12話 上陸
南に向かって、大河に突き出した半円形の丘陵。その麓で俺はかすむ対岸を見ていた。生まれ育った国からの距離をいやがおうにも意識させる。
丘の頂上には一本の王国旗が立っている。新都市の予定地であるここが王国領だという宣言だ。無主の土地とはいえ王国民の一人としても、将来ここに作られる予定の新都市を考えても感慨深い物はある。ただ、これからのことを考えると「王国万歳」と無邪気に叫ぶ余裕はない。
よく見ると丘陵には風化した堡塁が所々残っている。下部が河に削り取られている。かなり古いのだろう。
ここまでは順調だった。王国側に突き出した飛竜の領域の少し西から船に乗り、下流への流れに乗って斜めに大河を突っ切った。時間が短かったのもあって、水上での飛竜との戦は免れた。運も良かったのだろう。
ちなみに、本来なら王国側にせり出している飛竜の領域で演習してからのはずだった、例年は数匹は姿を見せるという飛竜が待っても来なかったのだ。これに関しては不安要素だ。
もう一度遠い対岸を見る。あそこから更に南には王都。……彼女は更に南に向かっているはずだ。そして俺はこれから北に向かう……。
別に問題はない。アルフィーナを水晶から引き離し、俺は災厄の仮説のために必要なことをする。離れていく距離には明確な意味と利益があるのだ。
「ファビウス閣下。私にも何か仕事を……」
心の中のもやもやを振り払って俺は丘の向こうに回る。荷駄を管理している老騎士、いや老男爵に話しかけた。彼はこの部隊の輸送などの責任者だ。戦闘では役に立たない俺としてはマルドラスに着くまでは、彼の部下のつもりだ。
「特使殿。堂々とされよ」
「しかし、男爵閣下もご自分で……」
俺は船から降ろされた荷を部下達と一緒に馬に乗せているファビウスに言った。
「元々男爵などと言う柄ではありませんからな」
ファビウスは皺だらけの顔で笑う。それなら俺の特使殿という柄ではないの勝ちだと思うけど……。
「いやはや、妻には久しぶりに詐欺師呼ばわりをされたぐらいです」
「詐欺師呼ばわりですか?」
出発前、ファビウスを見送っていた上品な白髪の奥さんと、息子夫婦を思い出す。若い頃はさぞかし美人だっただろうという老婦人だった。
「はははっ、実は若い頃高嶺の花だった女房に惚れ込みましてな。いずれ爵位を得てみせると、若さに任せてとんでもないことを言って口説き落としたのですよ。おかげで、結婚後はことある毎に騙されたと言われて。まあ、息子が生まれてからは収まっていたのですがな。こうなってしまったので思いだされました」
「それはなんとも……」
「爵位を辞退して引退したら」とその奥さんに言われていたのを聞いていた身としては、巻き込んだ責任を感じざるを得ない。
「特使殿こそ、出発前は両手に花でしたな」
「いや、あれはあくまで仕事上の同僚と言いますか……」
「おお、そうでした。特使殿の高嶺の花はそれこそ私どころではない……。いやいや、特使殿のこれまでの活躍から考えれば失礼ですかな」
チクリと胸が痛む。考えまいとしていたアルフィーナのことが脳裏をよぎる。大公邸で最後に顔を合せた時の悲しそうな顔のままだった。
◇◇
「リカルドくん!」
大公邸の廊下で俺を呼び止める声がした。足早に近づいてくるパタパタという音。俺はゆっくりと振り返った。「リカルドくん」という彼女だけの呼び方に少し心が弾み、こちらに急ぐしっかりとした足取りに安心する。同時に、彼女が浮かべる必死の表情に困ったなと思う。
「やっぱり私は賛成できません。どうしていつもリカルドくんばかり危険な場所に行かなければいけないのですか。巫女姫である私は安全な南方に……」
アルフィーナは俺に訴えかける。災厄の地の特定、正確には巻き込まれない場所を探すため、アルフィーナは巡礼の名目でまずは南方に向かう。
「安全云々ではなく、アルフィーナ様にしか出来ない大事なお役目ですよ」
俺はなるべく穏やかに言った。事実だ。アルフィーナが罪悪感を感じる必要などない。アルフィーナは首を振った。
「私のことよりも、リカルドくんです。リカルドくんはもう十分すぎるほど予言のために働いてきたではありませんか。リカルドくんが居なければ災厄は何度も大きな被害を出していたはずです。それなのにまた……」
アルフィーナの言葉に罪悪感を感じる。俺の働きの多くは、所詮地球の知識を持っているから出来ただけのことだ。アルフィーナが俺の側に居て、こんなに心配してくれるのも元を正せば……。そして俺はそれを良いことに……。
いや、ここは冷静に説得するべきだ。聡明なアルフィーナならちゃんと説明すれば解るはずだ。
「……川の向こうに新しい都市を造るのは私の夢ですし。そういう意味では一石二鳥と言いますか。まあ、いってみれば国家の護衛付きでヴィンダー商会の出張ということですよ」
俺は自分の利益を並べた。
「私が巻き込んだせいです。そうです、リカルドくんも私と一緒に来ませんか。私がそう希望しますから」
俺の言葉を聞かず、アルフィーナは俺の手を握った。彼女の手の柔らかさと暖かさを感じながら、自己完結したような言葉がすこし引っかかった。
俺はアルフィーナと関わったことにもはや一片の後悔もない。今回も不完全でも彼女を守るためにの手を打てたことにほっとしている。大体、俺が一番守りたいのは目の前の女の子で、これは俺の意思の問題だ。
「大丈夫ですよ。何しろクレイグ殿下も一緒なのですから」
それでも俺はアルフィーナをなだめた。
「……そういう話ではありません」
アルフィーナは顔を伏せた。彼女らしくない言い方だ。俺の言葉は通じないと言うことか。廊下を沈黙が包む。アルフィーナの後ろに居たクラウディアとルィーツアも全く近づいてこない。
「…………しは……」
「アルフィーナ様?」
「私は危ないって言いました。私の言葉はリカルドくんには届きませんか。一番守りたい人を守れないどころか危険にさらすなら、私は何のために……」
顔を上げたアルフィーナの目には涙が浮かんでいた。初めて見る表情に、俺は思わず動揺した。
いや、この前とは違う。俺は間違っていない。アルフィーナにだって解ってるはずだ。俺には必要があるんだ。それに、クレイグまで巻き込んで今更止められるわけがない。
第一、そんなことをしたら一番大事な人を守れない。声にならない言葉が、心の檻の中で渦巻く。俺は拳を握りしめた。
「……大丈夫ですよ。メイティール殿下も一緒に来てくれますし」
ぎりぎりで本音に蓋をして、俺は安心させようと言った。幾つもの都市を回るアルフィーナの仕事も決して楽なものではない。災厄からの安全地帯を、それがあればだが、探すというのは大きなプレッシャーのはずだ。
「っ! …………もういいです」
アルフィーナが悲しい顔で首を振るのを俺は黙って聞いているしか出来なかった。彼女と喧嘩したことに気がついたのは、部屋に戻った後だった。
◇◇
俺は騎士団から少し離れたこところで、丘の上にはためく王国旗に皮肉っぽい視線を送っている一団に足を向けた。
「河のこちら側にようこそ、とでも言うべきかしら。それとも将来のリカルドの土地にお邪魔します?」
俺を見つけたメイティールが皮肉っぽく言った。彼女の後ろに最後の捕虜であった3人の魔導士が立っている。
「……どうしたの変な顔をして私を見て」
俺は思わずまじまじとメイティールを見た。さっきまで思い出していた出発前のゴタゴタのせいだ。
「いや、良く通ったなと思って」
着いてきてくれたことに関しては感謝している。飛竜との戦いの経験者で有り、魔導杖の専門家だ。出発前も、ここに来るまでの間も改良された魔導杖の訓練などを残っていた数人の捕虜と一緒に進めてくれた。それを容れたクレイグもクレイグだが。
「ご協力感謝しますよ」
「ふん。貴方たちは飛竜と戦ったこともないんだから仕方ないでしょ。まあ、過度な期待は駄目よ。私たちだって足を踏み込むのは初めてだから」
メイティールが面白くなさそうな顔になる。
「特使殿。殿下がお呼びだ」
ハイドが俺を呼びに来た。
「お待たせしました」
「来たかリカルド。見ろ、なかなかの光景では無いか」
俺が丘の上に上がると、クレイグがはるか北を見ていた。さっきまで未練がましく南を見ていた俺とは正反対だ。眼前に広がる飛竜の領域は三角形の平野だ。西に帝国領の山地、東に血の山脈、そして南が大河。
北、三角形の平野の最奥に、一つだけ孤立した山が見える。あの麓には400年前の大災害で滅んだ都市があるはずだ。俺たちの最終的な目的地は遠い。
北西には連なる山地と僅かな隙間が見える。あの先にリーザベルトのマルドラスがあるのだろう。俺たちの当面の目的地だ。
「こちらに接近してくる飛竜らしき群れを確認しました」
騎士の一人が報告した。彼が指差す先を見ると、飛竜の3つの集団が近づいてくる。どうやら領域を侵犯した人間、いや餌場にやってきた哺乳類の群れに気づいたらしい。いよいよか……。俺は集合してくる騎士達の手にある魔導杖を見た。
「前哨戦を始めるか」
クレイグが勢揃いした騎士達に言った。その横にメイティール達も並ぶ。彼らは全員、金の魔導杖を持っている。魔導杖には二つの部品が付けられている。杖の後ろにはカートリッジ、先端近くには円筒形のアタッチメントだ。更に、首には予備のカートリッジが幾つもぶら下がっている。
団長と違って騎士達には緊張の表情だ。それはそうだ、相手の数は20匹を超えている。この時点でこちらの戦闘員よりも多いのだ。さっきまでごま粒のようだったのに、もう翼竜のような姿が解る。接近スピードは目を見張るほど速い。
群れと言うよりも編隊と言ってよいくらいに隊列は整っている。一つ一つが三角形で、それが更に三角形に配置されている。トカゲの仲間のくせにずいぶん統率が取れている。
「これの力を試すときだ。向こうは遠路はるばる我々のところまで来てくれたのだ。この距離で苦戦するようでは踏破など思いもよらん」
クレイグは自分の魔導杖を振り上げた。その自信に溢れた姿だけで全員の士気が高まる。そうだな、できる限りの準備はした。
「騎士隊は正面に対応。魔導士隊は側面からの横やりを警戒」
副官が指令を飛ばす。俺は騎士隊と魔導士隊に守られる形のファビウス達に合流する。ファビウスから小さな壺を渡される。魔力阻害剤【IG-1】が入っている。無いよりマシ程度の装備だがしかたがない。
「勝手な話で悪いけど、ここはもう俺達の土地だからな」
高度を下げ始めた飛竜の先頭の一体に向けて、俺は人間の傲慢の象徴のようなセリフを吐いた。




