19話 殺虫灯
外は冬の峠を登り切ろうとしている。前世なら年が変わる頃か。王都は殆ど雪が降らないが、それでも、寒さは厳しくなってきた。本来なら春を待ち望む心境になる季節だ。
もちろん、俺としては何時までも冬が続いて欲しい。魔力的な氷河期もだ。災厄まで残り6ヶ月……いや下手したら4ヶ月しかないかもしれない。
残り時間にやることが多すぎて、しかもその全てが不確定要素満載だ。唯一の救いは、優先順位の一番に置いたプロジェクトが進んでいることだ。
俺は館長室の中央に置かれたお椀型の装置を見た。
アンテナを改良した大きなボウルが下に、上には小さなボウル。間には縦横の位置を調整できる器具が取り付けられている。器具の中には深紅の魔結晶と、平らな板状に加工された負の魔結晶が距離を置いて設置されている。
「始めようかのう」
フルシーが真ん中の器具に付いたネジを回転させると、二つの魔結晶が徐々に近づいていく。二つが接触すると、紫の魔力が発生した。発生した魔力は上下の曲面に反射して、天井に向かって立ち上がる。
紫外線で虫を引き寄せる前世の殺虫灯みたいだ。ただ、引き寄せることが出来ても殺す手段がない。何しろ電撃は向こうが使用するのだ。
戦略通りこれからの学習に期待するしかない。もちろん、ノエルが今もメイティールと一緒にハードとソフトの両面で魔導回路の効率化に取り組んでいる。螺炎は更にパワーアップする予定だ。それで足りてくれれば良いが……。
いや、今はこれに集中しよう。これさえ完成すれば、両国のあらゆる場所を魔虫に同時攻撃されるという最悪の事態を防げる。駆除の方法はそこで学習すれば良い。
「思ったよりも早く形になりましたね」
俺は焦りを押さえて事実を口にした。
「もともとあったアンテナの応用じゃからな。紫の魔力を安定して使えれば調整の範囲じゃよ。まあ、試作第1号じゃな」
フルシーが髭を扱きながらいった。その様子は老後の趣味を楽しんでいる好々爺にみえる。楽しんでいたのは事実だろうが、この部屋の明かりが毎日のように遅くまで灯っていたのを知っている。
紫の魔力だけなら負の魔結晶が引き起こすのが魔力ではなく、魔素の移動だと気がついてからは順調だった。荷電粒子ならぬ荷”魔”粒子、魔素が二つの結晶の間を素直に流れるかどうかが決定的だったのだ。
素人の想像だが、魔結晶から負の魔結晶に魔素が流れる際に、魔素同士の衝突などで流れが乱れ、不規則な魔力の発生が生じていたのだろう。がたがたの地面で、細い入り口に向かって大勢の人間が殺到するような物だ。
表面積を広くしてぴったりとくっつけることで、魔素がスムーズに移動する。その結果、放出された魔力の波長が一定となるのだ。発生する魔力が格段に綺麗になったことで、負の魔結晶にも純度の違いがありそうなことも解ってきた。
だが、原理の確認が済むと、応用の問題が生じる。
「もう消えたか」
フルシーがいった。発生器からの光はあっという間に消えている。
「其方の想定する用途じゃと、これでは厳しいのう」
「長さはもちろん、出力も足りないでしょうね」
何しろこの装置は、魔脈にある魔力噴出口と競争して魔虫を引き寄せなければならない。距離というアドバンテージはあるが、いわば自然現象との競争だ。
「コントロールも難しい。一応こういうことなら出来るが……」
フルシーは二つの魔結晶の間に微かな隙間を空ける。そして、新しい深紅の魔結晶に自分の指を付ける。フルシーが力を込めると、僅かな距離を経て魔素が流れる。
「おお」
なるほど、魔術師が魔素に圧力をかけることでコントロールできるのか。
「じゃが、一度流れ出したら止まらん」
フルシーが指を離しても、光は止まらなかった。
「魔素を意識して逆方向に動かして、流れを止めるようなことは出来ないんですか」
「無茶を言うな、本当に微妙な調整なのじゃ。そもそも、魔結晶の中で魔素とやらが魔力を発生させる原理自体、ついこの間の其方の説明でやっと理解したばかりじゃぞ。そう言われると他に考えようが無いくらいぴったりはまるがな」
フルシーがあきれるようにいった。……前世なら豆電球が光るのと同じ、少なくとも高校の知識だ。まあ、前世でも発見された時点では世紀の大発見か。
「魔力の広がりも、其方の望みにはほど遠いな」
確かに、さっきのを見る限り光の柱がまっすぐ立ち上がりすぎている。
「下のアンテナの形を調整することで、多少は変わるじゃろうが……難しいからのう」
元々魔力は光に比べて直進性が強い。その上、基本物質を透過する。必然的に反射するといっても大変なのだ。ちょっと角度が違ったらアンテナを透過したり、アンテナの素材である魔導金に吸収されたりする。短期間でここまで出来たのがフルシーの数十年の経験の賜物なのだ。
これまでレーダー関連は任せっぱなしだったから気がつかなかった。
「出力、効率、そしてオンオフと範囲のコントロールですか……」
「どれを優先する?」
フルシーが俺に聞く。技術が一流なら、それを活かすのは求める側の責任だ。だがどうする。大体こういうのはトレードオフの関係にある。出力を優先すれば、コスパが下がるみたいに。
いや、それは純粋な物理現象として考えた場合だ。今回は”相手”があること。顧客の生態を考えるんだ…………。
「魔力の広がりでしょうね」
「理由はなんじゃ」
「魔力噴出口からの魔力も直進性は高いのは同じでしょ。だけど、魔虫は遠くからそれを感知して集まってくる」
「なるほど、極薄くとも感知するということじゃな。ならば、ある程度の出力でも広く放射することさえ出来れば、引き寄せる効果は大きいという事じゃな」
「そういうことです。なるべく広く同心円状に広げてやる。欲を言えばコントロールも高めてパルス上に発生させる。出力が小さくても魔虫にとっては魅力的な魔力源であると偽装できる」
詐欺商法だがリピーターはいらない。殺すためにおびき寄せるのだ。
「ふむ。よし、その方向でアンテナをコートする魔力触媒を検討するぞ。一緒に来い、幾つか思い当たる物があるわい」
フルシーは立ち上がる。まったく、管理者としては下の人間のじゃまをしないのが取り柄なだけだが、専門分野に貼り付ければ本当に頼りになる。
……自身が高度な専門性を持ち、かつ部下には自由に手腕を振るわせる。あれ、研究所長としてももしかして最強か?
◇◇
魔力触媒を保管しているのは新棟の生物実験室の隣だ。俺がフルシーの後に付いて、おっかなびっくり廊下を進む。魔術寮出向組が慌てて道を空け、胸に手をやって頭を垂れる。平民にしか見えず、実際平民という詐欺要素無しの俺に対しても同じだ。
ノエルがビビらせたせいだ。隣に居るのがフルシーだというのもあるだろう。大賢者様も居心地悪そうだけど……。
部屋に入ると、ダルガンとリルカがアルフィーナと話しているのが見えた。奥では魔力触媒をテストしているメイティールもいる。
「リカルドくん。…………もしかして、私は離れたほうが良いのでしょうか」
こちらに一歩踏み出した格好でアルフィーナが悲しそうに言った。
「いえ、今は大丈夫です」
ダルガンとリルカのとがった視線を感じて、俺は慌てて言った。
「そうですか。では、魔力触媒培養のことで少し…………」
アルフィーナは何枚ものメモを手にこちらに来る。フルシーは俺に任せたと言うと、奥に向かう。
「培養液の調整はダルガンさん、培養質の温度を一定にする工夫はプルラさんが力を貸してくれています……」
アルフィーナが魔力触媒関係の報告をしてくれる。良くまとまっていると思う。聞く人間が短時間で理解できるし、仕入れという仕組み自体や、各商会の状況についても把握している。
「さっきから横で聞いてたけど、お姫様のくせにホントお金に詳しいわよね」
メイティールが感心したようにいった。お前もそのお姫様じゃなかったか? 帝国は事情が違うのは知っているけど。
「私はヴィンダー商会の株主ですから」
アルフィーナは少しだけ自慢気に胸を張った。胸を張っても普通のサイズのメイティールに…………。
「ふうん。その株式って仕組みはちょっと興味あるわね。無知な異邦人に教えてくれないかしら」
メイティールの目が光った。アルフィーナはちょっと困った顔になったが、すらすらと説明する。メイティールは頷きながら聞いている。俺の出番はないな。
「もしかしてリカルドもお金のことにも詳しいの?」
メイティールが驚きの表情でいった。挑発にしか聞こえない言葉だ。
「…………100パーセント純粋な商人ですが」
「そうです、リカルドくんは王国一の商人なんですから」
「違うわ、世界一の魔力研究者でしょ」
……どっちも違うと言いたい。前世知識で下駄を履いている凡人だ。
「まあ良いわ。私も出資したい。リカルド……ヴィンダー商会の権利を売りなさいよ」
ウチは人身売買はやってないんだが……。
「そ、それは…………い、今は増資の計画はないですよね」
アルフィーナが救いを求めるように俺を見た。
「外国との間で所有権の分配なんてとても手が回らないので却下です」
今の株式システムは、最大の貴族の権威により無理矢理成立している幻。それは今だに変わらない。今回の転換都市債に絡んで、そこら辺の法整備も多少は進むだろうが、将来の話だ。
「じゃあ、新都市債っていうのでもいい。私の出資なら新都市の将来性への信用に繋がるわよね」
メイティールがいった。恐らく帝国には債券に投資するだけの余裕はない。それでも、皇女が限定的な額だとしても出資したというすれば、象徴的な意味が大きい。帝国との交易拡大に半信半疑な人間に対して特に。
「検討せざるを得ないな。でも……」
俺は債券のいわばプライマリーディーラーであるセントラルガーデンを見た。
「俺達だけで決められることじゃないだろうな」
エウフィリアとも相談して、宰相府にも話を通さないといけない。また必要な仕事が増えた……。
「そう言えばダルガン先輩。プルラ先輩はいないんですね」
「…………俺達はセットじゃないぞ。ヴィンダーが持って帰ったカカウルスに掛りきりだ」
そりゃそうか。例によって殆ど丸投げしたからな。
「規模はともかく成長率でいえばプルラはセントラルガーデンのトップだろ。それが、食べたことのない菓子を出しながら、帝国との新しい交易の利益の話をする。これは効くだろ」
そりゃインパクトがある。男性向けにカカオの割合を高めたチョコがあれば更に有効かな。コストが跳ね上がるが、その分砂糖の使用量が減るし、サンプルなら一かけでも効果が……。
「そう言えば、明日のこと私も呼ばれてるんだけど」
魔力触媒の選定をしていたフルシーが作業を終えた。旧棟、正式名称は本棟だが平穏であって欲しいという願いを込めて呼んでいる、に戻ろうとするとメイティールが呼び止めてきた。アルフィーナが心配そうにこちらを見た。
「ああ、もちろん俺と館長も参加する」
「わ、私も参加します」
アルフィーナが言った。クレイグがついに帰国してくるのだ。聞いた限りでは全員がちゃんと戻ってきたらしい。もちろん、今も地図を作っているファビウス達は別だけど。
無事に帰ってきてくれて本当にほっとした。しかも、クレイグはあの魔虫の成虫らしきものと遭遇したらしい。明日はその最重要の情報を聞く事になっている。




