13話 目的地
馬竜の二本の足が岩を蹴る。石塊を散らしながら坂道を上り、段差を飛び越えて見晴らしの良い岩盤の上に着地した。視界が開け、草の香りが届く。
ここはマルドラスの東端にある山、かろうじて人間の領域といえるギリギリだ。後を追ってくる部下達を尻目に、ダゴバードは東に広がる平原を見下ろした。
本来、人間が足を踏み入れないはずの平野に煙が立ち上っている。それをたどっていくと、馬に乗った一団が見えた。その上空には無数の空飛ぶ蜥蜴が舞っている。
よく見ると馴染みのあるローブ姿の人間が数人見える。それを全員合せても三十人程度。あり得ない少人数だ。普通に考えれば、ここにたどり着くまでに大半を失ったと考えるべきなのだが。
「ダゴバード殿下。…………これは! すぐに救出を」
部下達に守られて馬竜車で到着したリーザベルトが、彼の視線の先を見て慌てて言った。彼女の目には飛竜の群れが僅かな人間の集団に襲いかかるのが見えたのだろう。だが、ダゴバードは首を振った。
飛竜の群れが空の上に円を作る。一隊が5、6匹の小隊が10隊ほど。計50匹は、飛竜の群れとしては巨大だ。帝国が大河を下った時も、これほどの群れに一度に襲われた記録は無い。しかも、飛竜の巣である北の山からの距離は大河までに比べて半分程度。つまり、飛竜が残している行動余力は比べものにならない。
実際、人間集団を取り囲む飛竜達は余裕を持って空中を遊弋している。だが、それも完全に狩りの体制を整えるまでだった。南北の二隊が同時に高度を下げたのが見える。羽を広げて嘴を突き出した三角形の魔獣は、矢のように地面に近づく。翼の皮膜に赤い光が発したと思うと、角度が急に変わりスピードも落とさずに水平に進路を変えた。
2つの編隊のちょうど中間に、王国使節が収まっている。
集団行動に対する制御の難しさをよく知っているダゴバードが唸るほど見事な挟撃だ。その速度と一体感は、少なくとも今生きている人類が経験したことのない攻撃といえる。全身が鏃と化している錯覚すらある。その嘴が突き刺されば、竜の鱗でさえ無事では済むまい。実際、飛竜は野生の馬竜を狩ることがある。胴体に大きな穴が空いた馬竜の死骸が発見されたこともあるのだ。
だが……。
騎馬隊から左右に火線のような光が伸びた。計一〇本のそれは左右から猛烈なスピードで迫る飛竜の編隊に吸い込まれていく。弾けるような音がしたと思うと、翼から煙を上げて地面を削りながら墜落する個体や空中に跳ね上げられる個体。さっきまで完全に見えた攻撃編隊はあっという間に半減した。
残った4匹が一気に距離を詰めた。だが、それを狙い撃つように更なる火線が迎撃した。更に3匹が駆除された。
生き残った1匹がたまらず空中に駆け上がる。だが、それに二本の火線が集中して、上空の群れに合流することなく撃ち落とされた。
第一陣がなすすべもなく敗北したことに、怒りを覚えたのか。ギャアギャアという耳障りな鳴き声と共に、倍の編隊が攻撃に映る。四方からの突撃はやはり見事だった。だが、先ほどよりも精度の高い一波目で10匹、次に8匹を撃ち落とす。50匹居た群れは、あっという間に半数以上を失った。
獲物であるはずの王国の部隊の周囲に、飛竜の残骸が扇の様に散らばっている。
残った群れが急降下を開始した。先ほどのように距離を置いて低空飛行に移行するのではなく、まっすぐ獲物である人間に向かっている。地面に激突することも辞さない角度だ。恐らく相手が狩りの獲物から、何を置いても排除しなければいけない敵に変わったのだろう。
だが、上空に向けられた小さな杖から、断続的に赤い光が飛び出す。先ほどよりも小さな光だが、飛竜の鱗を覆う魔力を突破して本体に衝撃を与えるには十分らしい。決死の突撃もあっという間に蹴散らされた。
「なんだあれは……」
ダゴバードは呆然とつぶやいた。
残った飛竜が北に向かって逃走するのが見える。わずか7匹。そのうちの1匹が力尽き、翼から煙を上げてきりもみしながら落ちていくのが見えた。
恐らくあれは彼が知る螺炎の魔導。実際、特に巧みに使いこなしているのが騎馬隊の側面にいる魔導士のローブを着た数人だ。裏切りという言葉が脳裏をよぎるが、すぐにそんなことを言っていられないと気がつく。
スピード、精度、射程全てが強化されている。こうなると軍事的には別物と判断するしか無い。如何に反動が少ないとは言え、騎乗であのような正確な狙いをつけられる物では決してなかったはずだ。メイティールの不在と敗戦のショックを利用して、馬竜部隊と魔導師部隊の共同作戦を実行した彼にはそれが痛いほど分かる。
◇◇
王国旗を上げた一団が山を下りたダゴバードに近づいてくる。旅塵に塗れているが、先ほどを含め危険な魔獣の領域を抜けてきたことを思わせる跡はない。自分たちよりはるかに低い位置にある騎馬部隊が、妙に大きく見える。
先頭は彼の知るクレイグだ。宣言通り少数で飛竜の領域を踏破してきた王国使節が異常な存在に見える。彼がそろえた50騎の馬竜騎士が逆に滑稽に見えてしまう。
帝国魔導士の服装をした5人の人間が一緒にいる。かつての彼のライバルであるメイティールを確認する。ダゴバードの視線を受けて、メイティールが肩をすくめた。そこに同情の色を見た気がして、ダゴバードはいらだった。
使節団が近付くにつれて、部下達が取り囲むように動いた。威嚇といわれても仕方ない行為だが、勇猛な部下達が気後れしている事にダゴバードは気がついていた。
その中を進む、王国の次期国王とその部下達。堂々とした物だとダゴバードが思わず感心しそうになった時、1人異質な男の存在に気がついた。クレイグの横で明らかにびくびくしながら落ち着きない目で左右を見ている。
ダゴバードにとって不吉の象徴であるその男。確か名前はリカルド・ヴィンダー。ふざけたことに商人を自称している。
「出迎え痛み入るダゴバード殿下」
「……良く来られたクレイグ殿下。まさか本当に自ら赴いてくるとは、正直……あきれている」
「いや、なかなか道が厳しくてな。予定通り到着できて良かった」
ダゴバードの「あきれている」という言葉が揶揄ではないことに気がついたのだろう。クレイグは笑った。ダゴバードは冷静さを取り戻す。さっきまでの気後れを押し殺し口を開く。
「確かに、王国はよほど余裕がないと見える」
どれだけの力を見せつけられようと、王国が”ここまでした”ことには理由がある。帝国の代表として彼はそれを見極めねばならない。
「リカルド殿。いえ、王国特使殿でしたね。ようこそマルドラスに。約束通り貴方を我が故郷に……」
視界の端では、馬竜車から降りたリーザベルトが平服の若い男に近づいている。
「まずは、我が館で旅の疲れをいやして頂きたいと思っています。わざわざ足を運んで頂いたのですから、できる限りの歓迎をしたいと思っています。何かご希望はありませんか?」
リーザベルトの声にかろうじて媚びた色はないが、あえて危険な経路を進ませたことに対する負い目が滲んでいる。
「ありがとうございます。ちょっと違うんですけど。じゃあ……」
いささか気の抜けたような声がダゴバードの耳に届いた。場違いな格好と雰囲気のリカルドは文官と言うにも不足のただの平民に見える。だが、ダゴバードは変わらぬその姿を三度見ている。この男が顔を出す度に彼は予期せぬ挫折を繰り返されてきたのだ。視線を油断なくクレイグに固定したままだが、聴覚はリカルドの言葉を逃すまいとしてしまう。
「実はもうちょっと奥を見たいんですけど、王太子殿下の言ったとおり道がないから大変で。その馬竜の車を貸してもらうわけにはいかないですか」
リーザベルトの乗ってきた馬竜車を見ながら男は言った。ダゴバードは耳を疑った。リーザベルトも絶句している。
「……その、奥というとどこまででしょうか」
「あそこの山、えっと飛竜山でしたっけ、の麓です」
困惑するリーザベルトに、リカルドは飛竜の領域の最奥の深紅の森をまとった山を指さした。絶望の山脈から川一つ隔てただけの場所だ。
「大昔の遺跡があるんですよね。それを見てみたくてですね……」
まるで物見遊山の旅の続きのようなその態度に、ダゴバードは唖然とした。




