6話 王都の窓
「どうぞトリット様」
侍女の”方”が私の前にいつものカップを置いてくれる。王女殿下の私室に自分専用のカップがあるのに慣れてきた事に、少し危うい物を感じる。慌てて「ありがとうございます。カトレア様」と深めに頭を下げる。
確か大公閣下のお屋敷に行儀見習いに来ているどこかの貴族の三女だったはずだ。ここ以外の場所で会ったら、私は頭を上げることすら許されないはず。
ちなみに情報を教えてくれたのはシェリーだ。「……私たちはヴィンダーに毒されちゃ駄目だから!」と言っていた。というか、そういうことにならないように、普段は私たちで済ませるんだけど。
ちなみに今日の作業の参加者は私とシェリーにナタリー。珍しくミーアがいない。慣れていないナタリーは緊張しながらも、なんとか冷静さを保っている。ただ、もの言いたげに私の顔を見る。シェリーの視線が窓際に向かっている。心配そうだ。彼女の流儀だと本来なら別世界の住人に感情移入するなんて危険なはずなんだけど。
大きな窓から遠くの空を見ている一人の女性。この部屋の主でこの屋敷の主の姪。国王の養女で予言の巫女姫、救国の聖女様。
光が自らまとわりついているような青銀の髪。華奢な体に小さな顔ととがった細いあご。全ての肩書きを外しても、神聖ともいえる美しさは変わらないだろう。ただ、今その心中にあるのは多分年頃の女の子の悩みだろう。
そう思うと、思い切って横に並ぶ勇気が出る。細くて長いまつげの下に愁いをたたえた瞳。視線の先が北であることを考えれば、美姫が誰のことを想っているかなど言うまでもない。
私としてはミーアの味方をしなくちゃいけないんだけど……、こんな様子を見せられちゃ放っておけない。
「アルフィーナ様。お茶の用意が出来たみたいですよ」
「…………えっ、あ、ごめんなさいぼっとしていて。ありがとうリルカ」
「いえ、ヴィンダーのこと心配なのは解りますから」
私がそういうとアルフィーナ様は驚いたような顔になる。いや、身分に天と地の差があっても、女の子同士だし。だいたい、ヴィンダーが無茶と無謀だけで出来てることはここにいる全員が知っている。
「本日は蕎麦を混ぜた生地でアンコを包んで蒸し上げたものになります。抹茶と一緒にどうぞ」
茶褐色の小さな円形のお菓子が深い緑の葉のような形の皿に乗っている。中身はコシアン。蕎麦入りの力強い生地が、アンコのこくのある甘さとあっている。生地がしっとりしているのは蜂蜜も使っているのかしら。とんでもない贅沢なのに味が素朴で見た目も地味。商人としての感覚がこれは商売にならないと告げる。
……蕎麦とアンコって合うのね。
絶対にヴィンダーの好みが入っている。あの男の甘さに対する感覚はおかしい。普通はこんな思い切った使い方はしない。まあ、その無茶をなんとかしてしまうナタリーもすごいんだけど。
というか、私たちはもちろんアルフィーナ様や大公閣下でさえ驚くアイスクリームを食べて「おっ、まあまあうまい」程度の顔しかしないあいつはどうなっているのだろうか。
「美味しい。ありがとうナタリー。大丈夫ですか。叔母上様から代金を受け取っていないのですよね」
アルフィーナ様が心配そうに言った。
「商品候補の試食をお願いしている様な物です。それに、材料も皆さんから提供ですから」
ナタリーが私とシェリーを見ていう。
「まあ、二人ともありがとうございます」
「とんでもないです」「そ、そうです。もったいないです」
私とシェリーが慌てた。王女殿下への遠慮ではない。ヴィンダーが蕎麦粉を使った料理を流行らせようとしているという情報の価値に比べれば材料費なんて誤差だ。第一、アルフィーナ様はヴィンダーの株主だから。ある意味アルフィーナ様のもてなしだ。
「えっと、ナタリーも大変よね。これだってヴィンダーの指示でしょ。いない間も新商品を開発…………あっ」
シェリーが失言した。
「ふふ、シェリーもリカルドくんにはずいぶんと頼りにされてますから、それで分かるのでしょうね」
アルフィーナ様が微笑む。シェリーが青くなる。牽制とかじゃないでしょうね多分……。ただ、アルフィーナ様がヴィンダーに振り回される私たちをうらやましがってるのは確かだ。もちろん経済的に得られる利益の事ではなくて。どんだけ惚れられてるんだか。
「わ、私は……えっと、帝国に行く前にいきなり抹茶を用意してくれって頼まれて大変でしたから……」
「まあ、ミーアからはあらかじめ用意してくれてて助かったと聞いていますよ」
ヴィンダーに適応したとも言える。帝国にまで抹茶の宣伝をしてくれるという意味もある。野菜を扱っていたベルミニが、国外輸出となると大変だろうけど、新都市に絡むにはそういう品を持たなければならない。ウチはどうするかが悩みの種なのよね。
一度「生でも食べられる卵があったらな」なんて言葉を聞いたことがあるけど、あんまりにも無茶よね。
ちなみに、あの食料ギルドの会合まではウチの親父もシェリーの父親もヴィンダーを警戒していた。多分、逆玉の輿を狙う成り上がりみたいな感じで。今となっちゃ笑い話だ。
「リ、リルカはどうなのかな」
考えて居るうちに、幼馴染が私を売った。
「私は特に頼まれていないけど。相変わらずミーアのことを働かせすぎとは思うけど。あっ、アルフィーナ様はよくご存じですよね」
実は気になるのが同じ屋敷に住む二人の関係だ。アルフィーナ様のことだからミーアを追い出したりしないと思うけど……。
「ミーアがいなければヴィンダー商会は立ちゆかないでしょう。部屋を訪ねる度に書類が増えてるのが心配です」
アルフィーナ様の言葉にほっとする。こういう方だって知ってたけど、アレが絡むと人が変わる娘は多いから。まあ、私もシェリーもヴィンダーのせいで忙しすぎてそういう話が全くないんだけど。まあ、今ここでこうしているという話が広がれば、候補者だけはいくらでも増えるだろうけど。
「といっても私も人のことは言えないかも知れません。ミーアには色々と教えてもらうことも多いですから。私にとっては頼りになる妹みたいな感じでしょうか」
一瞬、テーブルの空気が凍りかけた。そんな意味じゃないとは思うけど。いえ、深読みしたらそういう立場なら受け入れるって事? シェリーも困った顔。ナタリーに至っては完全に表情を消してしまった。
「ナタリーはどうですか。リカルドくんのことどう思いますか?」
黙っていたナタリーに矛先、じゃなくて水が向けられる。彼女の視線が左右に揺れる。
「私はいわばヴィンダーの使用人ですから、雇い主に関しての評価はご容赦ください」
あっさり切り抜けた。もしかして一番の大物?
「……ヴィンダーは無事にマルドラスまで着いたんですよね」
シェリーが言った。そう連絡が入ったことは聞いている。王太子殿下が一緒なので何かあったら国家的な問題なのだ。
「そ、そうですよ。案外今頃はお土産とか選んでたりして」
そうね、お土産という名前の次の商売の種とか……。全員が微妙な笑いを浮かべる。今のキャパシティーを考えたら笑えないのだ。だが、アルフィーナ様は顔を伏せてしまった。
「あ、あの。アルフィーナ様。出発前にヴィンダーと何かあったんですか?」
出発前に二人の様子がおかしかったのは、全員が気になっていた。
「…………私はリカルドくんに酷いことを言ってしまったのです。ですからきっと……」
アルフィーナ様がこの世の終わりみたいな顔になった。私たちは初めてヴィンダーが北に向かう前の会話を知った。
「ヴィンダーが悪いわ」
「そ、そうね、ヴィンダーが悪い」
「……私もそうだと思います」
全員が一致した。さっき雇い主の評価は出来ないと言ったナタリーまで、拳を握りしめて断言した。なんて的確に女の子の心を逆なでするのか。保身とは無縁のやつだと解ってるけど、これってもう芸術の域でしょ。
もちろん、ヴィンダーがアルフィーナ様のために無茶をしているのは知っているけど。
「それに、その前にも……」
アルフィーナ様がぽつぽつとそれ以前に聖堂であったことを話してくれる。なんだちゃんと……じゃない!
それってつまりヴィンダーに襲われかけた感じ。いや、どう考えてもお膳立てだけど。とんでもないことを聞いてしまった。そんなことまで話してくれるのは嬉しいのもあるけど……ああ。
全員が視線を交わす。このことは絶対に口外禁止だと無言の協定が結ばれる。
「私がお役目の方を優先したから……。でも、その後も同じ屋敷にいるのに……」
やっとアルフィーナ様の口からヴィンダーへの不満が出た。逆に場が和んだ。お姫様、それも救国の聖女なんて言われていても普通の女の子だよね。
「そ、そういう場合にはその……。別の口実でお誘いになるとか」
シェリーが危険なラインを割り込んだ。テンパっているのかしら。でも、誰も止めない。
「予言の事で恐い夢を見たという作戦は……」
「えっ、そ、そんなお役目をその利用するようなことは……」
ナタリーまでアイデアを出す。その作戦はかなり有効ではないだろうか。もっとも、アルフィーナ様の性格上無理だと思うけど。というか、私たちはなんて話をしているんだ。
「リカルドくんがマルドラスに無事着いたという報告を聞いてほっとしたら、今度はメイティール殿下やリーザベルト殿下と一緒に……そんな心配をしてしまう自分が…………。あっ」
アルフィーナ様が真っ赤になった。自分が言っていることに気がついたらしい。
うんうん、ヴィンダーが悪いから安心してくださいアルフィーナ様。私たちは頬染めたアルフィーナ様を温かい目で見守った。
その、私はミーアの味方だけど、でもアルフィーナ様も……もう友達だから。
「……では、作業の続きをしましょう。少しでも早く効率的に視察を終わらせるために。情報の整理が必要です。皆さんの協力をお願いします」
落ち着いたのかアルフィーナ様が言った。女の子同士のお茶の時間は終わり。これからはまた、大事な……下手をしたら国の運命が掛った作業の再開だ。南から戻られたアルフィーナ様が西方に向かわれる前に、私たちが知っている普通の人たちの暮らしや、貴族の屋敷とは離れた場所などをアルフィーナ様の予言と付き合わせる。
「少しでも早く聖堂に戻って、水晶から一次情報を引き出さなければなりません」
ただ、それがヴィンダーの望んでいる方向とずれている気がするのが少し気になる。まあ、ヴィンダーもアルフィーナ様に止められても危険な魔の土地に行く。色々事情や理由があっても、第一にお互いがお互いのために。
そういう意味ではお似合いでしょうね。危ういから、私たちが助けられる程度の……無理ね。
「まずは、災厄に映る光景が高い場所を中心にしているという仮説に基づいて……」
アルフィーナ様が方針を告げる。それにしても一次情報に仮説か。王女殿下の口から出てくる言葉じゃないわね。もともと聡明な方だけど、もし商売相手だったら手強いんじゃないかとすら思う。
まあ、それも大概がヴィンダーの影響なんだろうけど。




