16話:前編 鉱山のカナリア
「メイティール殿下、このタイプの魔導紋を回路に移すときなんですけど……」「ああ、ここは難しいのよね。二つのパラメータがぶつかって……」
休憩中にも、ノエルがメイティールに質問している。魔導銀半導体に回路を刻むときの話だ。単なる線はともかく、模様の方は基本ブラックボックスだ。一度見せてもらったが、模様の上にホログラムのように浮いた光が形を変えて隣の模様と連動してたりする。
距離や大きさの調節が難しいのは一目瞭然だった。まあ、皇女殿下と一緒にそれをやってのけるノエルに唖然としていた魔術寮出向者の方が印象的だったが。
「ふむ。抽出のしかたによって効果が変わる触媒か……面白い。同じ傾向の触媒を探すヒントになる。赤い魔力を反射する触媒はどうじゃったかな」
フルシーがヴィナルディアと魔力触媒のことを話している。恐らくレーダーに使う為の物だろう。紫の魔力を発生させることに一応成功したので、フルシーは負の魔結晶で発生させた魔力を周囲に広げるレーダーのひな形を考えている。基本的な形はコレまでの物と同じで良いらしい。
誰も休憩していない。それぞれが忙しく分業しているので、こういった休憩時間が情報交換の場となるのはしかたがないか。
他にも、シェリーやリルカはもちろん、偶にダルガンやプルラも参加することがある。気温が下がったことが培地に影響を与えたりするのだ。
それを整えているのがアルフィーナで手伝っているのがナタリーだ。ナタリー曰く新棟の連中からは魔術枢機会議とか言われているらしい。参加者の半分が魔術師じゃないんだが……。
「流石に私なんかはここに居ても良いのかなって気持ちになりますね」
ナタリーが言った。「大げさな」と言おうとした俺は、周囲を見て黙った。大賢者、史上最年少宮廷魔術師、予言の巫女姫。……普通に魔術枢機会議だ。
いや帝国皇女が居るから国際も付ける必要がある。
「あのリカルドくん。作業のまとめなんですけど……」
アルフィーナが俺に近づいてきた。その手には何枚ものメモが握られている。
「なるほど、やっぱり発生する魔力が安定しないと試作の妨げですね。えっと、こっちは相変わらず規則性がなくて……。流石に深紅の魔結晶がもったいないんで、くず魔結晶で規則性を実験してます」
負の魔結晶が魔力を引き出している、魔力が当たれば感魔紙は反応するので、俺でも実験が出来るのだ。基本に戻ると言えば聞こえは良いが、残り時間を考えると……。
「それで、そのあの現象と普通に魔力を引き出す場合の感覚的違いなんですけど……」
「魔力が出ておることは間違いないが、何かがおかしいのじゃ。抵抗なく魔力が流れる」「手応えがないのよね、すぅーって感じで」資質の持つ人間の感想が書かれている。魔術寮出向者の感想もおおむね同じようだ。
感覚的な言い様はわかりにくい、俺に見えない物が見えてるんだから当然だが、半端な知識じゃ扱えないことに手を出してるとしたら……。例えば魔力を引き出す原理が複数あるとか。
「どうでしょうか」
アルフィーナが言った。まずいな、ここで気弱なことを言えない……。
「ありがとうございます。ちょっと見えてきました。実験の幅というか、方向性を振ってみますね」
俺は言った。アルフィーナの顔が少しだけ和らいだ。
「そう言えば最近はミーアのことも手伝ってくれてるんだよな」
俺はナタリーにいった。
「はい、とても大変そうですから。もちろん、宰相府の貴族様とかとのお話は私にはとても手が出ませんけど」
ナタリーは蕎麦饅頭をのせた皿を持ったまま言った。
「後は、やっぱり例の債券? ですか。それに関してはリカルド様の直接の説明が欲しいと会長が。その王宮の方から特に……」
「ぐっ、そうだった」
俺はミーアから大至急と言われた書類を思い出した。債券の利率に償還までの期間、転換条件。何もかも手探りだ。何時にするか。
「リカルドくん。あのいくら何でも無理をしすぎでは……。お仕事を抱えすぎです」
アルフィーナが俺が手に持った紙を見て言った。今やらなければならない事が並んでいる。
「大丈夫ですよ。こういう時に混乱せずに済ませる工夫があるんです」
俺はもう一枚の紙を見せた。こちらには将来を含め検討するべき課題がある。こういう風に分けておくと管理しやすいのだ。
◇◇
目の前に実験結果が並ぶ。俺はそれを見て唸る。傍らの紙には、実験結果の整理、その考察、新しい仮説と実証方法の検討、再実験の方法が書かれている。
「多分接触する面積に関係してるんだろうけど」
解ったのはそれだけだ。安定的に紫の魔力を発生させる条件や、それを効率よく引き出すという肝心の方法にはつかず離れず。
そして、傍らには魔力が空になった深紅の魔結晶が並ぶ。末端価格、そんな物があればだが、は考えたくない。
原理も解らないのに、早く応用をと焦った結果だ。本格的に不味い気配が背筋を冷やす。
「珍しく苦戦してるわねリカルドのくせに」
部屋に顔を出したメイティールが言った。俺の周りに散乱した魔結晶をあきれたように見ている。
「くせにの意味が分からない。……魔力のことは専門外なんだよ。俺は商人だからな」
「別に皮肉じゃないわよ。そうやって考え込んでいる姿がむしろ普通の魔導師っぽくて……ある意味安心するわ」
なぜか笑顔のメイティールだ。
「普通って、俺は……」
励ましてくれているのは解るけど、プレッシャーだ。何しろこれまでの俺の魔力に関するアイデアは全部地球の知識の応用だ。今回みたいに何を応用すれば見当もつかなければ、このざまである。教科書的な知識の限界と言ったところか。
そもそも俺は科学者ではない。知らない現象の原理なんて自分で解明できるわけはないのだ。
「私はリカルドくんが無理しすぎているのが心配です。昨日も戻らなかったのですよね。ミーアも心配してましたよ」
メイティールの後ろからアルフィーナが入ってきた。二人一緒に来たらしい。最近偶に二人で話している。内容が気になる。
「あら、研究なんて”本来”こんな物よ」
「リカルドくんは魔術師じゃないです。それに、それ以外にも大変なことを沢山抱えているのですから……」
アルフィーナとメイティールの間の空気が冷えた。
「えっと、二人は何を……」
俺は恐る恐る聞いた。
「予言のイメージから少しでも魔導の改良の方向を探れないかと思って話を聞いていたの。ほら雷を使う可能性とかね。あの幼虫のまとう雷ですら苦戦したのよ、空の上から攻撃されたら脅威でしょ」
メイティールが言った。アルフィーナが頷く。
「その対策も考えないといけないか……」
まだ確定情報とは言えないとは言え可能性は高い。避雷針みたいな物を戦場で立てることが必要だろうか。天候との関係は。そもそも、生物がどうやって電気を生み出して……。
考えることが多すぎる。優先順位はどうする……。
俺は手元の黒い結晶を見た。負の魔結晶はあくまで素人の思いつきだ。確実に役に立つ保証など無い。勘にこれ以上固執するのは客観的に見て問題がある。
紫の魔力を発生させることが可能な方法が他にあるのなら……。
「私ももっとお手伝いをしたいのですけど……。紫の魔力のことなら出来ることはあるはずです」
アルフィーナが俺を見た。
「いえ、水晶だけに頼りきるのはリスクが大きいのです。魔虫を引き寄せる手段は複数あった方が良いですし。一度何かあったら使えなくなる手段では」
俺はいった。嘘は言っていない、想像すらしたくないが、肝心の時にアルフィーナが倒れたりしたらどうする。アルフィーナが考え込む。
「まあ、言ってることは間違ってないわね」
メイティールが仕方ないという顔で言った。そうだ、理論武装は完璧だ。そうだ、紫の魔力を人為的に発生させる可能性を知った以上、あきらめるべきじゃ無い。客観的に。
「メイティール殿下……」
「ただ、私にも一度水晶を見せて欲しいわ。かまわないでしょ、予言の災厄に関して私は同盟国の代表なのだから」
「はい。それなら是非!」
俺が止めるまもなく、アルフィーナが頷いた。ここは強権を使ってでも止めるか。…………いや、メイティールに甘えるにも限度がある。
躊躇した俺を尻目に、二人は今から聖堂に行くという話を始めた。一度は仕方がないか。
アルフィーナがメイティールに礼を言って部屋を出た。準備と聖堂への連絡がいるのだろう。
「リカルドはどうする?」
「えっ」
残ったメイティールが俺に聞いた。
「心配なら着いてきなさいって言ってるの」
「あ、ああ……」
「リカルド。心配なのは解らないでもないけど……」
メイティールが俺を見る目が少しだけ細まる。
「解ってるよ」
俺は傍らのトレイから空になった深紅の魔結晶を手に取った。紫の魔力で深紅の魔結晶が充填できるか、そのテストも一緒にやる。
冷静さを失ったら終わりだ。アルフィーナに負担を掛けるなら、そこから少しでも将来の負担を減らす方向を検討する。
「まったく。さっきのリカルド、あの娘を籠の中にでも閉じ込めそうな、そんな顔してたわよ」
メイティールが言った。そんな顔ってどんな顔だよ。
それに縁起でも無い、アルフィーナを鉱山のカナリアにしないために俺は頑張らないと。




