3話:中編 貯金 vs 借金
「私はフレンチトーストという新しいお菓子でお金儲けを企みます。フレンチトーストはパンと卵と牛乳と砂糖、そして蜂蜜で作れます。これを原材料とします。原材料はフレンチトースト1個あたり銅貨10枚とします。銅貨10枚で材料を買って、フレンチトーストを焼き、銅貨20枚で売る。この商売の基本的な形はどうなるでしょうか?」
俺は銀貨を引っ込め、銅貨10枚をフライパンの右、銅貨20枚を左においた。フレンチトースト1個2000円というのは、良心的な値段だ。蜂蜜がうち基準じゃなきゃ銀貨が必要かもしれない。
ちなみに、この世界でも都市住人なら足し算引き算くらいは誰でもできる。掛け算も多くの人間がこなす。九九は達人扱いされるけど。
「銀貨10……じゃなくて銅貨10枚で、銅貨20枚を稼ぐですか…………。でも、材料だけでは作れませんよね」
アルフィーナは表情を疑問形にした。銅貨という単位を一瞬認識できなかったことを除けば上出来だ。この三日間、商売に必要な物の値段をミーアから仕込まれた成果が出ている。壊したら蜂蜜どれくらいの儲けが吹っ飛ぶか、と言う説明だった。紙や布の値段に驚いていた姿が記憶に新しい。
「そうです。実際には場所代、薪代、それにフライパンなど費用がかかります。もちろんフレンチトーストを焼く私が生きるための費用もです。これをざっと銅貨5枚とすると、銅貨15枚で銅貨20枚を稼ぐのがこの商売の本質ということになります。売っているのはフレンチトーストですが、実際はお金とお金の関係だということです」
アルフィーナはフライパンに残ったフレンチトーストと銅貨を見比べた。
「少しだけ実感できました。でも、少し怖いお話ですね」
それはそうだ、全ての価値をお金に置き換えている。お金で測ることの可能性と限界、まずは前者を理解してもらわなければならない。現実云々の話ではない、前者のほうが遥かに簡単なことだからだ。
「ところが費用は、売る商品の数によって大きく変動します。一番わかり易いのが場所代です。お店を一つ借りる家賃が月に銀貨3枚だとします。一日に1個しかフレンチトーストを売らないなら、フレンチトースト1個あたり家賃分は銅貨10枚になります」
俺はフライパンの右に銅貨10枚を加えた。
「材料費が銅貨10枚で場所代が銅貨10枚なら銅貨20枚。他の費用もかかるのですから損をしてしまいます」
「はい。しかし、もし一日に10個のフレンチトーストを売るなら、1個あたりは銅貨1枚に下がります。これなら銅貨11枚。薪代もたくさん作れば作るだけ無駄が減るので安くなります。商売というものは、規模が大きくなればなるだけ商品一つあたりの原価が下がります」
銅貨10枚の内9枚を除く。
「仮に、材料費は一枚あたり銅貨10枚。家賃等の諸経費、そして私が生きていくための銀貨3枚を合わせて一月で銀貨9枚とします。一日10枚を完売できると考えた時、かかる費用は材料費が銅貨10枚、掛ける10個、掛ける三十日で合計銅貨3000枚、経費が銅貨に換算すると900枚。商売を始める前に銅貨3900枚が必要です。これは平均的な王都市民の一年分の生活費です」
「俺は必死に働いて3900枚の銅貨を貯めて商売を始めます。利益は10個のフレンチトーストが三十日間、銅貨20枚で売れるので銅貨6000枚。つまり、私は銅貨3900枚を6000枚にした。銅貨2100枚を儲けたことになります。これは一般市民なら半年以上暮らせる金額です」
「商売というのはすごいのですね」
アルフィーナは感心したように俺を見る。さあどうだ、さっき幸せそうに食べていた黄金色のお菓子が、金貨は無理だが銀貨くらいには見えてきただろう。だが、ここからは更に甘くなくなるのだ。
「ところが、大儲けしてウハウハの私の前に、立ちはだかる敵が現れます」
商売という名の戦闘の話だ。俺はミーアを見た。
「じゃあ、ミーアがライバル商人だ。どうする?」
「先輩の店を潰せばいいんですね」
「そうだ」
「えっ!?」
俺とミーアのやり取りに、アルフィーナが驚く。いきなりこんなこと言われても理解できんよな。というか、理解できるミーアが怖いよ。潜在的な願望とかじゃないよな。
「コホン。では、私は大商人の息子です。最近王都で珍しいお菓子を売って大儲けしている面倒くさ…………、生意気な商人の話を聞きます。客を装い偵察した私はほくそ笑みます、フレンチトーストというのは簡単に儲かりそうだと。ちょうど私の懐には銀貨39枚、つまり銅貨3900枚分のお小遣いがあります。私は生意気な小商人を潰して利益を独占することにします。さあ、どうするでしょうか」
ミーアはノリノリでアルフィーナに水を向けた。
「そ、その……、よくないことをするのでしょうか。ええっと、材料を買い占めたり……」
おお、よく出てきたな材料の買い占め。そういえばドレファノにやられたな。材料じゃなくて壺だし、直接じゃなくて傘下の傘下の傘下の商会だったけど。
「いえ、私はあくまで正当な方法で勝負します。それは、…………借金です」
「しゃ、借金ですか?」
アルフィーナは首を傾げた。お金持ちなのに借金をするというのが理解し難いのだろう。だが、金持ちの最大の利点は借金できることなのだ。現代の地球、資本主義経済システム、では商売とは借金をする能力を競うゲームだった。
「私は銀貨39枚と実家の信用を担保に、借金を申し込みます。そして、銀貨390枚、先輩のお店の十倍の資金を用意します。ただし、一ヶ月に金利が一割掛かりますので持っていた39枚は一月でなくなることになります」
ミーアは喜々としてリカルド屋を潰す算段を語る。アルフィーナは飲まれたように聞き入る。
「さて、私は十倍の資金を使って、先輩よりも三倍大きな店を用意して、三倍の人を雇い大量の材料を仕入れます。そして、1個銅貨15枚で10倍の数のフレンチトーストを売るのです」
「リカルドくんのお店は1個が銅貨20枚ですよね。リカルド君が困るのは分かりますけど、それで大丈夫なのでしょうか?」
「先ほど話を思い出してください、商売は大きくなればなるほど商品一つあたりの費用、つまり原価が下がるのです。三倍の広さのお店でも、家賃は倍にもなりません。なにより、この原則は私に材料を売る方にも適応されます、私はフレンチトースト1個あたりの材料費を先輩よりもずっと安い額、銅貨5枚に下げることが出来ます」
「そ、そんなにですか」
特別おかしな仮定ではない。材料を売る方にとっては一度の取引にかかる人件費は10倍でも変わらないのだ。
「では、二つの商売を比較しましょう。先輩のお店はフレンチトースト1個あたり銅貨13枚の費用。私の店は費用も合わせて6枚です。つまり、フレンチトースト1個あたりの儲けは先輩が銅貨7枚、私が9枚です」
「安く売っているのに、ミーアさんのほうが沢山のお金を得ているのですね。でも借金は金利を払わなければいけないのですよね。リカルド君は自分のお金ですから金利はありません」
アルフィーナはちゃんと付いてきている。そりゃそうだ、そう思うよな。借金は損で悪。それが普通の感覚だ。
「はい、でも私の利益は銅貨9枚に掛ける3000個ですから月に27000枚、銀貨にして270枚です。一月の金利である銀貨39枚など簡単に払えます。さあ、どうしますか先輩」
「仕方がないな、俺はフレンチトーストの値段を銅貨15枚に値下げする。これなら値段が同じだ」
「14枚に値下げします」
「ぐっ、13枚だ」
俺は負けることがわかっている勝負を続ける。アルフィーナの俺を見る瞳には同情が宿っている。
「ミーアさんはもっと値下げすることが出来るのですね」
「そうです。値下げ競争が銅貨13枚になった時点で私の利益はゼロ、もちろん費用には生活費が入っているので生きていくことは出来ます。でも、ミーアは容赦なく12枚に引き下げるでしょう。借金の金利銀貨39枚といっても、フレンチトースト1個あたりなら銅貨1.3枚のコストに過ぎない。ミーアはフレンチトーストを1個銅貨8枚で売っても利益を確保できます。私にはどうしようもない。いえ、それどころか、私の店ではフレンチトーストが売れませんから1枚あたりの費用が13枚から増えていきます。売れ残ったら、その分が損失になります」
俺はそう言って両手を上げた。お金持ちには勝てなかったよ。
「で、でも待ってください。じゃあリカルド君も借金をすれば……」
「しがない小商人の私にお金を貸してくれる者は居ません、万が一見つかっても、私の信用では1割の金利では借りることが出来ません。もちろん、銀貨390枚なんて額も無理です」
バッドエンドの完成だ。まあ、単純化しすぎてはいるが、概ね間違っていないだろう。これでも甘すぎるくらいか。
「そんな、リカルドくんが考えたものなのに」
アルフィーナは頬を膨らませた。ミーアに複雑そうな視線を向ける。いやそこに感情移入されてもこまるんだが。
「これがお金でお金を稼ぐということのもう一つの意味です」
俺は話を理論に戻す。
「お金の調達も、材料の調達と同じようにコストと考えるのです。借金の金利がそのコスト。つまり、ミーアの商売は…………」
俺はフライパンの前の銅貨を並べ直す。
「390枚の銀貨を、39枚の金利を払って調達して、それを600枚の銀貨に変えることです。言い換えれば1割の金利を払って得たお金で、5割以上の利益を稼ぎだす。つまり、金利以上に稼げるのであれば、借金というのは力なのです」
この場合、いくら儲かっても元本を返すことはない。なぜなら、1割の金利で借りた資金は、1割以上の利益を生み出し続けるのだ。返すほうが損になる。エサ代以上の卵を生む鳥を殺さないのと同じだ。
「ちなみに先輩の店が潰れたら、値上げしてもっとウハウハにします」
「そ、そこまでするのですか」
ミーアはさらなる現実をつきつける。アルフィーナは悪徳商人ミーアにすっかり怯えてしまった。まあともかく、ミーアの迫真の演技のおかげでしっかりと伝わったようだ。俺もちょっと怖かった。
「ま、まあ、とにかく商売というものが、お金でお金を稼ぐことである以上は、お金をたくさん用意できる方が有利であることはわかってもらえましたか。商売においてお金とは、あったほうがいいというレベルの話ではなく。無ければ滅ぼされてしまうということなのです」
「はい。……まるで、軍資金のお話を聞いているようです」
「そういう話ですね。理解が早くて助かります」
どれだけおっとりしていても流石は為政者側の人間だ。
というか、ミーアもアルフィーナも俺より地頭はいいんだろうな。では、そんな優秀な生徒に、縁起でもない話をした理由に立ち返ろう。




