2話 王女のアルバイト
「リカルドくん。12番と書かれた壺はこの棚でいいんでしょうか」
踏み台の上に乗ったアルフィーナが片足で伸びをしながら俺に聞いてくる。正直に言えば、どこでも良いからとにかくケガだけはしないで欲しい。
制服ではなく裾が長めの白のワンピース。派手に成らないくらいの刺繍入り。ただし、その規則正しいサインカーブを手作業で作るのは、腕の良い職人でもどれくらいの時間がかかるんだろうな。
お姫様にとっては普段着に近いのだろうか。ぎりぎり、なんとか、下町に遊びに来たお金持ちの令嬢くらいに収まっている。片足立ちになったはずみで、スカートで隠されていた膝裏が顕になった。実に危なっかしい光景だ。
狭い倉庫に漂う甘い香りは嗅ぎ慣れた蜂蜜のもののはずなのに、なぜ今日はより甘く感じるのだろうか。
いや、現実逃避は良くない。俺はウチの地下倉庫にお姫様がいる現実を受け入れようとした。そう、あれはほんの一時間前のこと。
夏季休業の二日目の朝。ドレファノの失脚で血色が戻った親父が血相を変えて倉庫に来た。溜まった仕事を片付ける段取りを決めたばかりの俺は、玄関先でその全てが崩れ去ったことを知った。
うちの商品単価を考えると、返信を作るだけで採算割れしそうな豪華な紹介状を持って、少なくとも一月は会うことのないはずの同級生が立っていたのだ。紹介状は言うまでもなく、後見人で、現在出資者として交渉中のベルトルド大公のものだった。
こちらの対応が遅いから、まずは視察をすることにした。姪が商会の仕事に興味を持っているというので任せた、と砕けた文章で書かれていた。
お茶会で模擬店に興味を持っていたことを思い出して、ミーアの友達であるリルカを一通り呪った。
ちなみに親父は息子を玄関に残して会合とやらに出掛けた。王女御来訪を無視して出かけるのだから、きっととんでもなく重要な会合なのだろう。後継者であるはずの俺がそれを知らないのは解せない。
椅子とテーブルがあるだけの部屋に招いて、蜂蜜の新しい食べ方でも紹介してお茶を濁そうとした。だが、お茶を淹れる間も与えず、アルフィーナは俺の手伝いをしたいと言い出したのだ。商売に興味をもったなら、初めてのお買い物から始めて欲しかった。
難易度ロイヤルの接待がこうして始まったわけだ。
今、アルフィーナは棚の上の空の壺を数えている。業者が同じ大きさの物をいくらでも揃えるわけではない、大きさが揃っていることは商品の受け渡し、輸送、保存の全てにおいて効率を左右するのだ。つまり、空きの壺の数は重要である。そう力説したあとで、この一番安全そうな仕事を任せた。
つまらないと思われるかと思ったが、アルフィーナは文句一つ言わずがんばっている。まあそういう娘だってことはさすがにもう分かっている。ただそれを考慮に入れてもやけに熱心だが。
「あっ」
「危ない!」
案の定、アルフィーナが手を滑らせた。想定内の出来事だった。だが、落ちていく壺に手を伸ばしたはずみで、彼女の踏み台が揺れた。俺は落下していく壺、を無視してアルフィーナの腰にしがみついた。床に落ちた壺がコロコロと回転して俺達の前に来た。
空の壺だったから蜜はこぼれていない。だけど甘い匂いは濃くなった。
「ご、御免なさいリカルドくん。…………あの、でも私は大丈夫ですから」
「先輩。早速セクハラですか?」
冷たい声が背中を打った。俺が教えた別世界の言葉を使いこなす、頼もしい秘書が立っていた。
「ち、違うぞ。これは万が一にも怪我でもしたらと思って」
「膝の高さの半分もない踏み台でですか?」
慌てて手を離した俺と、顔を真赤にしてうつ向いたアルフィーナにミーアの声が追い打ちをかけた。
「それで、どうしてこんな愉快な状況になったのですか?」
俺とアルフィーナを棚の前に立たせて、ミーアが問うた。
「私がお仕事を体験したいと無理を言ったのです。手伝うどころか邪魔をしてしまいました。ごめんなさい割れた壺は私が償います」
アルフィーナは床に転がった壺を拾って悲しそうに言った。
「殿下の現在の労働の価値は現在進行でマイナスです。働けば働くだけヴィンダーにとって損害を与えています。壊れた壺の値段のことではありません。当商会にとって最も貴重な先輩の時間を奪っているからです。紹賢祭に興味をお持ちだったようですが、ヴィンダーは模擬店ではありません」
「そ、それは……。ごめんなさい」
「お、おいミーア、そりゃいくらなんでも……」
「もちろん、最大の責任は作業監督者であるリカルド先輩にあります」
ミーアが俺の方を向いた。眉を釣り上げた顔は、それがアルフィーナを憚っての言葉でないことを示している。
「そうはいっても。…………いや、返す言葉もないな」
俺は完全にアルフィーナに翻弄されていた。自分のホームでこれは情けない話だ。肝心なことは何一つ確かめないまま。つまり明確な方針を立てず、それらしい作業をさせようとしか考えなかったのだから。
だが、夏休みにいきなり可愛い同級生、もとい王女殿下が訪ねて来たら動揺するだろ。
「ミーアから見たら、仕事中の俺がアルフィーナ様の遊びに付き合ってたように見えるよな」
俺の言葉にアルフィーナは両手でスカートを掴んで顔を伏せた。
「ただ、俺はアルフィーナ様がただの好奇心や、思いつきでここに来たとは思えなかったんだ」
確かに浮かれ気味だったし、手伝いという段階ではなく完全に邪魔してるだけ。見たことの無い世界への憧れが強い女の子だってわかってるし。そういう要素も有ったと思う。
だけど、ぎこちないながらも作業一つ一つに向き合おうとしていた。だからこそ、意図を測りかねたのだ。
「先輩は策士を気取っている割にはちょろいので信用できません。アルフィーナ様、なぜこのような突拍子もない行動に出られたのか教えて下さい」
ミーアはまっすぐアルフィーナを見た。アルフィーナは握りしめていたスカートを離すと、ミーアに向き直った。
「……私は、リカルド君の見ている世界を見てみたかったんです」
「えっ」
そりゃ一体どういう意味……。
「予言のことです。あの時、私の言葉は誰にも届きませんでした。最初は、私の血筋が原因だって思っていました。だから、リカルド君が話を聞いてくれた時は嬉しかったです。信じるんじゃなくて検証するって言いましたけど、私の言葉に向き合ってくれただけで嬉しかったんです」
アルフィーナはそこまで言うと一度言葉を切った。
「でも、それだけじゃなかった。リカルド君は私とは全然違ったんです。そしてフルシー先生や叔母上を動かして、王国を動かしてしまいました。わかっています。私がいくら頑張っても、リカルド君のようなことは出来ないでしょう。でも、せめて理解したいと思ったんです。リカルド君のお仕事のことを知れば、それが少しでも叶うかもしれないって……」
アルフィーナは堰を切ったように言葉を綴った。
出会った時にはその責任感も含めて浮世離れしていたお花畑のお姫様だった。周囲の圧力に負けず、自分が真実だと思うことを告げて、挙句大逆転で救国の聖女。
正直少しだけ疑っていた。奥ゆかしい態度は不遇の境遇への適応で、これまでの反動が出るかもしれないと。
だが、俺の中の現実主義と保身が言う。手放しで感動しているわけにもいかない。アレは、保身的には最悪。決してするべきではない経験だ。むしろ少しくらい増長してくれたほうが安心なくらいだ。
「……でも、それはやはり私のわがままでした。リカルド君に甘えてたんだと思います」
アルフィーナはそう言うと、再び顔を伏せてしまった。
「つまり、ヴィンダーはヴィンダーでも…………」
ミーアはますます難しい顔でぶつぶつと呟いた。無意識にだろう、両手をニギニギと動かす。何かに迷っている時の癖だ。
「…………女の子のお尻を追いかけていた先輩より、まじめに仕事と向き合っていたのは認めざるを得ません」
「お、おいミーア」
「わかりましたアルフィーナ様がお店の手伝いをすることを認めます」
好き勝手に上司を貶めておきながら、悔しそうな顔でミーアは言った。
「良いのですか」
アルフィーナは驚いたように顔を上げた。
「……不本意ですが、アルフィーナ様には当商会のことはある程度知っておいていただかなければなりません」
それは当然俺も考えた。形だけとはいえレイリアの領主、これから深く関わるだろうベルトルド大公の姪なのだ。
「ただし、二つ条件があります。セクハラ先輩では問題外だから指導は私が引き受けます。見せることができるのはあくまで先輩のいる環境、ヴィンダーの姿ということになりますが、それでもいいですか」
ミーアは、アルフィーナをまっすぐ見ていった。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「わかりました、あと一つは…………」
俺は身構えた、次はどんな暴言が俺を襲うのか。だが、ミーアは吹っ切れたような顔で、アルフィーナの長いスカートを指差した。
「その格好ではどうしようもありません、着替えてください」
「先輩は女の子ではなくて帳簿を愛でててください」という言葉と共にドアが閉まった。俺は仕方なく隣の部屋で帳簿とにらめっこだ。数を追うのは嫌いではないが、壁の向こうを考えると、目の上を数字が上滑りする。
意地になって帳簿に顔を突っ込んだところで、ドアが開く音がした。
「あ、あの、リカルドくん。どうでしょうか」
俺は恐る恐る帳簿から顔を出した。そこには何の変哲もないただの美少女がいた。現代日本の知識を動員して解析したら、清楚なメイドさんという答えが出る。
ひと目で商家の娘と解るシンプルなダークグレイのワンピース。さっきまでよりも少しスカート短め。その上に、白いエプロンドレスだ。エプロンの肩口に小さなフリルをつけているが、至って普通の装い。だが、コントラストの効いた服装と可愛い女の子の組み合わせは反則だ。
しかも、所在なさ気にスカートをちょっと摘んだり。胸元を気にしたりしている。もしもさっき抱きつ……助けるために支えた時に、この格好だったら本格的にやばかったかもしれない。
「どうしました先輩」
ミーアがいたずらっぽく笑った。これはわかっていて楽しんでいる。ちなみにフリル付きなのは、この服だけだ。成長期のはずのミーア用に少し大きく作った時、ノリでフリルをつけたのだ。ちなみに、親父が絶対ダメだと封印した。親父は正しかった、解いてはならない封印だったと今わかった。
だが待て、俺は王様に「お前ストリーキングじゃん」なんて本当のことを言っちゃう子供じゃない。真実は時に残酷という。弱者の吐く真実は、時にどころか殆どの場合残酷なのだ。発言者にとって。
「…………とても似合っています」
だが、この場合お世辞も本音も一緒だった。
「嬉しいです」
仮にも平民の服装が「似合う」というのは失礼に当たるはずなのに、アルフィーナは頬を押さえて微笑んだ。
怒涛のようだった一学期が終わり、あるいは一息くらいつけるかと思った夏休み。そんな希望は、俺にはもう縁のないものらしい。




