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予言の経済学 ~巫女姫と転生商人の異世界災害対策~  作者: のらふくろう
十章『レガシーコスト』

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3話:後編 その手の先に……

 俺たちはベッドの上で、互いを瞳に映している。


「あの、それでその……」

「は、はい」


 ゴクリと反射的につばを飲み込む音が、体の中を通って鼓膜に伝わる。


「よ……」

「よ?」

「呼び方です。ダメでしょうか。アルフィーナと……」

「呼び方……、あ、ああ」


 そうだ、最初からそういう話だった。ちょっと場所と空気と距離がおかしいだけの、ささやかなお願いだ。それなのに、俺はアルフィーナに見つめられて口を動かせない。


 潤んだ大きな瞳、上気した頬。微かに開いたみずみずしい唇。ランプだけの部屋で、どうしてこんなに生々しく知覚するんだってくらいに、隣に居る少女に惹きつけられている。いつもの可憐で清らかな美しさの上に、艶めかしさを香水のようにまとっている。


 矛盾するはずの二つの魅力が相まって俺の理性が解けていくのを感じる。


 知らず右手が伸びる……。


「アルフィーナ」


 口が勝手に少女の名を呼び捨てにした。


「はい。……あっ」


 アルフィーナの顔がぱっと輝いた。彼女の願いには応えた。だが、俺の手は止まらずアルフィーナの頬に触れた。何をしているんだ。すでにミッションは終わっている。これ以上はゲームオーバーだ。


 この手が触れているアルフィーナの頬はマシュマロのようにすべすべで柔らかく、甘くて美味しそうだと思ってしまう。駄目だ、マシュマロテストなら子供でも出来たことだぞ。脳の認知能力を目の前の女の子から反らすんだ。


 俺は理性を振り絞って、彼女の吸い付くような肌に触れている手を離そうとした。その時、アルフィーナの手が頬に触れている俺の手に重なった。


「アルフィーナ」

「はい……」


 もう一度呼んだ。視界が歪む。まるでこのベッドが世界の全てで、俺とアルフィーナの二人しか居ないみたいだ。認識の中で世界が閉じて見える。このまま進んだ時に起こる全ての保身的大問題が、どこか別の世界のことのように消え去っていく。


「あの、私もリカルドって……、えっ」


 つばを飲み込む音が大きく響く。そして、つばと一緒に世界の外に追いやられた幾つもの建前が消えていく気がした。


 空いた左手がアルフィーナの肩を押した。白いシーツに青銀の髪の毛が広がる。そして、その後を追うように、俺はアルフィーナの体に覆い被さっていく。


 神聖な聖堂の後ろ暗い部屋。聖なる王女が俺の下で目を見張っている。


「はあ、はあ……」


 俺は息を荒げていた。


 何をやってるんだと、理性が警鐘を鳴らす。百歩譲って、彼女が俺に好意を持っていたとしても、今の行動は段階を二つ三つ飛ばしている。アルフィーナにしてみれば、突然豹変した男に襲われた状況のはずだ。悲鳴を上げられないだけでも感謝しないといけないはずだ。


 早く離れて、そして謝るべきだ。右手が耐えるようにシールをぎゅっと握る。それを起点になけなしの理性をかき集め、心の天秤を立て直そうとする。


 なのに、アルフィーナが目を閉じた。震える肢体から僅かに力が抜かれたのが分かる。それでまた均衡が崩れた。


「……っ」


 まだ自由だった左手がアルフィーナの首筋を撫でる。そのまま下に動く。鎖骨を通りすぎ、暗い書庫で一度だけ不可抗力で触れた場所に向かう……。厚ぼったい神官衣の中に、小指、薬指、中指と順番に侵入していく。


「っ!」


 アルフィーナがびくっと震えた。閉じられたままの目尻にぎゅっと力が入るのが見えた。


 俺の心に持ち上がる罪悪感よりも、それを塗りつぶす別の感情の方がずっと強くなっている。


 同時に、小指に肌とも布とも違う感触が当たった。反射的に指の腹で触る。細長く長方形で硬い何か。反射的にそれをつかみ、引き抜く。邪魔者は何かと俺は手を開いた。


「あっ……」


 そこには角が曲がった栞があった。表面には小さな花が……。


 俺が始めてアルフィーナに贈った物だ。彼女はそれを肌身離さず、首から提げていたのだ。自分がアルフィーナに向けている感情と、その素朴な贈り物の違い。俺はぶん殴られたような衝撃を受ける。


「…………リカルドくん。ご、ごめんなさい」


 アルフィーナが絞り出すような声を出した。そして初めて俺から顔を背けた。


「い、いや、悪いのは完全に……」


 改めて、今の自分の姿、強引で力任せに女の子を組み伏せている、を認識させられる。それでも離れたがらない体をなんとか少しだけ持ち上げた。そのとき、警告のような赤い光が目に入った。


 ベッドの天幕の端から、隣室のドアの隙間が見える。アルフィーナの視線も、そちらを向いている。


「……務めに戻ります」


 アルフィーナは立ち上がる。俺は呆然とベッドの上に座り込んだままだ。


 さっき、あの栞に気がつかなかったら、この状況でも俺は止まらなかっただろう。自分の中に隠れていた、アルフィーナへの欲望の強さに愕然としながら、同時にもう少しだったのにという感情が渦巻いている。


「リカルドくん。お願いします」


 隣からアルフィーナの声が聞こえた。見ると、彼女はすでに水晶の前に座っている。はじかれたように立ち上がる。


 水晶の前に立つとアルフィーナは目をつぶっている。さっきまでの俺の手中に収まった可憐な少女の雰囲気はない。その姿を見て、やっと気持ちが切り替わった。とにかく、今は本来やるべきだったことをやる。


 俺はイーリス1号に駆け寄り設置していた感魔紙を見る。黒い紙に白い帯が表れている。慌ててスリットを閉じる。イーリス1号の中で、感魔板の入った箱を開ける。


 水晶の光が、赤から紫紺へと変化した時、アルフィーナの様子が変わった。額に汗が浮き、水晶に伸ばした手が震えている。


「アルフィーナ様!」

「だ、大丈夫です。すぐに収まりますから。同調するまでの間だけです」

「いつも、こんな状態に」

「今回はちょっと大変ですね。……酷い顔になってるでしょうから、あまりみないでくださいね。それよりも測定を……」


 アルフィーナはほつれた髪の毛を額に貼り付けた状態で言った。


「そうだ。イーリス1号は……」


 俺は慌てて魔力スペクトラム測定器を見た。


「急げ、急げ」


 やることは魔術班との話し合いで決めている。俺は慌てて感魔板を新しい物に取り替える。じっと感魔板を見る。スリットを一杯まで絞っても、感魔板に数秒で細くて白いバンドが現れた。慌ててスリットを閉じると、感魔板を魔力阻害剤を塗った箱にしまう。


 次の一枚を取り出す。俺は東西南北に方向を変えながら水晶の光を拾う。少しずつ、感魔板を上にずらしながら、全ての方向で測定を終える。


「アルフィーナ様」


 振り向いた俺の目に、崩れ落ちそうな姿勢で水晶に手を向けているアルフィーナが映った。


「大丈夫です。リカルドくんは、測定を……」


 アルフィーナは汗で額に貼り付けた前髪を払いもせずに、俺に言った。俺は急いで隣室に戻り、布を取る。そして、これまでの魔結晶の測定結果と並べた。


「っ! 深紅よりもずっと外側じゃないか」


 バンドは一本だけ。取り外した感魔板をこれまでの測定結果と並べて比較する。あの深紅の魔結晶よりもずっと離れたところにずっと細いバンドが出ている。感魔板を裏返すと、信じられないことに、感光していた部分の魔導銀の裏板が変色している。恐る恐る指でなぞる。熱が全くないのが逆に不気味だ。


 魔力は普通の物質とは相互作用しない。だから、俺にとっては無害だ。レイヤーが違うのだ。だがアルフィーナの様に資質がある人間は、同時に魔力が存在するレイヤーにも重なっている。つまり、この高いエネルギーの魔力にアルフィーナは曝されていることになる。


「アルフィーナ様。すぐに水晶から離れて」

「駄目です、像が……もう少しで……」


 アルフィーナは頭を押さえながら水晶を見る。彼女の顔はまるで蝋のようだ。対称的に、水晶の中には渦を巻くように紫紺の光がうごめいている。


「ここ……は、でも、また違って。みたことがある場所? どこ、何も……。河……」


 アルフィーナがうわごとのようにつぶやく。俺がアルフィーナを無理矢理にでも水晶から離そうとした時、ふっと水晶の光が消えた。少し遅れてアルフィーナの体が傾く。俺は彼女を支えた。びっしりと汗をかいた体が腕に収まった。


「……駄目でした。もう少しで見えそうだったのですけど」


 アルフィーナは疲れ切った顔で気丈にも微笑もうとする。


「まずは体を休めてください」


 俺がアルフィーナを抱きかかえる。アルフィーナは目を閉じて身をゆだねる。ベッドにアルフィーナを運び、寝かせた。よほど疲れたのだろう、アルフィーナはすぐに寝息を立て始めた。


 俺の体には、アルフィーナの甘酸っぱいような匂いが染みついている。当然、それに何かを感じる余裕はない。


 ルィーツアは外にいるはずだ。彼女を呼ぶか。いや、その前に……。


 俺はもう一度、水晶の間に向かう。


 さっきまで紫紺の光を宿していた予言の受信機。光を失ったそれは祭壇の上に鎮座している。ゆっくりとそれに手を伸ばす。


「…………」


 水晶に映った自分の顔の歪みに気がついて手が止まった。さっきアルフィーナに手を伸ばした時より簡単に止まったのが腹立たしいが、おかげで冷静になる。


 ゆっくりと深呼吸をする。


 事実だけを考えろ。さっきのアルフィーナの苦しみ。そして、水晶からの魔力のスペクトラム。


 アルフィーナを水晶から解放する。だが、これを破壊するのは最終手段だ。


 少なくとも……自分がアルフィーナに向けた感情の醜さを否定するために、アルフィーナのことを純粋に心配していると自分を納得させるために、そんな判断をして良いほど単純な問題じゃない。


 俺は隣室に戻ると、ゆっくりと最初に入ってきたドアをノックした。すぐに、ルィーツアの足音が聞こえてきた。

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― 新着の感想 ―
崩れ落ちそうな体制で水晶に手を向けているアルフィーナが映った。 体制→体勢
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