4話:後半 情報を商品にする仕組み
「具体的に説明しましょう」
最初に抽象的なことで煙に巻いた。次はそれに向け想像可能な当たり前を一つ一つ積み上げる。
ナタリーに頷くと、彼女は赤い印を大河の対岸に貼り付ける。大河の湾曲部、血の山脈から大河に流れ込む支流に面した場所だ。
「ここに貿易の中継拠点が出来たと想像してください。地図を見ていただければ分かると思いますが、王都、ベルトルド、そして大河を使えばクルトハイトからの経路を集約出来る場所にあります。つまり、物を集めるには最適。次は人です。ここは帝国の商人にとっては陸続き、王国人にとっては自国となります。一種の中立性があるわけです。つまり国をまたいで商人同士が直接のやり取り、商談をするのに最適なのです。ああ、小うるさい王都から離れているのもポイント高いですね」
誰だよ、小さなジョークを挟むのがプレゼンの基本とか言った奴。全員がクレイグの方を見て気まずい顔になったじゃないか。慣れないことをするもんじゃないな。
「コホン。人と物が集まることにより。この都市には大規模な倉庫と商談のため大商館が運用可能になります。そして、交易が商人同士の手にゆだねられれば、これまで出てこなかった膨大な情報が解き放たれます。輸出できる品の種類の増加。新しい商品の開発も可能になると考えています。ちなみに、その為の仕掛けとしては、先年王都で我々が実施した新しい馬車の展示説明会のような催しを行うことを考えています。その結果、さらに人と物がここに集まります」
俺の言葉に集まったメンバー達が表情を取り戻す。物資の輸送の効率化、商談の活発化。これらは商人なら誰でも思い浮かべるメリットだ。その結果としての情報交換の活発化も想像の範囲のはずだ。情報が富を生むこと自体は商人なら理解している。
「大量の人と物が集まり自由に交流することで、ここでは今までにない取引が成立しうるのです。それは……」
俺は参加者に次の衝撃に備えさせるように、一端言葉を切る。何を言い出すのか不安そうな顔の中、また始まったかという表情が幾つも見える。
「それは、商品の将来の価格を決定する取引。商品先物市場です」
俺がナタリーに合図を来ると。ナタリーは次の紙を貼り付ける。多くの商人が商品名と引き渡し期日を書いた証書、要は規格化された契約書、に対して値段を提示し合う絵が描いてある。地球の記憶に照らし合わせればオークションや競りの会場だ。ちなみに絵を描いたのはヴィナルディアだ。
「簡単に言えば公開商談でしょうか。商業にとって最も重要な情報とは『何時、いくらで、どれだけの量を売買できる』かです。先物市場により、その情報が作り出されるわけです」
俺は説明を続ける。商品を作る生産者そして使う消費者にとっては、需給ギャップの速やかな解消による値段の低下と、安定供給の保証による新しい需要が開ける。技術的には可能だけど、供給が安定しないことで実現しない商品はいくらでもある。
俺たちが紹賢祭や見本市で出したような、珍しい特産品や多種の料理を集めた食事が注目されるのは、それが難しいからだ。
「商品を作る相手から商品を使う相手に、速やかに安定に商品を届ける。それこそが商人の本分でしょう。その為に最も重要なのが、何時いくらで買えるか、あるいは売れるかという情報です」
俺はもう一度商業取引の三要素を繰り返す。先物取引と言えば投機のイメージだが、本質はヘッジである。その最大の意義は商人のリスクを軽減することではなく、商業活動によって仲介されている生産者と消費者、つまり社会全体に安定した基盤を提供することだ。
「例を挙げましょう。彼女、ナタリーは今王都で評判になりつつある羊羹を作っています。主要な原材料の一つは小豆です」
俺は説明する。小豆に新しい需要が生じたとしても、それが生産者に小豆の生産を高めるまでには長い時間がかかる。これまでと違う作物を作るという困難以外にも、何時いくらで売れるかの保証がないからだ。
だが、小豆の先物市場があれば、その保証が得られる。新商品という情報が先物市場の価格情報という形で速やかに流通すると言い換えてもいい。
ちなみに餡子が普及すれば小豆は穀物の劣化版から商品作物に化ける。ほら、豆の産地であるグリニシアス公爵、宰相と繋がるジヴェルニーの表情が微かに動いた。ナタリーは思わず持っていた紙を取りこぼしそうになっている。この程度の宣伝は役得だよ。
「それは、価格を誰にでも分るようにすると言うことではないか」
ケンウェルの会長が手を上げた。若干顔が紅潮している。彼の立場を考えれば、よくもまあその程度で抑えたと言うべきだろう。ドレファノやカレストならこの瞬間にどんな手段を使っても俺を潰そうと決断してもおかしくない。
当然だ。大量の穀物を扱うことで”食料価格全体”に影響力を持つケンウェルにとって、価格情報というのは極めて重要な武器、つまり独占厳守すべき情報なのだ。
「その通りです」
俺は肯定した。なるべく涼しい顔をしてみせる。半分は虚勢。だが、これは最終的には決して彼の損にはならないと考えている。いや、彼は最大の受益者たり得る。
「……ありとあらゆる商品の取引を公開で行うなど不可能だろう」
俺の表情を見たのか、ケンウェルの会長は切り口を変えてきた。頭ごなしの否定ではないだけで十分だ。
「はい。全ての商品の先物市場を作れるわけではありません。穀物や鉱物資源などの限られた品種だけが取り扱いの対象になるでしょう。お察しの通り、最初にして最大の対象は小麦でしょうね」
商品先物市場で扱える品には条件がある。買い手と売り手が多く存在する量が多い商品、保存可能であること、規格化されているなどだ。
穀物はその全てを満たす。日本で言えば米。近代的な先物市場が世界で最初に作られたのが、全国から米が集まった江戸時代の大阪、堂島米会所だったのは偶然ではない。
同じ食べ物でも、一粒一粒の形が大きい上に形が違い、甘さという価値がばらばら、さらに保存しにくい果物などはずっと難しい。少なくともこの世界の技術では、こういった商品は直接取引するしかない。食肉の場合は、冷凍設備がないと生肉は難しいが、切り分けて干し肉にするなどの形を変えれば不可能ではない。
もちろん、言うほど簡単ではない。前世の地球で需給ギャップが極めて重要だったのは生産、輸送がとんでもなく効率化され、作ろうと思えばいくらでも作れることが大きかった。
今俺が生きている世界はそうではない、いくら需要があろうが供給を増やす余地は少ない。だが、それは現代とは逆の意味で需給ギャップの解消の意義が大きいことを意味する。極端な話、蜂蜜が暴騰しようが暴落しようが社会に大きな影響はない。だが、穀物は違うのだ。
「価格情報の独占を放棄する代わりに、リスクに対する保証を得る。そういうことだろうが……」
食料ギルド長が難しい顔で言った。先物市場の直接的なメリットは保証。だが、規模はそれ自体保証だ。大商人であるケンウェルにとって無価値ではないにしろ、最大のデメリットを被ることに釣り合うか考えるだろう。
先物市場の値が上がれば、ケンウェルが独占していたどこどこ地方が不作という情報が衆人の目にさらされるのだ。
だが、ヘッジは先物市場の存在する根本的メリットとは違う。その結果生み出される物が重要なのだ。
「まず穀物、小麦の持つ食料価格全体への影響力は失われません。むしろ、それは拡大します。生きるために必須の食料、その最大の割合を占める穀物の価格は本来は全ての商品と連動してもおかしくない。それが限定的にしか生じないのは、正確な情報が公開されていない。つまり、信用に足る情報が存在しないからです。先物市場はその信用に足る情報を作り出す仕組みです。最初に新都市の最大の商品は情報だと言ったのはそういう意味です」
情報の独占がなくなれば情報そのものの持つ影響力は広がる。情報一つの利益率は下がるが、需要はそれ以上に拡大するのだ。そして、先ほどの需要と供給で言えば、情報は供給を増やすことが簡単な商品である。
「そして、その情報が小麦を特別な商品に変えます」
単に価値が上がるのではなく、安定した価値になる。信用を伴った価値になるのだ。その結果、穀物の価値は金そのものに近づく。考えてみて欲しい、保管可能、単位で取引できる、多くの人間にとって価値を持つ。これは通貨と共通の性質だ。
信用により金の価値が上下すると言うよりも、信用というのが金の価値そのものなのだ。そして、この都市に集まる商品の価値と信用が伴えば、それは都市そのもの信用が上がることを意味する。そうなると……。いや、これは先走りすぎだな。先物市場に小麦という商品を一つ上場するだけでどれだけの時間がかかるか。
「つまり、穀物はその性質を金に近づけると言うことですね」
ケンウェルの会長がゴクリとつばを飲んだのが分かる。商品の価格の半分が信用から出来ている。その信用が上がれば自ずと価値が上がる。しかも、情報という目に見えない物は耕作地と違って限りなくゼロに近いコストで増やせるのだ。
俺がこの世界の商業活動の活性化、つまり情報流通の加速を目指し、最初に目標としたのが総合商社設立だった。それは”俺に”出来る範囲での最適解だと思ったのだ。
だが、セントラルガーデンのメンバーと共に、ここまで歩いてきて、俺自身が総合商社を設立せずとも、彼らを容れる新しい都市さえ造れば良いのだと思いいたったのだ。
これはその発展型だ。先物市場を中心とした国際商業都市。いや、国際商業金融都市か。それが俺の新しい答えだ。
さて、ここまで説明してきたのはあくまでその概念だ。現実に出来るかどうかは、今ここにいる全員にかかっている。




