10話 故郷の味
「プリズムとの距離はこれで限界ね。これ以上離すとぼやけすぎて、分離能が落ちる……。次に考えるとしたらスリットの……」
メイティールは机に突いた腕で額を支える。その目は憑かれたように何も映っていない感魔紙の上を行き来している。時折首を振り、自分が持ってきたメモを見て、また首を振る。
「ノエル。スリットの厚さの調整は」
「は、はい。もうちょっとかかります。その、厚さを変えると……やっぱり魔力が広がって」
そうかと思うと、いきなりノエルに振り返ると、最低限の言葉で確認をする。ノエルが緊張した声で返す。ちなみにフルシーは感魔紙の改良の為ここにはいない。魔力に感光する触媒じゃなくて、土台である紙質を変えるらしい。
「とにかく急いで。この方針がダメならまた次を考えないと……。プリズムのロスを減らすには……」
サラダ実験から一週間、俺の期待とは裏腹にメイティールの体調は悪化していた。顔色は離れてみても青白い。おまけに目元には隈まである。
上手くいっていたはずの魔術班の人間関係もぎこちない。研究が進まない状況のせいもあるだろうが、主因は俺の小細工にノエルとフルシーが乗ったことだろう。つまり、マネージメントを気取った俺がめちゃくちゃにしたわけだ。
「メイティール殿下」
「何? 私は忙しいんだけど」
「あまり無理をされては。公爵邸でも遅くまで灯りが……」
「なんの役にも立たないくせに余計な口出しをするお姫様は黙ってて」
「いや、そんな顔色じゃ誰でも心配するから」
たまりかねて俺も口を挟んでしまった。
「私は貴方の方針通りにちゃんと協力しているわ。装置の改良が進まないという文句なら聞くけど、その場合は対案を出して」
メイティールが俺を睨む。
「そっちの文句はないんだよ。ただ……」
「研究の話じゃないなら聞く必要はないわ。私に必要なのは貴方の知識、貴方に必要なのは私の知識。でしょ」
メイティールの言葉に俺は引き下がる。
◇◇
メイティールに追い払われた俺は館長室に向かった。部屋にはシェリーとリルカ、そしてミーアにも来てもらっている。
「公爵邸でのメイティール殿下のお食事は変わらず……いえ、むしろお食事の量は少し減っているそうです……」
アルフィーナが公爵夫人からの情報を説明する。俺が伝えてもらった改善案は二つ、朝食に果物一つでも良いから食べてもらうこと。昼飯に多めのサラダを出してもらうことだ。
だが、朝食は相変わらず一口も食べない。昼食前のサラダは、最初の数日は食べようとしたらしい。だが、それで主食の量は増えるどころか減ったそうだ。主食をしっかり食べても大丈夫なようにサラダを提案したのに、そもそも肝心の食欲が落ちたのではどうしようもない。
「面目ない。完全に失敗しました」
「皇女相手に言うのもなんだけど。ちょっとわがままなんじゃない。シェリーがあれをそろえるのにどれだけ苦労したか。まあ、今回は……」
「……ヴィンダーのやり方にデリカシーがなさ過ぎたのは確かだと思う」
「大体、ヴィンダーは女の子に対する扱いがなってないわ。環境のせいかな」
「……そうだね。一番近くにいるのがアルフィーナ様とミーアだもんね」
「シェリーも結構ヴィンダーには甘いと思うけど」
「い、一緒にしないで。私は巻き込まれてるだけ!」
シェリーが勢いよく否定する。うん、よく巻き込まれてるな、とは思ってるよ。
「コホン。クルトハイトにいる時はどうだったんだ。ミーア」
俺はミーアに聞いた。ちなみに、昨夜ミーアにこの話を持っていったら、盛大なため息を付かれた。そして説明しようとする俺を遮りアルフィーナの部屋に行ってしまった。
「一言で言えば、機能的です。人に対しても自分に対しても管理という態度に徹していました。個人的には共感できるやり方ですね。例えば……」
ミーアがクルトハイトでのメイティールの様子を説明してくれる。
「担当者を記号と数字で管理か……。徹底してるな」
他人に対してだけなら嫌悪感を感じるが、メイティールは自分に対してもそうだったらしい。まあ、イメージ通りと言えばそうだな。というか……。
「だから実験ってノリの方が受け入れられるかと思ったんだけど」
「先輩とメイティール殿下の立場が逆なら、あるいは面白がってくれたかもしれません」
ミーアが付け加える。……悪かったよ。
「そうですね。やはり人質同然という環境が精神的にご負担を掛けているのだと思います」
「特にメイティール殿下にしてみれば先輩に呼ばれて王都に来たという意識があったでしょう」
「……なるほど」
留学経験がある先輩が言っていた。大きく違う環境で『郷に入っては郷に従う』を実行するためには、何よりも自分のルールを決める必要がある。「日本では普通に出来たことが、どれほど難しいか思い知った。特に集中力を保つのが難しい」だそうだ。周囲で起こる、ありとあらゆる普通のことが雑音として脳を揺さぶるらしい。
その先輩は向こうでは、自分がこれから何をやるか紙に書いてから作業を始めていたらしい。そのノートを見せてもらったが、まるで自分マニュアルだった。
メイティールの場合はもっと条件が悪い。何しろ、ついさっきまでの敵国で、自分は人質なのだ。冗談めかしていたが今思えばそういった発言はあった。
「ちゃんと説明しなかったのもだけど。提案そのものも間違ってたな」
少なくともメイティールは昼食に関しては俺の提案を実行しようとした。だが、逆に悪化した。今思えば、食欲不振の主因はストレスであり、食事文化の違いやそれによる眠気はそれを更に助長する要素だったんだろう。
「……ストレスが原因である食欲不振に、ストレスが増える方法で対処しようとしたんだから。そりゃ失敗する」
俺はメイティールではなく、メイティールの血糖値を管理しようとした。人間関係を論理的に管理しようとするダメな癖だ。
「分かっているみたいですけど。その言い方が……。まあ、先輩らしいと言えばらしいですけど」
「私がフォローできれば良かったんですけど」
「二人とも甘いです。女の子の体調に関わることを安易に扱ったヴィンダーが悪い」
ああなるほど、さっきリルカとシェリーが言ったのはそういう意味か。
「ああ、分かったから。失敗の理由は思い知った」
「それで、どう挽回するの?」
リルカが聞いてきた。
「どうするかな……」
全員の視線を受けて俺は考え込む。失敗の原因は分かったんだ。そして、メイティールにしっかり昼食を取らせるという方針そのものが否定されたわけではない。ならば、問題はやり方だ。
「血糖値の変動を穏やかにすることで、しっかり昼を食べてもらうという方針自体は堅持する。ただし、ターゲットをサラダじゃなくて炭水化物……主食に移す……かな」
メイティールの体調だけを考えれば、サラダがベストだと思う。だが、相手は人間だ。炭水化物が好きなら、炭水化物で改善させるしかない。
「サラダほどじゃなくても、消化吸収がパンよりも穏やかな主食はあるはずだ。例えばパンを普通の黒いパンに変えるだけでも効果はある」
「それは不味くない? 公爵夫人にしてみれば最高のもてなしをしている訳よ。預かっている他国の皇族あいてに格式を下げるのはいろいろと問題が起こるよ」
「そうですね。メイティール殿下のパンだけを変えるわけにも行かないでしょう。公爵邸の食事自体をメイティール殿下に合せることになります。それは一度遠慮されているわけですから」
「新しいストレス源になりかねないか。じゃあ、むしろ全く違う食品の方が良いな」
確か、小麦を使った主食の中で一番低GI、吸収の速度が穏やか、なのはパスタだったはずだ。だけど、こちらにはない。小麦粉はあるけど、うどんと違って水と塩で練れば出来るわけじゃなかったはずだ。しかも、パスタの消化吸収が遅いのは、特別な品種の小麦を原料にしてるのが理由だったはずだ。
ケンウェルに頼めば候補となる小麦を仕入れることは出来るかもしれないが、作り方が分からない物を材料の選定からじゃ時間がかかる。
パンはダメ。米もない……。他に主食と言えばトウモロコシ……、サツマイモ……。同じだ、あるかどうかも分からない。ジャガイモはあったっけ。でも、アレはむちゃくちゃ吸収が早いんだよな。いっそ豆を粉にして……。
無理だ。前世で健康に良いと謳われた大豆商品はあったが、全て代替品にしては美味いレベルだった。小麦や米が主食の地位を獲得したのにはちゃんと理由がある。雑穀は雑穀……。
「いや、まてよ……」
俺は一つの食材を思い出した。食べ物がありふれていた現代日本でもよく食べられていた雑穀がある。しかも……。
「リーザベルトを尋ねた時に出たのはガレットだったよな」
「……ええ、あんまり味は覚えてないけど」
シェリーが言った。
「蕎麦ならいけるかも知れない」
脳裏に浮かんだのは懐かしい前世の味。蕎麦は立派な主食。そして、小麦粉よりもずっと消化吸収が穏やかだったはず。蕎麦打ちなんてしたことがないが、確か二八蕎麦は小麦粉2に蕎麦粉8という意味だったはず。蕎麦粉10割を謳った商品もあった。少なくともパスタよりも難易度が低そうだ。
形が全く変わるから、珍しい食べ物として押せば……。
「駄目だ、タレがない」
蕎麦を食べるにはどうしても醤油がいる。鰹節もだ。この二つの超難易度食材を再現するくらいなら、パスタの作り方を再現した方がまだましだ。仮に出来たとしても、羊羹の時の失敗を繰り返す可能性が高い。
「ダメか……」
候補を書いては消した紙を前に、俺は机に顔を伏せた。
「はい。お茶」
俺の前にシェリーがカップを置いてくれた。落ち着く緑色の緑茶の香りに、少しだけ癒やされる。
「公爵邸にドレッシングを届ける時に一緒にお持ちしたけど、好評だったわ」
そう言いながら、シェリーの顔は曇っている。
「どうしたんだ?」
「……公爵婦人とお茶を飲んだことを思いだしたのよ」
「良かったじゃないか」
「……ヴィンダーのせいだから。いろいろと聞かれたわよ」
シェリーが意味深なことを言う。
「なんで? …………あ、いい。分かったから。本題に戻るぞ」
忘れてたけど、兄弟を一人国外追放に持っていったんだった。
「とにかく今ある物で、俺にも簡単に作れるもので、しかも調理方法も…………」
俺は自分の手持ちの材料を確認する。目の前には皆で作ったドレッシングも並んでいる。オリーブオイル、唐辛子、確かニンニクも一般的なんだよな。後はダルガン先輩に頼んでいたベーコン。これでパスタがあれば……。
俺は前世の料理の一つを思い出した。アレは簡単かつ旨い。しかも安い。貧乏学生の味方みたいな料理だったな。食欲をそそる要素てんこ盛りだし。貧者のパスタなんて言われていた気がするけど、こっちなら……。
だめだ、存在しないパスタを前提に考えてどうする。
「待てよ。パスタはないけど…………」
俺の脳裏に、前世で一度だけ食べたことがある麺料理が浮かんだ。
「なあ、シェリー。抹茶の在庫は確保してくれてるよな」
「頼まれてるから大丈夫だけど。……アイスクリームで機嫌を取るのは安易じゃない」
「いや、アイスクリームじゃない。あと、さっき言ったアレも入手したい。王国でも作られてはいるよな」
「……ロストン先輩に聞いてみる」
シェリーが言った。ロストン先輩の所は珍しい果物や穀物を扱うんだったな。よし、後はダルガン先輩に頼んでいたベーコンが来れば材料は揃うか。
「何か思いついたのですね」
「自信はあまりないですが、一つだけ。ただ、どうやって食べてもらうか……」
今更俺が進めても逆効果だよな。
「私に任せてください。公爵夫人に珍しい料理を届ける形で機会を作れると思います」
アルフィーナが言った。
「それだと、やはり強制に近い形になるのでは……」
「その料理はリカルドくんがメイティール殿下のお体だけじゃなく、お心のことも考えた結果なのですよね」
アルフィーナが俺をじっと見て聞いてきた。
「気に入っていただけるかは保証できませんが、そのつもりです」
眼光に押されるように俺は頷いた。今回のアイデアは少なくとも機能だけを考えた物じゃない。
「それならきっと大丈夫です。リカルドくんは伝えるのが下手なだけですから。まあ、それが分かるとそれはそれでですけど……」
アルフィーナはにこりと笑った。
「……私は皆が先輩にさんざん振り回されてきた事を説明してフォローしておきます」
ミーアが言った。
「それフォローか?」
「先輩ではなく、ノエルのフォローです。先輩を敵として、ノエルとの関係が修復するかもしれません」
ミーアの言葉にリルカとシェリーが吹き出した。
「……なるほど。そうしてくれ」
俺は頷いた。




