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7話:後半 黒い商談

「お久しぶりですな特使殿」


 小さい応接室に入ると、太った男が俺に言った。服装からして帝国の貴族だ。服装からして王国の商人である俺の記憶力を舐めるなよ。


「……確か、…………バイラル伯爵でしたね」


 なんとか名前を引き出した。クルトハイトの竜討伐の後に王宮で見た、帝国の公使だったはずだ。その後、リーザベルトを囮に帝国に逃げ帰った人物だ。あんまり良い因縁はないな。それを言ったらダゴバードもメイティールもだが。


「いえいえ、元伯爵ですな」


 バイラルは乾いた笑いを浮かべた。彼自身は伯爵本家の傍流で、公使の立場を実力で得たのだという。でも誰かさんが、色々とやったせいでその職を失ったと……。俺に何のようだ。まさか報復。


「バイラル殿の本家は帝都の北にある土地の管理者です。その、リカルド殿の求める商品の産地がそこなのです……」


 反射的に身を引いた俺に、リーザベルトが言いにくそうに説明した。俺が求めた商品、北のって何だろう。


「これをお求めと聞きましてな」


 バイラルがテーブルに厳重に封じられた壺を置いた。封を解くと、香ばしい芳香が立ち上る。


「あれ、この香り……」


 俺は壺の中に入った黒い物体を見て首をかしげた。間違いようのない特徴的な芳香はカカオだ。帝国ではカカウルスだったか。北にある帝国でどうしてカカオがあるんだと思ったけど、よりによってさらに北部。こっちのカカオはどうなってるんだ?


「ふむ、その様子ではこれが暖かい土地でなければ育たないことをご存じのようですな」


 しまった、読まれてる。


 バイラルが説明する。帝都の北に温水が沸く土地があって、そこで作られているらしい。温かい水は当然、小麦の生産にも使われる。生産量はかなり限られているようだ。


「さて、これを特使殿に差し上げるのはかまわないのですが、興味を持たれた理由をお聞きしたいですな」


 バイラルの言葉は贈答品に対するものだ。それじゃあ困る。


「いえ、私個人を超えてもっと……えっと、ちょっと待ってください」


 書類をあさる。あった、ミーアが作ってくれた王国の餡子需要の現在値と予測だ。今の餡子の需要がこれくらいだから……。


 俺は紙に餡子の予想需要を書いた。数字を見てバイラルの顔が歪んだ。いやいや、これは計算前の数値ですよ。


「そうですね、最終的にはこの3倍。出来れば10倍ほどは欲しいところです」


 チョコレートの潜在需要を考えれば10倍でも少ない。


「ははは、無理ですな。まさか苗木を売れという話ではないでしょうな」


 バイラルは幾分低くなった声で言った。交渉者が第一声から「無理」という場合、それは本当に無理な場合だ。


「とんでもない。大体今の話だと王国では育たないでしょう」

「では、小麦の生産をやめて全てカカウルスを植えろと」


 おお、それいいな。札束で顔をはたいて商品作物カカオのモノカルチャー経済にする。後は不可欠の主食の供給で脅しながら、その商品の価格をどんどん下げる。


 ……なんてことはもちろん考えて居ない。その方法じゃ経済規模が拡大しないんだ。


「今思いついたんですが、温水の効率的利用が出来れば増産は可能なのではないですか。具体的には温水の熱を段階的に利用する事です」


 俺は商人のように……商人として言った。


「……といわれると?」

「温水を管に通してその管を畑に埋めるのです。管に小さな穴を開けて水そのものはカカウルスの育成に最低限の量にする。仮に湿度が必要なら、管を半分埋める感じですか。そうして、カカウルスの畑を通った後の水を小麦畑に送り出す。小麦に必要な水の温度はカカウルスの畑を温め終わった後でも問題ないのでは?」


 いわゆる熱のカスケード利用。その農業版というわけだ。


「もう一つは、その温水が沸く地域の魔力の分析もやるべきかも知れません」


 恐らくだが、この世界にマグマはない。代りに地面の下には魔力源が存在する。地球ならコアに当たる魔力源があって、地球ならマントルに当たる魔力を通しにくい何かに囲まれていると想像している。山脈を作っている場所は


空気     山

地表   --◇--

マントル


 つまり、重みで上だけでなく下もマントルに深く沈んでいる。仮に魔力を通しやすい物質が山脈に含まれているなら、よりコアから近いのが山ということになる。それが魔脈の正体だというのが俺の仮説だ。


 魔力は普通の物質と殆ど相互作用しない。つまり、熱を殆ど生まない。だが、波長によっては僅かに相互作用するのではないか。あるいは、土地の中に魔力と相互作用する物質の量にかなりの差があるのかもしれない。


 例えば、マントルに当たる物が剥き出しになっているなら、そこに吸収された魔力が熱に変換されている可能性もある。


「小麦の生産を維持したままカカウルスの生産を拡大する、夢のような話ですな。ただ、その管をどうやって作るのか……」

「魔導金ですね。さびない、土に悪影響がない、穴の大きさや間隔を自由に変更できる。一度設置すればメンテナンス費用は最低限ですみますよね」


 俺はいった。バイラルが顔をゆがめる。


「どれほどの費用が掛るとお思いか」

「ですからこの需要の数値です。カカウルスは高級品だ。王国がこの量の需要を生み出すなら投資する価値が出る」


 俺は10倍の方の数値を指差した。バイラルがつばを飲んだ。さっきは全否定だったのに、今は迷いがある。


「本当にそれだけの需要があるのですか?」


 間違いなくある。だが、ただそう言っても説得力が無いな。確か帝国ではホットチョコレートみたいな食べ方をしてるんだった。ならば、対照的な食べ方を示してやれば良いか。


「機会があればチョコ……カカウルスを使った氷菓を紹介しましょう。それを食べていただければカカウルスの応用範囲が極めて広いと理解していただけるかと」

「それは楽しみですな。後は……。こういった知識を提供することでそちらのメリットは?」


 バイラルの表情が変わっている。多分、王宮で見たときはこっちだったんだろう。


「カカウルスそのものが欲しいというのはもちろんですが、王国と帝国の交易の拡大の為には、魔結晶や魔導金以外にも魅力的な商品が多く必要なのです。両国を行き来する産物の量が増えれば増えるほど、私たちの都市は儲かりますから」

「そうでしたね」


 リーザベルトが相づちを打った。


「帝国の最北に近い帝都と王国の間の交易量が増えるのは、交易全体の底上げに繋がります。経済的にはこれがメリットです」

「なるほど。そして政治的には……」


 バイラルがリーザベルトを見た。


「帝都やその近辺に存在する、王国との交易拡大を警戒する勢力への餌ですか」


 自分もその一人だろうにバイラルはいった。帝都が帝国を統制するための力はもちろん対魔獣の精鋭部隊を握っていることだろう。だが、もう一つは食料の生産能力だ。王国との交易が拡大すれば、帝国全体としては食料不安が消えても、帝都の支配力は陰る事になる。


「そこら辺はそちらの国内問題ですから……。まあ、全ては災厄を退けての話ですね。先ほど言われたように莫大な投資を回収するなら、長期的に安定した交易関係も必須ですし」


 俺の言葉にリーザベルトとバイラルの視線が交わった。


「飛竜山ではご活躍だったそうですな。帝国が隣にあっても手を出せなかった領域も、特使殿にとっては己の庭のような物、ですか」

「とんでもない、私は魔導師や騎士の後ろで震えていただけです。ダゴバード殿下とメイティール殿下のおかげで無事に帰ってきたようなものです」


 バイラルは肩をすくめると席を立った。「先ほどの氷菓、期待しておりますよ」といって部屋を出る。部屋の入り口までそれを見送る。太った背中が廊下の角に消える。


 リーザベルトが俺を見る。さて、次は何だったか。


「……そうだ負の魔結晶っていうのを――」

「先ほどの氷菓のお話はどうしますか。マルドラスで材料が揃うのでしょうか」


 リーザベルトが少しそわそわしながら言った。あ、あれ? 釣る必要の無い人が釣れてる?


「……そうですね。氷はありそうですね。砂糖はもってきていますから。後は牛乳とクリームと卵があれば……」

「確認しましょう」


 リーザベルトに引かれて厨房に行くと侍女が手に篭を持って入ってきた。確か、リーザベルトの側近のアンだったか。


「リーザベルト様。王国の使節の食事ですが、少し珍しい物が手に入ったのですが……あっ」


 アンはなぜか俺を見つけると困った顔になった。


「珍しい物とは? ああなるほど。これは特使殿には……」


 リーザベルトは苦笑すると篭の被いを取って俺に見せた。そこには褐色の段ボールのような物体があった。見間違いようのない蜂の巣だ。形からして養蜂じゃない天然物だろう。ちなみに、詰まっているのは蜜ではなくて……。


「王国では蜂の子を食べるのでしょうか……」

「えっと、私は……」


 俺は言葉を濁した。解っている。前世にほんでも山間部では食べるらしいし。ある意味エビみたいな物だ。カニなんてクモに近いって言うし。


 俺は巣の中にうごめく蜂の幼虫を見た。うねうねしている。よく見ると、幼虫がだんだん大きくなっていくようすが巣の中に綺麗に並んでいる。


 丸々と太った幼虫の隣には蛹。そして、その色がだんだん濃くなっていく。昆虫の発生段階の生きた標本だ。


 俺は顔を背けようとして、何かが引っかかった。待てよ、これって……。そうだ、あいつは……。


「完全変態だ!」


 俺は思わず叫んだ。


「突然何を!? 蜂の子を食べるのは、王国ではそこまでおかしいことなのですか」


 リーザベルトが困惑の表情になる。アンが俺に厳しい目を向ける。……自分の主人を変態呼ばわりされたと思ったらしい。


 もちろん、保身家である俺がそんな失礼なことを言うはずがない。あの魔虫について縁起でも無い可能性を思いついたのだ。


 じっと蜂の幼虫を見る。いや待て、あの魔虫にはちゃんと足があった。蜂や蠅、蝶や蛾のような完全変態昆虫の幼虫にはあんな立派な足は……。


 いや、あり得る。何かに似てると思ったけど、あの魔虫はテントウ虫の幼虫に似てた。テントウ虫は甲虫、甲虫も完全変態昆虫だ。


「すいません。これを貸してください」


 俺は言った。急いで今の仮説を検証しないといけない。

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[一言] 完全変態だ!wwww すれ違い面白すぎた
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