8話:後半 魔力のバーコード
「さて、次はどうするかのう」
「ヴィンダーが絡んでると麻痺しますけど。これだけでとんでもない結果ですから。慎重に行かないと……」
栄養学的考察をしている俺を尻目に、魔術班は議論を始める。
「そうね、慎重に行きましょう。まずは複数の魔結晶を測定してこの結果を固めましょう」
メイティールが言った。流石専門家だ、いくら想定通りでも一回の結果じゃ偶然かもしれない。その慎重さを自分の体にも適応して欲しいけど。
いくつもの魔結晶が持ち込まれ、同じ手順で測定されていく。感魔紙は光路台の棒で高さを調節できるので、一枚の紙に結果が縦に並んでいく。
途中でノエルと交代したメイティールの額の汗が俺には気になった。
「一緒じゃな」
感魔紙に3つのバンドが並ぶ。容量によってバンドの濃さは違うが、パターンは一緒だ。これが通常の魔結晶の魔力スペクトラムと考えても良いだろう。ただし……。
「今出てきた4つ目は?」
俺は聞いた。位置のパターンは同じに見えるが、濃さのパターンが違う。真ん中のバンドが濃くないのだ。
「空になりかけの魔結晶じゃ。この様子を見ると儂らが主に使っていたのは2番目じゃな」
フルシーが言った。
「このパターンの意味はなんなのかしら」
メイティールが感魔紙をじっと見ながらつぶやいた。ちらっと俺を見る。電子と光子の関係から考えれば思い当たる概念がないわけじゃない。ただ、今気になるのは別の問題だ。一連の実験を見ていると、露光まで結構時間がかかっている。
「深紅の魔結晶と比較してみましょう」
「うむ。さて、次は何を見せてくれる」
俺が悩んでいるとメイティールとフルシーが魔結晶を交換する。
通常の魔結晶 |▍|
深紅の魔結晶 || ▍
現れたのは通常の魔結晶と同じ、三本の帯だ。だが、その間隔は1本目と2本目が近く、3本目が広い。そして、濃さのパターンも違う。
なるほどな。やっぱり蓄えている魔力の波長がはっきり違うわけだ。いや、通常の魔結晶の深紅で同じ位置に見えるのもあるな。
「ほほう。ははははっ。これはまた興味深いわ」
「この違いの意味って、ああもう。魔力が何かなんて知ってると思ってたのに」
フルシーが髭を梳きながら目を細めた。ノエルは頭を抱えた。
「…………」
だが、このサンプルについて一番知っているはずのメイティールが沈黙している。俺は不安になった。
「どうした。何か不味いのか」
「はあ……、これね」
「コレじゃあ分からん。おかしいならおかしいって言ってくれ」
俺は魔力を扱えない。フルシーとノエルだって深紅の魔結晶は慣れていない。メイティールは一端顔を伏せると肩をふるわせた。
「ふふっ、深紅を使っていたときに不純物みたいな魔力が問題になったの。さんざん苦労させられたノイズの正体があっさりと目の前に出てきたわけ。このことだけでも知ってたら、あなたたちが動く前にグリニシアスまで落とせたのに」
メイティールが深紅の2番目の薄いバンドを指差した。いや、その笑い方マッドなサイエンティストみたいで恐いんだけど。頬が青白いから余計に怖い。そして、背後の視線も怖い。ここにそのグリニシアス領主の息子がいるのを忘れてるだろ。
「あーあ。本当にあきれるわ。ここに来て一ヶ月もたってないのに。魔力そのものに対する認識を変えられるなんて。…………なによ、貴方が言い出したことなのに反応が薄いわよ。もしかして、貴方にとっては当たり前の結果?」
メイティールが言った。俺が興奮を共有しないのが不満らしい。いや、こんな綺麗な実験を見せられたら俺だってすごいと思ってるさ。俺は魔力を扱えないので実感が足りないのと……。確かに、一人だけ答え合わせしているようなさみしさもあるかもな。
未知の現象、それは俺にとってもなのだが、の発見よりも予想通りで良かったと安心する。俺は研究者には向いていないんだろうな。そういう意味では3人が少し羨ましいか。
「あの約束は覚えているから安心してくれ」
俺はあえて冷静に言った。だからこそ、マネージメント役くらいはちゃんとしたい。この実験で、魔力の性質の違いをスペクトラムという形で客観的に分析できることが示された。新しい魔力測定方法の原理は検証できたのだ。
「……ああ、アイスクリームとかのことね。そんなことよりも毎日ここで研究できるようにして欲しいわ」
メイティールが言った。やっぱり食べ物への関心が薄れてるな。アイスと聞いてノエルの方が期待する目になったのに。
「少なくとも現状では隔日でも大変なんだよ」
このラボでの結果はレオナルドによって王宮に報告される。そして、問題ないかどうか判断された後、次の許可が下りるのだ。当然判断は高レベルで行われている。
確か宰相が魔術寮のトップ二人と一緒に判断してるんだよな。蚊帳の外にされた魔術寮の不満を押さえつけるため、クレイグが参加することもあるらしい。つまり、隔日で王国最高首脳の会議が行われるのだ。
クレイグには帝国と共同研究の拡大の交渉を提案したが、まだ早いという判断だ。今のところ俺も同じ意見だ。
何しろ新しい魔脈観測技術といっても、実際には魔力の基本的性質の解明だ。応用までは遠いとも言えるが、応用範囲は魔術、魔導問わず全てに及ぶ。とてつもなく扱いが難しい情報なのだ。もう一つはここからが長そうだということ。
「まあいいわ。これをどう応用するか……。回路の中でちゃんと分離する方法がないといけないけど」
「例えばですけど、特定の魔力触媒を溶かした液体に魔力を通して、どのバンドが」
「それよ。それ」「それじゃ」
ノエルの言葉にメイティールとフルシーが飛びついた。特定の波長との反応する魔力触媒か、確かに面白い。そう言えばコロニーの中に魔力の蛍光を発する物があったな。
いやいや、俺まで中てられてどうする。今の感度と分解能を考えると。年輪の分析にはまだ先が長そうだ。恐らくここから試作機を改良する地味な作業が続く。
「あくまで、魔脈観測の為の実験だってことを忘れないでくれよ。えっと館長、あのミューカスの魔結晶はありますよね」
「ああ、アレは大量にある上に用途が……コホン」
フルシーが途中で咳き込んだ。いま、魔力触媒の為にと言いかけただろ。別に隠すほどのことはないが、メイティールに見せたのが培養に魔力が必要ない【IG-1】にした理由を思い出して欲しい。
「測定してみましょう」
俺はいった。ノエルが苦労して芥子粒みたいな魔結晶を固定する。
「なかなか難しいのう。恐らくじゃが、パターンは同じなのじゃろう」
一本だけのバンドをみてフルシーが言った。そのバンドは普通の魔結晶の一番濃い2番目のバンドに位置的に対応している。つまり、この感度では粘菌の小粒の魔結晶の魔力スペクトラムを捕らえられないのだ。
「例えばだけど、魔脈からの瘴気をこれに通したとして判別は無理だよな」
俺はフルシーに聞いた。
「…………無理じゃな。ただでさえスリットで絞り、竜水晶のプリズムで広げておる。感魔紙まで到達する単位面積あたりの魔力量は激減しておるのじゃ」
「感魔紙じゃなくてアンテナで検知は出来ないのか」
「いや、それが簡単にはいかん。紹賢祭の時、特定の魔力でマークされたコインを観測したじゃろ。アレが出来たのは、その魔力だけを選んで焦点を調整したからじゃ。アンテナの受信部の長さを感覚的に調整しただけで、今見たことが分かっていたわけじゃないがの。とにかく、其方の仮説からすれば波長ごとに反射の角度も違うじゃろう。量だけなら最大にとらえれる焦点を探れば良いが、それでは他の成分を逃そう」
フルシーが一番濃いバンドを指差した。
「……なるほど」
言ってることは半分くらいしか分からないが。レンズで光を集めるときも一定以上に集中しない。アレは光の波長によりレンズの焦点距離が違うのだったか。
「魔脈を直接測るならなるべく近くまで測定装置を持っていき、露光時間を長く取ることで感度は上げれるじゃろうが。それでもどうかのう」
やはり厳しいか。今現在の魔脈スペクトラムなら例えば装置を固定して何日もおくとかで良いのかも知れない。天体望遠鏡などで、遠い星の光を時間を掛けて露光する様な物だ。
そう考えるとあの粘菌魔獣はすごいな。確か、蛾なんかは触覚に当たる数分子のフェロモンを感知するだっけ。まあ、生物は基本ナノマシーンだし、比較しても仕方ないか。
そして、俺が知りたいのは過去の記録も含まれる。極端な話、今年だけの魔脈のスペクトラムがどれだけ厳密に測定できても、それだけでは意味がないのだ。
「ターゲットとなる範囲が分かれば、調整は出来るじゃろうが。うーむ……」
「このバンドのぼやけ具合を改善できれば、区別は容易になると思いますけど」
「そしたら竜水晶が一つで済むかもしれないわね」
なるほど、分解能を上げれば逆に幅は狭めれる。単位面積あたりの魔力量は当然照らされる面積に比例するからな。そして間に挟む物が減れば減るほど、ロスも小さくなる。
「いいわ。じゃあ、まずこのクズ魔結晶……」
メイティールがそこまで言って頭を振った。いま、ちょっとくらっとこなかったか?
「……喰城虫のスペクトラムの測定を目標にしましょう。小さいとはいえ魔結晶から魔力を捕らえきれないなら魔脈の測定は無理だものね。どう」
メイティールの提案に、フルシーとノエルが頷いた。なるほど、具体的な目標が分かりやすいのは良いな。
「それでいいと思う」
俺も頷いた。感度の問題は試行錯誤するしかない。第一、研究としては順調過ぎる位なんだ。スペクトラムが存在することが分かっただけで、最低でも水晶の解析は出来る。解析できない程度なら心配はないんだから。
問題はメイティールの体調だ。シェリーに頼んでいる実験を急がないとな。




