4話:後半 年縞堆積物
自然が作り出す年周期、つまり季節変動により湖底に作られる層構造を【年縞(堆積物)】という。例えば湖は春から秋にかけて植物性プランクトンが繁殖し、冬には減る。この結果湖底にはプランクトンが多い層と、少ない層が交互に。この2つの層で1年だ。樹木の生長が季節で違うことが生み出す年輪と原理的には同じ、いわば湖の年輪だ。
日本には年縞として世界で一番有名といっても良い福井県の水月湖があった。周囲を山に囲まれ、河川の流れ込みの影響がない地形が生み出した常識外れなほど長期の年縞。何と7万年分。しかも一年の欠けもない。文字通り奇跡と言うにふさわしい。
単に日本の過去の気候変動のデータを提供したのみならず、そこに含まれる放射性同位体の分析により世界の年代測定の標準を提供したほどだ。
もっとも、今俺の目の前にあるのは年縞堆積物という意味では同じでも出来方が違う。いわゆる氷縞粘土、氷河湖に特有の年縞、で氷河が夏に多く溶け冬に殆ど溶けないパターンが作り出す。
「季節によって湖に流れ込む氷河の量が違うのね。それがこの層を作る……。それで、氷河には……あっ!」
メイティールがはっとした顔で断崖の上を見た。俺には見えない魔力が彼女には見えているはずだ。
「そう、この湖に流れ込む氷河は、上にある魔力の噴出口を通過する。氷河に削られた岩の欠片と一緒にね。思い出して欲しいのは、あの魔力触媒の培養だ。魔力触媒の元は土壌から得られた培養液だ。つまり、魔力でマークされる要素は存在する可能性が高い」
本来なら氷河の粘土自体は年を区切るための印に過ぎなくて、情報としてはその間に挟まった花粉などの生物データが重要かも知れない。だがこの調査では粘土自体が本体だ。
最初にボーリング調査を思いついた時は氷床コアの採取を考えていた。だが、南極など大陸に降り積もるのと違って氷河は流れる。その上、得られるサンプルは大気中のデータが大半。つまり、この氷縞粘土の方がサンプルとして格段に優れている可能性がある。
もちろん、その間に大規模な地形や気候変動があったら記録にブレや欠落が生じる可能性はある。まあ、水月湖みたいに7万年なんて高望みはしないが、せめてその100分の1以下、500年データが欲しい。さっきの試し掘りで50センチ、100年分だ、期待は出来る。
「年輪よりも長期間の、密度も高いデータが期待できる」
「……500年間の魔脈の記録!?」
いつの間にか近づいてきていたクレーヌが固まっている。
「全く、氷河なんて王国にはほとんど無いでしょうに。どう、クレーヌ。リカルドは桁が違うでしょ」
「し、しかし、逆に最近のデータが取れないのでは」
クレーヌが氷河を指さした。そう、今年はもちろん、過去何十年分物のデータがまだ湖に到着していない。
氷河の魔力噴出口からここまで三百メートルくらいか。確か氷河の移動速度は年間で数メートルから数十メートルだった。仮に五メートルとして最近60年分のデータはまだ氷に閉じ込められたままだ。氷河に印を付ければ一年の移動距離は解るけど、最低一年かかる。
「それに関してはここの樹木からの年輪を使う。第一、一番重要なのは400年前の魔脈の活動記録だから」
「でも、そもそも何年前からのデータがあるかも解らないわよね」
「そこら辺はあの遺跡にあった建材を使いたいと思っている。建設に使われた樹木から取った年輪データを使えば、あの都市が滅びた前の数十年分の記録が取れる。それを当てはめられる場所を探す。もちろん、厳密な比較なんて不可能だけど、近年の魔脈活動みたいに特別な波長なら特異性を確保できる」
「……そうね、深紅ですら珍しいのにさらに高い波長側なら……。ふふ、面白いわ」
「ほ、本当に上手くいけばですけれど」
「ま、まあ確証は無い。あと、その良いサンプルが採れるかどうかはそちらに頼りっきりになってしまうけど……」
俺は頭をかいた。例えば氷河湖には数十年前の魔力噴出口の岩の粉だけでなく、今年の赤い樹木の葉や花粉などが閉じ込められている。そういう意味では、色々ノイズが多いのだ。
ただ、何というか事が大きくなりすぎてるな。王太子と皇太子の護衛で、皇女にサンプル採取。確証は無いと言ったけど、これで何もなかったら本当に俺の保身がやばい。だが、水晶と同じ波長を見て放置は出来ない。
「冷たい水でちょっとひるんでたけど、徹底してやるわよクレーヌ」
ワクワクした顔でメイティールが湖の方に戻る。クレーヌも黙って頷いた。後は彼女たちに期待だ。後は分析方法だけど……。
いや、捕らぬ狸のだな。俺は手動で年輪を増やそう。
そう思った腰を上げた時、たき火の周りがざわつき始めた。周囲の森を警戒していた馬竜騎士がダゴバードの方に駆けていく。呆れたことにその一騎の後部席にはクレイグがいる。
「魔獣接近。全員騎乗!」
ダゴバードの声が響いた。俺は反射的に空を見上げた。
「森の方よ。結構大きいわ。クレーヌ。一旦作業を中止するわ。馬竜車に集合。リカルドもこっちに」
メイティールが魔導杖を持って戻ってくる。俺は慌てて車の方に向かった。
「油断するな。これは大物だぞ」
ダゴバードが槍先に魔狼のようなものを串刺しにしていった。まるで銀狼のような白い毛皮だ。体も大きい。遺跡の前で出くわしたのすら王国ならボスクラスなのに、その更に上か。流石魔獣の本拠地、血の山脈の近くというわけか。
「ダゴバード、飛竜にも注意しろ」クレイグの声が響いた。上空に数匹の飛竜が現れた、額の魔結晶がまがまがしく輝いている。燃料満タンだ。
陸空の同時攻撃とは。まさか、連携してるんじゃないだろうな。
「おかしいわ。今出てきたやつ怪我しています」
螺炎を放って竜騎兵の援護をするクレーヌが警告する。今森から飛び出してきたばかりの銀の魔狼。その白い毛皮が赤い血で汚れている。
次の瞬間……。
ジャギィィーー!
ひび割れた鳴き声が森の奥から響いた。その瞬間、魔狼達はダゴバード達を避けるように迂回して一目散に逃げ出す。馬竜車の側を駆け抜ける狼たちは、俺達に見向きもしない。
空でも、飛竜が急旋回して山の向こう側に去っていく。一瞬の戦いの空白が生まれた。
「なに……、この魔力の感じ……」
メイティールが背後の森を振り返り、びくっと肩をふるわせた。
同時に、大木の影から何かが飛び出した。木々の赤い葉の隙間を巨大な黒い物体が移動する。大きさは羽を広げた飛竜くらい。縦に長い。それは身軽に樹木にとりついた。隆起のような棘の着いた黒い鎧が体を覆う。側面には黄色い斑点のような模様がみえる。木々の合間から見えた腹部は蛇腹のようだ。
謎の黒い魔獣は、その口に血だらけの魔狼の足をくわえていた。続いて同じような魔獣が二匹、俺達とダゴバードを分断するように飛び出した。一匹の口からは飛竜の翼らしき物が飛び出している。
よく見ると、キザキザの口は左右に割れている。
「あの魔獣、今までのと全然違う生物の……。メイティール」
見たことの無いボディープランの魔獣。メイティールもクレーヌも首を振る。彼女たちにも未知。でも、アレはどう考えてもここの頂点捕食者だぞ。




