5話:前半 質疑応答
情報が新都市の商品であること。情報の最たる物が『何時、いくらで、どれだけの量』であるか。それを生み出すのが先物市場。俺は説明が会場に浸透していくのを待つ。
ほぼ同時にいくつもの手が上がった。質疑応答タイムだ。
「公開取引と言うけど。ギルドの縛りを除いても誰もが自由に小麦を売買するのは無理だと思うけど」
最初に口を開いたのはジャンだ。俺は答える。
「価格情報が公開されることと、取引に参加できるかは違います。それぞれの商品ごとに参加資格を会員権という形で管理することになるでしょう」
「穀物以外の食品はどうなる?」
ダルガンが聞いていくる。
「取扱商品は徐々に拡大します。保存可能な塩漬けや燻製の形にすれば肉も可能かも知れません。仮に小麦だけの段階でも、基準価格情報の存在は他の商品にとってもメリットになります」
「穀物の売り手に比べて買い手の規模は小さい。僕らのメリットがまだ見えにくい」
「供給の安定だけでなく、品質の安定がもたらされると考えています。均一な白いキャンパスの方が絵は描きやすいですよね。先物市場に情報が集まる流れが出来れば、珍しい果物などの情報も入手しやすくなるでしょう。絵の具の色も増えることが期待されます」
プルラが紹賢祭で出した白いムースを思い出しながら俺は言った。
元の世界ではカカオも取引されていた気がするが安請け合いできない。帝国にはカカオがあるようだが、詳細は未だ不明だし。
「…………あ、あの。お茶みたいな……」
恐る恐るといった具合にシェリーが手を上げた。
「嗜好品に関しては手探りです。出来れば知恵を貸してください。ただ、嗜好品市場は商売全体の規模が大きくなれば拡大率は大きいですよね」
仮に小麦の取引が100から120になれば、お茶などの嗜好品の取引は1から2になり得る。ベルミニが扱っているのは、その中でも更にレアな緑茶だ。
「会員制といっても、これまでよりも遙かに広い相手との取引になる。信用の担保は?」
我に返ったようにケンウェルの会長が口を開いた。
「取引所が証拠金という形で預かり保管します」
「それでは資金が縛られる。保険のために取引全体に匹敵する資金を貼り付けるわけにはいかない」
「取引は差金で行います。同額例えば金貨100の売買なら相殺。100枚と110枚の取引なら、資金は10だけ相手に移動という形です」
差金取引は堂島米会所が近代的な先物市場の走りと言われた理由のはずだ。
「実際の物のやり取りは?」
ジヴェルニーが言った。彼自体は陸運が主だが、河運との伝にもなってもらわなければならない。
「取引自体は証書の売買で物は動きません。倉庫から出されるのは期日に引き渡される時です。それでも、都市では大量多種の品物が輸送されることになります。そこで、現在進めている荷箱の規格化です」
「君は船に乗せることも考えて荷箱の規格化を進めろと言っていたな」
ジヴェルニーが唸った。巨大倉庫群の建設や運営には是非とも力を貸してもらわなければならない。
「国外との取引を個々の商人が主体にというのはいささか無茶が過ぎると思ったが。そこまでシステムが面倒を見るなら……。うむむ。ではその、先物市場自体の運営資金はどうするのかな」
「一取引の成立ごとに、証書の発行手数料を取ります。代わりに、先ほどの差金取引の清算業務を取引所で引き受けます」
俺は一つ一つ答えていく。さらっと言ったが証書の発行や売買というのはさらに巨大な爆弾なのだが、先物市場が出来てもいない段階で口にすることじゃない。
質問に答えるウチに、年配の参加者の顔にも理解が広がっていく。情報、信用、金それが全て結びついているイメージが出来るはずだ。元々商人は金という物と情報の中間みたいな存在を扱うプロだ。
流動性の高い金を媒介に流動性の低い物の取引を仲介している。だが、形を持つ物に囚われなければ、彼らの役割は情報伝達そのものなのだ。金というのは、信用情報を形にしているにすぎない。
そして、一番動かしやすい情報を動かしてやれば、金と物そして人の動きが全て加速する。それはつまり経済成長だ。
「一つ聞きたい」
会場の熱が上がり始めた時、威厳をまとった女性の声が上がった。ざわついていた商人達が一斉に黙る。王国最大の貴族家の当主、ベルトルド大公エウフィリアが口を開いたのだ。
エウフィリアは俺たちとは立場が全く違う、貴族の基盤は動かせない土地と動きたがらない領民だ。
「それはつまり、王国の民が飢えていても帝国がより高い値を付ければ食料は帝国に行くのではないか」
為政者としての疑問が出てきた。当然……いや近年豊作続きの王国でこの危機感を持っているのは頼もしいと言うべきだ。
「否定はしません。ただし、反論はあります」
「聞こう」
エウフィリアの目は笑っていない。横でさっきまで鷹揚に構えていたクレイグも、俺を見る視線に鋭さを加えている。さっきまでの活気が会場から消え、緊張感が場を支配する。
商業ギルドに鎮座している異物。王国の最高戦力を抱える次期王と最大の大貴族。新都市の運営は俺に任せると国王と宰相からの言質は取っているが、いくらでも覆せるだけの権力がこの二人にはある。
「まず第一に、先物市場による迅速かつ保証を伴った情報は、飢餓の発生そのものを減らします。これに関しては後でミーアが整理した資料をお渡しします。過去の飢餓の記録を見れば、全体を見れば食料が足りていても、不作というパニックによって輸送と取引が停止した結果、被害が拡大したことが分かるはずです」
地球で起こった大規模な飢餓でも、国全体に食料が存在しないという状況は希だった。ある地方では食料があまり、ある地方では足りないと言うことが起こる。例えば不作になれば、全員が物だけでなく情報も絞るのだ。
簡単に言えば疑心暗鬼。その結果、情報がありさえすれば成立する取引があちこちで断絶して、それが連鎖する。金融で言えばシステミックリスクだが、食料でも起こりうる。
貴族の立場から言えば、不作の年だけでなく、そこから長期にわたって税収が減る大打撃だ。
「先物市場は誰よりも先に食料不足の情報を公開してしまいます。この値段で売れるのが現在の相場。あるいはこの値段なら手に入る、という情報が形成されるわけです。取引の停止という飢餓の最大の原因を取り除く働きをします」
「逆に悪用して買い占めなどに走る場合は?」
「公開取引の側面を持つことの利点がでます。国家の危機にそのような取引をしようとする者は衆目に晒されます。取引の記録は公開取引の場合欠かせませんから」
商人同士が密室で価格カルテルを結ぶことが困難になる。もちろん、全ては防げないけど。
「逆に豊作で価格の下落に歯止めがかからなくなる可能性は?」
「価格が安くなることが伝われば、新たなる需要が開拓されやすくなります。また、備蓄の増加などの対策を取りやすくなります。ベルトルド大公閣下のご懸念はようするに情報を皆が持つことで、かえって混乱が広がる可能性ですよね」
俺の言葉にエウフィリアは頷いた。
「あり得ます。ですから情報の発信源を新都市という一点に絞ることでコントロール可能な状況にします。王国と帝国の接点にある立地はその為にも役に立ちます」
隔離された特区での政策実験。ベルトルドの工房と同じだ。
「其方は小うるさい王都から離れているとも言ったが……」
「あれはジョーク……。ではありません。今説明した機能を果たすためには、先物市場への国家の関与はルールに基づいていただく必要があります。国家権力により情報が歪められれば、今言った機能が損なわれます。逆に、ルールに基づいた手続きを経てなら、市場の一時停止などの措置は受け入れれます」
地球とは民衆の教育レベルが違うのだ。教育の行き届いた現代に生きた俺の前世の範囲でさえ、金融パニックは起こった。
「実は、為政者の政策手段も迅速に伝わります。先ほどの逆ですが、国家が備蓄を放出すると発表すれば、先物市場を通じて価格の高騰を沈静化させることが出来ます」
俺は付け加える。エウフィリアは羽扇を手に取ると、口元を隠して考え込んだ。
「…………先物市場が作り出す情報そのものは中立じゃと言いたいわけじゃな。おのおのの立場で活用すれば、自ずと収まるところに収まると」
「はい。そういった状態に今よりは近づく、と考えております」
エウフィリアが高い理解を示したことで、商人達の顔に安堵が広がる。だが……。
「なかなか面白い話だった」
さらなる大物の発言で再び緊張が走る。
「流石リカルドだな。ここに居る者達も皆振り回されて苦労しておったな。私もリカルドに付き合っていたら、いつの間にか次の王に据えられてしまったのだ」
クレイグはいつも通りの豪放とも言える笑顔だ。ロイヤルジョークに会場は笑いが起こる。
「実はな。この話を最初に聞いたとき、リカルドは王国からも帝国からも離れた自分の国が欲しいのではないかと考えたのだ」
クレイグは面白そうに続けた。おい、次期国王が反逆認定とかしゃれにならんぞ。ほら、さっきまで笑っていた商人達が「笑うべきか笑わざるべきかそれが問題だ」みたいに笑顔を凍り付かせてるじゃないか。
「だが、今の話を聞いているとそれどころではないな。商人が王国も帝国も支配すると聞こえた。国家はどうなるか聞かせてもらわねばな」
あっ、ばれた。




