7話:前半 解析開始
最後の最後で酷い目に遭ったが、飛竜山からの帰路は順調だった。魔虫の死骸に占拠された馬竜車の中が酷く狭かったくらいだ。
マルドラスに戻った翌日、俺はメイティールの作業場所と化している食堂の隣の部屋に向かった。途中の廊下で、扉を守る異なる鎧の騎士が話している。
怪我の功名とでも言うべきだろうか、両国の騎士達の雰囲気は明らかに変わっている。クレイグとダゴバードも昨夜は酒を酌み交わしていたらしい。
次の災厄のため帝国と協力するという目的を考えれば良い変化だ。問題はその分、俺の責任がガンガン重くなっていくことだ。
俺に気がついて揃って頭を下げる騎士に、より深く頭を下げる。
今回の探索では貴重な馬竜を2頭失い、3人の騎士が負傷している。ちなみに負傷した騎士は二人が帝国、一人が王国だ。飛竜山まで足を伸ばさなければ出なかった被害だ。
そこまでした価値は、持ち帰ったサンプルからどれだけの情報を引き出せるかに掛っている。被害に見合う成果を出せという、ダゴバードの言葉が胸に重くのしかかる。これで仮説が外れてたらどうなる……。いや、客観的には次の災厄もいつもと変わらない程度の方が良いんだけど。
竜の群れという仮説が当たっていても俺も含めて誰も幸せにならないし。
「やっときたわねリカルド。ちょっと待って。……っと」
「いや、こっちが行きますから座っていてください」
机に手を突いて立ち上がったメイティールがひょこひょことこちらに来る。彼女の左足には包帯が巻かれている。帝国では足を挫いた程度は負傷に含まれないらしい。俺は慌ててメイティールに駆け寄る。
「大げさな」
「殿下、あれほどの無理を強いられたのですから。少しは自重を……」
クレーヌが諫める。強いたのは誰か言うまでもない感じだよな。イーリスの隙間からの視線の恐いこと。
「そう言えば、これ返しておかないと」
俺はメイティールから預かっていた指輪を渡そうとした。
「それはリカルドが持っていなさい。一種の身分証のような物だから邪魔にはならないでしょ」
「殿下それは……」
「リカルドはぱっと見平民にしか見えないからなおさらよ」
「平民にしか見えないんじゃない、平民なんだ」
「はいはい。じゃあ、帝国と王国の将来が掛った分析の相談を始めましょう」
俺の抗議を無視して、メイティールは本題に入る。仕方ない、これからの方針を決めなければならないのはその通りだ。
「私の考えではやっぱり魔脈の分析が第一ね。予定通りというのはちょっと面白みに欠けるけど」
初めて解析する氷縞粘土。そして年輪よりもずっと長期の記録を読み出さなければならない。しかも、特殊な紫光の魔力が絡んでいる。
「そうだな……」
ただ……。
「何? もっと面白いことがあるの?」
「いや、方針に異論はないんだ。次の災厄が400年前と同じ、つまり現在と400年前で同じような魔脈活動が生じていることを証明することが目的だからな」
やはり優先順位は魔脈だ。
「まずは方法が確立している年輪ですか」
クレーヌがいった。
「クレーヌの言うとおり手堅くいきますか。まあ、紫の魔力なんて物が絡むからそれでも一筋縄ではいかないかも知れないし」
「そうなんだよな……」
血の山脈、そして飛竜山に生じていた普通じゃないエネルギーを持つ魔力。そして、水晶の……。
「フルシーが居ないのがいたいわね。あの老人は測定方面に関しては化け物だし。ねえ、王国に連絡して、今から紫に反応する触媒の選別を進めた方が良くないかしら。あの爪痕を送るついでに手紙を送るのは?」
「それは、そうなんだけど……」
俺は言いよどんだ。王国で紫の魔力を使おうと思ったら、アルフィーナの助けを借りるしかない。
「先手先手を打つのがリカルドの信条でしょうに。過保護ね」
「と、とにかく紫の魔力についてはイーリスで一度解析してからにしよう。その方が必要となる要件も……」
「……まあいいわ。ちなみにクレーヌ。古龍眼の方はどうなっているかしら」
「古龍眼の巫女が後継を残せなかった時期の記録を集めるように帝都に指示を出しました。古い記録も徹底的に集めるようにと」
「どう?」
「助かります」
「ちょっと癪だけど、リカルドに貸しを作れる最大のポイントだもの。帝国の国益的に外せないわ」
メイティールはすねたように言った。俺に対する貸し程度で良いならいくらでも積み上げてくれ。
「いいわ、じゃあ方針としては魔脈の解析。年輪の測定をしながら、氷縞粘土の分析方法を模索するって事で良いわね。クレーヌはイーリスを増やすことを急いで。帝国の魔脈測定は急いだ方が良さそうだから。紫の魔力を発していた飛竜山は遠いけど、最近の魔脈の不安定さを考えると油断出来ない」
「解っています。……私の故郷は東部ですから」
バタン。
突然、部屋のドアが開いた。仮にも皇女のスペースに、黒い服の男がのしのしと入ってくる。
「リカルド・ヴィンダー。あの魔獣の死骸の扱いについて話がある」
「あっ、やっかいなのが来たわ」
メイティールが肩をすくめた。
「メイティール、言いたいことがあれば言え」
「わざわざ呼びに来るなんてね、と思っただけ。まあそうよね、リカルドの知識の力を目の前で見せつけられたら、そりゃねえ」
「あくまで必要と帝国の利益に基づいてのことだ。そもそも、アレを持ち帰ったのは……」
「そうでしょうとも。まあ仕方ないから今は貸してあげる。そうだ、馬竜の制御について魔導銀の回路を使ったアイデアがでているの。後で話すわ」
◇◇
黒い魔虫の死骸は、庭の小屋に置かれていた。山から運ばれた雪が敷いてある。やけにちゃんと保管されている。
「アレを」
ダゴバードは側に控えていた部下に合図した。部下が黒い布を広げる。そこには一つの魔結晶があった。
「この魔獣のコアは深紅の魔結晶だ」
「……なるほど」
山で見たときは色が濃いなと思ったけどやっぱりか。紫の魔力と関係しそうだな。深紅の魔力は普通の赤い魔結晶を充填できて、紫の魔力は深紅の魔結晶をって感じか。
「飛竜山は帝国から遠い。そこにどんな強力な魔獣がいても帝国の害ではない。実際、帝国では出現したことがないタイプの魔獣だ」
「そうですね」
俺は控えめに相づちを打った。
「ふん。その特殊な魔獣の弱点を見抜いた事については色々聞きたいことがあるがな。まあとにかく、帝国にとっては直近の脅威とはならぬ魔獣だ。そして、そちらにとっては……」
ダゴバードは探るような目を向けてきた。
「飛竜を駆除したい俺にとっては味方とも言える存在かも知れない、ですか?」
飛竜を食ってくれる上に飛行能力はないから新都市付近には来ない。いわゆる”益虫”というやつだ。仮に大発生して飛竜を食い尽くしてくれれば、新都市の建設はどれだけ楽になるか解らない。
「一つは、これを見たときの殿下の懸念と同じだと思いますよ」
俺は深紅”らしい”魔結晶を見ていった。
「帝国の魔脈の奥では深紅の魔結晶が取れる場所がある。仮にあのタイプの魔獣、魔虫と呼びますか。魔虫から深紅の魔結晶が生まれるなら。過去にはあの魔虫が帝国の領域にも生息していた事になる」
ダゴバードが苦々しげに頷いた。
「もう一つは、飛竜山に元々魔虫が生息しているなら飛竜がのうのうと暮していけたのかという疑問です」
「……つまり、新しく現れたということだな。恐らく絶望の山脈から」
「はい。あの紫の魔力がもし次の災厄に関係しているのなら、無視できない現象だと思うんです……」
現時点では解らない事だらけの未知の魔虫だ、どう分析した物か。これに似た虫が前世でもいた気がするんだが、それが思い出せれば……。
俺とダゴバードの視線が小屋の中の巨大な昆虫に向けられた。
「リカルド殿。新しい交易についてお話が……」
俺たちの背中から声が掛った。振り向くとリーザベルトと一人の太った男が立っている。
「今はそんな些事にかまっている場合ではないのだがな」
ダゴバードがリーザベルトを睨んだ。いや、そっちが俺の本業だけど……。




