9話:前編 実験の下準備
「メイティール殿下……」
「あら、今日もいるのね。最近よく顔を出すけど、どんな役に立つのかしら」
ラボの入り口でメイティールに話しかけようとしたアルフィーナが、メイティールの皮肉に困った顔になる。むう、知らないこととはいえ恩知らずめ。お前を心配して預け先と話し合いまでしてるんだが。
「魔力スペクトラムについてアルフィーナ様にも知っておいていただく必要がある」
俺が言った。メイティールは目を左右に素早く動かした。
「……リカルドが言うなら信じるけど。研究に関わることなら理由をちゃんと教えてもらいたいわ」
「予言の水晶だ。水晶が予言を発する時にどんな魔力波長がでているかを調べるためには、アルフィーナ様の協力が必要だろ」
「…………そうね。私も興味あるわ」
メイティールは一瞬眉をひそめた後で頷いた。予言の水晶に対してダゴバードほどの執着は感じないが、やはり何かを知っている。まあ、今は良い。
「もちろん予言の水晶は王国の国家機密だから、結果は教えられないけど」
「なんでよ! ……まあ良いわ。取り敢えず納得した」
どう考えてもあきらめていない顔でメイティールは言った。予言の水晶を解析したいと提案するだけでも、政治的なんだからな。水晶の私物化を疑われたら最悪だし。それに、結果如何では……。とにかく、もう一つの問題に集中だ。
俺は改めてメイティールの顔色をうかがう。相変わらずの傍若無人な態度とは裏腹に、明らかに顔色が悪い。公爵夫人の情報だと、食欲は相変わらず少ないらしい。減ってはいないのが救いだが、それじゃじり貧だ。
「それで、こっちの娘は? 確か、最初にここに来た時に見た気がするわね」
メイティールがアルフィーナと一緒にいるシェリーに視線を移した。睨まれたわけでもないのに、シェリーがたじろいだ。今日の俺の実験助手を脅さないで欲しい。
「あ、あの今日はヴィンダーのせいで……じゃなくて、ヴィンダーの依頼でベルミニ商会の商品をお持ちしました」
シェリーは両手に持った二つのバスケットをテーブルに置いた。
「ベルミニ……、確かあの緑のお茶のね。それは楽しみだわ」
シェリーがプレッシャーで震える。野菜屋の娘は恐る恐るバスケットから商会の主力商品を出していく。
多種多様な葉っぱが深い皿に積み重なっていく。緑、赤、黄色となるべくいろいろな色の野菜を用意してもらった。作物はその季節にしか取れないこちらでは難しい注文だったけど、流石だ。彩り豊かなサラダは見た目だけでもおいしそうだ。おお、それぞれの種類に合わせて切り方も変えている。流石野菜の専門家だ。
だが、皿に積み重なる葉っぱの厚さに比例してメイティールの顔が厳しくなっていく。
「王国ではお茶の前にもサラダが出るの? 悪いけれど、私は野菜の善し悪しなんて分からないわ」
嫌いじゃなくて、善し悪しが分からないという言い方は最低限気を使っているつもりらしい。でも相手がシェリーなんだからもっと気をつけて欲しい。ほら、俺が睨まれた。
「それよりもそっちは?」
メイティールの目はシェリーが次に取り出した物に移動した。
「さ、最近出来た木の実のヨウカンです」
サラダからは目を背けたくせに、メイティールは羊羹には興味津々だ。いつもの黒一色とは違って、中に白っぽい木の実が入っている。日本ではおなじみだった栗羊羹だ。ロストン先輩の伝で最近手に入った。
「美味しそうね。私はそっちだ――」
「サラダを食べないと出せないな」
「どうしてよ。貴方……リカルドまでうるさいことを言うのね。だったら別に食べなくても――」
「メイティール殿下。これはリカルドくんが殿下のために……」
「あら、嫌いなものを食べさせるのが王国のもてなし?」
アルフィーナが取りなそうとするが、メイティールはぷいっと顔を背ける。
「まあ、ちゃんとそこら辺は工夫してるから。なっ、シェリー」
「……は、はい。少しでも殿下のお気に召すようにと、王国でも珍しいドレッシングを3種類用意いたしました」
ハードルを上げた俺を睨んで、シェリーはもう一つのバスケットを開けた。中に入った三つの小さな壺を取り出すと、メイティールに向けた蓋を開ける。食欲をそそる酸っぱい匂いが漂う。壺の中には白、黄色、褐色の粘性の液体が入っている。
「色は面白いけど……」
メイティールの目が、ドレッシングにちらっとだけ向いた。
人間の味覚は希少、あるいは重要な栄養素を好むように出来ている。人間は脳の奴隷であり、体がどれだけ困ろうと脳が喜ばない行動はしないのだ。そして、脳は基本的に怠け者。重労働である食料集めは好きじゃない。
だからこそ、食欲だけじゃなく味覚的好みがある。ありふれていて体積当たりのカロリーが少ない野菜で満足されると困るのだ。
脳が喜ぶのは、希少あるいは高カロリーの食料。塩、高カロリーの油、砂糖などだ。前の世界の外食業界を席巻していたジャンク……ファーストフードは、この3種類の割合を工夫して客の脳に働きかけることに必死になっていたと聞いたことがある。
一度市販のドレッシングを調べて検証したことがある。低カロリー、つまり脂分少なめの物は塩分高め。脂分多めの物は塩分少なめだった。ドレッシングとは脳が強く求める味で騙して、野菜を喰わせる仕組みなのだ。
メイティールに野菜を食わせるために、俺はドレッシングを3種類用意した。
一つ目の白いドレッシングは、リルカの協力を得て作ったオリーブオイルのマヨネーズもどきで作ったなんちゃってシーザードレッシング。
二つ目の黄色いのはハニーマスタードソース。ヴィンダーの主力商品の蜂蜜とマスタードを混ぜた物。三つ目はタマネギと酢と植物油に唐辛子を浮かべたドレッシング。隠し味にゆずの香りを付けている。これが一番こちらの標準に近いか。
もちろん、三種とも隠し味として黄砂糖も加えて味を調節している。
つまり、カラフルな野菜と、3種類のドレッシングで視覚、味覚、さらに好奇心をそそる。徹底的に脳を騙してやろうという作戦だ。
「……普通のよりも悪くないかも知れないわね。うん、珍しくて良いわ」
メイティールは3種類のドレッシングを次々と試していく。だが、結局三口でフォークを置いた。
「さあ、食べたわよ。じゃあそっちのヨウカンを――」
いやいや、そんな少量じゃ実験できないだろ。仕方ない、最後の交渉方法を使うか。
「参ったな。これは今回のプロジェクトに欠かせない実験の一貫なんだけど」
「実験??」
羊羹に向いていたメイティールの目が俺に戻った。
「なんの実験」
「それは結果が出た後のお楽しみということだな」
俺は言葉を濁した。メイティールは俺に探るような目を向ける。俺は沈黙を守る。嘘は言っていない。この共同研究にはメイティールの体調の回復が必要だ。そして、実験である以上余計な先入観を与えたくない。
「貴方たちもこう言ったのに付き合わされたの?」
メイティールがフルシーとノエルに聞いた。
「……そうじゃな、一体何度こやつの珍妙な食べ物に付き合わされたか」
「は、はい。私たちもこれまで無理矢理いろいろ食べさせられました」
二人が調子を合わせる。嘘は言っていないな、うん。
「さて、この前見せたのは砂糖を使って培養した魔力触媒だったけど、今回はなんだろうな」
俺があおると、メイティールは悪魔を見るような目で俺を睨む。
「……サラダじゃない別の方法は?」
「紙を煮た物を食べるなら考えるけど」
「…………サラダを食べれば良いのね」
「ああ、そうだ。全部だぞ」
明らかに嫌々サラダを食べ始めたメイティールを見て。俺はシェリー達に目配せをした。なぜか、シェリー、ノエルはどん引きしたような顔で俺を見る。アルフィーナも心配そうな目で、俺を見る。
実験をキーワードにするなら一番有効なのは「サラダを食べないと研究に参加させない」という強権だろう。食生活の改善は自主性が大事だからこの程度にとどめたんだけど……。
メイティールは嫌々サラダを食べきる。狙い通り、3種類のドレッシングで何度も味を変えて無理矢理口の中に詰め込む感じだ。
さてよく頑張ったご褒美に、新作の羊羹をあげよう。たっぷりとサービスして。




