15話 負の魔結晶
方針会議の翌日、俺はラボの一階にいた。魔力触媒関係が新棟に行ったので空いた、元生物学実験室で負の魔結晶の実験をするのだ。
フルシーはノエルに泣きつかれて渋々魔術寮に話し合いに行っている。出て行くぎりぎりまでこちらをちらちら見ていた。一応最年長者で、いつの間にか伯爵格で、王国の魔術の頂点なんだから若い部下の盾くらいにはなってやって欲しい。
アルフィーナもやたらと気にしていたが、いまはノエルを手伝ってもらっている。魔導銀と既存の魔力触媒を扱っている限りはそうそうおかしな事も起こるまい。こちらは一応何が起こるか解らないからな。
と言うわけで、今俺の隣には好奇心を隠さないメイティールがいる。
「準備は出来たわよ」
イーリスの用意をしていたメイティールが言った。テーブルのトレイには三種類の魔結晶が用意されている。芥子粒の様な粘菌魔獣のくず魔結晶、普通の赤い魔結晶、深紅の魔結晶だ。
「いよいよこれの出番か」
厳重に封じられた袋の中から黒い鉱物を取りだした。ランプの光に当てて観察する。色が黒い以外は魔結晶とそんなに変わらなく見える。ただ、整形されていないので形は歪だ。ただ、断面は鋭く光沢が在る。色と言い、石器時代の貴重な資源、黒曜石に似ているか。
「さて、この厄介者を使って何をするのかしら」
メイティールが俺の手元を覗き込む。肩が触れるくらい近い。
「まずは、現象の確認をしたい。負の魔結晶で普通の魔結晶から魔力を引き出すって、具体的にはどうするんだ?」
「魔力を引き出すっていうよりも、魔結晶を駄目にするって感じなのよ。簡単だから見てて……」
メイティールは右手に黒い負の魔結晶。左手に赤褐色のくず魔結晶を持つ。そして二つをくっつけた。
接触した場所が淡い光を放った。光はゆっくりと明滅しながら薄くなり、数秒であっさり消えた。
「こんな感じ。これでもうこの魔結晶は空になった」
メイティールは人差し指と親指でくず魔結晶をつまんだ。魔導師の意志に従って魔力を放出するはずの魔結晶は全く反応しない。
「……今の、俺も出来るんだよな」
メイティールから負の魔結晶を受け取り、新しいくず魔結晶を手にとった。少し緊張しながら近づけると、メイティールと同じように光が出た。
「おおっ」
俺はちょっとだけ感動した。魔法使いになった気分だ。
「帝国で有望そうな魔結晶の鉱脈が見つかったことがあって、でも同じ場所にこれを含んだ黒い層があってね。掘り出した魔結晶が全く使えなかった事があるのよ。だから、基本嫌われるわ。魔結晶を壊すとか、汚すなんて言い方もされてたみたい」
「でも、魔力を引き出すんだから、用途がありそうなんだけど……」
「私たちが魔結晶から魔力を引き出す場合はある程度指向性を持たせれるけど、今のは四方八方に広がってたでしょ。つまり、魔導陣に流す効率が悪い。それに、魔力の総量も私たちが引き出す場合に比べて少ないみたいね」
「魔力が広がるのは良いことだけど、量が少ないのはなあ……」
俺は考え込んだ。俺の目論見としては、コレを使って水晶から紫の魔力を無理矢理引き出せないかということだ。ただ、今の話だとおいそれとは試せないな。故意にやらかして水晶を駄目にするみたいな誘惑に駆られないこともないが……。
「魔力を吸い取ってしまうって事なのかな」
「うーん……。そうね、そういう感覚に近いかも。今もちょっと違和感があったし……」
「違和感?」
「どうも波長が……。ううん、測ってみれば分かることよ」
「そうだな、イーリスにかけよう」
感覚的なことを言われても俺にはろくに見えない。
イーリスでの測定に掛った。負の魔結晶とクズ魔結晶を接触させて発生した魔力が感魔紙を照らす。感魔紙には3本のバンドが現れた。ただ、確かにバンドは薄い。それに、やたらとぼやけている。
確認のため、負の魔結晶に接触させた後のくず魔結晶からメイティールに魔力を引き出そうとしてもらう。予想通り感魔紙にバンドは出ない。
「間違いなく魔力を引き出してるな」
メイティールにとっては自明だが、俺にはこうするしかないのだ。現象自体は資質を持たなくても良いとは言え、調べるためには俺には出来ないことが多すぎる。そして、俺達にはやらなければいけない事が多すぎる。
俺はすっかり冬になった窓の外を見てため息をつきそうになった。
振り返ると、メイティールがじっとバンドを見ていた。そして、おもむろにくず魔結晶を取り出すと自分で魔力を引き出す。
「見て。似てるように見えてずれてる」
「……どう言うことだ」
「さっき、おかしいなと思ったのはこれよ」
現れたバンドは負の魔結晶を使った場合に比べて低エネルギー側にずれている。いや、負の魔結晶により引き出された魔力が短い波長、つまり高エネルギー側にずれているのだ。光なら青方偏移みたいな感じか?
「魔力の量を質に転換したって事か?」
「解らないわ。今更だけど、波長分析本当に恐ろしいほど有用ね。何かする度に、知らない現象がでてくる」
「あっ、うん。面白いのは解るけど。今は……」
「解ってるわ」
メイティールは何度か同じ事を繰り返す。結果は安定しないが、基本的にバンドが高エネルギー側にシフトする傾向が確かにあった。だが、シフトの幅はやけに不安定だし、バンドもはっきりしない。
だが、コレはとてつもなく価値のある発見じゃないか。俺はトレイの上に視線を移した。そこには帝国からのもう一つの土産がある。
「…………くず魔結晶でこれなら。なあメイティール」
俺は一つの可能性を思いついて興奮した。メイティールも俺の言わんとしたことを悟ったらしい、深紅の魔結晶を手に取った。負の魔結晶と深紅を接触させると、感魔紙のかなり離れた場所にぼやけたバンドが生じる。
「やっぱりだ、紫に近い魔力波長が出てる。コレは使えるぞ!!」
願ってもない結果だ。深紅の魔結晶を使って紫魔力を作れるかも知れない。アルフィーナも水晶もなくても紫の魔力を発生させることが出来る。
「あ、いや。重要な結果だろ。お、面白いし……」
「……解ってるわよ。リカルドの考えてることはちゃんとね」
メイティールは皮肉っぽく言ったが、すぐに真面目な魔導師の顔になる。
「安定しないわね。あと効率が悪い」
「そうだよな」
何か条件があるのだろう。バンドの現れ方はくず魔結晶を使った場合よりも更にばらつきが大きい。
「でも、コレは追求する価値がある現象だ」
「ええ、魔導師として認めるわ」
メイティールも賛成した。やはり何か面白くなさそうだ。そう言えば……。
「メイティールはその、紫の魔力を浴びても平気なのか」
「何かあるとしてもこの量じゃね。それにしても……」
メイティールがおれのほうにぐっと顔を近づけてきた。
「な、なんだ」
「私のことも心配してくれるんだ」
「そ、そりゃ当たり前だろ」
「便利な実験の道具としてかしら」
「そんな風に思ったこともないよ」
俺が慌ててそういったとき、ドアが開いた。
「リカルドくん。いま水晶と似た魔力が……」
アルフィーナがノエルを連れて部屋に入ってきた。俺とメイティールを見て一瞬固まった。
「アルフィーナ様は不用意に近づかないでください」
俺は思わず言った。
「残念。やっぱり本命とは扱いは大分違うわね」
メイティールが肩をすくめると、俺から離れた。
◇◇
「やっぱり安定しないな」
俺は感魔紙を見て唸った。あれから俺は角度、距離、形などいろいろな要素を考慮して実験を繰り返す。だが、どれも関係しているようで、どれも決定的ではない。幾つものパラメーターが相互作用しているのかも知れない。
「派手に使ったわね」
魔力を失った深紅の魔結晶の山を見てメイティールが言った。帝国から供給された深紅の魔結晶は多いとは言え限りはある。ましてや、魔虫との決戦を考えれば無駄遣いなど出来ない。
だが、紫の魔力を発生させるためにはくず魔結晶はおろか、普通の魔結晶でも無理なのだ。元々の波長を高めるのだから、当然と言えば当然だろう。だが、その原理が分からない。
「深紅は充魔炉で補充できないもんな」
「そうね。あの飛竜山の紫の魔力噴出口を使えば出来るかも知れないけど」
「そうだな、それもあるか……」
魔虫との戦いが長期戦になった時、王国と帝国に出現する可能性が高い紫の魔力の噴出口を使って深紅の魔結晶をリサイクルすることができるかどうかは重要なことだ。
「でも、ここで使う程度の量なら……」
メイティールが隣の部屋を見た。
「それは駄目だ」
俺はいった。
「…………はあ。まあ、それがリカルドの方針だって言うのなら尊重するわ。それくらいのわがままを言う資格が有るものね」
「すまん。本当に感謝する」
「リカルドにとって何より不安になるようなことを吹き込んだのは私だしね。でも……」
メイティールが俺をじっと見た。言わんとすることは解ると思う。そんなこと言ってられない状況が来たらどうするんだって事だろう。
アルフィーナにとって余計に負担が大きくなる可能性もある。だが、俺は水晶のせいで寝込んだり、倒れたりしたアルフィーナの姿を見ている。あんなことはもう二度とごめんだ。
「紫の魔力噴出口が出現した時に、すぐ動ける用意はしておこう」
「そうね」
またやることが増えた。いや、やれることが増えたのだ。
負の魔結晶で紫の魔力を作り出せる事が解ったのは大成功なんだ。1パーセントの天才もない俺に、代わりに降りてきた得がたい幸運だ。ならば、後は努力と工夫100パーセントでなんとかするだけだ。
この状況において己の意を通すなら、それくらい当然だ。
2017/08/02:
物語が佳境に近付いてきました。今後、先の展開の予想に関する感想に対して作者は【否定も肯定も出来ないモード】になりますので、よろしくお願いします。




