9話 凍りつく記録
「1,2,3,4……」
俺は虫眼鏡片手に氷縞粘土の縞の数を数えてく。広く暗い部分と狭く明るい部分で一年、約5ミリメートルくらいだ。つまり、50センチで百年。氷縞粘土の長さは8メートル以上あるから、ざっと1600年分だ。いや、年代が遡ると圧縮されている事を考えれば、2000年近いかも知れない。
しかも、縞に大きな乱れはない。よっぽど環境が安定していたのだろう。
「含まれている魔力量はかなり多いわ。年輪よりも濃縮されてる感じね」
メイティールが試し掘りしたサンプルから感魔紙を剥がした。広げて見せてくれると、そこにはうっすらと模様がある。
「もしかして直に測定できるとか?」
「そうね、問題は紫の波長を上手くとらえれるかだけど。こればかりはやってみないと。わくわくするわね」
「気持ちは分からないでも無いけど……」
「分かってるわ。なんたって人類の未来がかかっているのだから」
俺とメイティールはサンプルの両端を持ってイーリスに隣接する台に設置する。台にはクランクのような物が付いている。回すと、ネジの原理で少しずつサンプルが進む仕組みだ。
メイティールが測定を開始する。俺は砂時計を頼りに、一定時間毎にサンプルを進める。
感魔板に測定結果が現れ始める。明暗二層の中でも狭い冬期の層は魔力が少なく、それが上手く区切りになっている。良い感じだ。俺はクランクを回して砂時計をひっくり返した。
…………いくらサンプルに魔力が豊富と言っても、測定には時間が掛る。長期的サンプルの測定というのは、気の遠くなる作業なのだと思い知る。
氷河の中に留まっている記録がどれくらいかは解らないが、せめて2メートル、400年分は測定したい。
「赤以下の波長は曖昧ね。たまにしか出ない深紅の波長に焦点を合わせた方がよさそう」
メイティールがデータを読む。
「……今のところ紫はなしか」
飛竜山の噴出口は常に紫の魔力を出しているわけじゃないということだ。飛竜山の麓で直接測定した紫の魔力がいつから発生してるのかは、年輪の結果を待たなければいけない。ちなみに、そっちはクレーヌが担当している。
「管の切れ目のところが悩ましいわね。どうしても測定がぶれるでしょうし」
「だな。それにしても、なかなか出てこないな紫は……」
すでに350年以上測定している。まだ湖に到達していない数十年分を考えれば。そろそろ400年前のはずだ。まさか、400年分まるまる氷河の中って事もないだろな。
いや、400年前という歴史の記録が正確じゃない可能性もある。大災厄はあくまで400年以上前だ。俺は不安になる自分を説得する。
更に10センチくらい進む。メイティールがぱっと顔を上げた。
「……出たわ。間違いない」
感魔板を見ると、突如として濃いバンドが合われていた。紫の魔力に対応する位置だ。俺達はうなずき合うと、測定を続ける。紫の魔力に対応するバンドは2年、いや3年分くらいの縞から測定された。そして、また何もなかったように消えた。
「……縞の数で言えば380年前くらいか」
「氷河から溶け出していない年数を考えれば大体あってるわね」
「500まで測定したら、年輪のデータと合せよう」
更に50センチほど測定を進めたところで一時停止だ。感魔板にも限りがある。
「この様子だと、やっぱりデータを合せるのは深紅の魔力が適切かしら」
「そうだな……。うーん」
結果を前に俺たちは考え込む。500年間でただ一度、ほんの数年しか現れなかった紫の魔力に比べて、深紅の魔力は飛び飛びのバーコードのように見える。
「クレーヌの結果が出るまで、何をしようかしら」
メイティールが俺に身を寄せてきた。
「そ、そうだな。例えば負の魔結晶の実験とかどうだ。リーザベルト殿下に残ってないか聞いて……」
「負の魔結晶。ああ、アレにも何かあるんだったわね」
「いや、全然確証はないぞ。魔力に関して俺が知ってることなんて本当に限られてるんだから、あんまり過大な期待は困る」
俺は釘を刺した。
「あらあら、このデータを見てそんなこと言われてもねえ。ノエルとフルシーから聞いたけど、もうずっと前から長期的で詳細な魔脈の情報が必要だって言ってたらしいじゃない」
メイティールは手に挟んだ感魔板を振りながら、俺の顔を覗き込む。
「いや、長期的で詳細な記録の重要性は何だって変わらないだろ」
俺は焦ってそう言った。その時ドアが開いた。
「殿下。年輪の測定が終わりました。予想通り…………お二人はいったい何を?」
クレーヌは早足で部屋に入ってくる。その目が俺とメイティールを見る。メイティールは小さく舌打ちをして俺から離れた。
「さて、都市の遺跡に使われていた樹木の年輪に紫の魔力は存在しない。予測通りね」
メイティールはクレーヌが提出した一枚目のデータを見て言った。俺たちが飛竜山で魔虫と戦っていた間に、集めてもらった物だ。下は下で大変だったらしい、多くの木が腐っていたり、焼けていたりしていたからだ。まともに残っていた木材も適切なサンプルは多くなかった。
クレーヌが測定できたのは約50年分のデータだった。
「氷縞粘土の380番目付近に表れる紫の魔力が大災厄で都市が滅んだタイミングだと考える。当然、都市に使われている木材はそれより前に伐採されている。仮に20年前に伐採された木材だと考えた場合は400番目から50年間の記録と……」
「ここら辺ね。……違うわね。じゃあもっともっと昔……」
「ありました。氷縞粘土の413からです。深紅の魔力のパターンが一致しています」
クレーヌが言った。俺とメイティールも確認する。深紅の魔力のパターンが確かに一致している。
「決まりね。400年前、恐らく大災厄の時、突如紫の魔力が発生した」
「そうだな、少なくともその前の70年間、その後の380年間。一度も起こっていない特別な魔脈活動が有ったわけだ」
400年前の大災厄の原因は紫の魔力の発生と考えるのが妥当だ。そして、飛竜山や血の山脈を見る限り、今また同じ事が起こっている。
仮説は検証された。予想通りの結果だが、それが出てみると……。
「…………恐ろしい」
クレーヌがつぶやいた。
「そうだよな。少なくとも500年に一度の大事件。これじゃ、竜の群れと言われても信じるしか……」
「違います。恐ろしいのは……何でもないです」
クレーヌは慌てて俺から目を逸らした。
……いや、この結果だって俺一人じゃどうやっても得られなかったんだが。大体、たまたま前世で生まれた国に水月湖があったから年縞なんて覚えていたわけで……。
「まあ、ここまで見通されるとね。でも、クレーヌも見たでしょ。あの魔虫との戦いでリカルドが見せた策士にはほど遠い行動」
メイティールはそう言って、俺の保身能力をこき下ろす。いや、アレは一応成算はあった。だいたいああしなけりゃ、俺も死んでたんだ。
「それは、そうです……」
「さあ、新しい方の年輪のデータは?」
メイティールが話を変える。飛竜山の紫の魔力、あれがいつから出ているかも問題だ。400年前は三年くらいの間発生が続いている。
「…………これです。1年前から紫の魔力が出ています」
メイティールがもう一枚の結果を出した。俺が氷河湖でくりぬいた年輪のデータだ。こっちも期間は50年くらいだ。ミッシングリンクは埋まったな。
「じゃあ整理しよう」
俺は年輪と氷縞粘土の深紅と紫のバンドを年代順に並べる。
年輪の紫 :|| ーーーーーーーーーーーーーー ー
年輪の深紅 :|||| ーーーーーーーーーーーーーー| | ー
氷縞粘土の紫 :ーーーーー ||
氷縞粘土の深紅 :ーーーーー | | || | |
現在 -400
紫魔力 :|| ||
データは明らかに現在と400年前の2回、紫の魔力の発生を示す。
「決まりね」
「ああ」
後は遺跡の爪痕がアルフィーナの予言のイメージと一致すれば仮説の検証は完了だ。最悪の予測が裏付けられるというのはぞっとしないが、これで対策を検討する為の基盤が得られた。
と言っても裏付けられたのは400年前と一緒と言うことだけ。俺はじっと二カ所の魔脈の記録を見比べた。……あれ?
「…………」
「どうしたのリカルド」
「……いや、ちょっとした疑問なんだけどさ」
俺は現在と400年前、その二カ所の”深紅”の魔力を指差した。近年の方は、まるで先行指標のように、紫の魔力が表れる数年前に深紅の魔力が表れている。一方、400年前は二つはほぼ同時だ。些細な違いと言えば違いだ。
頻度は少ないが深紅はちょこちょこと発生しているのだから、単に偶然重なっただけかもしれない。
「氷縞粘土をもう少し過去まで調べよう」
俺は念のためそう提案した。どちらにしろ、貴重なサンプルからはなるべく多くのデータを引き出さなければいけない。メイティールとクレーヌは交代しながら黙々と測定を続ける。俺も淡々とクランクを回しては砂時計をひっくり返す。気が遠くなるほどそれが繰り返される。
600年前、700年前、やはり紫の魔力は現れない。
「あっ、800年前にも紫が出てるわね」
「周期的だな、400年に一度何かがあるのか」
「そうね、面白いわ。………………いえ、待って。これいつまで続くの」
「………………」
部屋は重い沈黙に覆われていた。測定を行なっているメイティールとクレーヌだけでなく、台をずらしているだけの俺の額にも汗が流れた。やがてサンプルが端まで移動しきった。
俺たちの目の前には2000年の歴史が明らかになっていた。その圧倒的な長さの魔力の変動を前に、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……次の災厄が400年前と同じ大災厄だって仮説。間違ってたな」
そして認めた。メイティールが首を振った。
「……むしろ400年前を大災厄と呼ぶことが間違いだった、でしょ」
魔導研究者にとっては垂涎のデータを前に、メイティールにいつもの元気はなかった。
「…………恐ろしい」
クレーヌが耐えきれないようにつぶやいた。その目はもちろん俺などではなく、並んだ感魔版に現れた絶望的な結果に向いている。




