10話:前半 帝国の要求
壁の巨大な王国旗。二度と入りたくないと思っていた国王の執務室だ。
わざわざ運び込まれたらしい長い机が二つ、国王の執務机の前に並べられている。左に座るのは文字通り王国の重鎮だ。国王に近い側から王太子クレイグ、宰相グリニシアス公爵。いかにも洗練された見慣れない50男。恐らくイェヴェルグ公爵だろう。第一騎士団長テンベルクもいる。
テロでも起これば予言の災厄を待たずして王国が滅びそうだ。まあ、今から話す内容が外に漏れたらパニックで災厄の前に国がひっくり返りかねない。
右の机に座る二人はそれと対照的だ。まるで、どこかの学校の裏にある小さな建物から運ばれてきまして的なしょぼさだ。どう考えてもバランスが悪いんだけど良いんですかね。まあ、フルシーは伯爵格だけど。あっちは最低が侯爵なんですけど。
まあ問題はバランスより、決定権を持つ重い向こう側を、軽量級の俺達がどうやって動かすかだけど。
「では、予言の水晶が示した災厄についての分析結果を説明せよ」
グリニシアスがフルシーに促した。
「この場にいる方々におかしな配慮は無用ですな。”現在”までに得られた情報を基に構築された、最悪の仮説を提示させていただく」
誰に対しても遠慮をしそうにない老人の言葉に、全員が頷いた。それが何によるにせよ、あのイメージは国家滅亡。気休めは確かに無駄だ。
「最初に示すのは、帝国との共同研究によって作られた魔脈波長測定器から得られた魔脈の……」
フルシーの解説に合わせて、俺が魔脈のスペクトラムデータのグラフを提示する。東西の観測所と、トゥヴィレ山の魔脈スペクトラム。基準点として通常の魔結晶と深紅の魔結晶のバンドの位置が記されている。分かることは単純だ。つまり、各地の魔脈の数値はばらばらだが、揃って深紅の魔結晶メインバンドに対応する波長の魔力が強く出ていると言うこと。
特に、トゥヴィレ山は他の波長は少ないのに、深紅のバンドだけは強い。
「次に、年輪を用いた70年間の魔脈の変動のデータを10年刻みで……」
東西の赤い樹木。帝国からの木材。10年刻みだが結果ははっきりしていた。最新のつまり過去十年間の区分にだけ、深紅のバンドが現れている。
「最後に、この深紅の波長のみを検出するように調整された感魔板によるここ10年の結果じゃ」
10年区切りのデータから分かったのは、深紅の魔力波長がここ10年だけに見られることだ。それさえ分かれば、後はターゲットを集中できる。
「このように、高密度の魔力波長がだんだんと増えてきておる。恐らく、昨今の魔脈の異常の背景にあるのはこれじゃう。推測じゃが、このように広汎な地域で高魔力が発生していることから、魔脈の中心である血の山脈にも同様の変化が予想される」
「魔脈の観測が示すのは、次の災厄は少なくともここ70年間で起こった何よりも激しく広範囲であろう事。予言で示された状況を組み合わせて考えると、400年前に伝承として記録されている現象を候補とするのが妥当じゃ。すなわち、血の山脈に発生した竜の群れが災厄の魔獣として王国の各地を襲う」
結局、魔脈のデータは俺たちの最初の仮説を強化するものだった。
「竜の群れとは流石に……」
血の山脈から竜の群が飛び立つ想像は悪夢だ。グリニシアスとテンベルクが思わず声を上げた。クレイグと国王は不動だ。ただ、この親子の表情が一瞬だけゆがんだ。400年前の大災厄が王国の建国に密接に関わっているという予想は当たっている感じだな。
「待て待て。王国全土となると、100匹規模の話になるのではないか。それほどの竜が存在するとは信じがたい」
悪夢を否定するようにテンベルクが言った。気持ちはよく分かる、自分の常識の範囲を超えると人はそれを反射的に否定する物だ。
「一つの竜の群れが次々と王国の各地を襲う。あるいは竜と言っても小型や中型を想定する。これならばあり得ると考えておる」
俺たちが検討した内容をフルシーは告げる。参加者の顔色が回復したところで、飛行能力や範囲からそれが必ずしも楽観できないことを付け加える。もちろん、俺達の結論に持って行くためのギャップ作りだ。
「……竜であるならば例の花粉が聞くのではないか」
冷静に言ったのがグリニシアスだ。フルシーが俺を見る。
「竜であれば効果がある可能性は高いと思います。ですが、帝国の馬竜でさえ狭い砦に閉じ込めた状態で、大量の花粉を一気に投入して対応しました。空を飛ぶ竜の群れとなれば、必要な花粉の量は膨大となり、それだけで防ぎきることは難しいかと」
「その仮説が正しい可能性はどれほどと考えるか」
国王が固い声で言った。
「正直申し上げて、我らの考えられる中で一番可能性が高いとしか言えませんな。更なる検証の必要があると考えております」
「では、対策は?」
フルシーが俺を見る。
「肝要なのは一にも二にも速度だと考えます。仮説をなるべく早く確固たる物とすること。災厄の魔獣が生じたとき、一刻も早くその情報を得ること。仮に一つの群れが次々に街を襲うと仮定した場合、最初の襲撃で群れを潰せば、被害を最小限にすることが出来ます」
俺の言葉にグリニシアスが頷いた。俺は続ける。
「そのために必要な情報の多くが、川の向こうにあります」
俺は血の山脈の測定、大災厄で滅びた街の調査などにより、予言のイメージを検証出来ることを説明した。
「……つまり、早急に飛竜の領域を探索する必要があるということか」
国王がじっと俺を見る。
「大災厄で滅びた都市が飛竜の領域の奥深くにあるということです。仮説の確定の為の極めて重要な情報が手に入ると考えています」
「飛竜の領域のさらに奥ではないか」
「はい。距離を考えてもっとも安全なのは帝国のマルドラスを経由すること。ですから、一刻も早く帝国との対魔獣の協定、いえ同盟をお願いしたいのです」
俺は訴えた。俺たち以外の参加者が全員困った顔になった。おかしいな、この状況では他に選択肢がないと思うのだが。
「イェヴェルグ」
「はい」
国王の言葉に、帝国との交渉担当の公爵が立ち上がった。
「帝国に提案していた”協定”に対する返答がつい先日届いた」
イェヴェルグが帝国の要求を読み上げる。帝国の軍事面の最高実力者ダゴバードが会談に応じるという返答。しかも、会談の場はマルドラス。願っても無い。だが……。
「王国が飛竜の領域を通じた交易路を建設維持出来ることを証明する為に、王国使節は帝国領ではなく飛竜の領域を通ってマルドラスに至ること」
「はっ?」
俺は思わず地図を見た。大河を越えて飛竜の領域をほぼ縦断する必要がある。最深部まではいかないが、踏破しなければいけない距離はマルドラスから滅びた都市までよりも長い。王国にとっては見たことも無い土地を案内無しで?
フルシーも俺も沈黙するしか無かった。
飛竜の領域の探索には帝国の協力が必要だ。その協力を得るためには飛竜の領域を踏破しろとは、なんたる理不尽だ。マルドラスで帝国の魔脈を測定して危機感を煽りまくるつもりだったのに。あの馬竜部隊の力を借りることまで考えていたのだ。
「騎士団としても軍事的側面から検討はした。だが、王国にとっては未知の領域。背後は大河で撤退も容易ではない。どれだけの戦力を投入すれば可能かも見当が付かぬ。従って、帝国の要求に応じることは不可能だというのが結論だ。大兵力と資源を投入して大失敗すれば、半年後と予想される大災厄に対応することも出来なくなる」
「今説明された大災厄の仮説は重大である。更に詳細な仮説を詰め、帝国に再考を促すことが適切な対応であると考えている」
イェヴェルグが言った。文武の最重臣の言葉を、国王が首の動きで肯定した。確かに、帝国にも関わると予測されるから妥協を引き出せる可能性は十分ある。だが、どれだけの余分な時間が掛る。帝国へ伝える内容を決めて、使者を出し、その帰りを待つ。下手したらそれが何往復も。
その時間があるのか、いや仮にあったとしてもそれはアルフィーナにさらなる負担を……。ベッドで横たわるアルフィーナの白い頬を思い出し、俺は奥歯をかみしめた。
「リカルドのことだ。何か策があるのではないか?」
そう言ったのはクレイグだ。俺は敢然と顔を上げ、国王親子と三人の重臣を見る。彼らの妥当な結論を覆し、帝国の理不尽な要求を突破する。そうしなければ、俺の目的は果たせない。
「少数部隊により飛竜の領域の突破を提案します」
俺は言った。最初に言ったとおり、何を置いてもスピード。それが俺の方針だ。ならばそれに沿うのみだ。




