7話:後半 フィールドワークの目的地
「悪巧みは終わったかしら」
隣の困った顔のレオナルドを気にもせずメイティールが言った。
メイティールは帝国の利害を代表せざるを得ない。そういう意味では互いに難しい立場である。まあリスクのない関係など存在しない。そして、目の前にいる人間なら自分の目で見るのが最良の判断基準である。もちろん、立場も背景も違う人間を判断するだけの時間を投資するのが大前提だ。
言うまでも無く判断すべき人間の数に比例して時間がかかる。交易を通じて、王国と帝国の接触を増やそうと考えている俺が、それを少なくとも当面は新しい都市という点での接触にとどめようと思っている理由だ。
それだけの時間と、その時間に伴う気力を掛けるつもりもなく、立場や背景の違う人間に対して警戒心を解くのは不自然な行為だろう。特にコミュ障の俺にとっては。
まあそんなことを言ってしまえば、この世界で恐らく唯一の転生者である俺はどうなるのだという話で、それを突き詰めると、アルフィーナに……。
いやいや、今はそんな場合じゃない。とにかく、メイティールに関しては俺は最低限の判断を下すだけの時間はかけたつもりだということだ。
「悪巧みの結果、メイティール殿下の協力が必須だと判断しました」
俺の言葉にレオナルドがぎょっとした顔になった。もちろん信用云々とは別に、王国の都合はちゃんと考慮する。ただ、今回の場合、最大の国益はスピードだ。何しろ、やってくるのは半年後の国家の破滅である。
「……ふうん。まあ、まずは話を聞きましょうか。おおかた予言が出たんでしょ」
「ああ、次に起こる災厄の情報収集に協力して欲しい」
「お願いじゃなくて協力? 水晶は王国の災厄を予言するんでしょ」
メイティールがとぼけた。
「現状では400年前の災厄と同じ事が起こるという可能性を第一に考えてるんだ。つまり、人ごとじゃない」
俺も言った。レオナルドを意識する。言うまでも無く、俺が俺の掛けた時間と判断でメイティールを信用するのと、レオナルドがレオナルドの判断でメイティールを警戒することは全く矛盾しない。
俺はさっきの議論の内容をかいつまんで説明した。
「その仮説は仮説として良いとして検証手段は? 曖昧な記録と血の山脈という未知の発生源を想定してるのよね。まさかと思うけれど、血の山脈まで遠征して竜の群れが発生しているか確認するなんて言わないわよね」
メイティールは少し困った顔になる。まあそうだろうな、フルシーですら行ってみたいとは言わなかった。もちろん、興味は持っているだろうが。
「検証手段は二つ。一つはこれまでと変わらない。魔脈の測定だ。メイティール殿下が行ったとおり、曖昧な記録と、未知の発生源だ。一気に全てを考えるのは無理だ。第一に調べることは、今回の災厄がこれまでとは違うかどうかだ。これまでと違う災厄なら、これまでとは違う魔脈の動きが見られるはずだ」
俺はフルシーを見た。
「通常の魔脈測定では去年、今年はおかしな結果は出ておらん。魔力量に大きな変動は生じてはおらんという事じゃ。じゃが、観測所で行なってる魔脈のスペクトラム解析が片方届いた、西の結果がこれじゃ」
フルシーが感魔板を見せた。
「深紅の魔結晶と同じ位置にあるバンドが観測されておる」
「どう思う?」
「……それだけじゃなんとも、観測技術がなかっただけで、これまでも出てたのかも知れないんでしょ」
メイティールは慎重に言った。
「そうだな」
「……まあ、帝国でも同じ事が起こっている可能性は高いわ。東の観測所の結果は?」
「まだじゃな。一台の測定器を東西で使い回しておる。測定にも数日かかるのじゃ」
「東にイーリス2号があるなら、トゥヴィレ山の反応も測定しておくことをおすすめするわ」
メイティールが言った。俺はフルシーにうなずいた。トゥヴィレ山に魔脈が現れたことも異常だし、竜はその魔脈を目指して王国に来たのだ。捨て置けない。そして……。
「出来れば帝国の魔脈も直接測定したい」
俺はいった。メイティールが
「帝国王国を問わず、同じ魔脈の反応が起こっているとなれば、大規模広範な災厄という信憑性は高まるわね。でも、それは400年前と同じという事を保証しないでしょ」
「ああ、どちらにしろ過去との比較は必要だ」
「年輪からの測定はまだめどが立ってないわ。ヴィナルディア達も頑張ってくれてるけど、やっと年輪のサンプルからの魔脈成分の抽出が出来たところだから」
ノエルが言った。
「これまでになかったことだけが分かれば良いから、例えば十年単位に網を粗くするとかだな」
「そこらへんからやるしか有るまいのう」
「でも、それでも足りないでしょ」
「そうだな、確定させるためには400年以上の記録がいるからな……」
これまで取れた魔脈の最大値は70年。これまでの改良の結果、100年くらいは可能になったとしても、魔脈の近くの樹齢100年以上の樹木が必要。しかも、それでもまだ足りない。400年を超えるデータを記録したものが必要なのだ。
実は一つその記録がある場所に心当たりはあるが、それも多分国内では無理なんだよな。
「理解はしたわ。もし今の検証、次の災厄が400年前と同じという仮説が当たっていた場合、帝国がもっとも大きな被害を、しかも最初に被るのだから」
「それを認めてもらえると話が早い」
竜の群れが血の山脈に発生したとして、最初に襲われるのは恐らく帝国のどこか。王国は、それを見て情報収集することが可能だ。
例えば、災厄の魔獣が竜じゃなかった場合、花粉で対処するという方針を早々に捨てなければいけない。考えたくないが、効果のない武器を手に待ち構えるよりは遙かにましだ。一方、帝国にはそんな贅沢はないということになる。
俺たちの言っていることが理解できたのであろう。さっきまで緊張していたレオナルドが少し安心した顔になっている。ちなみに、ノエルは、うわぁ、という感じでちょっと引いている。
「他に必要な情報は?」
「ある。というか前にメイティール殿下が話してたことだ。この記述を見てくれ……」
俺は『壁の傷跡』という文字を指差した。アルフィーナが必死で見てくれた一次情報だ。竜の爪の傷だろうか。その傷の形から何かが分かるかも知れない。もちろん、まだ存在していない傷だ。
「これが竜の爪の跡だとしたら、400年前の災厄でも同じものが残っている可能性がある。国内でも探さなければいけないかも知れないけど、それが残っている可能性が高いのは……」
俺は地図を指差した。俺たちが作ろうとしている都市。その更に奥、血の山脈の近くだ。
「大災厄で滅んだ街の跡があるんだよな。そこには災厄の傷跡が残っている可能性がある。それを写し取って、アルフィーナ様に判断してもらえば、災厄を起こした魔獣が同じであるかどうか、判断できる可能性がある。後は出来るだけ血の山脈の近くで魔脈の測定もしたい」
俺は前にメイティールから聞いたことを口にした。いわば生痕化石だ。
「つまり?」
「飛竜の領域を踏破する、ということになるな」
「あきれた。血の山脈の直近じゃない。私たちでも踏み込まない場所よ。相変わらずむちゃくちゃ言うわね。あの娘の為とは言え、命知らずね」
「……まあ、新領土の調査はいずれやらなくちゃいけなかったんだけど。それにしてもちょっと早いかもな。ははっ」
もちろん、アルフィーナの負担をなるべく小さくしたいというのはあるが。実際、新しい都市の存在意義として災厄に関わる血の山脈の測定基地を織り込んでいた。人類共通の災厄に対処するための観測拠点という地位は、都市の安全保障の大きな裏付けになる。
「まさか自分たちだけで出来るとは思ってないわよね。ちなみに、滅びた都市の場所は、飛竜の営巣地と予測されている山の麓よ」
あの領域に人間が踏み込めない理由、飛竜の群れの中心か。
「ああ、帝国の協力が必要になる」
俺はうなずいた。
「この場所から一番近い人間の領域はリーザベルトの領地、マルドラスだものね」
メイティールが帝国領の南東の端を指す。あの帝国ですら踏み込まない領域に挑むなら、安全な拠点は必要だ。
「残念ながら、肝心の帝国との交渉は俺には動かしようがない。今回の予言の災厄の仮説の説得力を上げて、上に危機感を持ってもらうことくらいだ」
「すぐに王宮から呼び出しがくるじゃろうからな。何しろ400年前の災厄の再現という突拍子もない話じゃ。どれだけの証拠をそろえれるかじゃな……」
すでに対魔獣での協力を提案する使者は帝国に立っている。取り敢えずは、その返答次第だろうか。全員の目がメイティールに向いた。
「帝国に手紙を送るわ。もっとも、今の私の立場的に効果は限られるわよ」
メイティールは自嘲的に笑った。王国からは帝国に有利なように何か言ってると思われ、帝国からは王国に脅されたあるいは取り込まれたと疑われる。まあ、俺がそんな立場にしたんだけど。
「ええっと……その、なんかゴメン」
「……ここに来た期待には十分すぎるほど応えてもらってるからいいけど。ただし、竜の群れに対処できるだけの力を急いだ方が良いわよ。交渉のためにもね」
メイティールが言った。最初から彼女が主張していたことだ。魔力触媒による魔力波長を純化するカートリッジの作成を急がないと。可能なら回路の設計にも手をつけたい。
「まずは帝国の出方次第か……」




