1話:二つの要求
「大丈夫ですよリカルドくん。少し頭痛がする程度ですから。久しぶりだったので頭がびっくりしたのでしょう」
ベッドから身を起こしたアルフィーナが俺に微笑んだ。
スペクトラム解析器が完成した日、アルフィーナが聖堂に呼ばれた日から三日たっている。翌朝、聖堂からフラフラの状態で戻ってきたアルフィーナは、大公邸の自室で二日間静養している。
「こうしているとリカルドくんのフレンチトーストが食べられますし」
アルフィーナはいたずらっぽく微笑んだ。ベッドの横のテーブルには空になった皿がある。戻ってきた日の青い顔に比べたら、確かに血色は戻っている。
◇◇
「お熱などは出ておられぬ。食欲も戻られている」
俺が部屋を出たら着いてきたクラウディアが言った。今日はエウフィリアの指示で念のため休んでいるだけで、本当なら学院にもいきたいくらいだという、アルフィーナは嘘はついていないのだろう。
これまでも水晶に触れた後、体調を崩すことがあっても後を引いたことはない。だが、メイティールの言った古龍眼のことも気になる。そうじゃなくても、予言の水晶のメカニズムを推測すると……。
「でも、こんな初期から体調に影響するほど負担がかかることは、これまでなかったですよね」
「そうだな。今回は水晶の反応からして様子が違うのも確かだ」
水晶がシグナルを送る間隔が広い。
「実際に水晶に対している時のアルフィーナ様の様子は分からないんですよね」
「水晶の間は周りからは隔離され、巫女姫以外は入れない場所だ。まあ、例外は……。とにかく、私も部屋に続く通路の前で警備しているのが常だ」
「……」
水晶の測定は一筋縄ではいかないな。俺はこれから後の話し合いの為に、気合いを入れた。エウフィリアの執務室に着く。部屋の前にはいつも執事が待っている。執事は俺に、さらに奥を指した。あの部屋か。
「姫様のことを頼む」
「……わかってる」
クラウディアがアルフィーナの元に引き返す。本当は俺もこんなところに関わる人間じゃないんだけどな。一瞬、そんな保身が浮かぶ。
「馬鹿馬鹿しい。あの書庫で自分で決めた結果だ」
俺は口の中でそうつぶやいた。
まるで壁のような執事の背中について奥に進む。一度だけ入った部屋の扉が開けられる。
◇◇
蝋燭だけの部屋には男女の二人がいる。まるでやんごとなき男女の密会だ。叔母と甥の関係なので背徳感が……、というのは冗談だ。円形のテーブルに席は3つ。俺は黙って空いている席に着いた。クレイグとエウフィリアの目が揃って俺に向く。
「言いたいことは二つです。一つ目は、新しく完成した分析装置を使った水晶の解析を一刻も早く始めること。もう一つは、その結果が出るまでアルフィーナの水晶への接触を止めること」
俺は努めて冷静な口調でいった。
「少し落ち着け」
エウフィリアが困った顔になる。いやいや、声で分かるだろ冷静だよ。
「状況の整理が先だな」
クレイグが言った。それは今更ではないだろうか。
「これまでの水晶と違うパターンでシグナルが出て、これまでよりも大きな負担がアルフィーナにかかっている。これが状況ですね」
俺は客観的に事実を言った。
「これまでにない反応ということは、これまでにない規模、あるいは性質の災厄が生じる可能性があると言うことでもあるな」
クレイグが言った。
「予言に対する……期待も高い。未だ、明確な像が現れておらぬが、すでに王命で宰相府に対応のための会議が招集されておるくらいじゃ」
最初の予言の時を考えると隔世の感があるな。
「確かに予言は大きな力ですね。でも、だからこそ限界をわきまえて、安定的に運用できるようにするべきです。一人に頼り切れば、次に資質を持った人間が現れなかったらどうするんですか?」
災厄に対する対策とアルフィーナの体調を天秤に掛けるような状況は、根本からつぶさないといけない。
「そのことに異論はない。其方がそれこそ当初からそう主張をしてきたこともじゃ。我らは分かっておる」
エウフィリアが言った。クレイグも頷いた。
「アルフィーの体についても第一じゃ。だからこそ、歴代の巫女姫の健康状態は調べたであろう」
「その結果、少なくとも大きな影響はないというのが他ならぬリカルドの結論ではなかったか」
「それは……。これまでのパターンが守られた場合の話でしょう。それに古龍眼という新しい情報も……」
「報告は届いている。確かに無視できない。だが、情報源から考えて検証も無しに鵜呑みにするわけにはいくまい。違うか……」
「それは……」
それはそうだ。俺は基本的に相手を信じていようがいまいが検証する主義だ。善意で間違った情報を伝えてくる人間などいくらでもいるのだから。
「無論、体調が悪いと言うことなら、後見人として無理にでも休ませる。今日のようにな。だが、そもそもアルフィー自身が役目の放棄を肯んじないじゃろう」
エウフィリアが言った。俺はここに来る前のアルフィーナの様子を思い出す。彼女は自分の役目に大切な両親の名誉をかけている。それは、あのレリーフが修理されても変わらないだろう。
「私の考えとしては、次の予言のイメージが現れるまでは現状を維持。それが現れたら仮説を立て、それを検証する為に最大限の手を尽くすことで、災厄に対しかつ巫女姫の負担を減らす、だ」
「それじゃ……」
俺は言葉を切った。現時点で得られている情報と、得られていない情報から導き出される、妥当な線だということは分かる。俺とは優先順位が違い。そして、その優先順位の違いは俺がそれを拒絶するデメリットを超えない。
俺はテーブルの下で握った拳を開いた。
「じゃあ、予言に対する対処のために二つ。一つは最初に言った水晶の測定を急ぎたい」
「……うむ」
「……そうだな」
反応が鈍いな。
「何か問題でも?」
「いや、リカルドが水晶の力に近づくことを警戒する人間もいてな。ただ、それに関しては我らに任せよ」
「……そうじゃな」
王太子と大公が頷いた。
「二人が気にするって……。ああ、なるほど」
王様か。まあ別に不当とは言わない。だが、それならもっといい手がある。
「解決する簡単にして根本的な方法があります」
「なんじゃ?」
「水晶を破壊します。これで誰も占有できない。陛下もさぞかし心安まるのでは?」
「落ち着くのじゃ。話が巻き戻っておる。聖堂で測定をする件については我らに任せよ。アルフィーのためにも待たせはせぬ」
「……すいません」
なるほど、確かに今のはちょっと冷静ではなかったな。この二人が請け負ったなら信用できるのだから。
「もう一つは?」
クレイグが聞いた。
「災厄、あるいは大規模な魔脈の変動の原因の可能性がある血の山脈の調査を急ぐための対処。つまり……」
「大賢者の研究所で行われている研究だな」
「あの炎の魔術を強化することが可能だという話だったな……」
クレイグが表情を消し、エウフィリアが厳しい顔になった。
「新しい測定装置と魔力触媒を使えば、既存の術式の改良ならそこまで難しくないはずです。現状なら帝国にとっても……」
「必要な技術か。魔獣を共通の敵とする一種の同盟にまで踏み込む形になる。正直言えば時期尚早だが……。分かった。帝国との交渉についても次の会議で建議する」
「帝国との外交を担当するイェヴェルグ公にも話を通さねばならんな」
時間がかかることが予想されるからこそ、焦りを感じる。だが、完全とは言えないが、二人が請け負ってくれたことで少し気が楽になった。
後は、俺は俺が出来ることで最善を尽くすしかない。まずは、ラボの研究方針の見直しだな。魔力スペクトラムレベルでの魔脈の測定を急がないと……。




