25話:後半 DVのターゲット
「でも待って、魔力そのものは攻撃手段にはならないじゃない」
メイティールが指摘する。そう、魔力は普通の物質とは相互作用しない。さっき俺は敢て、びくびくしながらだが、自分の指を庇うことなくレーザーに晒したが何も感じなかった。
破城槌の破壊力は槌そのものの質量と、回転という純粋に物理的なもの。螺炎は魔力を高圧高温の空気にすることでダメージを与える。
魔力自体をダメージソースには出来ない。それが第一の問題だ。だが、それなら……。
俺はアルフィーナを見た。
「相手はいわば資質持ちだ。体内に魔力と相互作用する、少なくとも特定の魔力と相互作用する器官を持っている。第一の候補は神経系だ」
帝国の地熱地帯や魔力触媒、特定の魔力と特定の条件で相互作用する物質は存在する。例えてみれば電子レンジだ。電子レンジは水分子の電子に効率よく吸収される波長の電磁波、つまり光を使う。
光で水の分子に選択的にエネルギー、この場合は熱になるが、を届けるのだ。さっきやった実験の励起とやってることは同じ。
電磁波で水分子の中の電子にエネルギーを与えている。だから、水分のない物は電子レンジでは暖まらない。普通の物質に魔力を当てても通過するだけなのと同じだ。
電子レンジで温める食品のように魔力と相互作用する物質が、魔虫の体内に大量に存在していることまでは期待しない。
だが、あの魔虫は人間はおろか魔狼などよりも遙かに魔力に適応している。人間の場合は如何に強い資質を持っていても、魔力がなくとも生命活動に何の支障もない。
だが、魔虫は魔力がなければ体を支えることも呼吸もできない。長い進化の過程で大きく魔力に依存したのだ。そして、雷撃を生み出すまでに進化した。それは、魔虫の神経系が魔力を巧みに扱うことと繋がっているというのが、俺の仮説だ。
さらに、レーザーは極めて高いエネルギーを集中する。つまり、微量でも相互作用する物があれば、結果として大きな効果を作り出す。
「魔虫の神経には魔力と相互作用する物質が一定量存在するはずだ。その器官を狙えば、こういうことも可能になる」
俺は魔力に反応する物質を塗った感魔板を持ち上げた。魔力を受け取る感魔板の触媒に過剰な魔力が注ぎ込まれた結果だ。
しかも、相手は昆虫。そして、おあつらえ向きなことに飛行している。DV軸、ドメスティックバイオレンスではなく背腹軸、動物の体の構造を決める、基本的な方向の一つが俺達に味方する。
「神経。特に中枢神経を狙う。人間で言えば背骨だ。ちょっとこれを見てくれ」
俺は石板の前に移動した。昆虫と俺達のような脊椎動物は背腹軸、背中から腹に掛けての構造に大きな違いがある。
俺はまず自分の左胸に手をやった。
「まず俺達の身体は一番腹に近い側に心臓がある。その奥に食道、つまり消化管が身体の中心を貫いている。そして、一番背中側には背骨、つまり中枢神経がある」
俺は石板に書いた。
「昆虫にも、心臓、消化管、中枢神経はある。だけど、昆虫は順番が逆転しているんだ。一番背中に心臓があり。次が消化管。そして、一番腹側に神経というならびだ」
腹側 背側
人間:心臓 消化管 中枢神経
虫 :神経 消化管 心臓
いってみれば、昆虫は人間がブリッジしているような体制なんだ。まあ、大脳だけは消化管をまたいで上に移動しているが。
ちなみに、この背中から腹への構造はある遺伝子で決まるのだが。哺乳類と昆虫では同じ遺伝子が、背腹で逆転して発現している。中枢神経を作る仕組そのものは同じで、軸だけが逆転しているのだ。
つまり、脊椎動物と昆虫という大きく離れた動物系統の共通祖先は、背腹軸に沿った心臓、消化管、中枢神経という基本的な体制を持っていた。そして、脊椎動物の祖先と昆虫の祖先が別れた後、どちらかがブリッジしたわけだ。
どちらが元々の形だったのかは解らない。更に古いクラゲみたいな動物は、中枢神経も心臓もないから。
「つまり魔虫は弱点となる背骨を晒してこちらに飛んでくる。そいうことじゃな」
「正解です。昆虫の神経は縦に長いはしご形。つまり、レーザーで魔虫の体を左右にないでやれば、必ず当たる」
いわばレーザーメスで脊髄、腹にあるが、を切断してやる様なものだ。昆虫の神経は多くの神経節に分離して、体節毎にかなりの制御をやっている。人間が背骨を損傷すると、そこから下は動かなくなる。だが、昆虫の場合は体節の一つがおかしくなるだけかも知れない。だが、飛行していたらどうだ。
少なくとも、体節を遡ってくるあの雷撃を防げる可能性がある。
「検証の必要はある。特に、どの魔力の波長を使ったレーザーが効果があるかとかだ。その為には、帝国で見つかった魔虫の卵、いや胚か幼虫を使う」
魔力波長を当てて、予想通り神経系が魔力を吸収するかを調べる。要するにレントゲンだ。帝国東部でクレイグ達が見つけた魔力噴出口の卵は破壊されたが、厳重な監視のまま、サンプルとして幾つかを残してあるとクレイグから聞いている。
「表面の魔力の壁を突破して、そのすぐ内側にある神経を攻撃できるのね。いける気がするわ」
疑問を呈したメイティールも頷いている。
「もう一つの問題は資源だ。この方法は単に魔力を消費するだけじゃない」
俺は別の問題に移った。
「魔力の効率は良いんじゃないの。回路も通さず、魔力を効果に変換もしないんでしょ」
ノエルが言った。
「そうだ、ただ、この方式で魔力を発生させる場合、魔結晶は魔素を失い再充填できなくなる」
ちなみに、半導体レーザーの場合は電圧を掛けて、魔素に当たる電子を移動させ続ける。つまり、普通の魔結晶には魔素が供給され、負の魔結晶からは魔素が抜き出される。
そんな魔素の循環も作れるかも知れないが、ほぼ出来ていたレーザーと違って時間的に難しいだろう。やるとしても将来の仮題だ。
ちなみに、普通に空になった真紅の魔結晶は、紫魔力で充填できることは確認済みだ。もちろん、正負の魔結晶を使って作った紫魔力で試した。
まあ、今となれば素直にアルフィーナに協力を仰ぐべきだったのかも知れないが。心配な物は心配だったのだ。
「なるほど、深紅の魔結晶の量は普通の赤の魔結晶の何十分の一だものね」
「魔虫をおびき寄せるための紫の魔力の発生にも多く使わないといけないのですよね」
メイティールとアルフィーナが言った。アルフィーナは専門的な話だと、自分が必要とされるときしか発言しない。これがどれほどの聡明さか……。
とと、自分のパートナーを自慢してる場合じゃない。前世知識で底上げしている頼りない相棒としては、借り物の知識でもせめてしっかりと説明しないと。
「今後、紫の魔力の噴出口が出現して深紅の魔結晶の充魔炉を作れれば、深紅の魔力は再充填できる。だけど、深紅の魔結晶をレーザー源として使い捨てていたら、それは出来ない」
「なるほど。それでこの形式なのね」
ノエルがプロトタイプを見た。
「もう一つは真紅の魔力で十分、いや適している可能性だ。魔虫は紫の魔力をコアで受けて、体に真紅の魔力をまとう。使っているのは真紅の魔力だろう。なら、さっき言った神経も真紅の魔力と相互作用する物質、俺達の言葉で言えば魔力触媒を使っている可能性が高い」
「……再充填可能な深紅の魔結晶で純粋な形で励起した赤の魔結晶を使い捨てるのね。負の魔結晶なら帝国にはごろごろしてるわ。採掘されていないから地面から露出している場所まである」
資源というのは人間の生活圏に近い側から枯渇していく。だから、不要とされていた負の魔結晶は輸送に便利な場所に残っているはずだ。
「どうだ」
俺は魔術班に問いかけた。三人が顔を見合わせた。
「…………うん。この方法しかないわね。レーザーに魔虫の身体の仕組み、色々聞きたいことがあるけど」
「そうじゃな。これなら希望が持てる。ところでこのレーザーじゃが、レーダーにも応用できるのでは……」
メイティールとフルシーが盛り上がる。
「新しい魔導杖を作る手順はどうするの。いくら単純でも全く新しい物を作るんだよ」
ノエルが明後日の方向に行きそうな二人を遮るように言った。生産に直結する部分を担っている自覚だろう。実に頼もしい。
「そうだな。この原理モデルからプロトタイプを作って、量産出来る形まで改良していく必要がある」
ノエルは正しい。魔虫の群れの襲撃までに間に合うかどうか。極めて厳しい。しかも、製作しなければいけない装置はそれだけではない。
「新しい魔導杖の筒の部分はノエル、2種類の魔結晶を貼り合わせた光源カートリッジはメイティールに頼みたい。館長は紫魔力の発生器の改良を最優先に、魔力噴出口のアンテナと、対魔虫のレーダーの仕上げを引き続きお願いします。アルフィーナもこれまで通り館長の手伝いをお願いします」
俺が分担を指示する。フルシーがちょっとつまらなそうな顔になる。最重要の役割だって解ってますよね。
「筒は魔導銀、魔力反射触媒の量産を考えると……」
「ノエル、レーザーの開口部を魔力で開け閉めできるように出来ない?」
「……筒に何らかの魔力回路のスイッチを絡めれば」
「反射に使う魔力触媒の事なら儂に聞くのじゃ」
「アルフィーナ、あのレーザーが出るときの条件みたいなのを……」
皆が喧々諤々の議論を始める。アルフィーナもフルシーの横でメイティールの質問に答えている。
ここから先は資質の無い俺は口出しできない。
前世の知識源としてなんとか役割は果たせたか。
それにしても今回はまずかった。仕事を抱え込み混乱して優先順位を見失った。凡人が忙しいときに最もやらかしがちな、最もやってはならないミスをしたのだ。
俺はアルフィーナを見た。レーザーのアイデアを思いつけたのも、アルフィーナが新兵器に集中させてくれたおかげだ。そうでなければ、今もうんうん悩んでいただろう。
俺こそアルフィーナのパートナーに相応しいように頑張らないとな。




