11話 出張料理
王都近辺の最大の貴族であるイェヴェルグ公爵邸は豪華と言うよりも瀟洒なイメージが強い。歴代当主が趣味人だという話も納得だ。二度目の来訪だが、前回はリーザベルトの歓迎会の作業要員だった。当然、表門をくぐるのも初めてだ。
玄関の前には大勢の使用人と警護の騎士に守られた二人の女性が立っていた。第一王女で公爵夫人のブランディーヌとその客という形のメイティールだ。王立学院の学友が遊びに来たという体である。メイティールの表情を見るまでもなく、こちらの意図はバレバレだが。それでも、もう一度チャンスがあることを喜ぶべきだろう。
「正式にお招きできてうれしいわヴィンダー君。貴方のことは弟……いけない王太子殿下とアルフィーナ、そして叔母上からも聞いているわよ」
栗色の髪の毛をアップにしたブランディーヌがにこりと笑う。アルフィーナがお土産に持ってきた出張料理人という扱いも期待していたけど、ダメらしい。まあ、前回に引き続いて影でこそこそは通じないのでしかたがない。
「身に余るお言葉でございます」
俺は無難に答えた。だからといって気まずいのは変わらない。「貴女のもう一人の弟さんを国外に追い出しましたけど、どう思ってますか?」なんて聞けるわけがないのだ。
「…………」
メイティールの方は無言だ。
「前回のアイスクリームはヴィンダー君の手腕と聞いているし。今日は誰も食べたことがない珍しい料理を作ってくれるという話だもの。期待しているわ」
メイティールの憮然たる表情をちらっと見たブランディーヌが、思いっきりハードルを上げる。
◇◇
アルフィーナとメイティールが一言もしゃべらないまま食堂に向かう。当然ホスト役のブランディーヌは二人と一緒であるべきだと思うのだが、なぜか厨房に案内される俺に付いてくる。
一緒にいるのは白髪交じりの年配の侍女だけだ。
「貴方のことは私も夫もとても興味を持っているのよ。何しろ……」
ブランディーヌは意味深な笑顔を浮かべる。
「フレンチトーストにヨウカン。それにあのアイスクリーム。誰も知らない料理を次々と作り出しているのだから」
「私の力ではありません。学院の先輩や同級生の協力のたまものです。特にアンコに関しては開発したのはナタリーという……」
俺は餡子開発秘話で時間を稼ぐ。リーザベルトの歓迎会でアイスクリームを食べているブランディーヌの興味を引けたようだ。おかげで、長い廊下を大分消化できた。よし、切り抜けた。
「そう言えば、アルフィーナは三十過ぎまで巫女姫の役割があるのだけど、貴方はそれをどう思っているのかしら?」
位置的にはアルフィーナ達が向かった食堂の裏、厨房の入り口に到着した時、ブランディーヌが唐突に聞いてきた。
「おっしゃることの意味が分かりかねますが……。宰相閣下にも申し上げましたが、災厄の予想という大事が一人の人間に依存する状況は、臆病者の私には不安ではありますが」
「つまり、なるべく早くアルフィーナを巫女姫の役割から解放したいというわけね。その後はどうするのかしら」
「それこそ、アルフィーナ様のご意志次第かと。そうですね。恐れ多くも学友として親しくさせていただいている以上、アルフィーナ様のご希望が叶うよう微力を尽くしたいと思っております」
我ながら完璧な対応であろう。文字通り、王族に忠誠心厚い平民である。ブランディーヌも笑顔である。
「頼りになる友人を持ってアルフィーナは幸せね。…………そうね、貴方の望みが真にその程度なら陛下も安心なさると思うわ」
ブランディーヌは満足げに言った。どこから王様出てきた?
「さあ、ここよ。彼はガリプス、先代から仕える当家の料理人よ。今日はヴィンダー君の手伝いをさせるわ」
厨房で一人立っていた男が黙って一礼した。公爵邸の料理人となると、前世なら三つ星料理店のシェフクラスだ。自分の職場にこんなのが来たら気に入らないだろうに、全く表情に出さない。いや、なぜか俺を見る目におびえがあるけど、どうしてだ。
「……では調理を始めますね。えっと、ガリプスさん。よろしくお願いします」
ブランディーヌが食堂に向かったのを見て、俺は大きな鍋を火に掛けた。持ってきた布を開く。中に入っているのは今日の為に筋肉痛になってまで作り上げた麺だ。生地をのばすコツから切り分けまで、プルラにも協力してもらったおかげでなんとか完成した。
「お願いしていた材料の方は……」
「ここにあります」
ガリプスが調理台から木製のトレイを運んできた。ダッシュで。もっとこう、うさんくさい目で見られると思ってたんだけど。まあ、協力的なのは困らないか。メイティールの食事に手を焼いていたのだろう。
ニンニクと唐辛子、そしてマッシュルームとシメジがたっぷり乗っている。トレイの横にはオリーブオイルの壺も用意されている。
俺がキノコを前に包丁を握る。…………じっと横から見てくる視線が痛い。俺が包丁を動かし始めると、料理人の手がわさわさと動いた。ああ、なるほど素人芸は見てられないよね。
「キノコを切るのはお任せして良いですか?」
俺とは比べものにならない包丁さばきを披露する料理長によって、材料はあっという間に綺麗に形を変えた。俺は沸騰しかけの水が入った鍋を確認すると、その横の竈にフライパンを掛ける。調理も任せた方が良いのだろうが、これは見ていてもらおう。失敗する要素が少ない単純な料理だ。
フライパンが熱したところでオリーブオイルをたっぷり引く。そして、刻んだニンニクを投入して炒める。ニンニクの香りが立つと、唐辛子を投入、味の付いた油で細かく切ってもらったキノコを炒める。最後に、フライパンの端の方にベーコンを並べる。
麺を鍋に投入する。緑色の麺に料理長が一瞬ぎょっとするが、文句は出ない。心の中で四十秒数える。生なのですぐゆであがるのだ。後はこの二つを合せるだけ。注意するのはフライパンに投入するゆで汁に塩を足すことくらいだ。
「出来ました」
オリーブオイルが白濁したのを確認して、俺はフライパンを下ろした。
◇◇
「リカルド殿も席についてください」
配膳係と一緒に皿を運ぼうとした俺は、ブランディーヌに止められる。仕方なく、指定されたアルフィーナの隣に座る。
配膳をお願いした侍女の人が銀色のクロッシュを取ると、ニンニクの香りがテーブルに広がる。
だが、嗅覚よりも視覚が問題のようだ。緑色の物体に、メイティールとブランディーヌが一瞬ぎょっとしたのが分かる。うん、まあ見た目はあんまりだよね。緑色の麺に刻んだキノコとベーコンが散らばるだけ、前世では「貧者のパスタ」とか「絶望のパスタ」とか散々なあだ名があったはずだ。その上色が緑だ。
「色と言い形と言い。確かに食べた事が無い料理ね。……香りから察するにこの緑はあのお茶なのかしら」
ブランディーヌの隣で、メイティールもじっと皿を見る。嫌いな香りではないはずだが、あまり期待されていないな。
「どうやって食べるのかしら」
「はい、このようにフォークに絡めてお召し上がりください」
俺はフォークを麺に差し込むとくるくる回す。そして、口に運ぶ。うん、ニンニクと唐辛子、そしてオリーブオイルの香りが唾液を誘う。乱暴で鮮烈な組み合わせだ。そして、その強い味を受け止める麺の雑味とも言える風味。
パスタを使った本来のペペロンチーノとは違うが、上出来の味だ。欲を言えば隠し味程度に醤油が欲しいかな。
「ニンニクと唐辛子の味の付いたオイルがソースなのね。シンプルなのにお茶の香りがついたこの細い食べ物に合うわね。少し乱暴だけど、食欲を誘う味だわ」
ブランディーヌが言った。表情は感心しているように見える。メイティールの食欲を促すために工夫したと思っているのだろう。
「アイスクリームの時も思いましたけれど、本当に不思議な香りですね。私はすっかり好きになってしまっています」
何度か試食に付き合ってもらったアルフィーナが言った。よし、二人の評価は悪くない。さて、肝心のターゲットは……。
メイティールは「はぁ」と小さくため息をつく。よくそんな少しだけ巻き取れるという量がフォークで持ち上げられる。ご丁寧にキノコやベーコンは綺麗に避けている。そして、無表情のまま口を開いた。細い顎がゆっくりと数回動いたところで、口の動きが止まった。さて、気がついてもらえるかな。この鮮烈な香りの組み合わせを支えている麺の力に。
「……もしかして蕎麦なの?」
驚いたように開いた唇を染める油が少しなまめかしい。この組み合わせ有りなの? という驚きは前世の創作和食店でこれを食べた時の俺と同じなのかも知れない。
俺がメイティールのために用意した主食は茶蕎麦、茶蕎麦のペペロンチーノだ。和洋の奇跡のコラボ。その衝撃は生まれ変わった今も覚えている。
「正解です。粉に引いた蕎麦が8割、小麦粉が2割を水で練った物を細く切り分けた後で茹でています」
王国では北部の限られた地域で作られているだけだ。ロストン先輩がいないと入手に苦労しただろう。
「まあ、蕎麦というのはあの蕎麦ですか、確かに雑味がありますけど。ええ、これは面白い味ね」
ブランディーヌはフォークを勢いよく動かすメイティールを見る。
「そうだわ。夫にも食べさせたいし。パーティーにも使ってみたいわ。納めてもらうことは可能かしら」
「ありがとうございます。先日お伺いしたベルミニ商会とロストン商会が共同でご用命を承ることでしょう」
「これをお披露目する時が楽しみだわ。何しろ誰も食べたことがない料理だもの」
ブランディーヌはどうやらパーティーにでもこれを使うつもりらしい。公爵邸で蕎麦を出す口実でもあるだろうが、いたずらっぽい目が輝いているのを見ると、本気で面白がっている様に見える。
ほどほどによろしくお願いしますよ。抹茶の需要が高まるのは歓迎だけど、まだ生産量に限りがあるので。
俺達が話している間も、メイティールのフォークは動き続ける。量的には一人前の三分の二くらいだから、あっという間に皿が空になった。
アルフィーナとブランディーヌはほっとしたような顔になる。俺も胸をなで下ろした。
食事が終わり、アルフィーナがブランディーヌと話している。離れたとこで待機していた俺の方に、メイティールが来た。
「……本当に貴方の知識は底知れないわね。蕎麦にあんな食べ方があるなんて知らなかったわ。……王国にもない料理みたいね」
探るような目で見られる。前世の故郷の料理、しかも極めて特殊な部類だからな。
「具材も燻製にした肉。癖のないキノコ。いろいろと考えてくれたみたいね」
メイティールは少しばつが悪そうに目をそらすが、すぐにこちらをまっすぐ見る。
「…………美味しかったわ。王都に来てこんなに食べたのは始めてかも」
「良かったです。そうだ、パンよりは眠くなりにくいとは思いますけど。もし問題が出たら言ってください」
俺は念のため付け加えた。蕎麦は立派な主食、カロリーの殆どは糖だ。食物繊維が多いといっても、サラダを先に食べるのに比べると心許ない。キノコを多めにしたのはそれも考えてだ。
そして、問題があるようだったら、もうちょっとちゃんと調べることを考えないといけない。変態の汚名を着てもな。
「……何か目が恐いわよ」
「いえ、ははは。強い眠気が来なければそこまでは……」
「怪しいわね。……でも、まさかここまでの物を持ってくるとは思わなかったわ。……苦労したわよね」
メイティールは俺の目をじっと見ながら聞いてくる。
「それだけ殿下の力が必要なのですよ」
俺はあっさりと答えた。
「正直で結構」
メイティールは笑った。尊大とも言える笑顔がまぶしい。弱った姿を見せられた後だからか、生意気な態度が魅力的に見える。女の子は卑怯に出来ている。蕎麦を打ちすぎて筋肉痛の肩がすっと軽くなる。
「研究が進まないと血の山脈の近くに都市を造るなんて夢のまた夢になってしまう」
帝国の侵攻のせいで見込み発車も良いところなのだ。つじつまを合わせてもらわないと。
「それだけかしら……」
「それだけとは?」
メイティールはブランディーヌと話しているアルフィーナを見た。
「あの娘のためよね」
「ま、まあ、それもありますね……。大事なパートナーですから」
「まあ、今回は不本意ながら世話になったみたいだし。いいわ。そもそも魔導のことは私自身の目的だしね。貴方の期待には応えてあげるわ」
「それに関しては信用している」
「本当かしら」
「ああ、だから今日の料理を作ることに集中したんだ。研究の方は、メイティール殿下が調子を取り戻してくればなんとかなるってな」
体調が万全でなくても俺に不満があっても、メイティールは研究に真剣に向き合い続けた。
「…………」
「どうした? あっ、まあ今のは期待というか……」
沈黙して顔を伏せたメイティールに焦る。また知識だけが目当てみたいな発言に聞こえたか。
「……それはそうと、研究に行き詰まっているのは確かなの。何かアイデアはないのかしら」
メイティールは頭を二回左右に振ると突然話題を変えた。いや、だからメイティールに頼るしかないって話なんだが……。
「正直お手上げだけど、一つ考えられることがあるとしたらあの喰城虫だな。あの魔獣は微かな魔脈の波長の違いをかぎ分けていたんだ。ということはその為のメカニズムを持っていると言うことだよな」
「喰城虫……」
「いや、単なる思いつきだよ。そんな簡単な話じゃないのは分かってる」
考え込むメイティールに俺は慌てて手を振った。生物の持つセンサーは超高感度だ。前世でも生物の網膜に匹敵する光学センサーは作れなかった。ナノスケールの分子機械なんて、人間が簡単にまねできる物ではない。
だが、メイティールは俺の言葉を無視して考え込む。そして、勢いよく顔を上げる。
「……私は調べなきゃいけないことが出来たから。これで失礼するわ」
「はっ? あ、おい」
メイティールはそう言うと、アルフィーナとブランディーヌの間を縫って階段へ向かう。あっけにとられた二人の視線が俺に向かうが、俺は掌を上に向けることしか出来ない。
◇◇
「アルフィーナ、そしてヴィンダー殿。改めてお礼を言います。今回は助かりました」
公爵邸を辞す俺とアルフィーナにブランディーヌが頭を下げる。
「あの不思議な食べ物、チャソバのことはお願いね」
「はい。乾燥させればかなり保ちます。ただ、癖がある食べ物ですから。パンのように毎食出すというわけにはいかないでしょう」
味にも不満は持たれなかったと思うが、あの料理の評価の多くは珍しさが占めていたはずだ。そもそも、普通の蕎麦なら二日に一度食べても飽きないかもしれないが、変化球である茶蕎麦はあっという間に飽きる。
「肉は燻製にして、野菜はキノコの方が抵抗が少ないみたいです」
俺はそう付け加えた。これに関しては実は意図したわけではない、単に前世に近づけようとした結果だ。
「なるほど。少しでも良い物をと言うのが裏目に出ているわね。今回の貴方の働きは夫にも伝えるわ」
「公爵閣下にですか? それは……?」
「帝国との外交を担当することになっているのよ」
なるほど、それ込みでメイティールを預かっていたわけか。うわぁ、今回のことも何か試されたっぽいな。
「それもあるけれど。そうね、私も王太子殿下と同じく、ヴィンダー君に期待させてもらうわ」
ブランディーヌが更に怖いことを言い出した。そして、アルフィーナを見る。
「だから、頑張りなさいアルフィーナ」
「……はい。さっきのリカルドくんがメイティール殿下を見る――」
「待ってリカルド!」
アルフィーナの言葉を遮るように、上から声が響いた。紙の束を持ったメイティールが階段を降りてくる。
「これをノエルに届けて。こっちはミーアに」
「あ、ああ。これは……?」
「新しいアイデア。ああ次が待ち遠しいわ。そうそう、アイスクリームも忘れないでよ。今回のことはそれとして、約束は約束だもの」
メイティールがまくし立てる。食後2時間くらいは経っているよな。どうやら大丈夫そうだな。俺は押し付けるように渡された紙を束ねながら、メイティールの頬の赤さに安心する。
「頑張りなさいアルフィーナ。王国の未来がかかっているわ」
「はい……」
王家の義姉妹が何か深刻そうに話している。せっかく問題が解決したのに、どこか不穏な感じなのは何故だろう。




