表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
予言の経済学 ~巫女姫と転生商人の異世界災害対策~  作者: のらふくろう
二章『模擬店ヴィンダーホールディングス』
19/280

3話:前編 商売の本質

「牛乳と卵はともかく、蜂蜜に砂糖もですか。……少し甘すぎませんか先輩」


 キッチン、日本のワンルームアパートよりも不便な設備、で手を動かしていると。横に来たミーアがジト目で言った。アルフィーナの指導をしていたはずだが、何をやっているのか気になったらしい。


「なんでだ。ミーアも甘いの好きだろ」

「もういいです」


 ミーアはアルフィーナをちらっと見た。お姫様が雑巾で棚を拭いている、下手なホラー映画が裸足で逃げ出すくらいに背筋が凍る光景だった。幸い、ポルターガイスト的現象は起こっていない。水が滴る幽霊は一度だけ見たが。


 夏でよかった、風邪でも引かれたら、患者より先に俺が死ぬ。


 ただし、三日目となると流石に慣れてしまった。慣れると危険なことでも人は慣れてしまう。特に、拭き終わった棚を指先でなぞって「まだ汚れてますね」なんてやったミーアの将来が心配だ。


「まあこれを食えば機嫌も直るだろう」


 フライパンからバターの焼けるいい匂いが漂い始めた。味を染み込ませた黄色のパンをつまみ上げて、フライパンに投じた。パチパチという小気味よい音と甘い香りが立ち上がる。背後から聞こえてきていた少女たちの話し声が一瞬止んだ。


 地球在住時は、冷食とコンビニをこよなく愛した俺だ。この世界の設備で作れるお菓子なんてこれぐらいだ。だが、しっかり時間を掛けて染み込ませた食感と味は折り紙つきだ。



◇◇



「『大公未だ折れず。当方の心は折れそうです』って上手くねえよ」


 俺は親父の手紙を見てため息を付いた。ベルトルド大公との出資交渉は暗礁に乗り上げていた。ドレファノがいなくなって、食料ギルドが副ギルド長三人のトロイカ体制に移行。確か、ケンウェルとカレストと、後なんだっけ。


 今のうちに市場を広げたいウチとしては、資金は喉から手が出るほど欲しい。


 だが、大公家の資金を裸で受け入れたら、ヴィンダーという名前以外すべて失いかねない。


 そこで俺が考えたのが、株式というこの世界にはない仕組みの導入だ。リスクのコントロール手段として生まれた方式だが、異なる立場の人間同士の利害を調整する手段としても優れている。


 抽象的な契約の文章よりも支配関係を明確に定義してくれる。まあ要するに、物珍しさで釣ってこちらのフィールドに引き込んでしまおうと言うわけだ。大貴族に相対する平民のささやかな知恵である。


 予想通り、大公は方法自体には興味を持った。だが、問題は出資比率。50パーセント未満で抑えたい。ベルトルド大公の出資という看板さえ得られれば、資金を借り入れることは容易になる。うちの利益率ならそっちの方が絶対にいい。


 と言うか、大貴族様にそう簡単に取り込まれてたまるか。


「まあ、九歳の時からリカルドくんと一緒なのですね」

「ええ、先輩にはこき使われてきました。まあ、先輩は合理主義を気取っている割に甘いので、適度に手は抜きましたけど」


 俺の背後では、アルフィーナとミーアが話している。ホント打ち解けたもんだ。指導役としては、明らかに俺よりも適任だ。同性だし、俺なんかよりずっとしっかりしてるからな。


「ではそろそろ休憩にします」

「キュウケイですか、それはいったいどういう仕事でしょうか」


 なんか、お姫様がブラック企業の従業員みたいなことを言い出した。大丈夫……だよな。


「ともかく、あれを作りますか」

 俺は二人の従業員の福利厚生に務めるべく、キッチンに向かった。この三日、お客さん扱いをしないためにも、普通のパンにチーズ程度の軽食しか出していなかったからな。



◇◇



「さあ、おやつができたぞ」

 テーブルの上にフライパンを置き、いい感じに焦げ目のついた黄金色のパンにナイフを入れる。ミーアがお茶を淹れる。大公がアルフィーナに持たせた土産だ。アールグレイに似た酸味が効いた風味が、今日のお菓子に合いそうだ。


「蜂蜜は後から好みでかけてくれ。甘すぎないようにな」

「…………先輩はたまに変わった料理を作りますけど、これは初めてですね。フィーナは知っていますか?」

「いえ。パンに味をつけたものでしょうか? とても楽しみですね。ミーア」


 アルフィーナ様では指導ができないということで、この呼び方になった。学院でうっかり言い間違えるとかやめてくれよ。


 湯気のたつ黄金色のフレンチトーストを四分割して皿に置く。品定めをするように見るミーア。目をキラキラさせているアルフィーナ。お姫様も食べたことがないか。この世界で蜂蜜や砂糖といった甘味料は超高級品。甘いモノといえば、果物だからな。


 桃のような果実を砂糖とバターでグラッセしたものが人気だと聞いたことがある。


「いただきますリカルドくん」「いただきます先輩」


 二人はナイフとフォークを取ると、小さな一切れを切り分けると、口に含んだ。


「んーーー」「…………まあ」


 二人の少女が頬を押さえているのを見て、俺も自分のに手を付ける。もちろん、フォークで突き刺してガブリだ。うん、じゅわっと来た。ちょっと固めのパンだが、時間を掛けて染み込ませたおかげでまあまあの食感だ。蜂蜜はちょっとでいいな、たしかに甘すぎる。ってミーアのやつ遠慮なしにかけてるじゃないか。


 太っても知らないからな。


「こんな美味しいお菓子、食べたことがありません。元がパンだなんて信じられません」

「やっぱり甘いです。先輩」

「いや、だから蜂蜜をかけすぎるなって……」


 あっと言う間に食べ終えた二人の幸せそうな顔に俺も満足した。だが、今日の本題はこれからだ。この三日間、アルフィーナには零細商会の雰囲気というものを知ってもらった。全く経験のない状態から、頑張ったと思う。


 だが、大公が姪をよこした理由は単なる社会見学ではない。アルフィーナも商人の現実的な視点を学びたいと言っていた。夏休みとはいえ、巫女姫の仕事もあるアルフィーナのスケジュールも考えると、そろそろ生臭い話も始めなければならない。


「午後からアルフィーナ様には……」

「アルフィーナですか……」


 アルフィーナは少しさみしそうだが、これからの話しは従業員見習いとしてのものではない。


「大公から言われたお仕事は、単にウチの事を知る、ではありませんよね。午後からは商売の理屈を勉強してもらいます」


 視察という役割に戻ってもらわなければならない。このフレンチトーストはそのための教材でもあるのだ。



「では質問です。商売の最も基本的な形とは何でしょうか?」


 片付け終わったテーブルに座るアルフィーナとミーアに向かって、俺は言った。


「物を売ることでしょうか?」

「物を買ってそれを別の人に売ることで利益を得ることです」


 二人の生徒が答える。俺は首を振った。


「間違ってないけど、今から話すのはもう少し抽象的な話になる。商売の最も基本的な形とは、お金でお金を稼ぐことなんだ」


 俺は用意していた言葉をぶつけた。アルフィーナはもちろん、ミーアも首を傾げる。


「ここに銀貨10枚がある。この銀貨で何かを買い、それを銀貨12枚で売る。単純に考えて利益は2枚。つまり、銀貨10枚で12枚を稼いだことになる。その間にある物が何かは関係ない」


 俺はテーブルの上に銀貨を十枚重ねた。まるでカジノのチップみたいだ。だが、これからするのはそれに近い話かもしれない。


 ちなみにこの世界の正式通貨は、金銀銅。1金貨が10銀貨、1銀貨が100銅貨。日本の感覚で言えば、1銅貨が約百円。1銀貨一万円だ。


 ただし、食料品と物では物価感覚が違う。特に高級品は桁が違う。


 王都の一般市民の一月の生活費が3銀貨といったところだ。


「ごめんなさい。少し難しいです。実感しにくいというか」

「分かりますけど。抽象的過ぎます」


 俺の挑発的にも聞こえる言葉に二人共納得いかないようだ。だからこそ、これを用意した。


「じゃあ、フレンチトースト屋に例えよう」


 俺がそう言うと、二人の視線がフライパンに残った最後の一切れに向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 零細商会のわりにはバターとか砂糖とか使って嗜好品作ってる余裕あるのはすごいなあ
[気になる点] 王都の一般人の生活費が3万円って安くないですか?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ