3話:後編 究極の目的
「ヴィンダーの蜂蜜の商売は、フレンチトーストほど簡単には真似ることは出来ません。情報の秘匿も気を使っています。ですが、商売を大きくすればするだけ、情報はどうしても漏れやすくなる。ヴィンダーよりも大きな商人がうちが蜂蜜を作る方法に目をつける前に、準備をして置かなければいけません。というわけでベルトルド大公の話になります。大公閣下の出資には二つの利点があります」
アルフィーナが真面目な顔に戻った。
「……一つは、叔母上様が出資するお金それ自体ですよね」
「はい」
「もう一つは?」
「大公が出資しているという事実その物が生み出す信用です。大貴族出資の商会となれば、ヴィンダーは低い金利で資金の調達ができる、つまり借金競争で負けなくなります」
「理解できたと思います。あの、少し安心しました。叔母上様の提案はリカルド君たちにとって良いことなのですね。もしかしたら、叔母上のわがままに振り回されているのではないかと」
いや、十分振り回されてますよ、そう言いたいのをぐっと堪える。
「…………一つ聞いてもいいでしょうか」
アルフィーナはためらいがちに口を開いた。
「どうぞ」
「今のお話は、とてもわかりやすかったです。全てをお金に換算することで、いろいろなことが一つの流れとして理解できます。でも、その、お金が全てなのでしょうか」
「アルフィーナ様はどう思いますか?」
質問に質問で返すのは反則。だが、相手が自分の疑問を明確化できていない場合は必要なステップだ。俺はじっとアルフィーナの答えを待った。
「…………全てではないと思います」
「そうですね。お金が全てではないことそれ自体は当たり前のことです。例えば、お金がなければ食べれませんが、お金は食べられません。剣を向けられた時、お金を差し出しても命もお金も取られるだけかも知れない。お金で護衛を雇ってもその人物が信用できるかの判断をお金はしてくれません」
もしも万能の力というものがあるとしたら、人の能力と信用、つまり人間を見抜く能力だろう。言うまでもないが、お金を手に入れることよりも遥かに手に入れることが難しいものだ。
ウェブ小説でよくあるステータスオープン、マジチートなんだよな。だからそれは今は置く。
「この場合の問題は商売という限られた範囲の中で、お金が第一か否かです。商売とはお金でお金を稼ぐこと。では、商売の目的はお金を得ることでしょうか」
俺は問い直した。アルフィーナは自分の前にある、空の皿をじっと見た。俺は答えを待つ。もちろんこの手の問答に答えはない。さて、どんな答えが返ってくるか。
「そうではないと思います。私はフレンチトーストを食べて幸せでした。こんな美味しいものを作ってくれたリカルドくんに感謝しました。それは、たとえお金を払っていても変わらなかったと思います」
アルフィーナは汚れない瞳で言った。くそう、この娘は本当にぶれない。答えとしては反則だ。こんなこと真顔で言われた方はたまらないんだぞ。
「……ある意味で正解です。お金は手段であって目的ではありません。商売その物の存在意義は、フレンチトーストをお客さんに食べてもらえる状況を維持し続けることです。お金はそのために必要な手段と言い換えることも出来ます」
俺は動揺を隠すように言葉を綴った。経営学者ピーター・ドラッカーの教えだ。本当に西洋人かドラッカーさん。禅僧顔負けじゃないか。
「商売は人と人との間で行われるものですから。そこに、お金ではないものが行き交うことは当然です。お金はそれを媒介する。つまり、商売の目的が仮にお金でも、この世の中に商売というものがある目的はお金ではないということです」
「はい、よく分かります」
緊張の表情で俺の答えを待っていたアルフィーナは、表情をゆるめた。
「ただし、その曖昧なモノの中には、お金が儲かってウハウハだと言う私の欲望も入りますが」
「先輩は二流の策士らしく一言多いです。黙っていればいい話で終わったのに」
「最初から別にいい話はしていない。お金は大切だ」
お金が全てではない。だが、お金は明確な指針を与えてくれる。お金では買えないものがあるのは事実だが、それはお金よりも貴重なのだ。つまり、一般的に言えばお金すら稼げない人間に手に入れれるものではない。だから、俺はあえて付け加える。
「お金は手段です。でも、アルフィーナ様はお金が全てではないなどという、当たり前の正しさに騙されないでください。私のような金の亡者は往々にしてその手の正しさを武器に使いますので」
ミーアの呆れた顔を無視して俺は続けた。
「正しさに騙される。…………分かりました。気をつけます」
アルフィーナは真面目な顔で頷いた。だが、何を思ったのかすぐにほほ笑みを浮かべて俺を見た。
「でも、リカルド君に関しては私はそうは思いません。ミーアがフレンチトーストを食べている姿を見ていたリカルド君は、とても嬉しそうでしたから」
「そんなことはありません。フレンチトーストを食べるアルフィーナ様を見る先輩の顔など、とても見れたものではありませんでした」
二人の少女は益体もないことを言い出した。せっかく引き締めてるんだから、おかしな雰囲気を作るのはやめて欲しい。お菓子な雰囲気。…………いや俺もお菓子くなってるか。
「今日も少しリカルド君のことが理解できました。でも、リカルド君がここまで考える理由、目的は何なのでしょうか?」
俺がダジャレのゲシュタルト崩壊と戦っていると。答えにくい質問が来た。美少女に貴方の夢は何ですか、と聞かれる。とてつもない恥ずかしさが伴う質問だ。
ただでさえ俺の描いているのは、突拍子もなく、困難で、遠大な目標だ。つまり、他人が聞けば法螺にしか聞こえないのだ。
この世界の硬直した市場システムに柔軟性を与える。秩序による安定に偏りすぎたこの国に、自由による安定を加える。
具体的に言えば、この世界で総合商社を作る。だが、現代日本の資本主義の精華といえる巨大組織を、この世界で作り出すのはとてつもなく困難だ。俺が脳内で行ったシミュレーションでは、国一つ作るほうが楽だという結論が出たことがある。
そもそも、商会一つ作るのに一人の人間が一生を費やすタイムスケールだ。もし本当に俺が目指すものをつくり上げるには、資本だけでなく時間も絶対的に足りない。
では、どうするのか。十年考え続けて、何とか都市一つ作る程度にまで難易度を下げた構想がある。物でもサービスでもなく、商会そのものを売買対象にする、そういう概念を使う。
だが、それを説明するにはまずは株式というものを理解してもらわなければならない。
「聞いてはいけなかったでしょうか?」
アルフィーナが済まなそうな顔になっている。いや、そんなことはない。予定通りだ……。この次はリスクの説明をするつもりだったんだから。
「いえ、ただ、その疑問に答えるにはもう一つのお金の側面を説明するのが先なのです。リスクの話です。えっと、それは……」
まずは期待値の概念か。俺が例を考えようとした時、表で馬車が止まる音がした。
三文芝居が思ったよりも時間をとっていたらしい。
賞味期限がすぐ切れるカボチャ製ではなく、本物の馬車だ。下働き見習いはお姫様としてお城に戻っていく。逆シンデレラだな。
「では、続きは明日に……」
「先輩にとってとても残念なことに。明日はアルフィーナ様はお休みです。ちなみに、私と先輩も学院にいかなければいけません。館長から呼ばれていますから。次の講義は少し時間が開きそうですね」
「そうだった、あの爺め」
魔脈の測定のことで話があるからと、夏休みなのに登校を強いられているのだ。大方、新しい実験室を見せびらかしたいに違いない。興味はあるけど、もうちょっと時間に余裕がある時にして欲しかった。
「まあ、リカルド君たちも学院に行くのですね。私も今度の紹賢祭のことで四年生のヒルダ様に呼ばれているのです。学院で会えるといいですね」
アルフィーナは胸元で手のひらを合わせて笑顔を浮かべた。
「それは偶然ですね」
明日はいつもよりも何倍も言葉に気をつけよう。学院で間違ってフィーナなんて呼んだら大変なことになる。




