に戻ろうとする。アルフィーナの気持ちは嬉しい、だけど一つだけ根本的なところで間違いがある。
「アルフィーナ。俺がアルフィーナに選んで欲しいと思ってるんだ。俺がアルフィーナを好きなんだから。えっと、そうだ。こういうことはより強く好きになった方の負けって決まってて」
俺はしどろもどろになりながら必死でしゃべる。だが、アルフィーナは初めて俺に抗議する表情になった。
「それは違います。私の方がずっと好きです」
「いやいや、俺のほうが絶対に惚れてるから。間違いない」
「これは譲れません。大体、リカルドくんは他の人にも皆優しいですし。メイティール殿下とかミーアとかにも、私と同じように……。でも、私はリカルドくんだけを見ていました。世界で一番好きな人ですから」
アルフィーナはかたくなに言い張る。なんでハーレム主人公みたいな扱い受けてるんだ。それはともかく、どうして解らないんだ。なんて言えば伝わる。肝心なときに、前世知識が全く役に立たない。
いや、待てよアルフィーナは今なんて言った? 世界で一番……。
「アルフィーナ。今世界で一番俺のことが好きだって言いましたね」
「はい、いいました」
アルフィーナは頬を染めながらもキッパリ言った。俺も言ってて恥ずかしいけど、しかたがない。
「そして、俺に前世の記憶があることを信じてくれた」
「そ、そうですけど……それが……」
アルフィーナが困った顔になる。だが、俺はそんな彼女に伝える。
「それなら俺の勝ちだ。アルフィーナはこの世界しか知らない。俺は二つの世界を知っている。そして、その二つの世界を合せても、俺にとってアルフィーナくらい魅力的な女の子はいなかった。つまり、世界二つ分アルフィーナが好きな俺の勝ちだ」
俺の宣言にアルフィーナは口をぱくぱくさせた。
「そ、それはずるいのでは……」
「言ったでしょ。俺はズルだって。さあ、そんな俺がアルフィーナと結婚して欲しい。だからアルフィーナが決めるのは一つだけ。俺の望みを受け入れてくれるのかどうかだ」
もはや恥も外聞もなく、俺はめちゃくちゃな理屈を言い切った。アルフィーナは俺を見つめる。その大きな瞳が潤む。そして、俺の胸に白くて細い手がかかった。
「ずる……いです。そんなこと言われたら。もう絶対……あきらめられないじゃないですか」
アルフィーナは俺の胸に顔を埋めた。俺は彼女の頭を撫でた。しばらくそうしていると、アルフィーナは顔を上げた。そして、少し赤くなった瞳で俺を真っ直ぐ見た。俺は彼女に顔を寄せる。あの日、暴走して飛ばされた行為がやっと成された。
重なった唇が離れる。俺はアルフィーナを立ち上がらせて、二人でベッドに向かう。
今日もたらされた問題は何も解決していない。だけど、俺は朝まではそれを忘れることに決めた。




