14話:後半 あまりに美しい戦略
注:この話には、人によっては残酷と思われる描写を含みます。
限定的な情報しかない状態で、重大な決定を下すことを強いられる。何のことはない、人生も含めて基本そういうものだ。
でもそれじゃ何も言えないので、経済学ではある仮定を置いた。人間は全ての情報を知ってかつ、完全に正しく判断できるという理想的な仮定、合理的主体だ。
これはあくまである種の基準を置くための方便だったはずなのに、過信しすぎて経済危機の遠因になったこともある。
俺がこれから示す方針はその逆だ。答えが解ることを前提としない、最終的に正しい方向へと道を進んでいくためのフレームワーク。実はそれは生物というシステムが恐ろしいほど素晴らしいことの証明でもある。
情報のない未来に対して生き延びるためにはどうするか。
単純化するためにこういう状況を考えよう。目の前に100個のドアがある部屋がある、そこに1組の生物の番いがいる。まるでシューティングゲームのように後ろの壁がゆっくりと迫ってくる。生き残るためには扉を開けて次の部屋に向かわなければいけない。
この扉がくせ者だ。何と、100個中99個には致死性の罠が仕掛けられている。しかも、ゴールにたどり着くためには同じ部屋を4ブロック通り抜けねばならない。つまり、最終的に生き残るためには100分の1を4回連続で引き当てなければならない。もちろん、どのドアが正解かの情報はゼロだ。
つまり、まともにやれば生き残る可能性は1億分の1という超難易度。総当たりなら1億組の生物が必要だ。
だが、生物はこのゲームをいとも簡単に解いてしまう。必要なのは百組、つまり200匹の子供を作るための資源だけだ。
まずこの生き物は、壁が迫ってくる前に己の持つ資源の全てを使って、子供を100組作り死ぬ。残った子供は1組が1つのドアを開けて次のブロックに進む。定義通り99組が死に、1組だけが置き残る。
生き残った1組は死んだ99組の死体から資源を回収し……。
注)方法はご想像にお任せします。
新たに百組の子供を生み出す。後はこれを繰り返すだけ。実は部屋が何ブロックあれど関係ない、1億分の1だろうが100億分の1だろうが。答えが全く分からなくても確実にゴールにたどり着く。
未来が完全に未知であっても、生存という答えにたどり着く。これが生物というシステムの正体である。犠牲は問題ないと言うよりも前提である。その代り、未来を知っている必要がないのだ。
限られた資源を使って、未知の問題に挑み、見事攻略する。何という素晴らしいシステムだろうか。必要なのは後ろから迫る死の恐怖と、ほんの僅かな未来への希望だけ。
以前、思考のボン・キュッ・ボンという話をアルフィーナ達にしたが、この場合の個体数の変動も同じ形になる。そう、これは学習であり、思考なのだ。
このシステム考えたやつ天才だな。ただし悪魔だけど。まあ、このシステムは知能を前提ではないので、多分考えた奴もいないだろうけど。
ただこの素晴らしい方法にも限界はある。効率よくするためには1匹あたりのコストが低く、生産までの時間も短くなければならない。バクテリアがベストだ。
製造コストの高い巨大な多細胞動物などは、この方法に適していないのだ。だからこそ、生物は命を掛けなくてもいろいろな行動を学習しうる脳を発達させた。
その究極の姿が、脳に高度なシミュレーションシステムを実装、その上それを文字という形で外部化して遺伝子を経ずに継承できる文明を持った存在、つまり人間だ。
「今皆が問題にした様に、魔虫の詳細な性質が不明だ。しかも、相手は400年ぶり。本格的な活動は800年ぶりかも知れない。となると情報収集は時間が掛る。だから戦いながら学ぶことを前提にする。言い方を変えれば、引き分けながら徐々に情報を集めていく戦略的状況を作り出す。言い換えれば、勝利と言うよりも、学習に最適の戦い方をする」
もちろん勝てればそれに越したことはない。だが、俺達は剣だけでなくペンも持っている。人間である以上、学習効率で勝負する。つまり、ペンで考えて剣で戦うのだ。
「人間は魔虫よりもずっと早いスピードで学習する。これが俺達の優位性で、俺達はこれを活かす。来年の春から成虫が襲撃してきたとする。1年目は、負けなければ良い。来年になったら、俺達が有利になっている。例えば、俺達は冬眠しないけど、魔虫は蛹で冬眠する可能性が高い。つまり、俺達は秋までの成果を元に、冬の間に研究を進めることが出来る。メイティール殿下の言った、魔虫に効率よく打撃を与える魔導の開発だ。進歩は魔導に限らない。例えば戦い方、陣地の構築方法。後方支援もそうだ。つまり、戦いが続けば続くほど、人間側の戦術は進化する。魔虫が学習しないとは言わないが、人間の方が早い。だんだん有利になっていくんだ」
いくら強くても、大きくても、所詮虫けらは動かない的である。
もちろん、前世の経験からこれには問題があることは解っている。
前世にも人間に害を与える昆虫はいた。代表的なのは農作物に付く害虫だ。人間は害虫を駆除するため殺虫剤を用いて大勝利した。だが、そこにしっぺ返しが待ち構えていた。農薬に耐性を持った少数の個体が生き残り、天敵がいなくなった農地で大量に繁殖したのだ。
大量の個体数と世代交代の早さを使った進化という学習方法が、人間の脳による小賢しい策を上回った結果だ。つまり、昆虫にとって殺虫剤は動かない的に過ぎなかったのだ。思考ではなく、個体数のボン・キュ・ボンで攻略してのけたのだ。抗生物質と耐性菌の戦いでは、更に不利な戦いを強いられた。
だが、これは一回だけの結果だ。人類はただ学習するだけでなく、学習する速度そのものを上げていく。結果、昆虫が突然変異をするスピードを上回る速度で新しい殺虫剤を開発できたらどうか。害虫はいずれ駆除される。
今回は目に見える大きさの相手だし、数が多いと言っても細菌はもとより、前世の昆虫に比べれたらずっと少ない。
「その為に必要なのが、集中して学習し、かつその学習を支える基盤を消耗しない戦場というわけだ」
俺が説明を終える。長期戦を前提とした場合、戦略とは学習を含めなければならない。コレは戦いでも経営でも同じだ。
「まって、でも魔虫はこれから紫の魔力の増大期でどんどん数が増えるんじゃないの」
「ふむ、基本的に飛竜の領域に引き寄せるって基本戦略は良いとして、次からは血の山脈以外の場所でも魔虫の発生が考えられるのではないか。例えば王国の東西の魔脈で繁殖を始めたらどうする」
メイティールとフルシーが指摘する。現在は紫光が観測されているのは血の山脈とその近辺だけだと想定される。だが、予言のイメージを見る限り今後は、あちこちに紫の魔力が発生する可能性は高い。
実際、帝国の東端で生じた紫光らしき反応がある。
「なるほど……」
俺は考え込んだ。アレが昆虫だとしたら仮に1年目で10分の1に個体数を減らしても、来年には復活、いや倍増という可能性すらある。
仮に一年で戦い方を何割も効率化しても、相手の数と範囲が倍になればじり貧、学習する余裕が成り立たない戦況を作られる。戦略的に不利な状況に追い込まれるわけだ。
「まず、あの魔虫が卵から成虫になるまで恐らく1年以上掛ってる」
飛竜山の紫の魔力は2年前からだった。だが、魔虫は成虫に至っていない。血の山脈ではもっと前からだろうが、少なくとも魔虫の群れが目撃されていない。
もちろん、再来年血の山脈で羽化する成虫だって来年より更に数が多い可能性はある。だた、あの大きさの魔虫だ、竜よりも遙かに多い個体数を用意できたとしても、昆虫の個体数には到底及ばない。1匹あたりのバイオマスは昆虫の数万倍はある。
これらのことを勘案すれば、最大の発生源である血の山脈に手は出せなくとも、魔脈ならなんとかなるかも知れない。
「なるほど。1年目を防ぎきれば2,3年の学習の余裕が生まれるというわけじゃな」
「蛹を経るなら、冬の間に個体数を減らすことも出来るかも知れないわね」
メイティール達が頷いた。現在の螺炎ですら、通常の魔獣に対処して魔脈を探索するには十分な力だ。
もちろん、到底確実とは言えない。もし災厄が一年で収まるのなら、仮に両国の各地に大きな被害が出ても、主要地域だけは守り切るという”無難な”方針を採用することも出来る。昆虫ほどではなくとも、人類も生物なので滅びさえしなければまた増えることが出来るのだ。
だが、今回の場合は数十年続くことを想定しなければならない。滅亡という必然に向かってしまう。
「方針は解った。じゃが、紫の魔力を研究するためには……」
フルシーがアルフィーナを見た。そう、このやり方には大問題がある。アルフィーナに負担が掛ると言うことだ。今のところ人為的に紫の魔力を発生させる方法としては予言の水晶くらいしかないのだから。そして感情的なことを考えないとしても、一人に頼るシステムにかけるわけにはいかない。
大体俺は、最初からアルフィーナ一人に負担……、頼らないシステムの構築を目指していたのだ。
「アルフィーナ様。水晶からアルフィーナ様の思い通りのタイミングで紫の魔力を引き出すことは出来ない、ですよね」
俺は確認した。
「はい。私は水晶の反応を待つことしか出来ません。でも今の頻度なら……」
「次にですけど。その水晶の反応も場所に依存するのではないでしょうか」
俺はアルフィーナの言葉を遮った。
「……そうですね。聖堂の祭壇から水晶を離せばどうなるか。少なくともこれまでと同じようには行かないと思います。ですが、それに関しても色々と調べる事は……」
「その為に用意したのが、この負の魔結晶です」
俺は普通の魔結晶に接触しないように厳重に封された荷物を指差した。資質を持つ人間を介さずして、魔力を引き出す可能性を持った鉱物。これがあれば術者無しに魔力の発生が可能になるかも知れない。
さっきの戦略で作り出したのは、水晶の予言能力よりも単純に大量の紫の魔力を発生させることが重要という状況。後は、紫の魔力の発生だけなら資質は関係ない形に出来ればいいのだ。
個人に依存しない、安定したシステムである。うん、安全保障の基本だな。
「と言うわけで、これの性質をイーリスで分析することから始めたいとおもってる」
魔結晶を無価値の石ころにしてしまう性質からして、流石にぶっつけ本番で水晶にくっつけるわけにはいかない。
「理屈は解った。……まあ面白そうじゃし良かろう」
「……なんかちょっと引っかかるけど。良いわ、他ならぬリカルドの言うことだもの、まずは言うとおりに進めましょう」
王国帝国それぞれの長の了承は得れた。アルフィーナが少し納得できない顔をしているけど。何も言わない。
「じゃあ手分けしよう。まず館長はレーダー改良して、特定の波長を広く周囲に発信する装置の開発準備をお願いします。ノエルは新しい魔導回路のための基本的な回路の製作手順を頼む。メイティール殿下はノエルの魔導回路のデザイン面と、あとは負の魔結晶の解析を手伝って欲しい」
俺は矢継ぎ早に分担を決めた。
「あの、私は…………」
アルフィーナが手を上げた。しまった、ちゃんと考えていない。
「えっと、アルフィーナ様は…………、いざという時の為に……」
「なんかこの前よりも過保護になってない。……まあ良いけど」
メイティールがぼそっと言った。
「と、取敢えずアルフィーナ様は各班の調整お願いしたら。ほら、ベアリングの時も、この前の共同研究でも、それをお願いしていたんだし」
ノエルが言った。なるほど、ナイスフォローだ。
「そうだな。うん。お願いします。間違いなく重要な役目です」
特に俺には出来ないたぐいだ。うん、適材適所だ。
「……解りました。でも、必要なときはちゃんと言ってくださいね。後はメイティール殿下、先ほどのことよろしくお願いします」
アルフィーナは言った。
「まあ、あれじゃ。人間の未来は儂らに掛っているわけじゃから頑張らねばな」
フルシーがらしくないことを言う。やっと責任者としての自覚が出てきたのだろうか。さっき言ったとおり、今回の戦略の根幹はフルシーのレーダーに掛っている。
「……私、最悪の時期に、最悪の立場に立たされていない?」
ノエルが震えた。どうやら今更ながらに、大きな責任に気がついたらしい。そうだぞ、新しい弟子の教育どころの難易度じゃない。まあ、新しい魔導杖の量産体制を考えると弟子の教育管理もよろしく頼みたいところだけど。
さて、そんなことよりも俺だ。まずはあの謎の結晶の解析。資質無しで魔力の発生なんてどんな原理なんだ?




