5話:後半 究極の信用は戈を止める力
「商人が王国も帝国も支配すると聞こえた。国家はどうなるか、聞かせて欲しい」
あっ、ばれた。
…………というのは冗談だ。クレイグなら気がついても驚かない。俺が説明したのは要するに、流動資産を扱う商業の力を大幅に拡大するということ。相対的に固定資産を扱う貴族の力は落ちる。
前世なんて、実体を持たない紙幣の、親戚である証券の、更にその友達の親戚みたいなデリバティブが世界経済を翻弄していたくらいだ。だが、その時代でさえ……。
「先ほど、情報と信用の価値について説明をしました。信用は力です」
俺はクレイグの顔を見ながら続ける。
「では、究極の信用とはなんでしょうか。それは命の保証です。どんな身分の人間でも、所有する財産に多寡があろうと、同じく一つしか持っていないのが命です。つまり、最大の信用とは……」
俺はクレイグを囲む騎士達を見た。
「武力です。人間にとって一番大切なのが自分と家族など大事な人間の命である以上、それは変わりません」
少なくとも数百、いや千年後に相当しそうな世界でもそうだった。安全保障は別格なのだ。安全保障を軸に社会の秩序は形成される。基軸通貨ドルは圧倒的な軍事力によって信用を付与されていたから成り立った。
もちろん武力が全てではないし、素晴らしいわけでもない。だが、それを抜く実験は誰も怖くてやれない。いや、やるべきではないと思っている。仮に武力を排した世界が出来たら、そこは再武装する利益が最大の世界だ。しかも、誰かが再武装する事を防ぐ力はない。
「騎士団の価値はそれとしよう。国家の政治はどうなる」
クレイグは言った。
「敢て申し上げます。箱の中の物が激しく動く為には、箱は頑丈であってもらわねば困るのが道理です。我ら商人がこれまで以上に活動するなら、国家という箱も強化されるべきかと。新都市を王家の直轄領にと言ったのはそういう理由です」
商人を野放しにしたらそれこそ破綻してしまう。流動性がある物を扱う者、流動性がないも物を扱う者、それぞれに役割がある。最強の矛と最強の盾がぶつかり続けることが成長であり、それは矛盾ではない。いや、必要な矛盾なのだ。
俺とクレイグの視線がぶつかる。クレイグの周囲を固める騎士達が身構えるのが分かる。主の命令一つで俺を拘束するだろう。
「リカルドの箱になるのはさぞかし大変だろうな。まあ今回はこの程度でよいか。確か、この場はあくまで商人達の話し合いで、我らは部外者だそうだからな。それに、リカルドとは今後もいくらでも話す機会があろう」
俺はやっと視線から解放された。条件付き承認かな。場に平穏が戻った。さあ、ホームの皆さんのターン再開ですよ。
「魔獣に対する対処が可能だとしても。これほどの規模の事業。その莫大な資金と巨大なリスクはどうやって管理するのか」
「それに関しては、セントラルガーデンのメンバーと共に紹賢祭で実施した形式、株式会社を考えて居ます。今ここに集まってくれた商会を中心に、希望する商会に株を発行することで調達します。先物市場を運営する商会を新しく設立する形ですね」
株式私会社は元々危険な遠洋航海のリスク分散のために生み出された仕組みだ。そして、もう一つのメリットは……。
「ヴィンダーの独占ではないと」
「当然です。見てください。そんなことが出来る人員が我々のどこに在るのでしょうか。我々は新興の銀商会に過ぎませんよ」
単なる事実をそのまま言ったのに、全員が笑った。俺には笑いを計算で取る能力はないということだな。
「先ほどの株式会社だが、王国が資金を出すことは可能か?」
エウフィリアが言った。ヴィンダーにはベルトルド大公の資金が入ってる。新会社には他の商会と共同出資という形になるので、ベルトルド大公家の持ち分は希釈される。利益は増えるようにするから許して欲しい。
「出来れば避けたいですが、選択肢としては残します。何しろ、株式会社である以上資金を投じるのが、王国人だけとは限りませんから」
「帝国人も噛ませるつもりか」
「異なる立場の人間が共通の利益を追求出来るのが、株式会社の利点ですから。もちろん、それは遠い未来の話です。議決権の過半は最初のメンバーが持てるように調整します。都市そのものの信頼が上がれば、債券の発行などを通じてですね。とと、これも先走りすぎでした」
その債券がどういう意味を持つかは今どうこう言う話じゃない。そういえば、東インド会社の社債はイギリス国債並の信用があったらしいね。東インド会社”帝国”になってダメになったけど。いや、東インド会社にはしないから。
まあ、俺の思惑通りに経済成長がなされれば、将来的には通貨が不足するのでそのときの話だ。まずはワイバーンの駆除、そして単なる物資の交換場としての設立。先物市場開設までどれほどかかるか。
「新しい商会の名前は?」
リルカが聞いてきた。遅れてくると聞いていたけど、いつの間にか会場に入っていたらしい。
「まあ、取り敢えずは……」
俺は食料ギルドの将来を担う若者達を見た。
「セントラルガーデンとでもしておきますか」
学院の中庭という意味だったのに、ずいぶんと規模が拡大した物だ。
◇◇
大役を果たした俺にヴィナルディアが駆け寄ってくる。そして、ナタリーを抱きしめた。頑張ったねといっている。
会議室からはギルド長まで出され、俺はもう一度クレイグとエウフィリアに相対している。ここからは商業の話ではない。
「しかし、本当に魔獣の領域の開放など可能なのか」
そう、さっきまでの商業の話は魔獣の存在を無視している。そしてこの話はとてもじゃないが、あの状況では出来ない。あの場でどうしてこの質問が出なかったか、それはクレイグが居たからだ。
「技術的には可能です。実際、帝国は魔導を用いて大河を越えました」
「最精鋭部隊が大量の魔結晶を用いてやっとであろう」
「大賢者とノエルの開発した魔術回路の基本技術に、グリニシアス領での決戦で確保した魔導杖の回路技術を取り込めればあの炎の魔導は4分の1のコストで、二倍の威力を達成可能だと考えています。少なくともですね」
「報告は受けているが。王国の魔術とは形式が違いすぎて苦戦していると聞いているが」
「はい、ただ今やっている魔力の性質そのものを調べる実験が上手くいき、魔力自体の性質がより明らかになれば、未知の回路に関してもいろいろな解析が可能になると考えています。後、魔導金ではなく魔導銀で作成可能です。確か、多くはなくても王国内にも資源があるのですよね」
俺はあえて魔導銀を強調した。帝国に依存度の高い魔導金ではなく、現在は採掘されていないとはいえ国内に資源が存在するのは大きい。ただし……。
「ただ、私としては出来れば帝国の魔導回路の技術を協力の下に取り込みたいですね。時間効率が全く違いますから」
当然クレイグの顔が厳しくなる。
「共同研究には武器の開発は含まれないと聞いたが」
「はい。現在のところ計画は一歩たりとも進めておりません。あくまで魔力の基礎研究です」
俺は神妙に頷く。安全保障は別格だからな。
「しかし、将来的にはそれをやらねば窮地に陥るのは王国であると考えています。その象徴がこれです」
俺は深紅の魔結晶をクレイグに見せた。彼が捕虜にした馬竜部隊からの戦利品だ。
「破城槌のための特別な魔結晶だったな。高い魔力を蓄えていると言うが」
「はい。帝国の深部にある魔脈で取れるそうです。敗戦の傷が癒えれば、帝国はこれらの資源の更なる開発に取り組むでしょう。いずれ、血の山脈周辺にも手を伸ばす可能性があります」
俺はクレイグにいった。魔導が生まれた時点で実はパラダイムシフトが起こっている。実は敵国に産業革命を起こされた状況に近いのだ。現在は農業と人口で拮抗している。だが、農業の進歩は工業の進歩には勝てない。
メイティールの話から想定するに、血の山脈は油田あるいはウラン鉱脈だ。エネルギー資源で向こうが圧倒する状況は考え得る限りの最悪だ。
「現状維持は不可能ということだな」
恐らく考えて居たのだろう。大体、今回の戦いは特異なのだ。帝国は魔導により簡単に勝てると判断して攻めてきて、王国はそれを搦手を使って撃退した。馬竜にどうやって勝利したかを知るクレイグは分かっている。
「幸いというか、現在帝国は魔獣から国土を守ることにすら戦力が不足しています。将来のリスクを減らすには、この機に乗じて帝国を完全に滅ぼすか……」
「魔獣という共通の敵、血の山脈の資源開発を共通の利益として関係を結ぶかだな」
帝国は山地であり。守りに徹すれば国土自体が要塞だ。しかも、魔獣が跋扈する。魔獣の知識がない王国軍が踏み込めばただでは棲まない。どこが安全地帯かも分からないのだ。
もちろん、食料という切り札を王国は持つ。ただ、敵国の人間を飢餓に追い込んで勝っても、なおさら王国は全く違う社会を統治できないだろう。
王国のゴールデンタイムは長くない。もちろん、帝国の魔脈が再び活発化すれば話は別だが、その場合もっと大きな問題が生じる可能性がある。
「この都市はそこまで考えた絵だと言うわけだな」
「この都市はそういう形でしか存在できません。王国と切り離されても、帝国と切り離されてもだめ。そして、王国と帝国が栄えれば栄えるだけ、この都市も栄えるのです」
地球に似たものを探せばシンガポール的な位置づけかな。東インド会社にはしない。
「昨今の魔脈の異常を考えれば急ぐに越したことはありません。それに、魔脈および魔獣対策の主要拠点となれば、この都市は人類の共通財産となりますから」
俺はあえて盛って見せた。もちろん、そんな未来のことよりも俺が不安に思っているのは、昨今の魔脈の異常な変動だ。気がついたら手遅れなんて状況はゴメンだ。そうなったら一番割を食うのはアルフィーナだ。
「今の共同研究が進めば、その先のことも帝国と話し合っていただきたいと思っています」
俺は言った。あの時俺がしゃしゃり出れたのは戦時中という異常事態だからだ。平時になった以上、お上に任せたい。
「なるほど、理解はした」
クレイグは地図をじっと見ると頷いた。隣でエウフィリアも頷く。この二人は本当に話が通じて助かる。そういえば、あと一人……。
「あの、アルフィーナ様は今日は……」
水晶がいきなり反応とかじゃないだろうな。俺が不安になっているのに、エウフィリアはにやりと笑った。
「ほう、気になるか」
「……いえ、アルフィーナ様もヴィンダーの大株主ですので、ご説明しなければと」
「まだアルフィーナ様か……。まあよい。実はアルフィーが面会を望んでいた相手が今日を希望してな」
「面会ですか……」
「この大事な話よりも義妹が優先した相手が気になったか」
「心配せずとも女じゃぞ」
二人がそろって面白そうに俺を見る。
「そ、そんな心配はしてません。水晶におかしな動きが出たんじゃあと心配しただけです」
断じて嘘は言っていない。……アルフィーナが来ることを当然みたいに考えていたことは否めないけど。




