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8話 三齢寝太郎

 魔獣の正体があのタイプの生き物だとしたら……。


 足早に廊下を歩きながら俺は考える。この予測が当たったら、災厄の魔獣の正体を根本的に問い直さなければいけない。最悪と言っていい生物カテゴリーだ。前世ちきゅうでは最も栄えていた動物群だ。個体数などは、人間のような哺乳動物とは比べものにならない。


 400年前の記録にある魔獣の群れという表現がそのまま、いやそれ以上の規模で発生する可能性がある。


「リカルド殿。どこまで向かうのですか」


 背後からリーザベルトが聞いてくる。手には蜂の巣を持ったままだ。そうだ、まずは検証だ。幸い方法はある。


「すいません。つきました」


 ドアの前には王国と帝国の騎士が見張りに立っている。取り次ぎを頼む。ドアが開くと、ダゴバードとクレイグが俺を見た。


「どうしたリカルド」「…………」


 二人の間には飛竜の領域の地図があり、2種類の駒が置かれている。まさか飛竜の領域の国境線を賭けて次期国家元首同士のチェスじゃないだろうな。


「お邪魔してすいません。ダゴバード殿下。あの幼虫……じゃなくて魔虫について早急に調べたい事が出来まして。解剖の許可が欲しいんです」


 ダゴバードはちらりとクレイグを見る。


「急ぎみたいだな」


 クレイグは机の上の駒を片付け始めた。


「全員着いてこい」


 ダゴバードも肩をすくめると部下達に指示を出した。検証の段階で大げさにされると困るんだけど……。まあ、アレをばらすなら人手はいるが。


「……なんですか。私たちはやっと仮眠を……」


 目をこするクレーヌが部屋のドアを開ける。


「ふぁあ……。夜這いじゃないわよね。昼だし。…………ああ、また何か思いついたのね。ちょっと待ってね、着替えるから」


 メイティールがあくびをしながら言った。針と虫眼鏡を貸してくれれば良いんだけど。


◇◇


「まずは何を思いついたのか説明した方が良いのではないか?」


 両国の首脳をぞろぞろと引き連れて廊下を歩く俺に、クレイグが言った。あまりに衝撃的だったので説明を忘れていた。


「この前戦った魔獣、いや魔虫なんですけど。変態じゃなかった変身を残していたというか」

「変身? 意味が分からん」

「要するにあれだけ苦労した魔虫ですけど、実際にはまだ幼虫に過ぎなかったんじゃないかって事です」

「何を言っているのか説明しろメイティール」


 あきらめた顔でダゴバードがメイティールに言った。


「私も解らないわよ。えっと、リーザベルト。何があったの?」

「はい、リカルド殿はこれを見た途端突然……」


 リーザベルトが蜂の巣をダゴバードに見せた。そうだ、丁度良い物があったんだった。


「まず蜂の姿を思い浮かべてください。体と足が節に分かれていて、足は6本で、呼吸は気管系を使う。これは昆虫という生物のカテゴリーの特徴です。そして、あの魔虫と共通している。ここまでは良いですか?」

「あの山で説明されたからな」

「では、この巣を見てください。この通り昆虫は成長段階で大きく姿を変えます。特に激しいのは完全変態といわれる形式で、幼虫と成虫で全く別種の生き物に変わります。芋虫と蝶の違いを思い浮かべてください」


 俺は蜂の巣を見せた。


「それくらいのことは知っているが……。つまり、あの魔獣もそうだというわけか」

「……アレが更に育ち…………翅を持つと言うことか」


 王子と皇子が理解を示す。


「はい」


 不完全変態昆虫の中にも、成虫と幼虫で大きく形が違う種はある。例えばトンボや蝉だ。この2種類は成虫と幼虫で生活圏が全く違うので、形状が大きく変化する。だが、それでも幼虫にも小さな翅はある。


 俺は倒された魔虫の背中に発達中の翅がないことを調べて安心した。だが、完全変態昆虫なら話は別だ。芋虫で解るように幼虫には翅の欠片もない。少なくとも見えるところには……。


「説明は解ったわ。でも、リカルドもアレを見たのは初めてと言ったわよね。あの魔虫がこの蜂と同じで、蛹になったり翅を持つという証拠は?」


 メイティールが疑問を呈した。俺の考えを疑うと言うよりも、どうも好奇心を刺激されているっぽいな。実際、ダゴバードの眉がつり上がった。


 完全変態昆虫の中にも、成虫が翅を持つのに飛べない蚕みたいなのもいる。幼虫の段階でそれを見分けるのは不可能だ。


 しかもあの魔虫はこちらの世界に来て長い時間を掛けて進化した魔虫。進化の過程で翅を捨てた可能性もある。だが、それらをまとめて見分けることは可能だ。


「あの魔虫が完全変態であることと、成虫が翅を持つことを証明する方法はあります」


 俺は一番育った蜂の幼虫を指差した。丸々と太った幼虫の体。その体内には将来の成虫が眠っているのだ。


◇◇


 蜂の幼虫を板の上に置き、ぶよぶよの白い体に鋭く研いだ針の先を走らせる。飛び出す体液に顔をしかめながら背中を割いた。体の大部分を占める消化管、絡みつく細い気管と葡萄の房のような脂肪。


 それらをよけると目当ての小さな組織が見つかった。円盤のような形のそれを慎重に針で取り出す。


「これに似た組織が魔虫の体内にあるかどうかを調べてください」


 俺は虫眼鏡をダゴバードに渡した。解剖した蜂の幼虫の左右に、小さな組織が並べられる。円形の組織が6、柄の太いしゃもじのような組織が大小2組だ。


 俺が見たことがあるのは前世の生物学実験の講義でのショウジョウバエの物だけだけど、同じだな。個体発生は系統発生をと言うやつか?


「同じものがあるんだな」

「無いことを願っていますけれど……」


 庭に引き出された魔虫の遺骸の背中に向けてダゴバードが剣を振るった。硬い外皮が開いていく。部下達も皇子を手伝う。クレイグ達も手を貸す。自分の屋敷の庭で解体ショーが行われているが、リーザベルトは動じずに水や布の指示を出している。


「……お前の言っていた物はこれだな」


 ダゴバードが円形の組織を置いた。クレイグとメイティールが興味深げに見ている。組織は一抱えほどもあり、同心円状の形態をしている。


「胸部の近くに左右に三つづつでしたか?」

「……ああ」


 間違いない足の……だ。これであれが完全変態であることは確定だな。


 俺はクレイグとメイティールに虫眼鏡を渡す。クレイグが礼儀正しくメイティールに譲り、メイティールが蜂の解剖結果を見る。


「もう少し背中側を探してください。多分ですけど、これと似た形の組織があると思います」


 俺は団扇のような形態の組織を指差した。ダゴバードは無言で作業に戻る。


 切り裂かれた黒い魔虫の体の周囲に組織の塊が置かれる。胸部に三対の円盤の様な組織。その横に二対の団扇上の組織。


 俺はその横に蜂の幼虫の解剖結果を置く。あまりに大きさが違ってシュールだ。


「…………蜂と魔虫で完全に対応しているわね」


 虫眼鏡を振ってメイティールが言った。


「…………動物の体にいろいろな内臓があるのは当然ではないか。見たことの無い組織だが、虫なら人とは違って当然だ。これが何だというのだ」

「はい。実はこれらの組織は、幼虫の内臓ではなく成虫の体なんです。正確には将来の成虫になる元の部分なんです」


 俺は説明した。完全変態昆虫は蛹を挟んで大きく姿を変える。では、蛹の中で新しい身体、例えば蝶の翅、が作られるのか。答えは基本的には否である。成虫の体の元は、蛹どころか卵の中で行なわれる胚発生の時点で形成されている。

 

 それが将来の成虫の体を作る組織、成虫原基イマジナルディスクだ。成虫原基は幼虫の間は体内で何もせずに成長を続ける。そして、蛹の間に幼虫の組織に取って代わるのだ。


「いつも通り聞いたこともない知識ね。じゃあ、6つあるこれが足だって言うの? ちょっとそうは見えないけど」

「これは伸びる前の形として格納されてるんだ。この同心円状の層が足の節一つ一つに対応する。えっと……」


 俺は蜂の蛹、中くらいの蛹を選んで解剖した。ドロドロに溶けた中から、円盤が中心を押し出したように延びている段階が見つかった。


「こんな感じに伸びます。で、問題はこっちです。このしゃもじ……じゃなくて扇子の様な組織。足よりも背中側に二対ありましたよね」


 俺の言葉にダゴバードが頷いた。


「将来の翅です。つまりこの魔虫が完全変態タイプの昆虫であること。成虫が翅を持つことはほぼ間違いないでしょう」


 俺は検証結果を言った。本当に、いやな予想ばかり当たる。


 ダゴバードとクレイグが顔を見合わせた。


「見たこともなかった魔獣の、更に成虫の姿を予想する。……こいつはどうなってるんだクレイグ」

「…………仕方がないな。リカルドは蜂蜜を商うのが本業だ。蜂の生態には詳しかろう」


 クレイグが肩をすくめた。ナイスフォローだけど、仕方がないというのは?


「くっ、くくくくっ。それは傑作。説得力抜群だわ」


 メイティールが声を上げて笑った。クレイグもそれに合わせて笑い。ダゴバードは憮然とした顔になる。


 クレーヌは明らかに引いている。幼虫を解剖しているときですら平気だったのに。


「冗談はともかく。……リカルドはこれが災厄の魔獣だと言いたいのだな」


 一通り笑い終わるとクレイグは言った。察しが良くて本当に助かる。でも、冗談というのは?


「可能性はあると思います。そうだとすると400年前の大災厄の伝承、魔獣の群れ、が誇張ではなく文字通りの意味になる危険性があります。竜よりも遙かに成長が早く、効率の良い繁殖をする可能性がありますので」


 幼虫ですら飛竜を食っていた。もし甲虫由来の魔虫だった場合、成虫の戦闘能力も桁違いだ。少なくとも防御力と移動能力は桁違いになり得る。


「でどうする」


 ダゴバードがいらだたしげに俺に聞く。


「この魔虫のコアは深紅です。紫の魔力を発生させる魔脈を求めて活動する可能性が高いです。現時点で飛竜山までは進出している。最低でも、飛翔能力を持った成虫がより広範囲に活動する可能性は警戒した方が良いでしょう。更にまずいのは、昨今の魔脈変動で紫の魔力がより広範囲に生じた場合です」


 俺はいった。


「まず、飛竜山から持って帰った魔脈サンプルの分析ね。飛竜山に紫の魔力がわき始めたのは何時か。昔からなら良いけど、昨今の魔脈変動と関連していた場合は……」


 メイティールが言った。


「帝国に紫の魔力が出てる場所が生じていないか監視する必要がある」

「無論王国もだ」


 ダゴバードが言った。クレイグも頷く。


「あの測定器の数は?」「今急いで増やしているわよ、クレーヌ」「はい、早急に……」


 メイティールを中心に慌ただしく対処方法を話し合い始める。


 俺の心は王都に飛んでいた。あの夜の聖堂の光景が頭に浮かぶ。王国にも一つ確実に紫の魔力を発する場所があるのだ。それは無論アルフィーナの水晶だ。


 水晶の使用を止めておいて本当に良かった。距離が離れているとは言え、魔虫の標的になった可能性がある。


 いや、油断は出来ない。魔脈の変動によっては水晶から勝手に魔力が放出される可能性もある。なるべく早く王国に戻りたい。魔脈の測定を急がないと。

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