2話 自分の目で直接
前日の和気藹々とした厨房とは一転した会場の空気が肌を刺激する。場所は領主館の一番広い部屋。会議室と言うよりも大きな応接室だ。部屋の周りはびっしりと黒衣の帝国騎士に取り囲まれ、窓の外には馬竜に乗った騎士まで巡回している。
王国と帝国の今後の関係を決定づける重要な会議が開かれているのだから当然の警備だ。普通は会場の側に責任があるのだから。ただ、部屋の小ささがその威圧感を全く希釈できないのだ。そう信じたい。
部屋の中央に置かれた大きな正方形の机に双方の交渉担当者二名ずつと、オブザーバーが一人。
国家の位置関係通り、机の北側にはダゴバードとリーザベルト、南側にクレイグと俺だ。オブザーバー役のメイティールは西面に座っている。最低難易度の間違い探しの絵面だな。着席者の中に一人のけもの……仲間はずれが居ます。
ちなみにクレイグの副官とファビウスは壁際に控えていて、メイティールの背後にはクレーヌが居る。この三人を加えても間違い探しの答えが変わらないという……。
正方形の机に広げられた二枚の地図は対照的な色合いだ。右側はぼろぼろで茶色にすすけている。かなり古い物なのだろう。停戦交渉の後、帝国から提供された地図よりもはるかに詳しい。多分400年くらい前のじゃないかな。
左は、つい最近完成した物だ。俺たちが上陸したセントラルガーデン予定地からここまでの経路周囲について実地で作成されている。
第一騎士団からの参加者の一人がファビウスと協力して作った。そう言えば第一騎士団は戦場設定に関しては傑出した能力を持っていた。
「協定ではなく、帝国と王国が同盟を組んで魔獣に当たる。その理由がそちらの予言という話だったな」
挨拶も無しにダゴバードが第一声を発した。その表情には感情を読み取らせるようなものは何もないが、少なくとも侮りはないか。
「予想される災厄の規模を考えると、王国に限定されるとは考え辛い。共同で対処する必要があるというのがこちらの考えだ」
クレイグが言った。二人とも初っぱなから飛ばしている。スピード重視の俺としては良い傾向だ。この交渉に関しては、それが出来るだけの前提はあるのだ。
アルフィーナはこれまで王国を襲った幾つもの災厄を完全に予想して見せている。予言の信憑性自体は帝国も認めているはずだ。次の問題は、王国がその予言を正確に伝えると帝国が信用するか否かだが、王太子自ら危険な領域を超えて来たことが信頼性を担保する。
もちろん一般的な意味での信用という意味ではなく、そこまでやる理由があるという事。つまり、相手にしてみれば「王国必死だな」という事なのだ。これは交渉においては弱みだ。
「それはどうかな。帝国の魔脈活動は低下傾向。反対に王国の魔脈活動は活発化の傾向にある。これまでのうのうと過ごしてきた王国に順番が回ってきたのではないか?」
案の定ダゴバードが指摘した。当然の考え方である。次の問題はお前達も一蓮托生だと理解させることだ。クレイグが俺を見る。
「王国では次の災厄を大災厄と称しています」
俺も初っぱなから結論を告げる。
「大げさな言い様だな。王国は小規模な魔獣の群れや竜1匹を災厄と称するのだろう。その基準なら帝国は毎年大災厄に襲われていることになるな」
ダゴバードが片頬をつり上げた。ただし、目は笑っていない。
「現在の王国と帝国の領域に跨っていた古代国家、ご存じですよね」
ダゴバードの表情が厳しくなる。例えばだが「王家こそがその国家の正当な後継者である、したがって帝国の領域も本来は王国の領地である」みたいな話に繋がりかねない爆弾だ。無論逆もまたしかり。
どちらが本当か解らないし、どちらが本当だろうが、どちらとも本当だろうが、どちらも嘘だろうが収拾が付かなくなるテーマだ。王国と帝国の中間に都市を造ろうという俺にとっても出来れば触れたくない。
「その国家は約400年前に滅びた。いや、大災厄によって滅ぼされました」
俺は敢て平静な声で言った。ダゴバードの表情を見ながら続ける。
「そのときと同じ”竜の群れの襲来”が生じるのではないかというのが、我々の仮説です」
ダゴバードは驚かない。クレイグがある程度説明しているからだろう。先を続けろと顎で促す。
「王国と帝国で共同開発した魔力の波長測定器イーリスにより、王国で近年、異常な高魔力が生じていることが判明しました。この高い密度の魔力を、魔結晶に合わせて深紅の魔力と呼びましょう。これは次の災厄がこれまでの物とは違う事を示していると考える根拠です。そして、魔脈が沈静化している帝国でも同じ事が起こっているのではないかというのが我々の予想でした」
まるで学術発表の様だなと思いながら俺はいった。そして、メイティールとクレーヌを見る。
「メイティール殿下のご指示で同じ測定装置を組み立て、我が魔脈の測定をしました。マルドラス周辺の魔脈に僅かですが深紅に対応する魔力の発生が確認されました」
クレーヌが言った。帝国が自ら確認した、これが大事なのだ。
「ダゴバードもある程度解ってるんじゃない? 帝国の魔脈活動。つまり、魔力の総量は確かに低下している。それに伴って魔狼みたいな普通の魔獣の害は大幅に減ったわ。でも、竜のような強力な魔獣の頻度はそんなに変わっていない」
メイティールの言葉に、ダゴバードが顔をしかめた。なるほど、強力な魔獣に対する最精鋭部隊が半減した今、それを一番実感しているのが目の前の男か。
「というわけで、大災厄の予測が当たった場合、被害が王国に限定される可能性は低いでしょう。400年前の災厄の被害は王国よりも帝国の方が酷かった、そう聞いていますが」
俺は言った。ダゴバードはメイティールを睨んだ。
「この男にたらし込まれたのではあるまいな」
「あら、仮にたらし込まれたとしても、魔導に関して嘘なんか言わないわよ」
ダゴバードの牽制を、メイティールは微妙な言い方で躱した。おかげでダゴバードとクレーヌの視線が再び俺に突き刺さる。
「コホン。もちろん現時点では仮説に過ぎません。根拠は先ほど示しましたが、我々自身が確証を持っていない仮説を信じろと言うつもりはありません。我々がここまで来たのは、この仮説を検証するためなのですから」
俺は茶色の地図の北方を指差した。そこには平原にポツンとそびえる山が書かれている。
「400年前の大災厄で滅びた都市の痕跡の調査。さらに、魔脈の中心地である血の山脈に接近してその魔脈の測定を行なう。具体的には飛竜山の麓にあるという都市の遺跡調査を計画しています。最初に言いましたけど」
俺はしれっと付け加えた。帝国の無理難題を、中継地点扱いしたわけだ。案の定、ダゴバードとリーザベルトが顔をしかめた。
「で、ここからは提案なんですけどそちらからもこの調査に参加しませんか? 帝国にとっても自分達の目で確認した方が良いでしょう」
言ってみれば一緒に共通の敵の偵察に行きましょうという提案だ。先ほどの魔脈分析と同様、あくまで自分の目で確認させる。俺たちが単独で調査するよりもずっと早くて、説得力があり、こちらにとって安全だ。というか、それが成功したら対魔獣の同盟はすでに動き出したとすら言える。
「……飛竜の領域の領有を狙う王国にとって、最大の障害である営巣地の調査は必須。この提案はそれを我らに手伝わせようというのでないか」
「否定はしないが。政治的には帝国と共同の形の方が将来の選択肢を柔軟に採れる。王国だけで飛竜の領域の最奥まで探索を行なえば後が色々とややこしいことになるからな」
クレイグが言った。未知の土地の探索とは領有権の主張でもある。王国だけで最奥まで探索してしまえば、将来的に領域全ての領有を主張しなければならない。現時点の王国に飛竜の領域全土の管理など出来るわけがない。それは、俺の新都市構想にとって困る。
ダゴバードはクレイグの言葉が終わると目をつぶった。こちらの存在が消えたように、一言もしゃべらず思考に沈む。俺がやったら馬鹿にしてるのかと言われること必至なのに、なんでこんなに似合うのだろう。
「お前の利益は何だ。リカルド・ヴィンダー」
ダゴバードが目を開くと俺に視線を移した。名前を呼ばれたのは初めてだろうか。
「利益……ですか?」
俺は尋ね返した。冷静なのは良いけど、この人は寡黙すぎてコミュ障の俺には困る。
「お前はどんな戦場を用意して、どう戦い、どう勝つつもりかと言うことだ。王国が作る先物市場と都市は、王国商人にとって有利な戦場に帝国を引きずり込むと言うことだろう」
ダゴバードは言った。ああそっちの話になってるのか。商人相手に戦場のメタファーでしゃべるのはやめて欲しい。……ある意味あってるのが困るな。ルールを作る側に回ることはいかなる状況でも最も有利な手段だ。でも、そんな余裕がある状況じゃないと思うんだけどな、お互いに。
まあ、ホストの頼みじゃ仕方ない。
「確かに商売も一種の戦場と言えましょう。商人にとっての商圏の広さとは、国家にとっての領土と同じことですからね」
俺はまずそう言った。
「ですが、国家だって戦争以外に開拓という方法で領土を増やすでしょう。そして、広さが決まっている土地と違って商人にとっての商圏、市場規模はずっと容易に拡大しうるのですよ」
「市場規模とは何を意味する」
負けずにこっちの言葉を使ったが、ダゴバードは気にもせずに意味を聞いてきた。ちょっと敗北感だ。
「一言で言えば、商業全体に流れるお金の量と回転速度です。これまで王国と帝国に分かれていた市場を、これまでよりも強く繋げる。1と1の市場が合わされば、3にもなります。なぜなら複数の要素、つまり商人や商品ですが、それが増えることは自ずとその組み合わせが増える事を意味するからです。それがまた商圏の通貨の量と回転速度を上げる。商圏の大きさを将来的には、実際には何十年いや100年以上かかるでしょうけど、今の十倍にします。そうすれば両方勝者となり得る。これが商業の論理です」
「詭弁だな」
「詭弁です。でも詭弁で良いんです」
俺はダゴバードを見ながら続ける。
「戦場の争いは個人と集団の生死がかかります。農業生産もまたしかり。これは詭弁では済まされない。死んだら、滅びたら終わりだからです。ですが、商業に生死はかかりません。いわば遊び、余録です。遊びに生死を持ち出すのは効率が悪い。遊びだから自由が存在しうる。そして必要なんです。もちろんある程度のですが……」
俺はそう言うと肩をすくめて見せた。
「その為に必要なのが両国が”これまでより”自由に商業活動を行える新都市と、そこに人、物、金を集めるための情報の流れを作り出す先物市場なのです。何しろ我々商人は利益が無ければ動かない生き物ですので」
俺の言葉に、ダゴバードは今までで一番うさんくさい物を見たという顔になる。そして、リーザベルトを見た。
「話を聞いた限りでは夢物語と言うにはいささか詳細が整いすぎていました」
リーザベルトは言った。
「リカルドならやるわよ。いまリカルドが言った組み合わせ、魔導という観点から見れば魔力波長測定器と魔導杖の改良で証明されているのだから」
メイティールが口を開いた。
「どっちの味方だ」
「帝国の皇女として言うわ。私は自分がもし王国に行かなかったことを考えたらぞっとする。私自身の為じゃなくて、あくまで帝国に取ってと考えた時にもね」
「……王国はこのような者を野放しにしているのか」
ダゴバードが奥歯をかみしめて、クレイグに言った。
「実はなかなか容易ではなくてな。今回もリカルドが何をやるか解らんから、私が付いてきたともいえる。新しい都市についても王国と帝国の両方から監視せねばな」
流石次期国王、俺なんかとは交渉スキルが違う。本気で言ってるようにしか聞こえない。
「ただし、私は困難な状況で何度もリカルドと行動を共にした。というわけでどうかな、ダゴバード殿下もリカルドの遣りようを直接を見てみたらどうだ」
クレイグが更に交渉のハードルを引き上げた。それはいくら何でも無茶でしょ。最低限、馬竜車とそれを操れる人間を借りれれば御の字じゃなかったっけ?
何故かメイティールが「それちょっと分かるわ」頷いている。
クレイグとメイティールの表情をじっと見た後、ダゴバードは再び考えに沈んだ。さっきよりも長い時間、会議室に沈黙が続いた。
「リカルド・ヴィンダー。その大言がどれほどの物か確かめさせてもらおう」
ダゴバードが言った。え、今のクレイグの挑発も俺のせいなの? 保身上の大問題が出現だ。
「えっと、あのよろしくお願いします」
俺は言った。まあ、ここまで来て今更だな。スピード重視という戦略に合致する限り、こちらとしては乗るまでだ。
「飛竜山まで延々と王国の旗を立てられては鬱陶しいからな」
「よし。面白くなってきたな。さあ、実際の行軍計画を立てようではないか」
クレイグが地図を引き寄せた。「物見遊山ではない」と言いながらダゴバードも話しに応じるようだ。クレイグの副官とファビウス、そしてダゴバードの部下達もが周囲に集まる。俺は席を離れて窓際に移った。
「長くは滞在頂けないみたいですね」
リーザベルトが俺の方に来た。
「そうですね。帰りにまた寄ることが出来れば……。あっ、そうだ、一つ聞きたいことがあったんですけど」
窓の外の光景に俺は質問を一つ思い出した。マルドラスの山々の中で一際高い山は白い冠を頂いている。今が秋と言うことは……。
「あれって氷河ですか」
「ええ、あの雪は夏でも溶けないですね」
「何の話かしら?」
メイティールも俺の側に来た。
「年輪より長い記録をどう取るかの問題です。そうか氷河か……。えっとメイティール殿下、実はちょっと作ってもらいたい物があるんですけど」
俺はメイティールが使っていたあの兵器のことを思い出しながら言った。




