9話:中編 実験成功
注意書き:
9話の三投稿で書かれた【仮説、実験および解釈】は、あくまで異世界における一人のキャラクターについて行われた物です。地球環境で暮す現代の人間に何かを言わんとする物ではありませんので、ご注意ください。
「ちょっと、厚いわ。それなら一切れにして」
いつもの倍の厚さに切った栗羊羹を見てメイティールが言った。
「これも実験の一環なんだ」
「……怪しい木の実じゃないでしょうね」
「俺が先に食べてもいいぞ」
俺が口に一切れ放り込む。アルフィーナ達が続く。メイティールは警戒した顔で羊羹をフォークで小さく切る。口に入れてゆっくりと頬を動かし、小さな白いのどが鳴った。
「あっ、私これ好き。なんかホクホクする味」
ノエルが口をもぐもぐさせながら言った。そのまま厚切りの二切れ目にすぐに食いつく。おかげでリスみたいな口になっている。
「はい。私もとても気に入りました」
「ふむ。儂にはこれくらいの甘さの方がよいのう」
栗羊羹は女の子達プラス老人に好意的に受け入れられたようだ。さて、肝心のターゲットは……。
「どうだ?」
「木の実そのものは素朴な味で好みね。それがヨウカンの甘さに合ってるわ。口の中でほぐれる歯ごたえと羊羹の柔らかさのアクセントで面白い。……確かに美味しいわね」
メイティールは頬を緩めた。「よし」と俺は内心ガッツポーズを決めた。ちなみに、緊張しきっていたシェリーはあからさまに胸をなで下ろしている。
メイティールは羊羹を小さく切っては口に運んでいく。いつもの倍の羊羹を通じて大量の砂糖がメイティールの体内に収まった。後は、結果を待つだけだな。
「それで、実験って結局なんだったの。いくら美味しかったからって誤魔化されないわよ」
満足そうに緑茶で口を潤していたメイティールが、思い出したように聞いてくる。
「結果が出るのは少し後だな。その時また声を掛けるから、そっちの実験を進めていてくれ」
本人に効果を意識されたら実験にならない。何しろ今回の測定機器は被験者自身の感覚なんだから。
「怪しいけど……。いいわ、その時を楽しみにしているわ。さあ、時間もないし始めましょう。喰城虫の魔結晶の魔力量は普通の魔結晶の100分の1、測定するにはよほどの工夫がいるわ」
メイティールはカップをあおるように傾けると立ち上がった。口の中に入っていた羊羹を慌てて飲み込んだノエルが続く。階段を上っていくメイティールの足取りが心なしか力強い。
「リカルドくんの狙い通りにメイティール殿下にサラダを食べていただきましたけど。こんな方法で大丈夫でしょうか……」
アルフィーナが心配そうに言った。
「結果如何ですね。実験の結果が予想通りなら、メイティール殿下が昼食を抜く原因が分かります。同時に対策も」
「その実験という言い方……いえ。分かりました」
「私にここまで怖い思いさせて、上手くいかなかったら……」
シェリーが恨みがましい目で俺を見る。
「試食の時はシーザードレッシングとハニーマスタードのレシピに興奮してたじゃないか」
「……美味しかったけど。野菜の味をすごく引き立てたけど……」
「上手くいったら、このドレッシングを公爵夫人に売り込む役目も頼むぞ」
「ああ……絶対に失敗できない仕事が次から次に……。分かってたとはいえ……。リルカとも関係するから断れないし」
シェリーは頭を抱えた。仕方ないな、上手くいったらシーザーサラダのレシピも提供しよう。ベーコンはこっちにあったはずだよな。ダルガン先輩に頼んでおくか。
◇◇
「この方法はダメね。露光時間を延ばしても全く反応がないわ」
「スリットの幅じゃなくて長さを伸ばしたらどうでしょう」
「いや、最初はやはり測定域の広さよりも、特定領域の感度を優先するべきじゃ」
2時間ほど待って俺は二階に上がった。三人は何も映っていない感魔紙を前に議論をしている。メイティールの声に力がいつも以上に張りがある。
「苦戦してるみたいだな」
「……その通りだけど。どうしてうれしそうなの? 何か有益な情報を隠してるんじゃないでしょうね」
多少顔色も良いようだ。あれだけの羊羹だと300キロカロリー近く有るからな。一時的とはいえ、糖分が補給されたのだろう。さて、問題は補給の量に加えてもう一つの要素だが。そっちも大丈夫そうだな。
「ところで。眠気の方はどうだ?」
俺は尋ねた。
「……あら、そういえば」
メイティールは目をぱちくりさせて、怪訝な顔で頭を振った。
「おかしいわね。あれだけ食べたら耐えがたいほど眠くなるはずなのに……。あの木の実? あっ、もしかして体内の魔力に影響を与えるとか!」
「いや栗はマジックアイテムじゃなくてだな。実はその前の……」
「メイティール殿下。調整が終わりました。露光のための回路の調整をお願いします」
ノエルが新しいスリットを手に言った。メイティールは勢いよくノエルに振り向く。
「むう、残念。これから手が離せないから。貴方の……リカルドの実験については帰る前に聞かせてもらうわ。そうだ、あの羊羹ならもらってあげても良いわよ」
「いや、羊羹じゃなくて……」
俺が説明する前にメイティールは実験に戻ってしまう。
まあいい。血液検査をしているわけじゃないから確定ではないが、一応検証は成功だ。
◇◇
「おかげさまで実験は一応成功しました」
俺はアルフィーナとシェリーが待つ館長室に向かって、晴れやかな顔で言った。
「……私の薄氷を踏む思いにどんな意味があるのか教えて。野菜に関わるのよね、それは気になるし」
「そうですね。元々私がお願いしたのですから、きちんと理解しておきたいです。そうじゃないと……」
俺を見るシェリーの目が据わっている。アルフィーナも気になっているようだ。
「まず、今回の問題を整理しましょう。問題はメイティール殿下の食欲不振です」
「朝を取らないのは習慣だから仕方がない面があるとして、問題はラボでの作業に集中するために昼食も控えてしまうことですね。これだけでも改善できれば状況はましになります」
元々最低限食べてはいる。だから、昼食に小さなパン1個なんて状況だけなんとかするのが改善点だ。もちろん、長期的には別の問題があるけど。
「その為に対処しなければならないのが食後の眠気です」
俺の確認にアルフィーナが頷く。
「その眠気の原因ですが。血液の中に溶けている砂糖が問題だと思います」
俺はいった。二人が怪訝な顔になる。
「血の中の砂糖ですか?」
「……また聞いたことのないのが出てきた。砂糖ってヨウカンに入っている砂糖の事よね。でも、砂糖なんてなくても問題ないでしょ。一年に一回も食べない人間の方が多いわよ。まあ……、ウチでは口にする機会が増えたけど……」
シェリーが言った。実は今回のことを思いついたのは、俺自身の砂糖の摂取量が少し気になっていたというのもある。まあ、メイティールみたいにありとあらゆる要素が重ならない限り、こっちの世界じゃ心配ないんだけどな。
「いや、砂糖は小麦にも大量に入っているんだ。まずは論より証拠。これを良いって言うまで口の中でかみ続けて欲しい」
俺は小さく切った白パンをアルフィーナとシェリーに渡した。かわいい女の子が二人、黙々と口を動かすシュールな光景が現れる。俺の視線に気がついたのか、二人は口元を覆う。残念。
「だんだん甘くなってきませんか?」
俺の質問に、二人とも手で口を隠しながらコクコクと頷く。二人の口の中では唾液によって分解された小麦のデンプンが甘さを感じさせている。
「実は、小麦粉って言うのは砂糖の塊なんです。つまり、普通に食事をしたら、砂糖が体内に吸収されることになる。食事から取る栄養の大半が実質砂糖。つまり、砂糖は人間の体を動かすための主要な栄養なんです」
この場合の砂糖はブドウ糖だ。実は俺たちが砂糖と言っているショ糖はブドウ糖と果糖の複合体だが、それは今は置いておく。とにかく、人体の細胞のエネルギー源の50パーセントはブドウ糖で、ブドウ糖は血液から細胞に供給される。ミューカスの培地に砂糖を入れているのと替わらない。これが血糖値だ。
「食事が足りなくて、その血糖値? が少なくなってるから眠くなるって言いたいの……」
「でも、それでしたら。…………食べたら眠くなるのはおかしいのでは?」
二人が首をひねった。理解としては二人とも正しい。俺の推測する限りだが、メイティールの食後の眠気の原因はシェリーの言うとおり血糖値の”低下”。だけど、その血糖値の低下の原因は一時的な血糖値の”上昇”だ。
「実は、血糖値というのは極めて厳密に制御されているんです」
俺はさっき二人に渡したパンの欠片を摘まんだ。小さなテーブルロールの十分の一程度の大きさ。俺の血液中にある糖の総量なんて、せいぜいこの程度だ。




