3話:中編 形骸化の極み
「水晶の間というのは思ったよりも小さいのですね」
俺は足を踏み入れた六角形の空間を見回した。壁には装飾など一切ない。壁際に机と……あれ、ベッドもある。
まあいい、今日のターゲットは中央の円形の祭壇に鎮座する魔道具だ。
「これが予言の水晶ですか」
「はい」
俺とアルフィーナは透明な球体の前に立った。大きさは占いに使う水晶玉程度。いや、よく見ると単なる球体ではなく、同心円の層構造になっている。透明なそれぞれの層の境界に、立体的な模様が浮いている。
「どうやって加工したんでしょう?」
「私にも分かりません。王国の成立前から伝わっているそうです」
思わずつぶやいた俺にアルフィーナが言った。王国や帝国の前身である古大国(仮)からか。
「つまり、四百年以上前に……ととっ」
アルフィーナの顔がすぐ横にあったことに焦る。肩と肩が触れあいそうなくらいの距離だ。今更ながら、狭い部屋に二人だけであることを意識する。
「そ、そう言えばクラウディア殿は……」
俺は一緒にいるはずのクラウディアのことを聞いた。
「クラウはここに続く扉の前で、護衛用の部屋にいます。水晶が印を表すと、中には私しか入れない決まりなのです。もちろん今回のことは……ですが。……クラウも一緒の方がリカルドくんは良かったですか?」
アルフィーナが聞いてくる。あれ、ちょっと声がとがった……?
「いえ、そういうわけではなくて……。そうだ、測定の準備をしてしまいますね」
俺は足早に元いた部屋に戻り、イーリス1号の組み立てを始める。光路台を繋げて、レンズやプリズムを設置する。丁寧に、角度や高さの印が付いている。感魔板は緑色の魔力阻害剤の箱に保管されているから、まだ出さない。
それが終わると、テーブルごとイーリス1号を運び込み水晶に向ける。これで準備完了だ。この実験では水晶が光源であり、魔力を引き出す役目はアルフィーナだ。俺の役目は感魔板を交換する程度。それ以外は出来ないんだけど。
作業が終わると、再び狭い部屋に二人だけの状況になる。
「す、水晶のシグナルというのは、どのように来るのでしょうか」
俺は水晶の間にある小さなベッドから視線をそらす。実験に集中する為に質問をする。
「まだ予兆の段階ですが、光り始める前に私は脈動のような物を感じます。ですから、隣で待っていても大丈夫です」
「そうしましょう。あちらの方が広いですし。きっと落ち着ける」
俺達は控え室に戻った。さっき確認したように椅子がない。テーブルも水晶の間に移動してしまった。視線が自然にベッドに向く。アルフィーナはゆっくりとベッドに向かうと腰掛けた。
「リカルドくんも座ってください」
そして、立ち尽くす俺を隣に手招きする。一瞬ドキッとする、アルフィーナを覗うが、顔を伏せてしまっているので表情が分からない。まあ、彼女の性格上、俺だけ立ったままなんて出来ないよな。
俺は慎重に一人分の距離を開けてベッドに腰掛ける。
「…………」
「…………」
ベッドの上を沈黙が覆った。いやベッドじゃない、これは大きな椅子だ。そう思おう。
「そ、そう言えば、この部屋あまり使われていない感じですね」
落ち着きのない視線を左右に振りながら言った。下にあるシーツだけが妙に真新しい。
「私は一度も使っていません!」
アルフィーナが顔を上げて、語気を強めた。そうなのか……。確かに向こうにもベッドはあったけど。
「そ、それよりも久しぶりに、二人だけですね」
アルフィーナが俺を上目遣いで見た。状況としては、あの書庫と似ていなくもないのだが、今回は調べ物という作業がない。いや、水晶の測定というもっと大事な作業があるのだが、シグナルが出始めるまでやることがない。
実際は立ち消えてくれればそれに越したことはないシグナルだが。
「このような状況をメイティール殿下に見られたら、何を言われるか。はは……」
俺が冗談めかして答えると、アルフィーナは頬を膨らませた。
「メイティール殿下は分かっておられません。屋敷ではリカルドくんはミーアと一緒ですし。研究所ではメイティール殿下は何かとリカルドくんに……。二人だけの時間なんて私にとっては貴重なのに……」
「そ、それは、そのミーアには先物市場のことで……」
王都に戻った後も、俺が魔力研究やメイティールの食事事情に掛りっきりだったおかげで、商会を始め商業関係のことはミーアに頼りっきりの状況が続く。それでも、先物市場のことなど、俺が判断しなければいけないことも多い。屋敷ではもっぱらミーアと一緒に仕事をしている。
「お仕事が忙しいのは分かっています。……メイティール殿下のおっしゃりようが納得できなかっただけです」
アルフィーナは言った。なんというか、珍しくすねてる感じが普通の女の子っぽくて、これはこれで新鮮な……。いやいや、この状況で危険すぎる考えだろ。ここは神聖な聖堂の最奥だぞ。
だが、アルフィーナも妙にもじもじとし始めた。そして、意を決したように俺を見る。
「リカルドくん。一つお願いがあるのですが」
ベッドが軋む。彼女が体を傾けて、膝一つ分だけ距離が詰まった。
「な、なんでしょうか」
「こういう……二人だけの時だけでも、アルフィーナと呼んでいただきたいのです」
アルフィーナはそう言うと頬を染めた。
「他の人は呼び捨てですし。私だけ……」
「メ、メイティール殿下も殿下ですが……」
「メイティール殿下と違って私たちはパートナーのはずです」
「そ、そうですね……」
「二人だけの時だけで良いのです」
確かに他人行儀かなと思わないわけじゃない。だが、俺は切り替えが苦手だ。保身家としては致命的にと言っても良いくらい。
想像する。学院の廊下を歩いている俺とアルフィーナ。最近は少し慣れたが、俺がアルフィーナの隣に並ぶことが多いので、どうしても注目を集める。そこでうっかり「アルフィーナ」と呼んだ愚かな平民。アルフィーナが「はい、リカルドくん」と答える。
……冗談抜きでとんでもないことになる。アルフィーナには悪いがこれは遠慮する一手だ。大体、アルフィーナにおかしな噂が立ったらどうする。
「ダメ、ですか……」
アルフィーナが気弱そうに微笑むと、また少し体を寄せてきた。控えめな香水の甘い香りが鼻腔をくすぐる。心なしか潤んだ瞳、耳にかかる綺麗な声。
ささやかといっても良いおねだりを、こんな凶悪な仕草でされるととても断りにくい。
「だ、ダメではありませんが……」
思わず俺は目を背けた。ベッドの奥が目に入る。……なんで枕が二つあるんでしょうね。
「そ、そう言えば、この部屋は何に使われていたのでしょう」
俺は時間を稼ぐために聞いた。聞いた後自分でもアホかと思うほど不出来な話題そらし。だが、なぜかアルフィーナがびくっと震えた。
「私は学院に通うという理由で特別に叔母上様のお屋敷から通っています。でも、巫女姫に任じられた者は本来なら聖堂が生活の場となります」
「な、なるほど、それで……」
大公邸から通えば良いアルフィーナはこの部屋は使ったことがないわけだ。俺は納得したが、アルフィーナは頬を押さえながら先を続ける。
「そ、それでですね……、その、最近は、巫女の役目は必ずしも……」
アルフィーナは耳まで真っ赤にして言いよどんだ。巫女姫の役割は形骸化していたということを言いたいのだろう。濁さなくてもそんなことは分かっている。俺自身、アルフィーナと関わるまでは予言なんておみくじ程度にしか考えていなかったし。
「ですから、その……。以前の巫女姫の中には…………元々親しい殿方がいらしたり、任期中にそういう関係の……出来たりです、ね」
アルフィーナの言葉の意味がゆっくりと脳に浸透してくる。
「じゃ、じゃあこの部屋は……」
この部屋があえて水晶の間とは反対方向から迂回することを思い出した。アルフィーナが耳まで赤くしてコクリと頷いた。なんてことだ。ここは巫女姫が愛人を囲うための部屋かよ。形骸化にもほどがあるだろ。せめて外でやれ。
さっきまで椅子の代りと思い込もうとしてたベッドが、まるでベッドみたいに感じられる。いや、最初からベッドだけど。
俺はここに来る前に俺を止めた三人の女性神官を思い出した。あのときは意識しなかったが、俺はどんな目で見られていたんだろうか。
「そ、それでは、そのこの部屋がこのような形で用いられては、アルフィーナ様に不名誉な噂が……」
これは不味い。俺が一刻も早く水晶の測定をとねじ込んだから、諸々の規則をすっ飛ばす為にこんな形になったに違いない。
「わ、私は不名誉だとは思いません!」
「いえ、確かに今回の測定は大事ですけど」
大体、そんな噂が立たないようにクラウディアかルィーツアが付いているべきじゃないか。そもそも、俺がなんと言おうとノエルを指定するべきだ。なんで通った? いや、そもそも噂云々じゃなくて、アルフィーナに何かあったらどうするんだ。……何かする可能性があるのは俺だが。
というか、さっきルィーツアはなんて言った……。
「も、もしも、リカルドくんに望まれるのなら、私は……」
アルフィーナの言葉は俺の耳に入らない。俺の脳裏にはルィーツアが扉の向こうで言った言葉がよみがえっていた。この部屋で起こるべき事って……。
「ア、アルフィーナ……様。その、水晶は……」
渇いた喉からなんとか”本来”の用件を絞り出す。その時、俺の膝にアルフィーナの膝が当たった。
「まだ大丈夫だと思います。この前は夜半に……でしたから」
アルフィーナは至近から俺を見ている。上目がちの大きな瞳。暖かい吐息が感じられるほど、俺たちの間には距離がなくなっていた。




