18話:後編 絵に描いた餅は食べられないが、絵の描かれた紙で餅は買える
「もう一つ懸念がある。この莫大な資金の移動による王国経済の混乱だ」
渋い顔のままフォルカーが言った。債券の発行を前提とした話になっているのは良い。だが、それでも最後の問題が残っているのだ。
よく分っている。この世界のお金は経済規模に合せて伸縮自在の純粋な仲介手段ではなくて、実体だ。つまり、ある場所から持って行かれると、その場所では欠乏する。
ある意味、商品と同じだ。貴金属という形の通貨は交換手段ではあっても、物々交換に近くなるのだ。
わかりやすく食料という商品に例えて言えば、全ての食料が河向こうの軍隊に送られて不足した本国で国民が飢えるという事になる。
そして、今回の新都市建設と魔虫との戦いによって、王国の金貨の大部分がそこに投じられる。つまり、貴族の財産が殆どこの債権になってしまったら。貴族の帳簿上の資産は変わらなくても、貴族が自由に使える金貨は減る。
となると貴族相手に商売している大商人が商売できなくなり、大商人に商品を提供している中小の商人が商売できなくなり、原料を提供したりしている職人や農民が商品を作れなくなる。
つまり、金貨の不足により上から下に向かって経済が崩壊するのだ。
それが解っているので、ギルド長達の表情も硬い。二人の顔を見れば分るけど、この悲惨な自体を彼らはある程度覚悟している。
俺の目的のためにも最悪だ。今まさにテイクオフしつつある王国経済成長が潰れる。そして、この世界のスピードで一度でも大きく躓いたら、回復には二、三世代かかる可能性すらある。それは、新都市の存在意義に関わるのだ。
「それに関しても対策があります。実はこの債券はそのための仕掛でもあります」
だから、当然対策を考えている。ミーアの視線を受けて俺は立ち上がった。
「通貨の不均衡に関しては、この債券を取引する王国公認市場を設立することで解決できます」
俺はいった。毎年の利子の支払い等の業務が発生しないので、こちらに手を回してもらう。
「つまり、この債券を売買することで金貨に戻す手段を提供するのです」
「償還される前に債券を金に換えれると言うことか……しかし、金貨自体が不足するのは同じだろう」
「いえ、そういう市場があること自体が大事なのです。それによって、この債券が金貨と同じく流動性を有することになります。つまり、債券と金貨ではなく、債券と商品、商品と債権の交換という形で商売を行なうことが可能になると言うことです。要するに、債券という紙の証文が、金貨と同じく価値の交換手段として流通するわけです。これによって、理論上は発行した債券と同額の金貨が増えたのと同じことになります」
貴金属ではなく、信用にお金の役割を果たさせるのだ。「金貨がなければ金貨の絵で払えば良いじゃない」というわけだ。こんな事態じゃなきゃ暴動が起きるレベルの話だけどな。
「市場があるだけで、紙にそれだけの価値が生まれるのか?」
疑わしげだ。もちろんそれだけじゃ無理だ。
「まず先ほどの王家の信用。そして、国家の力を借りなければ不可能ですね。特に……」
俺はフォルカーを見た。
「徴税を司る財務大臣のお力です」
フォルカーが警戒心を最大限に引き上げるのが解った。ミーアの淡々とした説明にはあまり感情を揺らさなかったのに。俺だと何が違うのか……。
「財務大臣閣下には、この債券を金貨同様に税金の支払いに用いて良いというお墨付きを与えて欲しいのです。もちろん、税金の支払いに用いるのは、5年以上は後に限ってにする必要があります。そうしないとせっかく借り入れた資金が税収の減少として消えてしまいますから」
通貨というのはそれがなんであれ、受け取る保証があれば価値を有する。極端なことを言えば、金なんて食えない、住めない、着れないだから誰もいらない、と言えば価値はない。
だが、金には必ず食料と交換できるという信頼がある。つまり、物を持っている人間が対価として”受け取ってくれる”保証が、金を金にしているのだ。
同じ条件を満たせば貝殻でも石でも、やりようによってはチューリップの球根でも金の役割は果たせる。
ただ当然、受け取る人間が多くないといけない。例えばごく一部の農民しか金を食料の対価として受け取らないなら、その農民が食料を売り終わったら、残りの金が無価値になる。つまり、激烈な金食料交換競争が始まり、結果として金の値段は暴落する。
食料に対して金が過剰になる。つまり、インフレだ。
そこで税金である。税金として支払えるというのは、国家がこの債券を受け取りますと言うことなのだ。前世でもこれが紙幣の信用の裏打ちとなっている。
「我々商人は王国の債券市場を背景に、この債券をやり取りすることで金貨の需要を減らします。庶民や小さな商人はこれまで通りの通貨を用いれば良いと考えます」
ケンウェル会長が言った。残りのギルドの代表も同意を示す。上手くいけば経済活動が通貨不足でダメージを受けるどころか、拡大する。魔虫との戦いと新都市という膨大な経済の拡大に対応する通貨政策だ。
「そこまでは聞いていなかったな」
グリニシアスが初めて俺を睨んだ。
「宰相閣下、財務大臣閣下にも是非ともこの債券に投資していただきたいですね。それがまた信用を生みますので」
「そうするしかあるまい」
俺の言葉にグリニシアスがため息をつかんばかりに言った。
フォルカーは眼球を左右に動かす。後ろに並ぶ官僚達も、ざわついている。だが、その雰囲気はさっきまでの不信による物ではない。なぜなら目が血走っているのだ。
……おかしいな。なんか、未公開株で政治家を買収してるみたいな気分になってきた。まあ良いか、こちらの世界にはインサイダーじゃない取引なんてないからな。
ギルド長達商人サイドと政治家サイドで長い話し合いが始まった。後ろに控えていた官僚達はミーアに殺到している。
さて、負ければ終わりだから誰も言わなかったのだろうが、俺の目的まで考えれば根源的な問題がある。これを成り立たすためには、魔虫との戦いに極めて完全に近い勝利が必要だという点だ。
なんとかするしか無いけど、とんでもないプレッシャーだ。
◇◇
「なあミーア。断って良かったのか?」
帰りの馬車で俺はミーアに聞いた。
「何のことですか」
「いや、輸送ギルドと建設ギルドの顧問契約……」
あの後、ミーアは二人のギルド代表にそういった話を持ちかけられていた。時間があるときだけ、向こうが出向いてきて幾つかの質問に答えるだけ。それで報酬が約束される。
もちろん、ミーアの能力とその知識の価値を考えれば易すぎるくらいだが。子供の小遣いという額ではない。
なお、ヴィンダー商会は副業禁止では無いと思われる。根拠は俺だ……。
「そんな暇どこにありますか」
「ま、まあそうなんだけどさ」
ミーアを忙しくしている原因が俺、の副業、なので何も言えない。
「何かちゃんとお礼を考えないとねリカルド君」
親父が言った。確かにその通りだ。ミーアはヴィンダーの株主だ。つまり、ヴィンダーの利益は株式を通じてミーアにも配分される形だ。だが、今の彼女にかかっている負担はそういうレベルで釣り合う話では無い。
「何か欲しいものがあったら言ってくれ。出来ることなら何でもするから」
俺は言った。ミーアがびくっと震えた。
「でしたら、一つあります」
「言ってくれ」
俺は少し緊張していった。
「先輩が新しい都市に行くとき、私も連れて行ってください。王都で留守番はいやですから」
「えっ?」
それって報酬だろうか。いや、そもそも……。
「そりゃ、こっちからお願いしたいくらいだ。向こうに本拠地が移る事になりそうだし」
俺はセントラルガーデン設立準備委員会の会長をちらっと見た。親父が頷く。
「ミーアがいてくれないと俺は何も出来ないだろ。だからそういうことじゃ無くてちゃんと……」
「いえ、それでいいんです。大河の向こうに一人で行かせない。覚えておいてください先輩」
ミーアが有無を言わせない口調で言った。俺は頷いた。ミーアはホッとした様な表情を浮かべる。
「さてと良いかミーア。リカルドに聞きたいことがある」
エウフィリアが久しぶりに俺を気味悪そうな目で見ている。
「何でしょうか大公閣下。閣下には事前にご説明申し上げて、アドバイスも頂いたかと思いますが」
俺も警戒して返した。
「さっきので、全貌をやっと理解したのじゃ。これはつまり、災厄に対する対策といいつつ、お主の計画のために如何に安く大量の資金を集めるかと言う話。まあこれは良い。じゃがもう一つ…………」
エウフィリアは自分の馬車の中で、周囲を警戒するように左右を確認した。そして羽扇で口を隠した。
「……王国の金の流れの形式をお主の考えた方法に置き換えるという話ではないのか」
……いやまあそうなんだけどさ。それを言っちゃおしまいでしょ。親父まで困った顔になっている。一部とは言え、貴金属から実質上の紙幣に変換なんて大改革、こんな時じゃ無いと出来ない。
いや、別にやろうと思ってやったわけじゃ無い。
「災厄との戦いのために必要だったんだから、仕方ないですよね。王国の経済を救うためには必要だって話はさっきしましたよね」
俺はそう言った後で、声を潜めた。
「それに、増えた税収の使い方に頭を悩まされていましたよね。大株主様。親父も積み上がる金銀貨を前にため息をつくのは商人として健全じゃ無い、っていってただろ」
二人がため息をついた。
「……全ては王国のため、人の世が存続するためじゃな」
エウフィリアはあきらめたように言った。それ建前じゃなくて完全に事実だから。
「先輩。悪い顔をしてますよ」
「リカルドくんはやっぱり商会から切り離した方が良いかもね」
親父がエウフィリアを見ながらいった。この二人で議決権の79パーセント。解任の危機発生だ。まずいな、ストックオプション制度で従業員にも株式を分配して多数派工作を…………。
うん、駄目だ。従業員が俺の味方をする未来が見えない。




